鳥は飛ぶ。灼け付く太陽に向かって。@星組エンカレッジコンサート
2006年4月23日 タカラヅカ 完成までに10年かかる工芸品がある。
専用の部屋でじっくり10年寝かせないと独特の色が定着しないという、やっかいな工芸品だ。
10年経っても色の出方に個体差が出来、ものすごい高値がつくものもあれば、二束三文にしかすぎないものもあり、コレで儲けるのはなかなかに難しい。
さて、この不景気な世の中、工芸品ひとつに10年も掛けるのはバカバカしいんじゃないか、という者が現れてきた。
色を付けたら、すぐさま売ればいい。
色を塗ったその瞬間は、きれいなのだ。
ただ専用の部屋で10年寝かせないと、すぐにその色がはげてしまったり褪せてしまったりするだけで。
欲しいのは、今この瞬間の現金だ。
工芸品が作りたいわけでもないし、客に長く愛される商品を作りたいわけでもない。
そこそこきれいで安価なら、客はよろこぶ。10年寝かせた美しさとはまったくチガウ、手軽なだけの商品だが、要は売れればいいんだ。
すぐに色褪せて使い物にならなくなるが、そんなことは知ったこっちゃない。代わりなんかいくらでもある。きれいでなくなったら捨てればいいだけのことだ。
10年掛けて、真に美しいモノを作るなんて、バカバカしい。
……とゆーものを感じるのが、劇団の、麻尋しゅんの使い方だった。
男役は、一朝一夕に出来上がるモノではない。
元の素質に加え、訓練によって形成されていくモノだ。
だが、なかにはそーゆー通常のプロセスを無視して、手っ取り早く「スター」を作ってしまおうという思惑が見える場合がある。
この「スター」というのは一般的な男役スターのことではない。「アイドル」と言い換えた方がいいかな、訓練された男役ではなく、男装した女の子アイドルのことだ。
女性は中性的なモノが好きだ。
ジャニーズは普遍的な人気を博しているし、少女マンガの男の子は女の子と区別のつかない華奢な体格で女顔、美少年の女装はマンガでもドラマでも、そしてタカラヅカでも定番のファンサービス。
ボーダーレスな美しさは、たしかに価値がある。
でもな。
最初からソレだけを狙って作られるアイドルってのは、どうなのよ。
男役を作るには、時間が必要だ。
でも、手っ取り早く儲けたい。
それなら、男役になる前の、まだ性別ができあがっていない子どもに女装をさせればいい。
いわば、まだ声変わりもしていないし、ヒゲも生えていないようなものだから、女装させても自然だ。
タカラヅカは男役の世界、男役でないと儲からない。だから男役をさせるが、男役としての技術もアイデンティティもどーでもいい、元の女の子としてのかわいさだけあればいい。
客は男役の女装をよろこぶから、とにかく女装させて、かわいいんだきれいなんだということだけで、売ればいい。
男っぽい役をやらせる必要はない、技術がなくても出来る中性的な役か子役だけをやらせよう。男役の技術なんかかえってマイナスだ、狙いは「男装した女の子アイドル」なのだから。容姿さえよければ誰でもできる、量産可能だというのがポイントのひとつなのだから。
学年が上がれば、かわいいだけでは行き詰まるだろうが、そんなことは関係ない。かわいくなれない年齢になったら、退団させればいい。代わりはいくらでもいる。
育てる気も、長く在団させる気もナシ。
かわいいうちだけかわいこちゃんで売って、容姿が衰えたら捨てる。
そのつもりか? そのつもりなのか歌劇団?
研1で小天狗ちゃん(子役)、研2でアイーダ(女役)、研3で李亀年(優男歌手)、研4でサウフェ(泣き虫かわいこちゃん)研5で小公子(子役)とオスカル(女役)、そしてショーでは女装が定番。
「男役」として育てる気は、まったくないよな? 「かわいこちゃん」として、女装させることが前提の男の子なんだよな?
男役スキルがないままトシだけ取ったらキモくなるもんだから、そーなったら退団させようってハラだな?
正当派の男役はれおんひとりでいいやってこと? わざわざ和くんが組替えで来るってのは、しゅんくんの「使い道」はソレだけだってこと?
麻尋しゅんを「男装した女の子」としてしか使わない劇団に、疑問でいっぱいだった。不審でいっぱいだった。
彼の抜擢がすべて、「将来この子をトップにするぞ」という意図ではなく、「今、かわいい容姿で金(人気)を稼いでくれればそれでヨシ」という、刹那的な意図に思えて。
だってね。
宝塚歌劇の男役トップスターというのは、「かわいい少年」ではないから。
不倫も略奪愛も戦争も出来る、大人の男でないと、成り立たないのだから。
「かわいい少年」としてしか使われない、勉強をさせてもらえない抜擢ってのは、将来をまったく視野に入れていない、ただの便利遣いだと思うから。
タニちゃんを見てごらんよ。
どんなに似合わなかろうとできなかろうと、大人の男だとかニヒルだとかワイルドだとかセクシーだとか、「成長させるため」の役を与えられ続けてるじゃん。
「将来を考えた上での抜擢」と、「使い潰すための抜擢」の差に見えるんだよ。
劇団の思惑と容姿のかわいらしさ、そして、麻尋しゅん自身の持ち味の不協和音。
しゅんくん自身の持ち味って、何故かけっこー骨太で、男っぽいんだよね。
あの容姿なのに。あの扱いなのに。
少年っぽいぷくぷくしたほっぺをしながら、女っぽいむっちりしたお尻をしながら、芸風自体は男っぽい。男役声もできてる。
それが不協和音。
しゅんくん自身は、「男装した女の子」で終わるつもりはまったくなく、「男役」になるためにあがいているように見える。
でも、彼自身の力不足と劇団が彼に求めるモノがあり、思うように動けない。
見ていて、なんか、つらい。
いびつなものは、見ていてつらいんだ。
女が男の役をする、といういびつさを、「いびつである」ということに気づかせないルールを敷くことによってファンタジー化している劇団なのに、それを揺るがす存在は、違和感ゆえに正視できない。
麻尋しゅんのような存在は、苦手だ。
歌劇団の「ゆがみ」を体現しているようだから。
……だったんだけど。
前置きが長くてすまんね。
星組『エンカレッジコンサート』千秋楽に行った。
麻尋しゅんという「男役」のあがきを、覚悟を見せられた。
劇団は彼を、「かわいこちゃん」として使い潰す気かもしれない。
でも彼は、それをヨシとしてはいない。
戦う気だ。
自分自身が成長することで、「かわいこちゃん」で終わらない覚悟だ。
容姿が衰えれば捨てられる、子犬でなくなったら価値がなくなる、そうわかったうえで、牙を磨く。かわいさではなく、精悍さを、成犬の強さで別の価値を得る。
おかしな抜擢や、「両性具有」あるいは「無性」であることを強要されていなければ、彼は地道に「骨太な男役」を目指して精進していたんだろうと思う。声や芸風といった、「後天的に得た技術」は男っぽいのだから。
劇団から押し付けられた「かわいこちゃん」の役ではなく、自分で曲を選び、芸風を選び、自分で表現できるエンカレの場で、麻尋しゅんは「本来の自分自身」を解放して見せた。
真にやりたかったことがなんなのか。なにを求め、目指していたのかを。
もちろん、ソコに至るまでの「かわいこちゃん」としての抜擢の数々が力になっていることだろう。「真ん中」に立つことをはじめとし、「若手スター」としての露出の多さは確実に彼のスキルを上げている。
今まで力不足で表現しきれなかったことも含め、得意とする「歌」というジャンルで、一気に解放する。
「麻尋しゅん」という存在を。
「かわいこちゃん」ではなく、「タカラヅカの男役」であることを。
今まで劇団から与えられていた「かわいこちゃん」な姿はどこにもない。
すっきりとした美しい容姿の青年がいる。
コーラスではさわやかに微笑んでいながら、独唱場面では男っぽさを前面に出し、好戦的でさえある。
より前へ、より高みへ進もうとする、若い牡がいる。
貪欲に、赤裸々に。
プログラムに、わざわざ書いてあるのよ。「自分の殻を破る覚悟」云々って。
殻を破るもなにも、もともとそっちをやりたい子だってコトは、伝わっていただろうに。
ああ、「かわいこちゃんな麻尋しゅん」を好きな人たちへの言い訳、牽制だなー、と思った。
そう書いておけば、「まあ、しゅんくんたら、柄にもないのにあんなにがんばって男っぽくして。微笑ましいわ」と思って、「かわいこちゃん」以外を認めないファンにもごまかしが利くよな(笑)。このお利口さん。
彼の覚悟と、宣戦布告に感動した。
これからこの少年は、どんなふうに成長するのだろう?
専用の部屋でじっくり10年寝かせないと独特の色が定着しないという、やっかいな工芸品だ。
10年経っても色の出方に個体差が出来、ものすごい高値がつくものもあれば、二束三文にしかすぎないものもあり、コレで儲けるのはなかなかに難しい。
さて、この不景気な世の中、工芸品ひとつに10年も掛けるのはバカバカしいんじゃないか、という者が現れてきた。
色を付けたら、すぐさま売ればいい。
色を塗ったその瞬間は、きれいなのだ。
ただ専用の部屋で10年寝かせないと、すぐにその色がはげてしまったり褪せてしまったりするだけで。
欲しいのは、今この瞬間の現金だ。
工芸品が作りたいわけでもないし、客に長く愛される商品を作りたいわけでもない。
そこそこきれいで安価なら、客はよろこぶ。10年寝かせた美しさとはまったくチガウ、手軽なだけの商品だが、要は売れればいいんだ。
すぐに色褪せて使い物にならなくなるが、そんなことは知ったこっちゃない。代わりなんかいくらでもある。きれいでなくなったら捨てればいいだけのことだ。
10年掛けて、真に美しいモノを作るなんて、バカバカしい。
……とゆーものを感じるのが、劇団の、麻尋しゅんの使い方だった。
男役は、一朝一夕に出来上がるモノではない。
元の素質に加え、訓練によって形成されていくモノだ。
だが、なかにはそーゆー通常のプロセスを無視して、手っ取り早く「スター」を作ってしまおうという思惑が見える場合がある。
この「スター」というのは一般的な男役スターのことではない。「アイドル」と言い換えた方がいいかな、訓練された男役ではなく、男装した女の子アイドルのことだ。
女性は中性的なモノが好きだ。
ジャニーズは普遍的な人気を博しているし、少女マンガの男の子は女の子と区別のつかない華奢な体格で女顔、美少年の女装はマンガでもドラマでも、そしてタカラヅカでも定番のファンサービス。
ボーダーレスな美しさは、たしかに価値がある。
でもな。
最初からソレだけを狙って作られるアイドルってのは、どうなのよ。
男役を作るには、時間が必要だ。
でも、手っ取り早く儲けたい。
それなら、男役になる前の、まだ性別ができあがっていない子どもに女装をさせればいい。
いわば、まだ声変わりもしていないし、ヒゲも生えていないようなものだから、女装させても自然だ。
タカラヅカは男役の世界、男役でないと儲からない。だから男役をさせるが、男役としての技術もアイデンティティもどーでもいい、元の女の子としてのかわいさだけあればいい。
客は男役の女装をよろこぶから、とにかく女装させて、かわいいんだきれいなんだということだけで、売ればいい。
男っぽい役をやらせる必要はない、技術がなくても出来る中性的な役か子役だけをやらせよう。男役の技術なんかかえってマイナスだ、狙いは「男装した女の子アイドル」なのだから。容姿さえよければ誰でもできる、量産可能だというのがポイントのひとつなのだから。
学年が上がれば、かわいいだけでは行き詰まるだろうが、そんなことは関係ない。かわいくなれない年齢になったら、退団させればいい。代わりはいくらでもいる。
育てる気も、長く在団させる気もナシ。
かわいいうちだけかわいこちゃんで売って、容姿が衰えたら捨てる。
そのつもりか? そのつもりなのか歌劇団?
研1で小天狗ちゃん(子役)、研2でアイーダ(女役)、研3で李亀年(優男歌手)、研4でサウフェ(泣き虫かわいこちゃん)研5で小公子(子役)とオスカル(女役)、そしてショーでは女装が定番。
「男役」として育てる気は、まったくないよな? 「かわいこちゃん」として、女装させることが前提の男の子なんだよな?
男役スキルがないままトシだけ取ったらキモくなるもんだから、そーなったら退団させようってハラだな?
正当派の男役はれおんひとりでいいやってこと? わざわざ和くんが組替えで来るってのは、しゅんくんの「使い道」はソレだけだってこと?
麻尋しゅんを「男装した女の子」としてしか使わない劇団に、疑問でいっぱいだった。不審でいっぱいだった。
彼の抜擢がすべて、「将来この子をトップにするぞ」という意図ではなく、「今、かわいい容姿で金(人気)を稼いでくれればそれでヨシ」という、刹那的な意図に思えて。
だってね。
宝塚歌劇の男役トップスターというのは、「かわいい少年」ではないから。
不倫も略奪愛も戦争も出来る、大人の男でないと、成り立たないのだから。
「かわいい少年」としてしか使われない、勉強をさせてもらえない抜擢ってのは、将来をまったく視野に入れていない、ただの便利遣いだと思うから。
タニちゃんを見てごらんよ。
どんなに似合わなかろうとできなかろうと、大人の男だとかニヒルだとかワイルドだとかセクシーだとか、「成長させるため」の役を与えられ続けてるじゃん。
「将来を考えた上での抜擢」と、「使い潰すための抜擢」の差に見えるんだよ。
劇団の思惑と容姿のかわいらしさ、そして、麻尋しゅん自身の持ち味の不協和音。
しゅんくん自身の持ち味って、何故かけっこー骨太で、男っぽいんだよね。
あの容姿なのに。あの扱いなのに。
少年っぽいぷくぷくしたほっぺをしながら、女っぽいむっちりしたお尻をしながら、芸風自体は男っぽい。男役声もできてる。
それが不協和音。
しゅんくん自身は、「男装した女の子」で終わるつもりはまったくなく、「男役」になるためにあがいているように見える。
でも、彼自身の力不足と劇団が彼に求めるモノがあり、思うように動けない。
見ていて、なんか、つらい。
いびつなものは、見ていてつらいんだ。
女が男の役をする、といういびつさを、「いびつである」ということに気づかせないルールを敷くことによってファンタジー化している劇団なのに、それを揺るがす存在は、違和感ゆえに正視できない。
麻尋しゅんのような存在は、苦手だ。
歌劇団の「ゆがみ」を体現しているようだから。
……だったんだけど。
前置きが長くてすまんね。
星組『エンカレッジコンサート』千秋楽に行った。
麻尋しゅんという「男役」のあがきを、覚悟を見せられた。
劇団は彼を、「かわいこちゃん」として使い潰す気かもしれない。
でも彼は、それをヨシとしてはいない。
戦う気だ。
自分自身が成長することで、「かわいこちゃん」で終わらない覚悟だ。
容姿が衰えれば捨てられる、子犬でなくなったら価値がなくなる、そうわかったうえで、牙を磨く。かわいさではなく、精悍さを、成犬の強さで別の価値を得る。
おかしな抜擢や、「両性具有」あるいは「無性」であることを強要されていなければ、彼は地道に「骨太な男役」を目指して精進していたんだろうと思う。声や芸風といった、「後天的に得た技術」は男っぽいのだから。
劇団から押し付けられた「かわいこちゃん」の役ではなく、自分で曲を選び、芸風を選び、自分で表現できるエンカレの場で、麻尋しゅんは「本来の自分自身」を解放して見せた。
真にやりたかったことがなんなのか。なにを求め、目指していたのかを。
もちろん、ソコに至るまでの「かわいこちゃん」としての抜擢の数々が力になっていることだろう。「真ん中」に立つことをはじめとし、「若手スター」としての露出の多さは確実に彼のスキルを上げている。
今まで力不足で表現しきれなかったことも含め、得意とする「歌」というジャンルで、一気に解放する。
「麻尋しゅん」という存在を。
「かわいこちゃん」ではなく、「タカラヅカの男役」であることを。
今まで劇団から与えられていた「かわいこちゃん」な姿はどこにもない。
すっきりとした美しい容姿の青年がいる。
コーラスではさわやかに微笑んでいながら、独唱場面では男っぽさを前面に出し、好戦的でさえある。
より前へ、より高みへ進もうとする、若い牡がいる。
貪欲に、赤裸々に。
プログラムに、わざわざ書いてあるのよ。「自分の殻を破る覚悟」云々って。
殻を破るもなにも、もともとそっちをやりたい子だってコトは、伝わっていただろうに。
ああ、「かわいこちゃんな麻尋しゅん」を好きな人たちへの言い訳、牽制だなー、と思った。
そう書いておけば、「まあ、しゅんくんたら、柄にもないのにあんなにがんばって男っぽくして。微笑ましいわ」と思って、「かわいこちゃん」以外を認めないファンにもごまかしが利くよな(笑)。このお利口さん。
彼の覚悟と、宣戦布告に感動した。
これからこの少年は、どんなふうに成長するのだろう?
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