加点法と減点法。@NEVER SAY GOODBYE
2006年5月2日 タカラヅカ「そーいや宙組公演、観に行ったんですか? 感想書いてないけど、よかったんですか?」
と、問われて。
わたしはしばらく沈黙する。
そしてよーやく口を開くのだ。
「ともちが、かっこよかった」
「いや、ともちはいいから。たか花は? 作品はどうでした?」
しばらく逡巡して。
よーやく口を開く。
「舞台に立つたかちゃんを見られてしあわせだった。花ちゃんはやっぱりすごい人だった。作品は……ええっと……その、よかった、よ」
「たか花はそれだけですか?」
「たか花を見られて、しあわせだった。役としては……たか花がやっているんじゃなかったら、終わっていたかと」
「作品はどうよかったんですか」
「コーラスがすごかった。歌う背景宙組健在。たっちんかっこいー。音楽はいい。子犬のように頼りなげなあひくんが母性本能をくすぐる演技で、ファンを増やしているかも。タニちゃんの歌はまたクオリティを増していて、破壊力絶大、タニちゃんを『見た』という満足感を得られる。小池はドラマティックな演出がうまいよね。部分部分の演出がよくて、何年かあとにTCAとかで1場面だけ再現とかしたら、すごい名作だと誤解させることが可能だと思う」
「えーと、ソレ、よかった、んですか?」
「よかった、としか言いようがないから、よかったんじゃないかと。べつに、悪くないし。ただ、つまんないだけで」
宙組公演『NEVER SAY GOODBYE−ある愛の軌跡−』に、いつものよーに予備知識はあまりなく、初日の翌日に劇場へ駆けつけた。
初日じゃない分、どーしても感想は耳に入る。
ドリーズ関連の友人たちからは「駄作っっ!」「小池がやらかした」と聞いていたし、宙担のデイジーちゃんはにこやかに絶賛していた。
正反対の感想を耳にしてはいたけど、「物語」自体の予備知識はナシ。舞台がどの時代のどの国の話なのかも知らない。
知っていたことは、タニちゃんが「マタドール」だってことぐらいかな(笑)。
わたしは西洋史に無知もいいとこだし、なんの教養もない人間だ。
でも、「ソレがどーした」と思っている。
なんの予備知識もない人間が観て、ふつーにたのしめる作品以外は評価しない。わたしのよーな低能な俗物をも拾ってくれるよーな作りでなきゃ、2500人収容劇場で上演するべきではないと思っている。
日本語がわかり、主要登場人物が遠目でも区別がつき、歌詞が聞き分けられる(笑)のだから、ふつーレベルの骨組みを持った作品なら理解できるし、たのしめるはずだ。
実際、ふつーにたのしめた。ストーリーは単純だし、どっかで観たよーな設定満載だし、キャラは薄くて典型的なテンプレ型ばっかだし、なんの問題もなくたのしめる。
ただ、わたしの好みの話ではなかった。
たか花の最後の作品でなければ、たぶん「1回観たからもういいや」と思っただろう。
駄作だとは思わない。
充分よい作品だと思う。
世の中にはひどい作品が山ほどあるのだから、『ネバー』を駄作と言ってしまったらあとがない。
わたしの価値観で言えば『ネバー』は、ふつーレベルの作品だ。
リピート観劇が基本であるタカラヅカで、「生理的嫌悪感」で正視できないよーな作品は最悪だ。
「よくもないが、悪くもない」「プラス面はさほどないが、マイナス面もあまりない」という、さしさわりのないものは「何度観ても精神衛生上悪くない」から、讃えられるべきだと思う。
ただ、『ネバー』はすべてにおいて、薄いんだ。
物語が。
演出は派手なんだけど。
『ネバー』のなかに、わたしがどーしても「嫌だ」と思う部分があるんだけど、それすらも薄い。
声を高くして「ここがキライっ」と言いたいほどの気持ちにもならない。
あー、嫌だなコレ。どーしてここでこうするかなー。わたしがいちばん理解できない部分を、作者がいちばん嬉々としてやっている気がして、そこも萎えるなー。やだなー。『スカウト』のラストのオチと同じじゃん、今までのすべてを作者が否定するという。コレがあるから、それまでの感動も全部「なかったこと」にされちゃって、出かかった涙も引っ込むんだよなー。どーしてこんなことになるかなー……あー、でも、ま、いっか。
裏切られた脱力感はあっても、腹を立てるほどの気持ちにならない。
感動も怒りも、なにもかもが「薄い」。
ストーリー展開の突っ込みどころや、伏線回収のアレさだとか、ほころびもいろいろあるんだけど、それをどうこう言う気力もあまりわかない。わたしを突き動かすほどの「熱」がないから。
この「薄さ」は、美点なんだと思う。
なにしろ退団公演だから。
ファンは何十回と観るのだから。
濃いモノはあまり続けて食べられないけど、薄いモノなら大丈夫。
そーゆー意味でも、ほんとに「タカラヅカ的」な作品だ。
ただわたしは、ある程度の濃さがないとたのしめない。
生理的嫌悪感と戦うのと、薄すぎて感動がないものを眺めるのと、どっちがいいのかは、そのときの体調や精神状態によってもチガウし、キャストによってもチガウので一概には言えない。
ただ、今回はなーんだか「鳴り物入り」の扱いを受けている「大作」なので、どーにもおさまりが悪くてこまる。
駄作ならわかりやすく駄作、名作ならわかりやすく名作ならよかったのに。
あー、包装が立派なため「名作」っぽく見えるから、名作ってことでいいのかな。実際、悪くないもんな。
悪くないから、良い。それが、『NEVER SAY GOODBYE』の感想。
加点法で計算すると落第だけど、減点法で計算したから合格! みたいな。
でもソレ、感想語りにくいっす。
作品としてはアレなのでもうあきらめ、わたしはキャストだけを眺めてます。
最初に観たときは、ただもーたか花がたか花だというだけで、泣けて仕方なかった。
たかちゃんが舞台にいる。
花ちゃんが舞台にいる。
もういいよ。
それだけで、もういいよ。
それだけで、価値があるのが「タカラヅカ」だ。
ふたりがいなくなるなんて、わたしは未だに信じられないし、信じたくないのだけど、今、舞台にいるふたりを観ていられるのはしあわせだ。
大好きだ。
そして今朝。
夢を見た。
わたしはどこかの大きな体育館にいて、バレーボールの試合を観ている。
わたしはカメラマンなのか、大きなカメラを持って、体育館の2階部分の手すりのある回廊みたいなとこから、選手を撮影している。
選手の中に、ひときわパワフルな人がいた。
両手を高く上げ、ブロックに跳ぶ、赤いブルマーを穿いたその選手は。
ともち@ハイジャンプはまかせろでした……。
な、なぜこんな夢を……っ!!
と、問われて。
わたしはしばらく沈黙する。
そしてよーやく口を開くのだ。
「ともちが、かっこよかった」
「いや、ともちはいいから。たか花は? 作品はどうでした?」
しばらく逡巡して。
よーやく口を開く。
「舞台に立つたかちゃんを見られてしあわせだった。花ちゃんはやっぱりすごい人だった。作品は……ええっと……その、よかった、よ」
「たか花はそれだけですか?」
「たか花を見られて、しあわせだった。役としては……たか花がやっているんじゃなかったら、終わっていたかと」
「作品はどうよかったんですか」
「コーラスがすごかった。歌う背景宙組健在。たっちんかっこいー。音楽はいい。子犬のように頼りなげなあひくんが母性本能をくすぐる演技で、ファンを増やしているかも。タニちゃんの歌はまたクオリティを増していて、破壊力絶大、タニちゃんを『見た』という満足感を得られる。小池はドラマティックな演出がうまいよね。部分部分の演出がよくて、何年かあとにTCAとかで1場面だけ再現とかしたら、すごい名作だと誤解させることが可能だと思う」
「えーと、ソレ、よかった、んですか?」
「よかった、としか言いようがないから、よかったんじゃないかと。べつに、悪くないし。ただ、つまんないだけで」
宙組公演『NEVER SAY GOODBYE−ある愛の軌跡−』に、いつものよーに予備知識はあまりなく、初日の翌日に劇場へ駆けつけた。
初日じゃない分、どーしても感想は耳に入る。
ドリーズ関連の友人たちからは「駄作っっ!」「小池がやらかした」と聞いていたし、宙担のデイジーちゃんはにこやかに絶賛していた。
正反対の感想を耳にしてはいたけど、「物語」自体の予備知識はナシ。舞台がどの時代のどの国の話なのかも知らない。
知っていたことは、タニちゃんが「マタドール」だってことぐらいかな(笑)。
わたしは西洋史に無知もいいとこだし、なんの教養もない人間だ。
でも、「ソレがどーした」と思っている。
なんの予備知識もない人間が観て、ふつーにたのしめる作品以外は評価しない。わたしのよーな低能な俗物をも拾ってくれるよーな作りでなきゃ、2500人収容劇場で上演するべきではないと思っている。
日本語がわかり、主要登場人物が遠目でも区別がつき、歌詞が聞き分けられる(笑)のだから、ふつーレベルの骨組みを持った作品なら理解できるし、たのしめるはずだ。
実際、ふつーにたのしめた。ストーリーは単純だし、どっかで観たよーな設定満載だし、キャラは薄くて典型的なテンプレ型ばっかだし、なんの問題もなくたのしめる。
ただ、わたしの好みの話ではなかった。
たか花の最後の作品でなければ、たぶん「1回観たからもういいや」と思っただろう。
駄作だとは思わない。
充分よい作品だと思う。
世の中にはひどい作品が山ほどあるのだから、『ネバー』を駄作と言ってしまったらあとがない。
わたしの価値観で言えば『ネバー』は、ふつーレベルの作品だ。
リピート観劇が基本であるタカラヅカで、「生理的嫌悪感」で正視できないよーな作品は最悪だ。
「よくもないが、悪くもない」「プラス面はさほどないが、マイナス面もあまりない」という、さしさわりのないものは「何度観ても精神衛生上悪くない」から、讃えられるべきだと思う。
ただ、『ネバー』はすべてにおいて、薄いんだ。
物語が。
演出は派手なんだけど。
『ネバー』のなかに、わたしがどーしても「嫌だ」と思う部分があるんだけど、それすらも薄い。
声を高くして「ここがキライっ」と言いたいほどの気持ちにもならない。
あー、嫌だなコレ。どーしてここでこうするかなー。わたしがいちばん理解できない部分を、作者がいちばん嬉々としてやっている気がして、そこも萎えるなー。やだなー。『スカウト』のラストのオチと同じじゃん、今までのすべてを作者が否定するという。コレがあるから、それまでの感動も全部「なかったこと」にされちゃって、出かかった涙も引っ込むんだよなー。どーしてこんなことになるかなー……あー、でも、ま、いっか。
裏切られた脱力感はあっても、腹を立てるほどの気持ちにならない。
感動も怒りも、なにもかもが「薄い」。
ストーリー展開の突っ込みどころや、伏線回収のアレさだとか、ほころびもいろいろあるんだけど、それをどうこう言う気力もあまりわかない。わたしを突き動かすほどの「熱」がないから。
この「薄さ」は、美点なんだと思う。
なにしろ退団公演だから。
ファンは何十回と観るのだから。
濃いモノはあまり続けて食べられないけど、薄いモノなら大丈夫。
そーゆー意味でも、ほんとに「タカラヅカ的」な作品だ。
ただわたしは、ある程度の濃さがないとたのしめない。
生理的嫌悪感と戦うのと、薄すぎて感動がないものを眺めるのと、どっちがいいのかは、そのときの体調や精神状態によってもチガウし、キャストによってもチガウので一概には言えない。
ただ、今回はなーんだか「鳴り物入り」の扱いを受けている「大作」なので、どーにもおさまりが悪くてこまる。
駄作ならわかりやすく駄作、名作ならわかりやすく名作ならよかったのに。
あー、包装が立派なため「名作」っぽく見えるから、名作ってことでいいのかな。実際、悪くないもんな。
悪くないから、良い。それが、『NEVER SAY GOODBYE』の感想。
加点法で計算すると落第だけど、減点法で計算したから合格! みたいな。
でもソレ、感想語りにくいっす。
作品としてはアレなのでもうあきらめ、わたしはキャストだけを眺めてます。
最初に観たときは、ただもーたか花がたか花だというだけで、泣けて仕方なかった。
たかちゃんが舞台にいる。
花ちゃんが舞台にいる。
もういいよ。
それだけで、もういいよ。
それだけで、価値があるのが「タカラヅカ」だ。
ふたりがいなくなるなんて、わたしは未だに信じられないし、信じたくないのだけど、今、舞台にいるふたりを観ていられるのはしあわせだ。
大好きだ。
そして今朝。
夢を見た。
わたしはどこかの大きな体育館にいて、バレーボールの試合を観ている。
わたしはカメラマンなのか、大きなカメラを持って、体育館の2階部分の手すりのある回廊みたいなとこから、選手を撮影している。
選手の中に、ひときわパワフルな人がいた。
両手を高く上げ、ブロックに跳ぶ、赤いブルマーを穿いたその選手は。
ともち@ハイジャンプはまかせろでした……。
な、なぜこんな夢を……っ!!
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