「歌えるスター」の必要性。@月組エンカレッジコンサート
2006年4月21日 タカラヅカ 歌えるスターの必要性について、考えた。
月組『エンカレッジコンサート』にて。
星組の『エンカレ』に行く前に、あわてて月組の感想書いてます。『スカウト』祭りと『ベルばら』祭りやってたせいで、感想が溜まってるのよ……えーと、あと書いてないのは、宙組『ネバー…』の本公と新公、涼さんの外部出演かな。あ、東宝雪『ベルばら』も観るには観たな……。
わたしが以前観たことがある『エンカレ』は、たしか花組のみだ。花組ファンの友人に誘われ、よくわかんないままリプライズを観に行った。
それは純粋に、「歌」を中心とした「ふつーの公演」だった。
下級生たちもがまんべんなくソロをもらって歌う構成は新鮮だったし、要所要所を「歌えるスター」であるゆみこが締めるのもバランスがよかった。
舞台の真ん中に立つ、ということは、訓練と経験で大きく左右される。
歌がうまくても、このスキルを持たない人はどうにもおさまりが悪い。技術はあっても、舞台で映えないんだ。観客に訴えかける歌い方ができなかったり、独りよがりだったり、おどおどしていたり。ほんとうはもっとうまいのかもしれないが、「歌」だけでなく「舞台」の総合点を見てしまうと、なんとも微妙な人たちが多い。
この人、歌うまいのかなあ、でもよくわかんないなー、どこ見て歌ってるんだろ、なにを表現したいんだろ、音ははずれてないみたいだけど、つまんない歌だなあ。
そんな感じ。
下級生たちがおどおどと歌うのはべつにいいんだが、全部が全部ソレじゃ疲れる。これはいちおー、「学校の発表会」ではなく、プロがお金を取って興行しているステージなんだ。
技術はあっても見せ方を知らない下級生たちを、「プロとしてのスキルを持ったスター」がまとめ、舞台を締める。
ある程度の歌唱力と、真ん中に立つ訓練と経験を積んだスターが、大劇場で歌うのとなんら遜色ない歌声と存在感で「中心」に立つ。
プログラム的にも、その「スター」を「いちばん盛り上がるところ」に配置することによって、公演自体のテンションを上げることが出来る。
テンションが上がれば、経験不足の下級生たちも一緒になって波に乗ることが出来る。舞台に、「ひとりで」立つ力。観客の心を、「ひとりで」動かす力。それは経験が必要だから、波に乗ってスキルを上げろ。
月組の『エンカレ』を観て、「歌えるスター」の必要性を痛感した。
プログラムが散漫になっていた。
「歌えるスター」がいないために。
「スター」として、「ここで公演をもりあげてね」というところにもりえちゃんが配置されていたけれど、知っての通り彼は「歌手」ではない。もりえちゃん比でとてもうまくなっていたし、がんばっていたけれど、必要とされるランクの歌声は残念だけど出せていなかった。
出演者の中で「歌手」としての重責を負わされていたのが研ルイスだが、彼はなにしろ「真ん中に立つ」訓練を受けていない。MCぼろぼろ、挙動不審、上がりまくって硬直して、見ていて胸が痛むほどのパニックぶり。
歌い出すと落ち着くようだが、緊張のためか出だしが悪く、声がよく出始めた頃に出番が終わる。
わたしが観たのは千秋楽だったのだけど、楽でこれなら、初日はどーなっていたんだルイス、と不安になったよ(笑)。
それでも、ラストの大トリを歌い上げるころになると、小物ぶりを脱皮して、すばらしい歌声を聴かせてくれたのだけど。
「ここで盛り上げてね」なところが説得力のある歌唱力がないためにいまいち盛り上がりに欠け、それじゃあ「技術と実力で聴かせましょう」なところはスター力がないために自爆気味。
うわー、プログラムが散漫だ……。
「歌えるスター」ゆみこがいた公演を観た記憶しかないから、違和感にとまどう。それにあのときは、あすかちゃんもいたんだよね。CDで聴いた花エンカレなんか、かなみちゃんがいたからまた、歌声の「華」がちがったし。
締める人がいないと、こーゆーことになるのか……。
個人個人の歌はいいんだけど、全体のプログラムを見ての感想ね。ただの箇条書きではなく、起承転結のある物語としてあるべきだと思うから、すべての公演が。
「エンカレ」だから路線スターを出す必要はない。普段歌わせてもらっていない、でも歌のうまい子を出すべきだ。
という意見はわかる。その意義も、大切さも。
でも、歌うことの表現法もわかっていない子たちだけを箇条書きで並べても、そこに「物語」は生まれない。彼らのためにもならんだろ。「発表会」を経験しても意味ない、「プロのステージ」を経験することでスキルを上げるのだから。
つまり問題は、「路線スター」を出すことではなく、「歌えるスター」を出すことだよ。
「歌う」ことで、舞台の中心を示すことができる人。
「歌」で空気を動かすことのできる人。
路線でなくてもいいから、「スター」が必要。アンサンブル歌手とソロ歌手のちがいを、見せつけてくれよ。
それによって、「発表会」ではなく「プロのステージ」であることを、見せつけてくれよ。
ところでエンカレって、曲は出演者自身で選ぶものなの? その選曲に、とても個性が出ていると思うんだけど。
とりあえず沢希理寿くんが「ブルースレクイエム」を選んだ理由はなんですか?
マイ・フェイバリットな曲を選んだ少年に、わたしの興味がむくむくわきあがりましたっ。
『凍てついた明日』が好きなの? どきどき。主役の「クライドのテーマ」ではなく、わざわざトウコの持ち歌「ブルースレクイエム」を選んだってことは、トウコちゃんが好きなの? わくわく。
うまい子だし、これからがたのしみだわ。
ルイスについで「歌手」ぶりを発揮してくれた五十鈴ひかりくん。彼にも選曲の理由を聞いてみたい。『心中・恋の大和路』から「この世にただひとつ」って……ハマコ? 目指せハマコなの?(笑) その堂々たる歌い上げっぷりに、じつにたのもしいものを感じました。
そして、たまこちゃん。
このときはまだ退団発表を知らなかった。とてもいい表情で歌い、のぞみちゃんとふたりで余裕のある司会っぷりを披露してくれた。
そうかわたしたちのカルメンちゃん、こんなに大人になっていたんだね。母性を感じさせる寛さを持つ女の子。たしかに、ヒロインキャラではないかもしれない。たしかに地味かもしれない。でもこの芯の強さを感じさせるおおらかさは、舞台に必要だと思う。
あと「見せ方」を知っていたのはおときっちゃんと、マギー。
いやあ、マギーは濃いねっ。ぎらぎらだねっ。あまりにノリノリでテンション高いもんで、ウケてしまった。脇の下級生ポジでしかないから、出番少ないんだけど。いっそこの子を「スター」ポジションに配置してもよかったんじゃないかと思う。きっとものすげー盛り上げてくれたろうなあ。
少人数で小さなハコのミニ公演だからこそ、これくらいのハコを、そのオーラで動かすことのできる「歌えるスター」の登場を待ちわびる。
残りの4つの組のエンカレで、うれしいおどろきがあることを期待する。
いやその、若干ひとつの組だけは、ファンモード全開になるんで、客観的な見方はできないだろーけどさ(最初に言っておくよ……照れ)。
月組『エンカレッジコンサート』にて。
星組の『エンカレ』に行く前に、あわてて月組の感想書いてます。『スカウト』祭りと『ベルばら』祭りやってたせいで、感想が溜まってるのよ……えーと、あと書いてないのは、宙組『ネバー…』の本公と新公、涼さんの外部出演かな。あ、東宝雪『ベルばら』も観るには観たな……。
わたしが以前観たことがある『エンカレ』は、たしか花組のみだ。花組ファンの友人に誘われ、よくわかんないままリプライズを観に行った。
それは純粋に、「歌」を中心とした「ふつーの公演」だった。
下級生たちもがまんべんなくソロをもらって歌う構成は新鮮だったし、要所要所を「歌えるスター」であるゆみこが締めるのもバランスがよかった。
舞台の真ん中に立つ、ということは、訓練と経験で大きく左右される。
歌がうまくても、このスキルを持たない人はどうにもおさまりが悪い。技術はあっても、舞台で映えないんだ。観客に訴えかける歌い方ができなかったり、独りよがりだったり、おどおどしていたり。ほんとうはもっとうまいのかもしれないが、「歌」だけでなく「舞台」の総合点を見てしまうと、なんとも微妙な人たちが多い。
この人、歌うまいのかなあ、でもよくわかんないなー、どこ見て歌ってるんだろ、なにを表現したいんだろ、音ははずれてないみたいだけど、つまんない歌だなあ。
そんな感じ。
下級生たちがおどおどと歌うのはべつにいいんだが、全部が全部ソレじゃ疲れる。これはいちおー、「学校の発表会」ではなく、プロがお金を取って興行しているステージなんだ。
技術はあっても見せ方を知らない下級生たちを、「プロとしてのスキルを持ったスター」がまとめ、舞台を締める。
ある程度の歌唱力と、真ん中に立つ訓練と経験を積んだスターが、大劇場で歌うのとなんら遜色ない歌声と存在感で「中心」に立つ。
プログラム的にも、その「スター」を「いちばん盛り上がるところ」に配置することによって、公演自体のテンションを上げることが出来る。
テンションが上がれば、経験不足の下級生たちも一緒になって波に乗ることが出来る。舞台に、「ひとりで」立つ力。観客の心を、「ひとりで」動かす力。それは経験が必要だから、波に乗ってスキルを上げろ。
月組の『エンカレ』を観て、「歌えるスター」の必要性を痛感した。
プログラムが散漫になっていた。
「歌えるスター」がいないために。
「スター」として、「ここで公演をもりあげてね」というところにもりえちゃんが配置されていたけれど、知っての通り彼は「歌手」ではない。もりえちゃん比でとてもうまくなっていたし、がんばっていたけれど、必要とされるランクの歌声は残念だけど出せていなかった。
出演者の中で「歌手」としての重責を負わされていたのが研ルイスだが、彼はなにしろ「真ん中に立つ」訓練を受けていない。MCぼろぼろ、挙動不審、上がりまくって硬直して、見ていて胸が痛むほどのパニックぶり。
歌い出すと落ち着くようだが、緊張のためか出だしが悪く、声がよく出始めた頃に出番が終わる。
わたしが観たのは千秋楽だったのだけど、楽でこれなら、初日はどーなっていたんだルイス、と不安になったよ(笑)。
それでも、ラストの大トリを歌い上げるころになると、小物ぶりを脱皮して、すばらしい歌声を聴かせてくれたのだけど。
「ここで盛り上げてね」なところが説得力のある歌唱力がないためにいまいち盛り上がりに欠け、それじゃあ「技術と実力で聴かせましょう」なところはスター力がないために自爆気味。
うわー、プログラムが散漫だ……。
「歌えるスター」ゆみこがいた公演を観た記憶しかないから、違和感にとまどう。それにあのときは、あすかちゃんもいたんだよね。CDで聴いた花エンカレなんか、かなみちゃんがいたからまた、歌声の「華」がちがったし。
締める人がいないと、こーゆーことになるのか……。
個人個人の歌はいいんだけど、全体のプログラムを見ての感想ね。ただの箇条書きではなく、起承転結のある物語としてあるべきだと思うから、すべての公演が。
「エンカレ」だから路線スターを出す必要はない。普段歌わせてもらっていない、でも歌のうまい子を出すべきだ。
という意見はわかる。その意義も、大切さも。
でも、歌うことの表現法もわかっていない子たちだけを箇条書きで並べても、そこに「物語」は生まれない。彼らのためにもならんだろ。「発表会」を経験しても意味ない、「プロのステージ」を経験することでスキルを上げるのだから。
つまり問題は、「路線スター」を出すことではなく、「歌えるスター」を出すことだよ。
「歌う」ことで、舞台の中心を示すことができる人。
「歌」で空気を動かすことのできる人。
路線でなくてもいいから、「スター」が必要。アンサンブル歌手とソロ歌手のちがいを、見せつけてくれよ。
それによって、「発表会」ではなく「プロのステージ」であることを、見せつけてくれよ。
ところでエンカレって、曲は出演者自身で選ぶものなの? その選曲に、とても個性が出ていると思うんだけど。
とりあえず沢希理寿くんが「ブルースレクイエム」を選んだ理由はなんですか?
マイ・フェイバリットな曲を選んだ少年に、わたしの興味がむくむくわきあがりましたっ。
『凍てついた明日』が好きなの? どきどき。主役の「クライドのテーマ」ではなく、わざわざトウコの持ち歌「ブルースレクイエム」を選んだってことは、トウコちゃんが好きなの? わくわく。
うまい子だし、これからがたのしみだわ。
ルイスについで「歌手」ぶりを発揮してくれた五十鈴ひかりくん。彼にも選曲の理由を聞いてみたい。『心中・恋の大和路』から「この世にただひとつ」って……ハマコ? 目指せハマコなの?(笑) その堂々たる歌い上げっぷりに、じつにたのもしいものを感じました。
そして、たまこちゃん。
このときはまだ退団発表を知らなかった。とてもいい表情で歌い、のぞみちゃんとふたりで余裕のある司会っぷりを披露してくれた。
そうかわたしたちのカルメンちゃん、こんなに大人になっていたんだね。母性を感じさせる寛さを持つ女の子。たしかに、ヒロインキャラではないかもしれない。たしかに地味かもしれない。でもこの芯の強さを感じさせるおおらかさは、舞台に必要だと思う。
あと「見せ方」を知っていたのはおときっちゃんと、マギー。
いやあ、マギーは濃いねっ。ぎらぎらだねっ。あまりにノリノリでテンション高いもんで、ウケてしまった。脇の下級生ポジでしかないから、出番少ないんだけど。いっそこの子を「スター」ポジションに配置してもよかったんじゃないかと思う。きっとものすげー盛り上げてくれたろうなあ。
少人数で小さなハコのミニ公演だからこそ、これくらいのハコを、そのオーラで動かすことのできる「歌えるスター」の登場を待ちわびる。
残りの4つの組のエンカレで、うれしいおどろきがあることを期待する。
いやその、若干ひとつの組だけは、ファンモード全開になるんで、客観的な見方はできないだろーけどさ(最初に言っておくよ……照れ)。
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