『夢現無双 「宮本武蔵」』初日感想メモより。
 ……って、メモを元にいろいろ付け加えてるので、純粋に初日の感想ではなくなってるんだけどな。

 メモには冒頭の構成に引っかかった、てなことばかりつらつら書いてあって、それ以外の感想がろくに書いてないのでした……や、帰りの電車でメモってることが多いので、電車降りるまでしか時間なくて(笑)。

 正確には、初日メモを元にあーだこーだ書く、かな。


 吉川英治の原作は知らないけど、宮本武蔵自体はマンガとかドラマとかでなんとなく見知っている、程度。
 そんなわたしが「ああ、あったあった、このシーン」と思うくらいには、有名エピソードを拾ってあるんだと思う。

 有名エピソードってのは、それだけでエンタメ要素がある。みんなが知っている、「〇〇と言えば●●だよな」と思うモノを、そのまま差し出してあげることは大切。期待を裏切らないってやつ。
 だから、有名エピソード羅列するのは、正しい。
 正しいと思うのに……なんだろう、このつまらなさ。

 「あー、これ知ってる」「あったあった」と思うのに……楽しくないのは何故。

 描かれているのが出来事だけだからか。

 武蔵がなにをしたいのかが、伝わらない。
 武蔵がなにをしました、なにがありました、と出来事だけ流れていく舞台を観ながら、痛感したことは。

 この話って、「宮本武蔵」という男を好きでないと、ちっともたのしくないんだな。

 出来の悪いアイドルドラマとか、一般人のホームビデオみたいなもん?
 大好きなアイドルちゃんがお芝居してるー、かわいー。
 うちの子が歩いてる、食べてる、眠ってる、かわいー。
 姿を見てるだけでしあわせ。
 ……そのアイドルのファンなら、その子の家族なら、うれしいし楽しいけど、無関係な人からするとどこが楽しいのかわからないという。

 武蔵が動いてる、あの場面やってる、この台詞言ってる、武蔵が武蔵の格好して舞台にいる、それだけで幸せ、それだけでたのしーー!
 ……てのが作劇のスタンス?
 武蔵と旧知の人なら、「武蔵はこんなに魅力的な人」とわかってるから、「魅力的な人が歩いてる。喋ってる」から「きゅーん☆」とするのかもしれない。
 が、初対面の人には、「ただ歩いている。喋っている」だけでは魅力がわからない。「えーと、アナタ誰ですか、どんな人ですか」ということから教えてくんないと。

 サイトーくんが武蔵を好きすぎて、「人類すべてが武蔵を愛している、武蔵を熟知している、だから説明不要」と自分の目線で描いちゃったとか?
 武蔵ラブが「ふつう」になりすぎていて、「武蔵を好きでナイ人の感覚」が理解出来ず、「武蔵の魅力を描く」ことをきれーさっぱり忘れているとか?

 吉川英治の武蔵の魅力は知らないけど、いわゆる「宮本武蔵」の魅力なら、想像できる。
 サイトーくんがどれだけ原作に忠実に描いた結果なのかはわかんないけど、もっとタカラヅカというジャンルで魅力が発揮できるように描くことは可能なんじゃないか??

 史実や原作に縛られず、「ヒーロー武蔵」の魅力を描く!! 劇場に来た人全員武蔵のファンにしてやる! ぐらいの気持ちで描いた方が面白くなったんじゃないかな。
 武蔵の人生をなぞるのが目的、じゃなくて、彼の魅力を描く素材として彼の人生を使う、みたいに。
 「原作とチガウ!」「史実とチガウ!」と本気で文句言う人がタカラヅカを観に来る確率は低いし。だって、女性が武蔵やる時点で「原作とチガウ!」「史実とチガウ!」からね(笑)。
 そういう口うるさい人たちの目が届きにくい、自由になんでもやれるジャンルなのになー、タカラヅカって。

 武蔵を大好きな作家の描く武蔵、ということで期待したけど、そこがアダになったのかなと思った。
 や、武蔵好きでないと、なにがいいのかわかんなかったよ、と。

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