タイトル変換済み。@さすらいの果てに
2005年4月13日 タカラヅカ 謎の看護婦登場により、さらに別宇宙へかっとんでいく抱腹絶倒ギャグ芝居『さすらいの果てに』の感想、その3。あれ? 4かな?
ふつう、物語には伏線っちゅーものがある。
そのシーンでその人が出るのには、理由がいるのだわ。
1+1=2、みたいな数学的な理由だ。精神論ではなく、現実論。
コレが壊れていると、物語は駄作になる。
さて、物語も後半、それもさらに終わりの方になってから、ある看護婦が登場した。
病院だから、看護婦がいるのは仕方がない。
しかし、この子はなんだ?
ジェフリーくんを理解し、母のよーな愛で見守り、諭し、癒すのだ。そして女の子としても、ジェフリーくんに思いを寄せているらしいのだ。
この子の存在のめちゃくちゃさは、例を挙げるならば。
……こうして桃太郎は、さる・いぬ・きじのお供と力を合わせ、鬼ヶ島の鬼を退治することが出来ました。さあ、鬼が隠していたたからものを持って、おじいさんとおばあさんのところへ帰りましょう。
そこへ、ひとりの娘が現れました。
「桃太郎さん、あなたは、あなたを育ててくれたおじいさんとおばあさんに感謝しなければいけないわ。人は感謝の気持ちを忘れてはダメよ」
「そうですね、娘さん。ひとにはやさしく、いつも感謝の心を持って生きなければ!」
「そのとおりよ!!」
「ありがとう、娘さん」
「元気でね、桃太郎さん。おじいさんとおばあさんによろしく」
そして桃太郎は、おじいさんとおばあさんの元に帰り、みんなで末永くしあわせに暮らしました。めでたしめでたし。
なんなの、この娘って?? 突然出てきて、倫理的にいいことを言っているけど、なんでそれをわざわざここで、あんたが出てきて言わなければならないの?
作品の大筋となんの関係もないのに、ただテーマを台詞で言うタメだけに登場するって、物語として最低最悪の部類ですがな。溜息。
そんなことしたら、なんでもアリになるわな。『シンデレラ』のラストで硝子の靴を持ってシンデレラを捜しているお城の人たちの前に、突然「最近の宝塚歌劇、どう思います? こまったときの『ベルばら』頼みって、なさけなくありません?」と一席ぶつ通行人が現れてもOKってことじゃん。ただの通行人、街には通行人がいて当然よ、てな理屈で。
なにかしら「いいシーン」を作りたいわ、と思ったら、いつでも突然好きなときに、脈絡も意味もなく、キャラクタ増やして言いたいことだけ言わせて、本筋とはなんの関係もなく、ソレで終わり。でも観客はバカだから、てきとーに「泣かせる台詞」を言わせておけば、勝手に感動してくれるからOKてか?
いやその、観客べつに、そこまでバカじゃないし。
あまりに本筋と関係ない謎の看護婦登場、スポットライト浴びて長々とひとりで歌っちゃったり、このシーンだけ見たら、主人公は彼女てな視点の混乱ぶりに、笑うしかない。
そのうえ、ジェフリーの死んだ父と瓜二つ(てゆーか同じ人)のエドウィン父@汝鳥伶サマまで現れた日にゃあ……。
看護婦とWパンチで、破壊力増大。すばらしい景気の良さ。
『お笑いの果てに』は全部が全部壊れていて、どこをどうしたらまともになる、てな生やさしいものじゃないけど、この看護婦を出さないだけでももう少しマシになるのになー。
こんな看護婦出している暇があったら、ヒロインのはずのエレノアを描けばいいのに。えっ、ヒロインはエドウィンでしたっけ?
この看護婦のくだりを正しく機能させたいのなら、全編改稿するしかない。そう、彼女をヒロインにして、エレノアの存在は抹消する。父への確執と復讐だけにしぼる。
つまり、ヒロインの存在を危うくするほどの重心なんだよな、看護婦。それほど壊れた存在。
そして、それほどの重心で出てくる看護婦のことを、ジェフリーがまったく気に留めていないのがまた、ジェフリーのキ*ガイさに拍車をかけている……。
ふつー、これほどの重心で人が人に接する場合は、双方向になる。助けてもらったらありがとうって言うでしょ? 叩かれたら痛いでしょ? そーゆーあたりまえの反応。
だがジェフリーは看護婦になんの意識も向けない。そこにいて会話しているのに、ジェフリーに看護婦は見えていないんだ。
気持ち悪い……。
「せっかく追いつめたのに!」という台詞と同じくらい気持ち悪いのは、これらのエピソードがすべてジェフリーの脳内完結ぶりを表しているからだろう。
見たいモノしか見ない。感じない。他人と正しく関わることが出来ない。
おそろしい……。
でもってもう、この作品について語ることに疲労感ばかりが募って、この通り文章もおもしろくなくなっているので、このへんで強引に終わりたいと思う。
まあ、作品に相応しい感想の終わり方だと思うし。ははは。
んで、あとは駆け足。
ストーカー被害者だったクレイトンは、都合よく死期を迎え、いきなり懺悔をはじめてしまうんだな。
ジェフリー父の冤罪に、たしかに彼も関係していた、と。
拷問された容疑者が、苦痛から逃れるために嘘の自白をしているよーに見えてしまうあたりが、この作品のチャームポイント。壊れた脚本って素敵です。
彼の自白ではじめて真相がわかるわけだから、今までジェフリーがしてきたことは魔女裁判と同じなんだが、勝てば官軍、容疑者が自白してくれたから、それまでジェフリーがしてきたことは全部正当化、「正義のジェフリーくん・悪をやっつけろ編」はハッピーエンド。よかったね。
あとは「ハンサムジェフリーくんのラヴストーリー編」なんだけど、こちらも素敵にコメディ。
父の冤罪を晴らし、意気揚々と凱旋してきたのに、なんと彼は死んだことになっていた。ありえねえ。死人がどうやって事件の真相を世間に認めさせたんだ? いやあ、ささやかなところでも笑わせてくれる芸の細かさに脱帽。
辻褄があっていなくても平気。だってこれはそーゆー物語。
やりたかったのは、「戦死した恋人を待ち続けるヒロイン」と、「死地をくぐり抜けて愛のために生き抜いた主人公」の感動の再会でしょ? 書きたかったのは、「再会」。それまでの過程じゃなくて、ただこの記号のような再会。
……それまでの過程をいい加減にして、「定番すぎてパクリとも言われないテンプレ的」な再会シーンをやっても、意味がないことを証明してくれた、すばらしいシーン。
場内爆笑。
とってつけた小ネタに観客は気持ちよく笑うことが出来る。すげえよ。ラストシーンで笑わせるなんて、他の「シリアスなラヴストーリー」ではできないことだよ!
最後の最後まで、ツッコミを入れさせてくれる、捨て身の誘い受作品。
ありがとう、『お笑いの果てに』。ものすっげーたのしかった。
ふつう、物語には伏線っちゅーものがある。
そのシーンでその人が出るのには、理由がいるのだわ。
1+1=2、みたいな数学的な理由だ。精神論ではなく、現実論。
コレが壊れていると、物語は駄作になる。
さて、物語も後半、それもさらに終わりの方になってから、ある看護婦が登場した。
病院だから、看護婦がいるのは仕方がない。
しかし、この子はなんだ?
ジェフリーくんを理解し、母のよーな愛で見守り、諭し、癒すのだ。そして女の子としても、ジェフリーくんに思いを寄せているらしいのだ。
この子の存在のめちゃくちゃさは、例を挙げるならば。
……こうして桃太郎は、さる・いぬ・きじのお供と力を合わせ、鬼ヶ島の鬼を退治することが出来ました。さあ、鬼が隠していたたからものを持って、おじいさんとおばあさんのところへ帰りましょう。
そこへ、ひとりの娘が現れました。
「桃太郎さん、あなたは、あなたを育ててくれたおじいさんとおばあさんに感謝しなければいけないわ。人は感謝の気持ちを忘れてはダメよ」
「そうですね、娘さん。ひとにはやさしく、いつも感謝の心を持って生きなければ!」
「そのとおりよ!!」
「ありがとう、娘さん」
「元気でね、桃太郎さん。おじいさんとおばあさんによろしく」
そして桃太郎は、おじいさんとおばあさんの元に帰り、みんなで末永くしあわせに暮らしました。めでたしめでたし。
なんなの、この娘って?? 突然出てきて、倫理的にいいことを言っているけど、なんでそれをわざわざここで、あんたが出てきて言わなければならないの?
作品の大筋となんの関係もないのに、ただテーマを台詞で言うタメだけに登場するって、物語として最低最悪の部類ですがな。溜息。
そんなことしたら、なんでもアリになるわな。『シンデレラ』のラストで硝子の靴を持ってシンデレラを捜しているお城の人たちの前に、突然「最近の宝塚歌劇、どう思います? こまったときの『ベルばら』頼みって、なさけなくありません?」と一席ぶつ通行人が現れてもOKってことじゃん。ただの通行人、街には通行人がいて当然よ、てな理屈で。
なにかしら「いいシーン」を作りたいわ、と思ったら、いつでも突然好きなときに、脈絡も意味もなく、キャラクタ増やして言いたいことだけ言わせて、本筋とはなんの関係もなく、ソレで終わり。でも観客はバカだから、てきとーに「泣かせる台詞」を言わせておけば、勝手に感動してくれるからOKてか?
いやその、観客べつに、そこまでバカじゃないし。
あまりに本筋と関係ない謎の看護婦登場、スポットライト浴びて長々とひとりで歌っちゃったり、このシーンだけ見たら、主人公は彼女てな視点の混乱ぶりに、笑うしかない。
そのうえ、ジェフリーの死んだ父と瓜二つ(てゆーか同じ人)のエドウィン父@汝鳥伶サマまで現れた日にゃあ……。
看護婦とWパンチで、破壊力増大。すばらしい景気の良さ。
『お笑いの果てに』は全部が全部壊れていて、どこをどうしたらまともになる、てな生やさしいものじゃないけど、この看護婦を出さないだけでももう少しマシになるのになー。
こんな看護婦出している暇があったら、ヒロインのはずのエレノアを描けばいいのに。えっ、ヒロインはエドウィンでしたっけ?
この看護婦のくだりを正しく機能させたいのなら、全編改稿するしかない。そう、彼女をヒロインにして、エレノアの存在は抹消する。父への確執と復讐だけにしぼる。
つまり、ヒロインの存在を危うくするほどの重心なんだよな、看護婦。それほど壊れた存在。
そして、それほどの重心で出てくる看護婦のことを、ジェフリーがまったく気に留めていないのがまた、ジェフリーのキ*ガイさに拍車をかけている……。
ふつー、これほどの重心で人が人に接する場合は、双方向になる。助けてもらったらありがとうって言うでしょ? 叩かれたら痛いでしょ? そーゆーあたりまえの反応。
だがジェフリーは看護婦になんの意識も向けない。そこにいて会話しているのに、ジェフリーに看護婦は見えていないんだ。
気持ち悪い……。
「せっかく追いつめたのに!」という台詞と同じくらい気持ち悪いのは、これらのエピソードがすべてジェフリーの脳内完結ぶりを表しているからだろう。
見たいモノしか見ない。感じない。他人と正しく関わることが出来ない。
おそろしい……。
でもってもう、この作品について語ることに疲労感ばかりが募って、この通り文章もおもしろくなくなっているので、このへんで強引に終わりたいと思う。
まあ、作品に相応しい感想の終わり方だと思うし。ははは。
んで、あとは駆け足。
ストーカー被害者だったクレイトンは、都合よく死期を迎え、いきなり懺悔をはじめてしまうんだな。
ジェフリー父の冤罪に、たしかに彼も関係していた、と。
拷問された容疑者が、苦痛から逃れるために嘘の自白をしているよーに見えてしまうあたりが、この作品のチャームポイント。壊れた脚本って素敵です。
彼の自白ではじめて真相がわかるわけだから、今までジェフリーがしてきたことは魔女裁判と同じなんだが、勝てば官軍、容疑者が自白してくれたから、それまでジェフリーがしてきたことは全部正当化、「正義のジェフリーくん・悪をやっつけろ編」はハッピーエンド。よかったね。
あとは「ハンサムジェフリーくんのラヴストーリー編」なんだけど、こちらも素敵にコメディ。
父の冤罪を晴らし、意気揚々と凱旋してきたのに、なんと彼は死んだことになっていた。ありえねえ。死人がどうやって事件の真相を世間に認めさせたんだ? いやあ、ささやかなところでも笑わせてくれる芸の細かさに脱帽。
辻褄があっていなくても平気。だってこれはそーゆー物語。
やりたかったのは、「戦死した恋人を待ち続けるヒロイン」と、「死地をくぐり抜けて愛のために生き抜いた主人公」の感動の再会でしょ? 書きたかったのは、「再会」。それまでの過程じゃなくて、ただこの記号のような再会。
……それまでの過程をいい加減にして、「定番すぎてパクリとも言われないテンプレ的」な再会シーンをやっても、意味がないことを証明してくれた、すばらしいシーン。
場内爆笑。
とってつけた小ネタに観客は気持ちよく笑うことが出来る。すげえよ。ラストシーンで笑わせるなんて、他の「シリアスなラヴストーリー」ではできないことだよ!
最後の最後まで、ツッコミを入れさせてくれる、捨て身の誘い受作品。
ありがとう、『お笑いの果てに』。ものすっげーたのしかった。
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