『CASANOVA』を観て思ったことをつれづれ書く。


 「カサノヴァ」って難しい題材なのかなあ?

 『源氏物語』がロマンであるように、カサノヴァもタカラヅカ向きの題材だと思ったの。
 稀代の美男子が恋愛遍歴する物語、という点で。
 でも『CASANOVA』観ながら、「光源氏が許されてるのは、彼の心に真実の愛があるからだな」と思った。満たされぬ心を癒すために、乾いた人が水をむさぼるように、恋をしていく。ゲームのように見えても、その根底にソレがあるから、観客は彼に切なさを感じる。
 完全にゲームで女を抱くことだけを考えている男、ってのは……たとえ「真実の恋を知らないだけ」だとしても、うーん、ソレを「魅力」に昇華するのは難しいな。
 ゲームで女を落とすというと『仮面のロマネスク』のヴァルモンがいるけど、彼の場合も「真実の愛」が胸にあるわけだからな。また、悲劇に終わるから、彼の悪行も「観客は、無意識に因果応報を求める」という部分にマッチするし。

 太田せんせの『THE FICTION』では、カサノヴァの「真の恋人」=ヒロイン位置の女性が、カサノヴァのことを「この世でもっとも誠実な方」と評するのがポイントだった。
 ペテン師と罵られる不実の代名詞のような男に対し、ヒロインだけが「この世でもっとも誠実な方」と繰り返す。カサノヴァの所行をすべてを知った上で。
 だからこそカサノヴァは、彼女を救いにしていたのだろう。千人の女を抱いても、彼女を忘れられずにいたんだろう。
 ……そこをもっと掘り下げて創ったら、面白かったろうに。
 太田せんせのいちばんの関心は、トドロキに何十人もの役を演じさせることで、そのなかの「いちばんの売り」として、ガチの女役……「美しいヒロイン」姿を披露することだった。
 だから、クライマックスにドレス姿のトドロキが登場すること、芝居自体がそのための構成になっていて、ヒロインとの恋愛を掘り下げる気は皆無だった。

 生田せんせなら、もっと「心」を描いてくれるかなぁ。
 そう勝手に思っていた。
 心を描く技術があるかどうかはともかく、「描こう」と思う人だと、思っているので。

 いっくんが描いた心のあるキャラって、ベアトリーチェとコンデュルメルとその妻かぁ……カサノヴァは入らなかったかぁ……。
 この場合の心ってのは、「変化する心」のことね。
 物語ってのは大抵、スタート地点とゴール地点で、キャラクタの心情(立ち位置)が変わっているから。

 主人公であるカサノヴァは変わらない。
 彼が引っかき回したおかげで、主人公以外の人たちは変化している。

 『CASANOVA』観ながら、小柳タンの『ルパン三世』を思い出していた。
 よそ者のルパンが現れて、停滞しているアントワネットやカリオストロを引っかき回して変化させ、よそ者だから消えていく。ルパン自身はナニも変わらない。アントワネットとちょっと良い関係になるけど、ガチな恋はしない、だってルパンだから。そんな、本気の恋をさせたらまずい、原作のルパンにオリキャラの恋人は付けられない。
 長い長い『ルパン三世』という物語の中の、1短編。
 それと同じなんだよね。
 よそ者のカサノヴァが現れて、停滞しているベアトリーチェやコンデュルメルを引っかき回して変化させ、よそ者だから消えていく。カサノヴァ自身はナニも変わらない。ベアトリーチェとちょっと良い関係になるけど、ガチな恋はしない、だってカサノヴァだから。
 長い長い『CASANOVA』という物語の中の、1短編。

 なのにカサノヴァは「運命の恋」だと言ってるから、認識が追いつかない。
 ルパンの「ちょっと良い関係」程度に見える……。

 仙名さんが退団でなかったら、もっと別の物語が観られたのかな。
 いっそルパンにしちゃった方が、カサノヴァという男は「いい男」になったと思う。

 『Shakespeare』があんだけぶっ壊れていても、ラストなんとか「いい話」に持っていけたのは、主人公とヒロインが愛し合う夫婦だったからだ。
 これで、主人公が妻を裏切る理由が「女千人抱きました、人生には恋と冒険が必要」だったら無理、まとまらない。「仕事に没頭して家族ないがしろにしてました」「天才クリエイターゆえの苦悩で家族にまで心を砕けませんでした」だから、許されたんだよなあ。

 ルパンも千人抱いてるかもしんないけど、アントワネットに「嘘はついたけど騙すつもりはなかった」「ルパンでも大泥棒でもない、ただのひとり男だ」とか言って「運命の恋」へと話をもっていったら、気持ちの良いラストにはならなかったろう。

 やっぱ「カサノヴァ」って難しい題材か……。

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