箱の中の外。@服部有吉×首藤康之『HS06』
2006年8月20日 その他 なんてゆーかさぁ。
自分ちの茶の間で、テレビを見ていたわけよ。
テレビではなんかすごいことやってるけど、所詮テレビの中のことだし。すげーなー、へー、と阿呆面して眺めていたわけよ。
それが。
ふと気づいた瞬間。
自分が、テレビの中にいるの。
自分ちの茶の間でテレビ見ていたはずなのに。のんきにしていたはずなのに。
えええっ?! なんであたし、こんなとこにいるの?
周囲はテレビの中で広がっていた世界で、テレビの中にいた人たちで。あたしの茶の間はどこ?!
くわえてたポテチもそのままに、びびりきってきょろきょろ辺りを見回している。
……そーゆー感じでした、服部有吉×首藤康之『HS06』。
いやはや、アタマ悪い感想もここまでくるとすごいっすね。
nanakoさんのダーリンに会いに行った。
友だちの彼氏に会う、つーんでドキドキ(笑)。
すんません、「友だちがひとり行けなくなった、チケ代不要」というお誘いに「タダなら見たい」と正直すぎる返事をしました。譲ってくれたお友だちさんによろしくです。
や、今さらだけど。だってコレ、7月の話だし。
テキストだけはすぐに書いてたんだけど、まとめる時間と気力、UPする時間とタイミングがなかなかなくて……。
予備知識皆無だ! そのうえあたしはダンスを理解する能力なんぞ皆無だ!
nanaタンのダーリン服部王子が出演する、以外のことはなにも知らない! せっかくnanaタンが事前にパンフ見せてくれたのに、予備知識入れるの好きぢゃないからろくに見なかった! 2幕構成で2幕が「セロ弾きゴーシュ」らしい、つーことぐらいしかアタマに入れずに見た!
……なんてことを、開き直って言ってちゃイカンて。まさに猫に小判だよ……。
よーするにわたしは、「わかんないなら、わかんないでいーや」と思っていた。
世の中の「すばらしいもの」全部理解できるアタマも感性もない。自分にナニが欠けているかは、何十年も生きてきたからわかっている。
ただ、あるものをあるがまま、受け止めよう。理解できるできないは二の次。ソレ自体に「力」があるなら、ただ眺めているだけでもなにかしら跡は残していくだろう。
そして、安心感があった。
nanakoさんが絶賛している人の、舞台だから。
世界的な位置だとか名声だとか、そんなの関係ない。だってわたし、そんなのはじめから知らないし、興味ないし。
見て損はない。そう思えるのは、nanakoさんが「いい」と熱く語るモノだから。
世間の評価より、信頼できる友だちの評価の方がはるかに重い。
nanaタンのカレシだから、見てみたい。……ソレって、そーゆー意味だ。
わたしは無知で無教養だから、ほんとのとこは理解できないんだろうけど、それでも、そんなバカがバカなりに観る価値も意味もある。それだけのものが残る。
そう安心していたから、いつものよーに予備知識皆無、すっぴんのわたしが感じるものだけがすべて!状態で劇場へ。
そして、油断して「客席」から、ぼーっと舞台を観ていた。
舞台は、うつくしくてこわい物語を、展開していた。
まっしろな空間で、ロボットたちが人間と同じ姿で、でも人間とはチガウ動きをしているの。
無機質なまま調和していたロボットたちに、変化が起こる。とりあえず1体。その1体を起点に、波紋が広がる。軋みが広がる。
1体、また1体動かなくなる。
白い壁で区切られた四角い舞台。白く美しい、不安な世界。
つっても「所詮舞台の上のこと」で、わたしとは「直接関係ない」から、どんなにこわくてもぼーっとしていられた。
でも。
倒れて動かなくなったロボットたちの間で、主人公ロボットが手を伸ばす。
正面に。
わたしたち、客席の方に。
それは、不思議なことじゃない。舞台の上の人が客席に向けて演技するのはあたりまえのことだから。
ただ。
のばしたその手が、なにかにはばまれたんだ。
壁。
そこに、見えない壁があった。
客席に向かって開かれた空間、じゃない。
四方を壁によって閉ざされた箱の中なんだ。
閉ざされた。
あそこに、見えない壁がある。ずっとあった。でもわたしは知らなかった。彼らも、知らなかったのだろうか。それとも。
断絶。
今、なにか切れた。
目に見えない壁に触れた、そのときに。
いや、「つながった」のか。
ロボットの彼と、わたしが、一瞬シンクロした。
彼が視た「四角い箱」が、わたしにも見えた。
こわかったの。びっくりしたの。
わたし、自分ちの茶の間にいたのに! いきなりテレビの中なんだもん!!
のんきに眺めていたのに、油断していたのに、一気に心臓鷲掴み。
どきどきしながら夢中で観た。
閉塞感に喘ぎながら。
ロボットたちは結局みんな動かなくなって、作業服の人間たちによって運び出される。まさしく「モノ」として。
箱は開かれ、また閉ざされる。
そしてまた、次のロボットが上から降りてくる……はじまりと同じシーンにつながって、幕。
技術的なことはわからないから、ただ「作品」としてしか見ない。無知なわたしが「観た」だけの「作品」。
ロボットたちは美しく不安だった。
それがどういう意味を持つのであれ、「規則」のなかに「不規則」なものが混ざるのはこわい。
波紋のように、1体ずつ動かなくなるロボットが、そして不自然な形のまま止まり、打ち捨てられた姿がこわい。
ひとごとだと思って眺めていたのに、そこに「壁」があることで舞台と客席の「壁」が消えてシンクロしてしまった現実がこわい。
そこにあるのは、みんなうつくしいものなのにね。
わたしがあんまり疲れた顔をしていたからか、幕間のnanaタンは、
「2幕はたのしいから!」
と、はげまして(?)くれた。
その言葉の通り、2幕の「セロ弾きゴーシュ」をモチーフにした作品はとてもキュートで、素直に楽しかった。
「セロ弾き」を「ダンサー」に置き換えて、みそっかすダンサーくんのところに、動物たちがやってきてダンスを披露、一緒に踊っているうちにみそっかすくんはダンスの達人に!
着ぐるみが出るとは思わなかった。
てかみんなかわいー!!
1幕であんなに無機質で、こわかったロボットたちが、なんて表情豊かにキュートに踊ってくれることか。
素直に単純に、たのしみました。
にしても、服部王子、妖精属だなあ。
終演後真っ先に、王子の年齢をnanaタンに聞いちゃったよ(笑)。
大変興味深い体験をしました。
nanaタンありがとー。
猫に小判でごめんよう。
自分ちの茶の間で、テレビを見ていたわけよ。
テレビではなんかすごいことやってるけど、所詮テレビの中のことだし。すげーなー、へー、と阿呆面して眺めていたわけよ。
それが。
ふと気づいた瞬間。
自分が、テレビの中にいるの。
自分ちの茶の間でテレビ見ていたはずなのに。のんきにしていたはずなのに。
えええっ?! なんであたし、こんなとこにいるの?
周囲はテレビの中で広がっていた世界で、テレビの中にいた人たちで。あたしの茶の間はどこ?!
くわえてたポテチもそのままに、びびりきってきょろきょろ辺りを見回している。
……そーゆー感じでした、服部有吉×首藤康之『HS06』。
いやはや、アタマ悪い感想もここまでくるとすごいっすね。
nanakoさんのダーリンに会いに行った。
友だちの彼氏に会う、つーんでドキドキ(笑)。
すんません、「友だちがひとり行けなくなった、チケ代不要」というお誘いに「タダなら見たい」と正直すぎる返事をしました。譲ってくれたお友だちさんによろしくです。
や、今さらだけど。だってコレ、7月の話だし。
テキストだけはすぐに書いてたんだけど、まとめる時間と気力、UPする時間とタイミングがなかなかなくて……。
予備知識皆無だ! そのうえあたしはダンスを理解する能力なんぞ皆無だ!
nanaタンのダーリン服部王子が出演する、以外のことはなにも知らない! せっかくnanaタンが事前にパンフ見せてくれたのに、予備知識入れるの好きぢゃないからろくに見なかった! 2幕構成で2幕が「セロ弾きゴーシュ」らしい、つーことぐらいしかアタマに入れずに見た!
……なんてことを、開き直って言ってちゃイカンて。まさに猫に小判だよ……。
よーするにわたしは、「わかんないなら、わかんないでいーや」と思っていた。
世の中の「すばらしいもの」全部理解できるアタマも感性もない。自分にナニが欠けているかは、何十年も生きてきたからわかっている。
ただ、あるものをあるがまま、受け止めよう。理解できるできないは二の次。ソレ自体に「力」があるなら、ただ眺めているだけでもなにかしら跡は残していくだろう。
そして、安心感があった。
nanakoさんが絶賛している人の、舞台だから。
世界的な位置だとか名声だとか、そんなの関係ない。だってわたし、そんなのはじめから知らないし、興味ないし。
見て損はない。そう思えるのは、nanakoさんが「いい」と熱く語るモノだから。
世間の評価より、信頼できる友だちの評価の方がはるかに重い。
nanaタンのカレシだから、見てみたい。……ソレって、そーゆー意味だ。
わたしは無知で無教養だから、ほんとのとこは理解できないんだろうけど、それでも、そんなバカがバカなりに観る価値も意味もある。それだけのものが残る。
そう安心していたから、いつものよーに予備知識皆無、すっぴんのわたしが感じるものだけがすべて!状態で劇場へ。
そして、油断して「客席」から、ぼーっと舞台を観ていた。
舞台は、うつくしくてこわい物語を、展開していた。
まっしろな空間で、ロボットたちが人間と同じ姿で、でも人間とはチガウ動きをしているの。
無機質なまま調和していたロボットたちに、変化が起こる。とりあえず1体。その1体を起点に、波紋が広がる。軋みが広がる。
1体、また1体動かなくなる。
白い壁で区切られた四角い舞台。白く美しい、不安な世界。
つっても「所詮舞台の上のこと」で、わたしとは「直接関係ない」から、どんなにこわくてもぼーっとしていられた。
でも。
倒れて動かなくなったロボットたちの間で、主人公ロボットが手を伸ばす。
正面に。
わたしたち、客席の方に。
それは、不思議なことじゃない。舞台の上の人が客席に向けて演技するのはあたりまえのことだから。
ただ。
のばしたその手が、なにかにはばまれたんだ。
壁。
そこに、見えない壁があった。
客席に向かって開かれた空間、じゃない。
四方を壁によって閉ざされた箱の中なんだ。
閉ざされた。
あそこに、見えない壁がある。ずっとあった。でもわたしは知らなかった。彼らも、知らなかったのだろうか。それとも。
断絶。
今、なにか切れた。
目に見えない壁に触れた、そのときに。
いや、「つながった」のか。
ロボットの彼と、わたしが、一瞬シンクロした。
彼が視た「四角い箱」が、わたしにも見えた。
こわかったの。びっくりしたの。
わたし、自分ちの茶の間にいたのに! いきなりテレビの中なんだもん!!
のんきに眺めていたのに、油断していたのに、一気に心臓鷲掴み。
どきどきしながら夢中で観た。
閉塞感に喘ぎながら。
ロボットたちは結局みんな動かなくなって、作業服の人間たちによって運び出される。まさしく「モノ」として。
箱は開かれ、また閉ざされる。
そしてまた、次のロボットが上から降りてくる……はじまりと同じシーンにつながって、幕。
技術的なことはわからないから、ただ「作品」としてしか見ない。無知なわたしが「観た」だけの「作品」。
ロボットたちは美しく不安だった。
それがどういう意味を持つのであれ、「規則」のなかに「不規則」なものが混ざるのはこわい。
波紋のように、1体ずつ動かなくなるロボットが、そして不自然な形のまま止まり、打ち捨てられた姿がこわい。
ひとごとだと思って眺めていたのに、そこに「壁」があることで舞台と客席の「壁」が消えてシンクロしてしまった現実がこわい。
そこにあるのは、みんなうつくしいものなのにね。
わたしがあんまり疲れた顔をしていたからか、幕間のnanaタンは、
「2幕はたのしいから!」
と、はげまして(?)くれた。
その言葉の通り、2幕の「セロ弾きゴーシュ」をモチーフにした作品はとてもキュートで、素直に楽しかった。
「セロ弾き」を「ダンサー」に置き換えて、みそっかすダンサーくんのところに、動物たちがやってきてダンスを披露、一緒に踊っているうちにみそっかすくんはダンスの達人に!
着ぐるみが出るとは思わなかった。
てかみんなかわいー!!
1幕であんなに無機質で、こわかったロボットたちが、なんて表情豊かにキュートに踊ってくれることか。
素直に単純に、たのしみました。
にしても、服部王子、妖精属だなあ。
終演後真っ先に、王子の年齢をnanaタンに聞いちゃったよ(笑)。
大変興味深い体験をしました。
nanaタンありがとー。
猫に小判でごめんよう。
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