今この時代に30代である、とゆーのはものすげーことだなあ、と思う。

 てなことをよく、弟と話す。

 世の中の中心となっている世代なのだ、ということを肌で感じるときに。
 や、わたし自身は世の落ちこぼれにすぎないんですが。
 世の中があきらかに、「わたしたち世代」をターゲットに、いろんなアクションを起こしていることを感じるとき、「すげえ」と思うのですよ。

「コレってさあ、子ども向けの振りしてるけど、絶対大人対象だよな」
「わかるのは大人だよね。しかも、ウチら世代?」

「30代を動かそうとして、こんなことやってんだなー」
「オトナは、動くときは本気だからねえ」

 わたしたちの世代が、わたしたちの世代のために、わたしたちの世代に向けて発信する。
 いちおー、他の世代もフォローしているけど、ソレをいちばんたのしめる、理解できるのは、わたしたちの世代。

 それを感じることが多々ある。

 いつか時代が動いて、感じられなくなるのかもしれない。
「若い人向けに作られてるから、わたしにはわかんないや」
 で、済ませるしかないものだらけになってしまうときが、くるのかも。や、たぶん来る。

 だからこそ今は、「わたしたちの世代」をたのしむべきなんだろう。

 今、オトナで良かった。
 
 若い子たちに「おばさん」とひとくくりに呼ばれてしまっていても。
 今、30代であるたのしさは、他には変えられない。
 力のある時代。
 その中心にいる、快感。

 
 湖月わたるダンシング・リサイタル『Across』初日。
 kineさんとnanaタンと一緒にドラマシティに乗り込みました。

 
 そいでもって。

 
 大泣きしました。

 や、すでに、1幕から。

 なんの予備知識もなく、ウメちゃん以外の共演者も知らずに行ったんですけどね。
 2幕がオギーだから、そっちはきっとすごいことになるだろうけど、1幕はわりと気を抜いていられるかなとか思ってたんだけど。

 1幕から、全開だ。

 なんだよコレ。
 どこまでストレートなんだ。

 『壊れかけのRadio』からはじまるJ-POPの数々にのってつづられるのは、過ぎ去った日々。

 失われた時間、戻らない記憶。

 最初に現れるのは、生意気盛りの男の子たち。
 夢とか自信とか、カタチのないものにきらきらしている子どもたち。
 サッカーボールだとか、ギターだとか、銃だとか。
 男の子たちが、やんちゃに「夢」を描いている。

 そこに、女の子たちの姿はない。

 だって彼らはまだ、女なんてバカにしているもの。邪魔で、ウザい生き物だと思っている。
 女の子たちも、同い年の男の子たちなんて眼中にない。ガキっぽくてとてもつきあっていられない! てなもん。

 実際、男の子たちの「夢」は、女の子にはガラクタに思えるよ。
 弾の出ない銃を持って「ババババーン!」とかやってる男子、弾けもしないギターを振り回して、格好だけ某ギタリストの振りをしてる男子、みんなみんなバッカみたい。
 わたしたちだって、そう思っていた。……思っていたことを、思い出すから。

 なんて愛おしい。
 舞台にいる、男の子たち、女の子たち。

 子どもたちは次に、「少年」と「少女」になる。
 思春期ゆえの反抗心、虚栄と繊細さ。
 興味ないからではなく、意識するから男子と女子は反発し、またわざと別行動を取る。そのくせちょっと、いい雰囲気にもなってみたり。

 男たちはどんどんかっこよく、女の子たちはチャーミングになっていく。

 激しい青春の痛みや、よろこび、すれちがい。

 時は流れ、決して逆行することなく現在へと近づいてくる。
 最初混ざり合わなかった男と女は、共に踊るようになる。

 そう。
 ひとは、大人になる。

 少年の日のきらめきは、青春のかがやきは、いずれ過去になり手の届かないモノになる。

 とゆー話を、わっかりやすいJ-POPを使い、ストレートに表現しているのですよ、1幕。

 あたしゃこーゆー、失われることが前提の、うつくしいものってのに、弱くてね。
 有限の楽園を見せつけられて、だーだー泣きました。

 しかも曲が見事に「青春時代」。
 予備知識ナシで観ていたけど、わかりましたよ、その意図が。

 選曲が見事に、「わたしたちの、青春時代」の曲なの。

 わたしたちが悩み、傷つき、いちばんバカでいちばん純粋で、いちばんきらきらしていたころの。
 まさに、そのころの想い出の曲ばかりなのよ。

 うっわ、同世代万歳!!

 ワタさん、この世代なんだ。

 
 オトナで良かった。

 今、この曲でこのダンスでこの作品で、胸が締め付けられてせつなくてせつなくて、でもしあわせでさみしくて、泣けるわたしでよかった。

 
 もちろんプログラムも買わずに観ていたから。
 次にどんな曲が来るのか、イントロクイズのノリでもたのしかったよ。
 「あとは、渡辺美里と尾崎豊があれば完璧だな」とか思ったその次の瞬間に美里が来てものすっげーツボったし(笑)。
 オザキはなかったけど、たしかにオザキの屈折と澱み方はワタさんのカラーではないなと思ってみたり。

 なんだか猛烈に、カラオケに行きたくなった。
 『Across』1幕の曲を、最初から順に熱唱したいや。

 失われた、いとしい時間に敬意を示して。

 
 このJ-POP尽くしの1幕の、ワタさんのかっこいいこと。

 若い。
 ナチュラルに、少年。そして青年。

 しなやかでワイルド。だけど、そのナイーヴさが痛いほど伝わる。

 それはまさに、「青春」の姿そのものだ。

 
 2幕のね、オギー演出編は、ほんとにわたし、構えて観ていたのよ。
 痛いこともせつないことも、そして構成と演出がものすっげー非凡なことも巧みなことも、わかっているから。
 そのオギーらしい巧さに感動しつつも、わりと、耐性があった。

 なにしろオギー、泣かせの演出一本槍ではなく、「観客をたのしませる」ことも念頭に置いて作っているから。
 ふつーにバラエティ豊かに、ワタさんのファンでなくても、ワタさんの退団を知らない人でも、ちゃんとたのしめるように作られているから。

 巧すぎる分、せつなさばかりに持って行かれるばかりじゃなかったのね。

 1幕は、フェイント。
 油断していたから、せつないせつない。
 オギーほどの仕掛けがない分、ストレートに泣ける。

 ああ、消耗するってばよ。

 
 2幕のオギーも緩急バランス良く、号泣させてくれるし。
 あんなにたのしかったのに、ショーとして、男役湖月わたるとしてステキだったのに、後半からは怒濤の展開。

 『ANNIVERSARY』で号泣。
 普段ハンカチを使わずに泣き通すわたしが、鼻水を抑えきれずハンカチを探すハメに。や、「Across」印のハンカチはずっと握っていたんだけど、まさかコレで鼻水拭けないし!!

 すごいよねこの公演。
 観客全員にハンカチが配られてるんだよ。
 「TheaterDramaCity 2006.4.19 Wed.14:00」って……初日の刻印入りぢゃん。うわー。
 この公演を、最初に観た幸運なひとりである記念。……千秋楽は、行けるはずもないから(本気のワタルくんファンがひとりでも多く観るべきだ)、この日にちこそがわたしの最大の記念公演。
 大切にしよう。

 1幕が終わったとき、隣のkineさんが言った。

「エンカレ、観てる場合じゃないかも」

 星エンカレ楽を、一緒に観る約束だったんだ、わたしたち。
 「エンカレ」に含みはないよ。kineさんはエンカレもたのしみにしているし、わたしよりも多くエンカレのチケットを取っている人なんだから。

 ただ、kineさんはワタさんファンだから。
 未来のある若者たちのエンカレよりも、今、ワタさんのための、ワタさんファンのためのこのリサイタルに、1回でも多く通うべきなんだ。
 暇人のわたしとちがって、kineさんは休日しか劇場に来られないのだから。

 カノジョの言わんとすることは、痛いほどわかったから。
 わたしも、即答していた。

 うん。
 通うべきだ。

 湖月わたるファンは、この作品を観なければダメだ。

 
 オトナだから、時間とお金を作って、劇場へ行くことが出来る。
 自分の意志で、自分の責任で。

 オトナだから、失うことの痛みを知っている。
 それに耐える術も、越えていく術も。

 オトナで良かった。
 ワタさんと同じ、オギーと同じ30代でよかった。

 尊敬できる人たちと、同じ世代で同じ痛みを共有できて、よかった。


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