完成までに10年かかる工芸品がある。
 専用の部屋でじっくり10年寝かせないと独特の色が定着しないという、やっかいな工芸品だ。
 10年経っても色の出方に個体差が出来、ものすごい高値がつくものもあれば、二束三文にしかすぎないものもあり、コレで儲けるのはなかなかに難しい。

 さて、この不景気な世の中、工芸品ひとつに10年も掛けるのはバカバカしいんじゃないか、という者が現れてきた。

 色を付けたら、すぐさま売ればいい。
 色を塗ったその瞬間は、きれいなのだ。
 ただ専用の部屋で10年寝かせないと、すぐにその色がはげてしまったり褪せてしまったりするだけで。
 欲しいのは、今この瞬間の現金だ。
 工芸品が作りたいわけでもないし、客に長く愛される商品を作りたいわけでもない。
 そこそこきれいで安価なら、客はよろこぶ。10年寝かせた美しさとはまったくチガウ、手軽なだけの商品だが、要は売れればいいんだ。
 すぐに色褪せて使い物にならなくなるが、そんなことは知ったこっちゃない。代わりなんかいくらでもある。きれいでなくなったら捨てればいいだけのことだ。
 10年掛けて、真に美しいモノを作るなんて、バカバカしい。

 
 ……とゆーものを感じるのが、劇団の、麻尋しゅんの使い方だった。

 男役は、一朝一夕に出来上がるモノではない。
 元の素質に加え、訓練によって形成されていくモノだ。

 だが、なかにはそーゆー通常のプロセスを無視して、手っ取り早く「スター」を作ってしまおうという思惑が見える場合がある。

 この「スター」というのは一般的な男役スターのことではない。「アイドル」と言い換えた方がいいかな、訓練された男役ではなく、男装した女の子アイドルのことだ。

 女性は中性的なモノが好きだ。
 ジャニーズは普遍的な人気を博しているし、少女マンガの男の子は女の子と区別のつかない華奢な体格で女顔、美少年の女装はマンガでもドラマでも、そしてタカラヅカでも定番のファンサービス。
 ボーダーレスな美しさは、たしかに価値がある。

 でもな。
 最初からソレだけを狙って作られるアイドルってのは、どうなのよ。

 男役を作るには、時間が必要だ。
 でも、手っ取り早く儲けたい。
 それなら、男役になる前の、まだ性別ができあがっていない子どもに女装をさせればいい。
 いわば、まだ声変わりもしていないし、ヒゲも生えていないようなものだから、女装させても自然だ。
 タカラヅカは男役の世界、男役でないと儲からない。だから男役をさせるが、男役としての技術もアイデンティティもどーでもいい、元の女の子としてのかわいさだけあればいい。
 客は男役の女装をよろこぶから、とにかく女装させて、かわいいんだきれいなんだということだけで、売ればいい。
 男っぽい役をやらせる必要はない、技術がなくても出来る中性的な役か子役だけをやらせよう。男役の技術なんかかえってマイナスだ、狙いは「男装した女の子アイドル」なのだから。容姿さえよければ誰でもできる、量産可能だというのがポイントのひとつなのだから。

 学年が上がれば、かわいいだけでは行き詰まるだろうが、そんなことは関係ない。かわいくなれない年齢になったら、退団させればいい。代わりはいくらでもいる。

 
 育てる気も、長く在団させる気もナシ。
 かわいいうちだけかわいこちゃんで売って、容姿が衰えたら捨てる。

 そのつもりか? そのつもりなのか歌劇団?

 研1で小天狗ちゃん(子役)、研2でアイーダ(女役)、研3で李亀年(優男歌手)、研4でサウフェ(泣き虫かわいこちゃん)研5で小公子(子役)とオスカル(女役)、そしてショーでは女装が定番。

 「男役」として育てる気は、まったくないよな? 「かわいこちゃん」として、女装させることが前提の男の子なんだよな?
 男役スキルがないままトシだけ取ったらキモくなるもんだから、そーなったら退団させようってハラだな?
 正当派の男役はれおんひとりでいいやってこと? わざわざ和くんが組替えで来るってのは、しゅんくんの「使い道」はソレだけだってこと?

 麻尋しゅんを「男装した女の子」としてしか使わない劇団に、疑問でいっぱいだった。不審でいっぱいだった。
 彼の抜擢がすべて、「将来この子をトップにするぞ」という意図ではなく、「今、かわいい容姿で金(人気)を稼いでくれればそれでヨシ」という、刹那的な意図に思えて。

 だってね。
 宝塚歌劇の男役トップスターというのは、「かわいい少年」ではないから。
 不倫も略奪愛も戦争も出来る、大人の男でないと、成り立たないのだから。
 「かわいい少年」としてしか使われない、勉強をさせてもらえない抜擢ってのは、将来をまったく視野に入れていない、ただの便利遣いだと思うから。

 タニちゃんを見てごらんよ。
 どんなに似合わなかろうとできなかろうと、大人の男だとかニヒルだとかワイルドだとかセクシーだとか、「成長させるため」の役を与えられ続けてるじゃん。
 「将来を考えた上での抜擢」と、「使い潰すための抜擢」の差に見えるんだよ。

 
 劇団の思惑と容姿のかわいらしさ、そして、麻尋しゅん自身の持ち味の不協和音。

 しゅんくん自身の持ち味って、何故かけっこー骨太で、男っぽいんだよね。

 あの容姿なのに。あの扱いなのに。

 少年っぽいぷくぷくしたほっぺをしながら、女っぽいむっちりしたお尻をしながら、芸風自体は男っぽい。男役声もできてる。

 それが不協和音。
 しゅんくん自身は、「男装した女の子」で終わるつもりはまったくなく、「男役」になるためにあがいているように見える。
 でも、彼自身の力不足と劇団が彼に求めるモノがあり、思うように動けない。

 見ていて、なんか、つらい。

 いびつなものは、見ていてつらいんだ。
 女が男の役をする、といういびつさを、「いびつである」ということに気づかせないルールを敷くことによってファンタジー化している劇団なのに、それを揺るがす存在は、違和感ゆえに正視できない。
 麻尋しゅんのような存在は、苦手だ。
 歌劇団の「ゆがみ」を体現しているようだから。

 
 ……だったんだけど。

 
 前置きが長くてすまんね。

 星組『エンカレッジコンサート』千秋楽に行った。

 麻尋しゅんという「男役」のあがきを、覚悟を見せられた。

 劇団は彼を、「かわいこちゃん」として使い潰す気かもしれない。
 でも彼は、それをヨシとしてはいない。

 戦う気だ。

 自分自身が成長することで、「かわいこちゃん」で終わらない覚悟だ。

 容姿が衰えれば捨てられる、子犬でなくなったら価値がなくなる、そうわかったうえで、牙を磨く。かわいさではなく、精悍さを、成犬の強さで別の価値を得る。

 おかしな抜擢や、「両性具有」あるいは「無性」であることを強要されていなければ、彼は地道に「骨太な男役」を目指して精進していたんだろうと思う。声や芸風といった、「後天的に得た技術」は男っぽいのだから。
 劇団から押し付けられた「かわいこちゃん」の役ではなく、自分で曲を選び、芸風を選び、自分で表現できるエンカレの場で、麻尋しゅんは「本来の自分自身」を解放して見せた。
 真にやりたかったことがなんなのか。なにを求め、目指していたのかを。

 もちろん、ソコに至るまでの「かわいこちゃん」としての抜擢の数々が力になっていることだろう。「真ん中」に立つことをはじめとし、「若手スター」としての露出の多さは確実に彼のスキルを上げている。
 今まで力不足で表現しきれなかったことも含め、得意とする「歌」というジャンルで、一気に解放する。

 「麻尋しゅん」という存在を。

 「かわいこちゃん」ではなく、「タカラヅカの男役」であることを。

 
 今まで劇団から与えられていた「かわいこちゃん」な姿はどこにもない。
 すっきりとした美しい容姿の青年がいる。
 コーラスではさわやかに微笑んでいながら、独唱場面では男っぽさを前面に出し、好戦的でさえある。
 より前へ、より高みへ進もうとする、若い牡がいる。
 貪欲に、赤裸々に。

 プログラムに、わざわざ書いてあるのよ。「自分の殻を破る覚悟」云々って。
 殻を破るもなにも、もともとそっちをやりたい子だってコトは、伝わっていただろうに。
 ああ、「かわいこちゃんな麻尋しゅん」を好きな人たちへの言い訳、牽制だなー、と思った。
 そう書いておけば、「まあ、しゅんくんたら、柄にもないのにあんなにがんばって男っぽくして。微笑ましいわ」と思って、「かわいこちゃん」以外を認めないファンにもごまかしが利くよな(笑)。このお利口さん。

 
 彼の覚悟と、宣戦布告に感動した。
 これからこの少年は、どんなふうに成長するのだろう?


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