花組千秋楽。
 いつだって、ポイントはオサ様だ。
 花組トップスター、春野寿美礼。この人が、どんな演技をするか。どんな気分でいるか。
 すべてはソレにかかっている。

 『落陽のパレルモ』にて、ヴィットリオ@オサに、愛はあるか? が最重要事項だよ。

 『パレルモ』は、ベッタベタのラブロマンスだ。主役ふたりが周囲を見ないぐらいぐちゃぐちゃに愛し合っていてこその物語だ。
 なのに、オサ様は相手役を愛していなかった。自分しか好きじゃなかった。そのことにわたしはヘコんでいた。
 似たもの夫婦っちゅーか、ふーちゃんもまた自分をいちばん愛するタイプの人だったんで、このふたりはもー、寒い寒い恋愛を舞台上で繰り広げてくれていた。

 千秋楽は、どうよ?
 最後ぐらい、愛を演じてくれるかしら?

 ひさしぶりに見るヴィットリオくんは、微妙に別人で。
 やたら若くて、にこにこ笑う陽気な人になってました。

 オサ様が毎回別人なのは、知ってるけど。
 うわー……こんなことになってますか。

 それまでわたしが見たどの回よりも、愛があった、と思う。
 それはたしか。

 でもわたしには、アンリエッタ@ふーちゃんへの愛情が上がっているというより、より自己愛が強くなった結果に見えた。

 アンリエッタを愛している自分を愛している、というか。
 少年ぽいのに、どこか老成しているというか。

 なんか、リュドヴィーク入ってるよーに見えたんですが。

 かなしいはずの場面で、穏やかに笑っていたり。
 自分が主人公で今現在物語の中心にいるというより、舞台の外側から、過去の自分を主人公にした物語を見つめているような。

 なにもかもわかったうえで、あきらめ、悟った上で、そこにいるような。

 だから、アンリエッタに対する熱が上がっているのも、愛情が感じられるのも、乾いた切なさに充ちている。
 老人が過去の傷を愛しく撫でているような感触。
 なにもかも、みななつかしい。みないとしい。
 そんな感じで、「世界」を見つめているような。

 ヴィットリオの痛々しさがあがっていたの。
 愛情云々は、その付属物に過ぎない気がした。

 
 なんつーか……不自由な人だなあ、オサ様。

 人を愛する、そんな人間として基本の演技をするだけで、こんなにややこしいことになるのか。
 てゆーか、そこまで演技できない、心のままにしか表現できないなら、なんで役者なんかやってるんだろう?

 オサ様のいびつさが、人間として役者として欠けた部分があまりにあからさまで、愛しくてならない。
 そう、愛しいんだ(笑)。

 春野寿美礼という人は、国を滅ぼすタイプの施政者だなあ、と思ったりもする。
 でも、彼と共に滅ぶのも悪くない、と思わせるタイプのカリスマなんだよなあ。

 この人についていけば安心だ、と思えるリーダーがいる。
 共に夢を見たい、力になりたい。
 この人は危なっかしいから、支えてあげたい、と思えるリーダーがいる。
 盛り立ててあげたい、真ん中に立たせてあげたい。

 そーゆーのとはちがって。

 この人、たぶん、まちがってるよなあ。
 このままついていったら、やばいよなあ。
 そうわかっているのに、止めたくない。
 どれだけまちがっていても、この人の見ているものを見てみたい。この人も求めるものがなんなのか、見届けたい。
 その結果、この人が滅びることになったとしても、それは仕方ないんじゃないのか? 自業自得だし。
 そして、この人を認めてついていった者たちが滅びるのも。仕方ないだろ。

 そーゆー魅力。

 「愛している」人が好きなわたしは、オサ様の人を愛せないところや、ナルシストで自己完結しているところがものすげー嫌なのよ。
 自分の女房ひとりしあわせにできないでいる男なんか最低っ! とか思うわけよ。政略結婚だったから、なんて言い訳にならないよ。そりゃわたしだって、よくできた女房だったとは言わないし、向こうもかなりアレだったから「自業自得の似たもの夫婦」それゆえの破局だと思ってるけどさ。
 でもでも、恋愛モノなのに相手役をまったく愛せないで、軍服を着た自分にうっとりしてるってのは、どうなのよ。なんて狭量な男なの。
 ほんとにまちがってる、こんな男。

 そして。

 わたしが、オサ様を好きでしょーがないのが、オサ様の人を愛せないところや、ナルシストで自己完結しているところなのよ! 自分の女房ひとりしあわせにできないで、軍服を着た自分にうっとりしてる、狭量なところなのよ!!
 そんなところが、愛しくて仕方ないの。

 腹が立つんだけど。苛々するんだけど。
 でもでも、そこが好きなの。

 カオ歪んでると思うし、トシとともにどんどん妙な変なクセがついてきちゃったと思ってるし、「素顔でVISAの看板に載るのはやめといた方がいいよ、マジで」とか思ってるけど、それでも好きなの。

 相手役のこと愛していない、自己愛の勝った演技見ていても、苛立つくせに愛しいの。

 オサ様が、笑っている。
 それだけで、うれしい。

 眉毛八の字で、目が線になっていて、「客観的に見て、この人ほんとにきれいか? 相当やばくねーか?」と首を傾げているわたしも、わたしの中に同時に存在するんだけど、それでもいいの!!

 春野寿美礼が笑っている。それだけで、わたしは幸福だ。

 なんか、泣けてきてね。
 寿美礼ちゃん見てると。
 あああ、わたしほんとにこの人好きだあぁぁあ。

 
 どんなにまちがっていてもいい。
 しあわせでいてください。


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