のろけ話。わたしの春野寿美礼サマ。@Appartement Cinema
2006年4月27日 タカラヅカ 春野寿美礼がかわいい。
若くかわいい嫁を迎え、ものごっつーご機嫌な姿が、もお。
なさけない。
なによ、目尻下げちゃって。
役者のくせに人を選ぶってどういうことよ。気乗りしない相手だと、じつにテンションの低い粗い芝居をすることがわかっているだけに。
今のご機嫌ぶりが、さらにとほほ感をあおる。
ほんとに、ダメな人だ。
とほほな人だと、毎回思い知らされているっていうのに。
どーしてこうも、魅力的なんだろう。
わたしは寿美礼ちゃんの素顔を美形だとは思わないし、むしろ年々かなりやばくなってきているだろとか、VISAの巨大看板、素顔はVISA的にも宝塚歌劇団的にも春野寿美礼的にもよくないんぢゃないかとか、いろいろいろいろ、思うとこのある人間だ。
美形だとかきれいだとか、ごめん、やっぱり思えないし、歪んでるとかやばいとか思っているけども。
ああそれでもやっぱ、寿美礼ちゃんを見るたびに「素敵(はぁと)」だとマジで思うし、自分でも理不尽だなと思うくらい「大好き!」と思う。
ひとりよがりでナルシー一直線の芸風も、独特すぎる台詞回しも、癖とか味があるとかを超えて「歌詞が日本語に聞こえない」と言われている歌も、なにもかもが愛しい。
ちなみにわたし、「なに言ってんのか聞き取れない」と評判の2大巨匠、春野寿美礼と和央ようかの歌は、ふつーに聞き取れます。ええ。『ASIAN WINDS!』だろーと『NEVER SAY GOODBYE』だろーとまかせてよ。初見で問題なく聞き取れるわよ。
わたしが聞き取れなくて困るのは、湖月わたる氏ですよ……『Across』には大変感動しておりますが、歌詞があまり聞き取れなくてな……せっかくのオギーの詞が聞き取れず、kineさんの語りではじめて気づいたりとかな……。
かくいうkineさんは、逆にオサちゃんたかちゃんの歌詞が聞き取れないらしーので、これはやはり愛の差なんだと思っています。
愛ゆえに、寿美礼ちゃんの歌声は最高級の響きで、わたしを魅了するのであります。
はるのすみれがすきだ……。
『Appartement Cinema』初日、ご機嫌さんにニマニマしているオサ様を、3列目でうっとり眺めながら、しみじみ思った。
『アパシネ』は初見よりも2回目以降の観劇がたのしい芝居で、2回目に観たときは、オサ様の細かい演技に感動したのだけど、初見でソレはナシ。
ただただオサ様の変わる表情に見とれていた。
ウルフは軽やかな男だ。二枚目半というか、陽気にコメディをしている部分と、大人でやさしい部分と、シリアスモードで荒々しい部分がある。その変化が、たのしい。
春野寿美礼がどの程度考えて演技しているのなんか関係なく、ただそこにある「春野寿美礼」を見て、それだけでわたしはしあわせだった。
ゆみこちゃんに対する信頼感や、まとぶをかわいがっていることが透けて見えるのも気持ちいい。
ウルフへの愛情を持てあましているようなオーランドと、彼の気持ちを知った上であたたかく受け流すウルフの姿が、「春野寿美礼」としての魅力、わたしがこの人を好きでしょうがない理由のひとつだと思えた。
他人から、愛される。
それも、命懸けの愛だ。
ふつーなら重くて深くて、窒息しそうなくらいの、本物の愛。
長い人生で一度出会えるかどうかの、とてつもない本気の愛情。
それをぶつけられてなお、ゆるがない。
混乱するでなし、否定するでなし、逃げ出すでなし。
同じだけの愛を返せないことに罪悪感も持たず、「お前の望むカタチでは、愛していない」だけど、「お前のことも愛している」と返す。
慈愛の微笑みさえ浮かべて。
愛されることに、潰されない。
無償の愛を捧げられても、平気でいる。
愛されることに無神経なわけでも高慢なわけでもない。よくいるカンチガイキャラみたく、「愛されて当然よ、ほほほ」と思っているわけでもない。
あるものをあるがままに受け止め、流す力。
「オリジナル」である彼は、なににも染まらず、揺るぎもせず。
「愛」という、プラスの力にも翻弄されず。
ある意味これほど強固で、傲慢な存在はないだろう。
それがあまりに「春野寿美礼」的で、わたしの見たいと思っている、わたしの愛している「春野寿美礼」で、心ときめいた。
この人を愛しても、きっと真の意味での愛なんて返してもらえないし、しあわせにもしてもらえないんだろうなと思う。
「ひとをしあわせにする」という意味では、きっとはてしなくダメな男だよ。
それでも、好きだと思う。この男を愛して滅びるなら、それもヨシと思う。
……それが「春野寿美礼」の魅力だと思うんだ。
で。
そんな、「同じ愛を返せない」壊れた男が、若い嫁にフニャフニャになってとろけているところを見ると、さらにさらに、こ、このダメ男がっ!! と思う(笑)。
壊れた男だと知っているから、彼が束の間でも誤解でも思いこみでも、しあわせを感じてくれていたらうれしい。
魂の根本で誰も愛せない人だとしても、今、彼女を愛してしあわせそうに笑ってくれていたら、それがうれしい。
いつかまた、彼は孤独になるのかな。
笑っている今も、ほんとうは孤独なのかな。
彼の地球には、彼以外誰もいないのかもしれない。すべては、鏡の向こうの出来事なのかもしれない。
それでも、今、彼のそばには彼女がいて、彼が彼女を愛して幸福でいてくれるなら、それはまちがいなくわたしの幸福でもある。
決して長くはないタカラヅカの「トップスター」人生において、何作も何作も、「相手役を愛していない、愛せない」姿を見せつけられてきたから。
今、「相手役を愛する」という、ふつーのトップスターの姿を見せてくれる寿美礼ちゃんが、うれしくて愛しくてならない。
このまま彼が、愛を抱きしめたまま生きていけますように。
彼の本質を「誰も愛せない人」だと思い込んでいる、その強さとかなしさに恋しているわたしは、今の彼の笑顔がずっと続くことを願っている。
いやその、とほほな男だと思ってもいるし、ダメ男だとも思っているけど。てゆーかおめー、やに下がりすぎだっつの、とか思っているけどもっ。
春野寿美礼がかわいい。もー、かわいくてかわいくて、しょーがないぞ。
春野寿美礼と桜乃彩音がこれから見せてくれるであろう、さまざまな恋人同士の姿に、期待をしている。
若くかわいい嫁を迎え、ものごっつーご機嫌な姿が、もお。
なさけない。
なによ、目尻下げちゃって。
役者のくせに人を選ぶってどういうことよ。気乗りしない相手だと、じつにテンションの低い粗い芝居をすることがわかっているだけに。
今のご機嫌ぶりが、さらにとほほ感をあおる。
ほんとに、ダメな人だ。
とほほな人だと、毎回思い知らされているっていうのに。
どーしてこうも、魅力的なんだろう。
わたしは寿美礼ちゃんの素顔を美形だとは思わないし、むしろ年々かなりやばくなってきているだろとか、VISAの巨大看板、素顔はVISA的にも宝塚歌劇団的にも春野寿美礼的にもよくないんぢゃないかとか、いろいろいろいろ、思うとこのある人間だ。
美形だとかきれいだとか、ごめん、やっぱり思えないし、歪んでるとかやばいとか思っているけども。
ああそれでもやっぱ、寿美礼ちゃんを見るたびに「素敵(はぁと)」だとマジで思うし、自分でも理不尽だなと思うくらい「大好き!」と思う。
ひとりよがりでナルシー一直線の芸風も、独特すぎる台詞回しも、癖とか味があるとかを超えて「歌詞が日本語に聞こえない」と言われている歌も、なにもかもが愛しい。
ちなみにわたし、「なに言ってんのか聞き取れない」と評判の2大巨匠、春野寿美礼と和央ようかの歌は、ふつーに聞き取れます。ええ。『ASIAN WINDS!』だろーと『NEVER SAY GOODBYE』だろーとまかせてよ。初見で問題なく聞き取れるわよ。
わたしが聞き取れなくて困るのは、湖月わたる氏ですよ……『Across』には大変感動しておりますが、歌詞があまり聞き取れなくてな……せっかくのオギーの詞が聞き取れず、kineさんの語りではじめて気づいたりとかな……。
かくいうkineさんは、逆にオサちゃんたかちゃんの歌詞が聞き取れないらしーので、これはやはり愛の差なんだと思っています。
愛ゆえに、寿美礼ちゃんの歌声は最高級の響きで、わたしを魅了するのであります。
はるのすみれがすきだ……。
『Appartement Cinema』初日、ご機嫌さんにニマニマしているオサ様を、3列目でうっとり眺めながら、しみじみ思った。
『アパシネ』は初見よりも2回目以降の観劇がたのしい芝居で、2回目に観たときは、オサ様の細かい演技に感動したのだけど、初見でソレはナシ。
ただただオサ様の変わる表情に見とれていた。
ウルフは軽やかな男だ。二枚目半というか、陽気にコメディをしている部分と、大人でやさしい部分と、シリアスモードで荒々しい部分がある。その変化が、たのしい。
春野寿美礼がどの程度考えて演技しているのなんか関係なく、ただそこにある「春野寿美礼」を見て、それだけでわたしはしあわせだった。
ゆみこちゃんに対する信頼感や、まとぶをかわいがっていることが透けて見えるのも気持ちいい。
ウルフへの愛情を持てあましているようなオーランドと、彼の気持ちを知った上であたたかく受け流すウルフの姿が、「春野寿美礼」としての魅力、わたしがこの人を好きでしょうがない理由のひとつだと思えた。
他人から、愛される。
それも、命懸けの愛だ。
ふつーなら重くて深くて、窒息しそうなくらいの、本物の愛。
長い人生で一度出会えるかどうかの、とてつもない本気の愛情。
それをぶつけられてなお、ゆるがない。
混乱するでなし、否定するでなし、逃げ出すでなし。
同じだけの愛を返せないことに罪悪感も持たず、「お前の望むカタチでは、愛していない」だけど、「お前のことも愛している」と返す。
慈愛の微笑みさえ浮かべて。
愛されることに、潰されない。
無償の愛を捧げられても、平気でいる。
愛されることに無神経なわけでも高慢なわけでもない。よくいるカンチガイキャラみたく、「愛されて当然よ、ほほほ」と思っているわけでもない。
あるものをあるがままに受け止め、流す力。
「オリジナル」である彼は、なににも染まらず、揺るぎもせず。
「愛」という、プラスの力にも翻弄されず。
ある意味これほど強固で、傲慢な存在はないだろう。
それがあまりに「春野寿美礼」的で、わたしの見たいと思っている、わたしの愛している「春野寿美礼」で、心ときめいた。
この人を愛しても、きっと真の意味での愛なんて返してもらえないし、しあわせにもしてもらえないんだろうなと思う。
「ひとをしあわせにする」という意味では、きっとはてしなくダメな男だよ。
それでも、好きだと思う。この男を愛して滅びるなら、それもヨシと思う。
……それが「春野寿美礼」の魅力だと思うんだ。
で。
そんな、「同じ愛を返せない」壊れた男が、若い嫁にフニャフニャになってとろけているところを見ると、さらにさらに、こ、このダメ男がっ!! と思う(笑)。
壊れた男だと知っているから、彼が束の間でも誤解でも思いこみでも、しあわせを感じてくれていたらうれしい。
魂の根本で誰も愛せない人だとしても、今、彼女を愛してしあわせそうに笑ってくれていたら、それがうれしい。
いつかまた、彼は孤独になるのかな。
笑っている今も、ほんとうは孤独なのかな。
彼の地球には、彼以外誰もいないのかもしれない。すべては、鏡の向こうの出来事なのかもしれない。
それでも、今、彼のそばには彼女がいて、彼が彼女を愛して幸福でいてくれるなら、それはまちがいなくわたしの幸福でもある。
決して長くはないタカラヅカの「トップスター」人生において、何作も何作も、「相手役を愛していない、愛せない」姿を見せつけられてきたから。
今、「相手役を愛する」という、ふつーのトップスターの姿を見せてくれる寿美礼ちゃんが、うれしくて愛しくてならない。
このまま彼が、愛を抱きしめたまま生きていけますように。
彼の本質を「誰も愛せない人」だと思い込んでいる、その強さとかなしさに恋しているわたしは、今の彼の笑顔がずっと続くことを願っている。
いやその、とほほな男だと思ってもいるし、ダメ男だとも思っているけど。てゆーかおめー、やに下がりすぎだっつの、とか思っているけどもっ。
春野寿美礼がかわいい。もー、かわいくてかわいくて、しょーがないぞ。
春野寿美礼と桜乃彩音がこれから見せてくれるであろう、さまざまな恋人同士の姿に、期待をしている。
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