その日俺は、猫を殺した。

 その猫は、俺になついていた。
 野良猫だったが、細身のとても美しい猫で、とあるホテルに住み着いていた。ホテルの人々からも可愛がられているようだった。
 俺はホテルの人間ではなかったが、猫に会いたくてそこへ通っていた。
 猫は俺を見つけると機嫌良く近づいて来、俺の傍らで丸くなる。撫でると気持ちよさそうに目を細めて、喉を鳴らす。
 忙しい合間に時間を作り、俺は猫に餌を運んだ。猫のよろこぶ顔が見たくて。そのやわらかな毛並みを撫でたくて。
 猫が野良であることも、俺だけのモノでないこともわかっていたが、それでもかまわなかった。俺は、猫が「猫」であることさえ愛しいと思っていた。気まぐれで、誰にも支配されない生き物であることを、愛していた。
 そんな猫が、たとえ一時であろうと俺の傍らで無防備に眠ることを、誇りに思っていた。

 猫は俺よりも、ホテルに長期宿泊している若い娘を気に入っているようだった。俺が現れても知らんぷりで、その娘に甘えてみたりする。
 だがこの娘、猫が苦手らしくあまりいい反応はない。娘が嫌がろうとどうしようと、気にすることなくすり寄っていくあたりがいかにも「猫」だ。
 今日もまた娘に振られ、猫は仕方なさそうに俺の元に来る。「まあ、オマエで我慢してやるか」……そんな風だ。
 元来猫というモノは、人間の男よりも女性を好む性質がある……と、猫の習性本に書いてあった。本能の部分なら仕方ないと思う。
 娘と猫を取り合う気のない俺は、「娘の次」という猫の「好きな人間順位」に甘んじていた。
 この猫が「いちばん好きな人間」はあの娘かもしれないが、この猫のことを「いちばん好きな人間」は俺であるという自負が、俺を寛大にしていた。
 それに俺は、俺だけはこの猫の秘密を知っていた。
 猫は病気だった。たぶんもう、あまり長くは生きられない。
 猫自身も余命を知っているのか、病院に連れて行こうとしてもそのたび逃げられた。「放っておいてくれ」そう言われている気がした。
 それなら俺が、猫を看取ろうと思う。愛して愛して、とことんやさしくして甘やかして、見送ってやろうと思う。
 猫が娘を好きだというなら、娘が猫を好きになるように協力してやりたいとも思う。
 猫のしあわせだけを、俺は考えていた。

 だが。
 ある男が現れてから、猫の考えていることがさっぱりわからなくなった。
 ホテルに記憶喪失の男が逗留するようになった。猫はその男を知っているようで、特別の反応を見せる。
 恐れているような、慕っているような。
 神経質にしっぽを動かしながら、いつも男の姿が見えるところにいる。
「ひょっとして、あの男がアンタの飼い主だったのか?」
 話しかけてみても、猫は答えない。俺への興味を失ってしまったようだ。
 猫が娘に執心しているのはべつに、かまわなかった。猫が女性を好むことはわかっている。人間の男である俺より、彼女を好きな理由がわかるから、気にならない。しかし、あの男は。
 何故俺よりも、あの男を気に懸ける? あの男のことばかり考える? あの男がアンタになにをしてくれた? 餌をくれたか? 撫でてくれたか?
 猫にはもう、時間があまりない。わずかな時間を、どれだけ幸福に過ごせるかだけを考えるはずだった。なのに猫は餌を食べることよりも、あの男のことを気にしている。
 ある日、男の坐る同じソファに、猫が丸くなっているのを見つけた。微妙に距離は空けていたが、猫が自分で男の横に行ったのだということはよくわかった。
 男は猫など気にも懸けず、新聞を読んでいる。猫の耳はぴくぴく動いている。眠っているふりで男の一挙手一投足に注目しているのだ。男はそのことに、気づきもしない。
 俺はなんだか腹が立って、眠る猫を抱き上げた。びっくりした猫が抗議の声を上げるが、かまわず連れ出す。
「このまま、俺と一緒に行こう。俺がアンタを守ってやる。愛してやる。なんでも言うことを聞いてやる。だから……」
 語りかけた言葉は、最後まで紡げなかった。
 猫はするりと俺の腕から抜け出した。
 爪は立てない。そう、猫は決して、俺を傷つけるようなことはしない。他の野良猫と戦い余裕で勝利する強い爪と牙を持つ猫なのに、決して俺に爪をたてることはしない。
 俺を、傷つけない。
 だけど……俺を愛しても、くれない。
 地面に降り立った猫は、しっぽをぴんと立てて、俺を見上げる。
「オマエのモノにはならないよ」
 やわらかい視線が、そう言っているようだった。
「それなら、爪を立てろよ。引っ掻いて、血を流させて、嫌気が差すようにしろよ」
 無理に抱いたら、逃げ出すくせに。俺だけのモノには、ならないくせに。
 なのに……猫は、俺の足に頭をすりつけた。甘える仕草。親愛を表す仕草。俺の思い通りにはならないくせに、俺を思い通りにしようとする。
 なんて卑怯な。なんて残酷な。
 そして俺は、知っている。俺がそんな猫に勝てないことを。俺は地面に膝をつき、猫を撫でた。

 決して俺のモノにはならない、愛しい生き物を愛撫した。

 猫は欲しいモノを手に入れる。
 その美しさで、気まぐれで高慢な、されど愛らしい性格で。
 猫を嫌っていた娘も、いつの間にか猫に骨抜きになっていた。記憶喪失の男も、猫がそばに行けば撫でるようになっている。
「昔飼っていた猫に似ているんだ。高校生のころ、ふといなくなってしまって、それきりだった猫に」
 男は言う。あれ以来、動物は飼わなくなった。生活が変わってしまい、ペットを飼うところではなくなったから。……猫の姿は、無邪気だったころの自分を思い出させるのか。男はせつない目で猫を見つめる。
 記憶喪失、というのは嘘であったらしい。嘘をつかなくてもよくなった男は、ためらわずに猫に手を差しのべる。
 猫はなにひとつ失わず、欲しいモノを手に入れていっていた。
 娘を手に入れ、男を手に入れ。

 そして、俺には。
 誰よりも猫を欲している俺には。

 そのことを知りながら、一定量の親愛しか与えようとしない。
 残酷な、愛しい生き物。

 猫にはもう、時間がない。
 彼は娘や男の前で屍を晒す気はないようだ。弱った、されど高貴な軽やかさを残す足取りで、俺についてこいと合図をする。
 この猫が「いちばん好きな人間」は俺ではないが、この猫のことを「いちばん好きな人間」は俺であるという自負が、俺の支えだった。
 気まぐれで、誰にも支配されない生き物であることを、愛していた。

 だから俺が選ばれた。
 もっとも猫を愛している俺こそが、選ばれたのだ。
 ……猫のしあわせだけを、俺は考えていた。猫の余命がわずかなら、俺が猫を看取ろうと思う。愛して愛して、とことんやさしくして甘やかして、見送ってやろうと思う。
 やさしくしたかった。甘やかしたかった。
 でもこの残酷な支配者が、俺に望んだことは。

 
 その日俺は、猫を殺す。
 猫の望みを、叶える。

 それがたぶん、猫が俺に対して与えた、いちばんの愛情だった。


          ☆

 ……って。
 『Appartement Cinema』ってよーするに、そーゆー話だよね、と。

 オーランド@まとぶ、ラヴ。
 片想いスキーのわたしのハートを直撃する、救いのない片恋ぶり。

 『アパシネ』の細かい感想はおぼえてないのに、腐女子ネタだけは目を爛々させておぼえてますよ。
 オーランドとウルフ@オサって、ものごっつーエロい関係だよねっ?
 やっぱあのラストシーン、わたし的には銃口越しに救いのない愛を昇華して欲しいわけですよ。
 ぶっちゃけ、銃を突きつけたままオーリーがウルフをヤっちゃうわけなんですが。ウルフは抵抗する気ないんだけど、オーリー的にはそんなこと構ってる余裕ナイってゆーか。泣きべそかいてテンパッてる彼には、受け入れられることさえ屈辱であるとゆーか。
 愛する人をその手に掛けるところまで、その愛する人自身に追いつめられる、とゆーのは、究極の痛さだと思うんですよ。
 オサ様の鬼畜女王様受っぷりも、ここに極まれりって感じで、大層魅力的です。
 いやあ、すばらしいあて書きですね。GJ、いなばっち!!


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