Old Fashioned Love Song@Across
2006年4月20日 タカラヅカ 今この時代に30代である、とゆーのはものすげーことだなあ、と思う。
てなことをよく、弟と話す。
世の中の中心となっている世代なのだ、ということを肌で感じるときに。
や、わたし自身は世の落ちこぼれにすぎないんですが。
世の中があきらかに、「わたしたち世代」をターゲットに、いろんなアクションを起こしていることを感じるとき、「すげえ」と思うのですよ。
「コレってさあ、子ども向けの振りしてるけど、絶対大人対象だよな」
「わかるのは大人だよね。しかも、ウチら世代?」
「30代を動かそうとして、こんなことやってんだなー」
「オトナは、動くときは本気だからねえ」
わたしたちの世代が、わたしたちの世代のために、わたしたちの世代に向けて発信する。
いちおー、他の世代もフォローしているけど、ソレをいちばんたのしめる、理解できるのは、わたしたちの世代。
それを感じることが多々ある。
いつか時代が動いて、感じられなくなるのかもしれない。
「若い人向けに作られてるから、わたしにはわかんないや」
で、済ませるしかないものだらけになってしまうときが、くるのかも。や、たぶん来る。
だからこそ今は、「わたしたちの世代」をたのしむべきなんだろう。
今、オトナで良かった。
若い子たちに「おばさん」とひとくくりに呼ばれてしまっていても。
今、30代であるたのしさは、他には変えられない。
力のある時代。
その中心にいる、快感。
湖月わたるダンシング・リサイタル『Across』初日。
kineさんとnanaタンと一緒にドラマシティに乗り込みました。
そいでもって。
大泣きしました。
や、すでに、1幕から。
なんの予備知識もなく、ウメちゃん以外の共演者も知らずに行ったんですけどね。
2幕がオギーだから、そっちはきっとすごいことになるだろうけど、1幕はわりと気を抜いていられるかなとか思ってたんだけど。
1幕から、全開だ。
なんだよコレ。
どこまでストレートなんだ。
『壊れかけのRadio』からはじまるJ-POPの数々にのってつづられるのは、過ぎ去った日々。
失われた時間、戻らない記憶。
最初に現れるのは、生意気盛りの男の子たち。
夢とか自信とか、カタチのないものにきらきらしている子どもたち。
サッカーボールだとか、ギターだとか、銃だとか。
男の子たちが、やんちゃに「夢」を描いている。
そこに、女の子たちの姿はない。
だって彼らはまだ、女なんてバカにしているもの。邪魔で、ウザい生き物だと思っている。
女の子たちも、同い年の男の子たちなんて眼中にない。ガキっぽくてとてもつきあっていられない! てなもん。
実際、男の子たちの「夢」は、女の子にはガラクタに思えるよ。
弾の出ない銃を持って「ババババーン!」とかやってる男子、弾けもしないギターを振り回して、格好だけ某ギタリストの振りをしてる男子、みんなみんなバッカみたい。
わたしたちだって、そう思っていた。……思っていたことを、思い出すから。
なんて愛おしい。
舞台にいる、男の子たち、女の子たち。
子どもたちは次に、「少年」と「少女」になる。
思春期ゆえの反抗心、虚栄と繊細さ。
興味ないからではなく、意識するから男子と女子は反発し、またわざと別行動を取る。そのくせちょっと、いい雰囲気にもなってみたり。
男たちはどんどんかっこよく、女の子たちはチャーミングになっていく。
激しい青春の痛みや、よろこび、すれちがい。
時は流れ、決して逆行することなく現在へと近づいてくる。
最初混ざり合わなかった男と女は、共に踊るようになる。
そう。
ひとは、大人になる。
少年の日のきらめきは、青春のかがやきは、いずれ過去になり手の届かないモノになる。
とゆー話を、わっかりやすいJ-POPを使い、ストレートに表現しているのですよ、1幕。
あたしゃこーゆー、失われることが前提の、うつくしいものってのに、弱くてね。
有限の楽園を見せつけられて、だーだー泣きました。
しかも曲が見事に「青春時代」。
予備知識ナシで観ていたけど、わかりましたよ、その意図が。
選曲が見事に、「わたしたちの、青春時代」の曲なの。
わたしたちが悩み、傷つき、いちばんバカでいちばん純粋で、いちばんきらきらしていたころの。
まさに、そのころの想い出の曲ばかりなのよ。
うっわ、同世代万歳!!
ワタさん、この世代なんだ。
オトナで良かった。
今、この曲でこのダンスでこの作品で、胸が締め付けられてせつなくてせつなくて、でもしあわせでさみしくて、泣けるわたしでよかった。
もちろんプログラムも買わずに観ていたから。
次にどんな曲が来るのか、イントロクイズのノリでもたのしかったよ。
「あとは、渡辺美里と尾崎豊があれば完璧だな」とか思ったその次の瞬間に美里が来てものすっげーツボったし(笑)。
オザキはなかったけど、たしかにオザキの屈折と澱み方はワタさんのカラーではないなと思ってみたり。
なんだか猛烈に、カラオケに行きたくなった。
『Across』1幕の曲を、最初から順に熱唱したいや。
失われた、いとしい時間に敬意を示して。
このJ-POP尽くしの1幕の、ワタさんのかっこいいこと。
若い。
ナチュラルに、少年。そして青年。
しなやかでワイルド。だけど、そのナイーヴさが痛いほど伝わる。
それはまさに、「青春」の姿そのものだ。
2幕のね、オギー演出編は、ほんとにわたし、構えて観ていたのよ。
痛いこともせつないことも、そして構成と演出がものすっげー非凡なことも巧みなことも、わかっているから。
そのオギーらしい巧さに感動しつつも、わりと、耐性があった。
なにしろオギー、泣かせの演出一本槍ではなく、「観客をたのしませる」ことも念頭に置いて作っているから。
ふつーにバラエティ豊かに、ワタさんのファンでなくても、ワタさんの退団を知らない人でも、ちゃんとたのしめるように作られているから。
巧すぎる分、せつなさばかりに持って行かれるばかりじゃなかったのね。
1幕は、フェイント。
油断していたから、せつないせつない。
オギーほどの仕掛けがない分、ストレートに泣ける。
ああ、消耗するってばよ。
2幕のオギーも緩急バランス良く、号泣させてくれるし。
あんなにたのしかったのに、ショーとして、男役湖月わたるとしてステキだったのに、後半からは怒濤の展開。
『ANNIVERSARY』で号泣。
普段ハンカチを使わずに泣き通すわたしが、鼻水を抑えきれずハンカチを探すハメに。や、「Across」印のハンカチはずっと握っていたんだけど、まさかコレで鼻水拭けないし!!
すごいよねこの公演。
観客全員にハンカチが配られてるんだよ。
「TheaterDramaCity 2006.4.19 Wed.14:00」って……初日の刻印入りぢゃん。うわー。
この公演を、最初に観た幸運なひとりである記念。……千秋楽は、行けるはずもないから(本気のワタルくんファンがひとりでも多く観るべきだ)、この日にちこそがわたしの最大の記念公演。
大切にしよう。
1幕が終わったとき、隣のkineさんが言った。
「エンカレ、観てる場合じゃないかも」
星エンカレ楽を、一緒に観る約束だったんだ、わたしたち。
「エンカレ」に含みはないよ。kineさんはエンカレもたのしみにしているし、わたしよりも多くエンカレのチケットを取っている人なんだから。
ただ、kineさんはワタさんファンだから。
未来のある若者たちのエンカレよりも、今、ワタさんのための、ワタさんファンのためのこのリサイタルに、1回でも多く通うべきなんだ。
暇人のわたしとちがって、kineさんは休日しか劇場に来られないのだから。
カノジョの言わんとすることは、痛いほどわかったから。
わたしも、即答していた。
うん。
通うべきだ。
湖月わたるファンは、この作品を観なければダメだ。
オトナだから、時間とお金を作って、劇場へ行くことが出来る。
自分の意志で、自分の責任で。
オトナだから、失うことの痛みを知っている。
それに耐える術も、越えていく術も。
オトナで良かった。
ワタさんと同じ、オギーと同じ30代でよかった。
尊敬できる人たちと、同じ世代で同じ痛みを共有できて、よかった。
てなことをよく、弟と話す。
世の中の中心となっている世代なのだ、ということを肌で感じるときに。
や、わたし自身は世の落ちこぼれにすぎないんですが。
世の中があきらかに、「わたしたち世代」をターゲットに、いろんなアクションを起こしていることを感じるとき、「すげえ」と思うのですよ。
「コレってさあ、子ども向けの振りしてるけど、絶対大人対象だよな」
「わかるのは大人だよね。しかも、ウチら世代?」
「30代を動かそうとして、こんなことやってんだなー」
「オトナは、動くときは本気だからねえ」
わたしたちの世代が、わたしたちの世代のために、わたしたちの世代に向けて発信する。
いちおー、他の世代もフォローしているけど、ソレをいちばんたのしめる、理解できるのは、わたしたちの世代。
それを感じることが多々ある。
いつか時代が動いて、感じられなくなるのかもしれない。
「若い人向けに作られてるから、わたしにはわかんないや」
で、済ませるしかないものだらけになってしまうときが、くるのかも。や、たぶん来る。
だからこそ今は、「わたしたちの世代」をたのしむべきなんだろう。
今、オトナで良かった。
若い子たちに「おばさん」とひとくくりに呼ばれてしまっていても。
今、30代であるたのしさは、他には変えられない。
力のある時代。
その中心にいる、快感。
湖月わたるダンシング・リサイタル『Across』初日。
kineさんとnanaタンと一緒にドラマシティに乗り込みました。
そいでもって。
大泣きしました。
や、すでに、1幕から。
なんの予備知識もなく、ウメちゃん以外の共演者も知らずに行ったんですけどね。
2幕がオギーだから、そっちはきっとすごいことになるだろうけど、1幕はわりと気を抜いていられるかなとか思ってたんだけど。
1幕から、全開だ。
なんだよコレ。
どこまでストレートなんだ。
『壊れかけのRadio』からはじまるJ-POPの数々にのってつづられるのは、過ぎ去った日々。
失われた時間、戻らない記憶。
最初に現れるのは、生意気盛りの男の子たち。
夢とか自信とか、カタチのないものにきらきらしている子どもたち。
サッカーボールだとか、ギターだとか、銃だとか。
男の子たちが、やんちゃに「夢」を描いている。
そこに、女の子たちの姿はない。
だって彼らはまだ、女なんてバカにしているもの。邪魔で、ウザい生き物だと思っている。
女の子たちも、同い年の男の子たちなんて眼中にない。ガキっぽくてとてもつきあっていられない! てなもん。
実際、男の子たちの「夢」は、女の子にはガラクタに思えるよ。
弾の出ない銃を持って「ババババーン!」とかやってる男子、弾けもしないギターを振り回して、格好だけ某ギタリストの振りをしてる男子、みんなみんなバッカみたい。
わたしたちだって、そう思っていた。……思っていたことを、思い出すから。
なんて愛おしい。
舞台にいる、男の子たち、女の子たち。
子どもたちは次に、「少年」と「少女」になる。
思春期ゆえの反抗心、虚栄と繊細さ。
興味ないからではなく、意識するから男子と女子は反発し、またわざと別行動を取る。そのくせちょっと、いい雰囲気にもなってみたり。
男たちはどんどんかっこよく、女の子たちはチャーミングになっていく。
激しい青春の痛みや、よろこび、すれちがい。
時は流れ、決して逆行することなく現在へと近づいてくる。
最初混ざり合わなかった男と女は、共に踊るようになる。
そう。
ひとは、大人になる。
少年の日のきらめきは、青春のかがやきは、いずれ過去になり手の届かないモノになる。
とゆー話を、わっかりやすいJ-POPを使い、ストレートに表現しているのですよ、1幕。
あたしゃこーゆー、失われることが前提の、うつくしいものってのに、弱くてね。
有限の楽園を見せつけられて、だーだー泣きました。
しかも曲が見事に「青春時代」。
予備知識ナシで観ていたけど、わかりましたよ、その意図が。
選曲が見事に、「わたしたちの、青春時代」の曲なの。
わたしたちが悩み、傷つき、いちばんバカでいちばん純粋で、いちばんきらきらしていたころの。
まさに、そのころの想い出の曲ばかりなのよ。
うっわ、同世代万歳!!
ワタさん、この世代なんだ。
オトナで良かった。
今、この曲でこのダンスでこの作品で、胸が締め付けられてせつなくてせつなくて、でもしあわせでさみしくて、泣けるわたしでよかった。
もちろんプログラムも買わずに観ていたから。
次にどんな曲が来るのか、イントロクイズのノリでもたのしかったよ。
「あとは、渡辺美里と尾崎豊があれば完璧だな」とか思ったその次の瞬間に美里が来てものすっげーツボったし(笑)。
オザキはなかったけど、たしかにオザキの屈折と澱み方はワタさんのカラーではないなと思ってみたり。
なんだか猛烈に、カラオケに行きたくなった。
『Across』1幕の曲を、最初から順に熱唱したいや。
失われた、いとしい時間に敬意を示して。
このJ-POP尽くしの1幕の、ワタさんのかっこいいこと。
若い。
ナチュラルに、少年。そして青年。
しなやかでワイルド。だけど、そのナイーヴさが痛いほど伝わる。
それはまさに、「青春」の姿そのものだ。
2幕のね、オギー演出編は、ほんとにわたし、構えて観ていたのよ。
痛いこともせつないことも、そして構成と演出がものすっげー非凡なことも巧みなことも、わかっているから。
そのオギーらしい巧さに感動しつつも、わりと、耐性があった。
なにしろオギー、泣かせの演出一本槍ではなく、「観客をたのしませる」ことも念頭に置いて作っているから。
ふつーにバラエティ豊かに、ワタさんのファンでなくても、ワタさんの退団を知らない人でも、ちゃんとたのしめるように作られているから。
巧すぎる分、せつなさばかりに持って行かれるばかりじゃなかったのね。
1幕は、フェイント。
油断していたから、せつないせつない。
オギーほどの仕掛けがない分、ストレートに泣ける。
ああ、消耗するってばよ。
2幕のオギーも緩急バランス良く、号泣させてくれるし。
あんなにたのしかったのに、ショーとして、男役湖月わたるとしてステキだったのに、後半からは怒濤の展開。
『ANNIVERSARY』で号泣。
普段ハンカチを使わずに泣き通すわたしが、鼻水を抑えきれずハンカチを探すハメに。や、「Across」印のハンカチはずっと握っていたんだけど、まさかコレで鼻水拭けないし!!
すごいよねこの公演。
観客全員にハンカチが配られてるんだよ。
「TheaterDramaCity 2006.4.19 Wed.14:00」って……初日の刻印入りぢゃん。うわー。
この公演を、最初に観た幸運なひとりである記念。……千秋楽は、行けるはずもないから(本気のワタルくんファンがひとりでも多く観るべきだ)、この日にちこそがわたしの最大の記念公演。
大切にしよう。
1幕が終わったとき、隣のkineさんが言った。
「エンカレ、観てる場合じゃないかも」
星エンカレ楽を、一緒に観る約束だったんだ、わたしたち。
「エンカレ」に含みはないよ。kineさんはエンカレもたのしみにしているし、わたしよりも多くエンカレのチケットを取っている人なんだから。
ただ、kineさんはワタさんファンだから。
未来のある若者たちのエンカレよりも、今、ワタさんのための、ワタさんファンのためのこのリサイタルに、1回でも多く通うべきなんだ。
暇人のわたしとちがって、kineさんは休日しか劇場に来られないのだから。
カノジョの言わんとすることは、痛いほどわかったから。
わたしも、即答していた。
うん。
通うべきだ。
湖月わたるファンは、この作品を観なければダメだ。
オトナだから、時間とお金を作って、劇場へ行くことが出来る。
自分の意志で、自分の責任で。
オトナだから、失うことの痛みを知っている。
それに耐える術も、越えていく術も。
オトナで良かった。
ワタさんと同じ、オギーと同じ30代でよかった。
尊敬できる人たちと、同じ世代で同じ痛みを共有できて、よかった。
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