まちがっていても。@UNDERSTUDY
2006年8月22日 タカラヅカ 最初に言っておくと。
わたしは、谷正純作品が好きである。
失敗作だとか駄作だとかがある(つーか多い)ことはわかっている。登場人物皆殺しも子守歌も、「それってどうよ」と思っている。
だが、そーゆーこととは別に、谷せんせの作品は好きだ。昔から。
作品って、作者の性格が見えるよねえ?
天才でもない限り、人格を完全に覆い隠して何十年も創作し続けることなんてできないだろ。
どこかに、作者本人の性格、倫理観、価値観がにじみ出る。
その、作者の「考え方」だとか「心の角度」だとかに共感できる場合、同じくらいの駄作であったとしても、共感できない作家の作品よりずっと「好き」でいられる。
正塚晴彦と谷正純はさぁ、見ていて恥ずかしくなるくらいの、ロマンチストだと思うんだよねぇ。
正塚はそーゆー部分を隠してハードボイルド気取りたいおじさんだけど、谷はたぶん、気づいてないんじゃないかな。自分がでろでろあまあまのロマンチストだってことに。夢見過ぎだってことに。過分にヲトメハートを持つ天然オヤジ(笑)。
たとえ、お涙頂戴だけが目的の皆殺しをやっていても、男も女も敵も味方も主人公にダダ惚れで主人公のためだけに生きて死んでいき、主人公もまた悲劇の最期を遂げる、英雄の中の英雄、男の中の男を鼻息荒く描いていたって。
なんかもー、「この夢見るヲトメオヤジめ」と思えてしまうのですよ、ええ。
笑えるくらいロマンチストで、そしてものすごーく「人間」ってものに夢を持っていて、信じていて、愛だの夢だのゆーものを、本気で愛しいと思っている、優しい人なんだろうなと思う。
や、作品はいつも壊れているけど(笑)。キャラクタの心のコアになる部分は、壊れてないんだよ。構成失敗するから人格がブレたりするだけで(うーん、フォローにならない気もする)。
『JAZZYな妖精たち』だって、好きだったさ。物語は壊れていたけど。失敗作だけど。
でも、キャラクタの「心」だけで、愛することが出来た。愛しい人々がいたから、失敗してても好きでいられる。
だから谷正純作品は好き。
不器用なやさしさがあるから。バカげた夢見がちな少年の心があるから。
つーことで、宙組バウホール公演『UNDERSTUDY』の話。
ははは。
声を大にして、言いましょう。
またしても、壊れてるっ!!
なんなんだ、このバランスの悪すぎるプロット。
劇中劇の配分まちがってるし、つか大半の時間を使っている劇中劇に意味ないし、ストーリー部分は語りだけのあらすじってなにソレありえない!
てゆーか、ヒロイン誰? キャラ配分壊れすぎ。
『JAZZYな妖精たち』くらい、潔く失敗してないか、コレ?
舞台人を夢見ながらも「代役」が精一杯な若者たちが集うパブ「UNDERSTUDY」が舞台。
たぶん主人公のアレック@七帆はただの代役俳優だったのに、あれよあれよと幸運が舞い込み、スターになれる足がかりが出来た。だけど出たよお約束、幸運で押し上げられた主人公って絶対その「棚ボタ幸運」を捨てるんだよね。ま、棚ボタだからな。捨てても惜しくないんだろ。「青い鳥は家にいたんだ!」ということで、スターの道を捨てて家業の軽喜劇役者に戻るそうな。
ひょっとしたらヒロインのジュリア@たっちんは、女優になる夢と生涯代役として役者時間を使い果たした父への愛と反発で、ひとりでぐるぐる苦悩していた。けど、しばらく舞台に彼女の話が出てこないなと思っているうちに、「パパ大好き!」と開眼し、自己完結した。
ただの脇役、設定とキャラクタを解説するためだけの「観客の視点」であるハーミア@アリスは、もちろんストーリーになにも絡まない。や、ただの解説役だから。だのに何故かいきなりソロを1曲歌うのでびっくり。なんでただの脇役が仰々しくソロを??
コーネリアス@チギはジュリアの恋人でアレックに役取られたりなんだりしていたはずだけど、これまたなにも起こらず自己完結して終わり。なんじゃそりゃ。
……と、万事が中途半端かつご都合主義。ひとことで言えば、「壊れてる」。
これらの「自己完結」するだけのエピソードは台詞で解説するあらすじでしかない。物語ぢゃないの。前向いて喋って説明しているだけなの。こんなことがあった、こんなことを言った、こんなことを思った。全部、説明。ただのあらすじ。
出来事を全部台詞で解説するなら、2時間もいらないよね? ひとり5分のMCタイムで片が付く。
でも、芝居は2時間あるの。
なにをやっているかというと、劇中劇。
『マクベス』だとか『真夏の夜の夢』だとかを、えんえんえんえんやっているの。
ストーリーと関係ない劇中劇だけで時間は過ぎ、ストーリー部分は口で説明するあらすじ。
なんだそりゃ。
ありえないくらい、壊れている(笑)。
で、ありえないことに、ここまでひどい壊れ方しているのに、たぶん主人公なんだろうな、て人たちが「あらすじ」しかもらってないのに、脇役のハズのオヤジふたり、サー・ブライアン@立さんとケビン@汝鳥さんは、いちゃこらしまくりながらドラマティックに半生の物語を紡いでいるの。
なんだそりゃ。
ありえないくらい、壊れている(笑)。
『JAZZYな妖精たち』で、「妖精いらん、人間ドラマだけ描け」と思ったように。
今回は、「劇中劇いらん、人間ドラマだけ描け」と思うわ(笑)。
でもな。
ここまで壊れていても、まちがっていても。
『UNDERSTUDY』は、感動できるよ。
やさしい物語だから。
愛にあふれた物語だから。
劇中劇は、よかったよ。谷がソレこそをやりたかったのもわかる。
冒頭の『マクベス』は、正直つらいところもかなりあったけれど、七帆の美しさを愛でるだけでも価値があったし、『真夏の夜の夢』は純粋に楽しめた。ボードビルや他のシーンも、盛りだくさんでよかったさ。
でも、それと「作品壊れてる。壊れているいちばんの原因は、不要な劇中劇である」ということとは、話が別。
作品は壊れている。
せっかくのストーリー部分が「あらすじ」でしかないのに、なにも具体的なことは描かれていないのに、ラストでアレックが勝手に悟りを開き、「青い鳥は家にいたんだ!!」と言われても困る。あんたが青い鳥を探すシーン、観客見てないから!! 書かれてないから!!
こまる……けど、アレックを含めた若者たちの姿に泣けるのは、ここがタカラヅカだからだ。
ぜんぜん足りていないのに、シェークスピアを必死にやり、初主演の七帆くんは「がけっぷち」と顔にマジックで書いてあるよーな余裕のなさで、声を潰しボロボロになりながらも歌い、喋り、着替え、演技し続けている。
物語部分が「あらすじ」でしかなくても、劇中劇でいっぱいいっぱいになっているキャストを観ているだけで、演劇に懸ける登場人物たちとリンクし、「あらすじ」を超えたナニかを、観客が勝手に脳内補完してしまうんだ。
夢を手にするために精一杯努力し続ける若者たちの役を、現実の彼女たちのがんばりを重ね見て、勝手に感動してしまう。
ええー? ソレってなんかずるい? タカラジェンヌががんばり屋なのも、いつもみんなぎりぎりまで努力しているのも、あたりまえのことでしょう? このバウだけが特別なわけじゃないよ?
壊れてても、キャストががんばってるから感動作品、なんて、緑野こあら的にゆるせない評価ぢゃないの?
や、それはそうなんだけど、谷作品はソレだけじゃなくてだな。
そこに、「心」があるから。
ロマンチストが、自分をヲトメハートなロマンチストだと気づきもせず、「夢ってすばらしい!」「生きるってすばらしい!」って真顔で書いているから。作者、本気でそう思っているから。ポーズぢゃないから。
そーゆー作品だから。
そこに、手加減ナシで努力するタカラジェンヌの姿が加わり、感動になるの。
ああ、なんて恥ずかしい芸風なの、谷正純。
自爆しながら全力で舞台に立つ七帆くんをはじめとする宙組の若者たちは、「谷作品そのもの」だ。
足りていなくても、愛しいんだ。
だって、こんなにこんなに、夢だとか愛だとか、「きれいごと」とか「おとぎばなし」とか一笑に付されるようなものを、カラダ張って表現しているじゃない。
『UNDERSTUDY』。
『JAZZYな妖精たち』くらい駄作だけど、『JAZZYな妖精たち』くらい、ぎゅって抱きしめてあげたくなるような、愛しい作品だ。
わたしは、谷正純作品が好きである。
失敗作だとか駄作だとかがある(つーか多い)ことはわかっている。登場人物皆殺しも子守歌も、「それってどうよ」と思っている。
だが、そーゆーこととは別に、谷せんせの作品は好きだ。昔から。
作品って、作者の性格が見えるよねえ?
天才でもない限り、人格を完全に覆い隠して何十年も創作し続けることなんてできないだろ。
どこかに、作者本人の性格、倫理観、価値観がにじみ出る。
その、作者の「考え方」だとか「心の角度」だとかに共感できる場合、同じくらいの駄作であったとしても、共感できない作家の作品よりずっと「好き」でいられる。
正塚晴彦と谷正純はさぁ、見ていて恥ずかしくなるくらいの、ロマンチストだと思うんだよねぇ。
正塚はそーゆー部分を隠してハードボイルド気取りたいおじさんだけど、谷はたぶん、気づいてないんじゃないかな。自分がでろでろあまあまのロマンチストだってことに。夢見過ぎだってことに。過分にヲトメハートを持つ天然オヤジ(笑)。
たとえ、お涙頂戴だけが目的の皆殺しをやっていても、男も女も敵も味方も主人公にダダ惚れで主人公のためだけに生きて死んでいき、主人公もまた悲劇の最期を遂げる、英雄の中の英雄、男の中の男を鼻息荒く描いていたって。
なんかもー、「この夢見るヲトメオヤジめ」と思えてしまうのですよ、ええ。
笑えるくらいロマンチストで、そしてものすごーく「人間」ってものに夢を持っていて、信じていて、愛だの夢だのゆーものを、本気で愛しいと思っている、優しい人なんだろうなと思う。
や、作品はいつも壊れているけど(笑)。キャラクタの心のコアになる部分は、壊れてないんだよ。構成失敗するから人格がブレたりするだけで(うーん、フォローにならない気もする)。
『JAZZYな妖精たち』だって、好きだったさ。物語は壊れていたけど。失敗作だけど。
でも、キャラクタの「心」だけで、愛することが出来た。愛しい人々がいたから、失敗してても好きでいられる。
だから谷正純作品は好き。
不器用なやさしさがあるから。バカげた夢見がちな少年の心があるから。
つーことで、宙組バウホール公演『UNDERSTUDY』の話。
ははは。
声を大にして、言いましょう。
またしても、壊れてるっ!!
なんなんだ、このバランスの悪すぎるプロット。
劇中劇の配分まちがってるし、つか大半の時間を使っている劇中劇に意味ないし、ストーリー部分は語りだけのあらすじってなにソレありえない!
てゆーか、ヒロイン誰? キャラ配分壊れすぎ。
『JAZZYな妖精たち』くらい、潔く失敗してないか、コレ?
舞台人を夢見ながらも「代役」が精一杯な若者たちが集うパブ「UNDERSTUDY」が舞台。
たぶん主人公のアレック@七帆はただの代役俳優だったのに、あれよあれよと幸運が舞い込み、スターになれる足がかりが出来た。だけど出たよお約束、幸運で押し上げられた主人公って絶対その「棚ボタ幸運」を捨てるんだよね。ま、棚ボタだからな。捨てても惜しくないんだろ。「青い鳥は家にいたんだ!」ということで、スターの道を捨てて家業の軽喜劇役者に戻るそうな。
ひょっとしたらヒロインのジュリア@たっちんは、女優になる夢と生涯代役として役者時間を使い果たした父への愛と反発で、ひとりでぐるぐる苦悩していた。けど、しばらく舞台に彼女の話が出てこないなと思っているうちに、「パパ大好き!」と開眼し、自己完結した。
ただの脇役、設定とキャラクタを解説するためだけの「観客の視点」であるハーミア@アリスは、もちろんストーリーになにも絡まない。や、ただの解説役だから。だのに何故かいきなりソロを1曲歌うのでびっくり。なんでただの脇役が仰々しくソロを??
コーネリアス@チギはジュリアの恋人でアレックに役取られたりなんだりしていたはずだけど、これまたなにも起こらず自己完結して終わり。なんじゃそりゃ。
……と、万事が中途半端かつご都合主義。ひとことで言えば、「壊れてる」。
これらの「自己完結」するだけのエピソードは台詞で解説するあらすじでしかない。物語ぢゃないの。前向いて喋って説明しているだけなの。こんなことがあった、こんなことを言った、こんなことを思った。全部、説明。ただのあらすじ。
出来事を全部台詞で解説するなら、2時間もいらないよね? ひとり5分のMCタイムで片が付く。
でも、芝居は2時間あるの。
なにをやっているかというと、劇中劇。
『マクベス』だとか『真夏の夜の夢』だとかを、えんえんえんえんやっているの。
ストーリーと関係ない劇中劇だけで時間は過ぎ、ストーリー部分は口で説明するあらすじ。
なんだそりゃ。
ありえないくらい、壊れている(笑)。
で、ありえないことに、ここまでひどい壊れ方しているのに、たぶん主人公なんだろうな、て人たちが「あらすじ」しかもらってないのに、脇役のハズのオヤジふたり、サー・ブライアン@立さんとケビン@汝鳥さんは、いちゃこらしまくりながらドラマティックに半生の物語を紡いでいるの。
なんだそりゃ。
ありえないくらい、壊れている(笑)。
『JAZZYな妖精たち』で、「妖精いらん、人間ドラマだけ描け」と思ったように。
今回は、「劇中劇いらん、人間ドラマだけ描け」と思うわ(笑)。
でもな。
ここまで壊れていても、まちがっていても。
『UNDERSTUDY』は、感動できるよ。
やさしい物語だから。
愛にあふれた物語だから。
劇中劇は、よかったよ。谷がソレこそをやりたかったのもわかる。
冒頭の『マクベス』は、正直つらいところもかなりあったけれど、七帆の美しさを愛でるだけでも価値があったし、『真夏の夜の夢』は純粋に楽しめた。ボードビルや他のシーンも、盛りだくさんでよかったさ。
でも、それと「作品壊れてる。壊れているいちばんの原因は、不要な劇中劇である」ということとは、話が別。
作品は壊れている。
せっかくのストーリー部分が「あらすじ」でしかないのに、なにも具体的なことは描かれていないのに、ラストでアレックが勝手に悟りを開き、「青い鳥は家にいたんだ!!」と言われても困る。あんたが青い鳥を探すシーン、観客見てないから!! 書かれてないから!!
こまる……けど、アレックを含めた若者たちの姿に泣けるのは、ここがタカラヅカだからだ。
ぜんぜん足りていないのに、シェークスピアを必死にやり、初主演の七帆くんは「がけっぷち」と顔にマジックで書いてあるよーな余裕のなさで、声を潰しボロボロになりながらも歌い、喋り、着替え、演技し続けている。
物語部分が「あらすじ」でしかなくても、劇中劇でいっぱいいっぱいになっているキャストを観ているだけで、演劇に懸ける登場人物たちとリンクし、「あらすじ」を超えたナニかを、観客が勝手に脳内補完してしまうんだ。
夢を手にするために精一杯努力し続ける若者たちの役を、現実の彼女たちのがんばりを重ね見て、勝手に感動してしまう。
ええー? ソレってなんかずるい? タカラジェンヌががんばり屋なのも、いつもみんなぎりぎりまで努力しているのも、あたりまえのことでしょう? このバウだけが特別なわけじゃないよ?
壊れてても、キャストががんばってるから感動作品、なんて、緑野こあら的にゆるせない評価ぢゃないの?
や、それはそうなんだけど、谷作品はソレだけじゃなくてだな。
そこに、「心」があるから。
ロマンチストが、自分をヲトメハートなロマンチストだと気づきもせず、「夢ってすばらしい!」「生きるってすばらしい!」って真顔で書いているから。作者、本気でそう思っているから。ポーズぢゃないから。
そーゆー作品だから。
そこに、手加減ナシで努力するタカラジェンヌの姿が加わり、感動になるの。
ああ、なんて恥ずかしい芸風なの、谷正純。
自爆しながら全力で舞台に立つ七帆くんをはじめとする宙組の若者たちは、「谷作品そのもの」だ。
足りていなくても、愛しいんだ。
だって、こんなにこんなに、夢だとか愛だとか、「きれいごと」とか「おとぎばなし」とか一笑に付されるようなものを、カラダ張って表現しているじゃない。
『UNDERSTUDY』。
『JAZZYな妖精たち』くらい駄作だけど、『JAZZYな妖精たち』くらい、ぎゅって抱きしめてあげたくなるような、愛しい作品だ。
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