ひどい話なんだよねえ……『UNDERSTUDY』

 作品から、人事的推測をするのは好きじゃない。
 出番や役付云々で、劇団の裏事情をあれこれ思うのはバカげている。くだらない。

 だけど。

 この『UNDERSTUDY』に関してだけは、どーも納得がいかない。
 あまりにも、壊れている。
 そして、「壊れ方」がすべてひとつのことを指している気がするんだ。

 ひとつのこと。
 すなわち。
 ヒロイン配役。

 
 物語は、見事にふたつに分離している。
 勝手にひとりでチャンスを得てそれを捨てるアレック@七帆と、ジュリア@たっちんと彼女の父@汝鳥さんの物語。
 ただふたつに分かれているだけじゃない。アレック、ジュリア、オヤジふたり@汝鳥さん&立さん、と内容が三等分されているので、主役であるはずのアレックのパートは作品の3分の1しかないのね。ジュリアとオヤジふたりはひとつの話だから。
 オヤジふたりのくだりも含めて葛藤が描かれているのはジュリア。アレックの方が出番は多くても、精神的な掘り下げは浅く少ない。

 物語の中心は、タイトルそのものを具現するケビン@汝鳥さんなんだよ。そして、彼に対する者として娘ジュリアがあり、彼の同志としてブライアン@立さんがある。
 そのさらに外側に、ケビンに影響を受ける者としてアレックがある。

 アレックが主役でなければならないというなら、彼がいちばん大きく関わる異性はジュリアでなければならなかった。
 そうしなければ、彼は「物語」の「真ん中」に近寄れない。彼より内側に、ブライアンがいて、さらに内側にジュリアがいるからだ。テーマから3番目にいる主役なんてあんまりだよ。

 では何故、ジュリアはヒロインではなく、存在価値のないハーミアというキャラクタを捏造してまで、ヒロインにしたのだろう?

 ハーミアに意味があるとすれば「観客目線で解説をする」というだけだ。解説だけなら、他にやり方はいくらでもある。
 ハーミアというキャラ自体不要だ。

 ハーミアがヒロインでなければならないというなら、ストーリー自体変えて、アレックがハーミアと出会い、恋であれ共感であれなにかしら彼女が大きな意味を持ち、それゆえにアレックが成長して悩みを越え、新しい人生を切り開く決意をする、というラインにしなければ。
 ジュリアの出番は削り、完全にただの脇役にする。彼女の方が立ち位置が主役に近いから、徹底的に脇に落とさないとハーミアが食われる。

 そこまですることもなく、ヒロイン配置をまちがったまま話を進めても、駄作になるだけ。

 何故、ジュリアをヒロインにしてはいけなかったんだ?
 ふつーにジュリアヒロインで、アリスが演じればよかったんだ。
 ハーミアは、いらないし。劇中劇を止める役なら、アレックの妹役でいいじゃん。毎度彼女が乱入してきて止まる、と。

 その昔、『ブルボンの封印』という信じられない駄作かつ失敗作があったんだが、それと同種の歪みを感じるんだ。
 『ブルボンの封印』は、原作は小説で、心優しいヒロインと、悪の道に落ちる姉がいたんだが、何故かヅカで舞台化するにあたり、姉の方を娘役トップが演じたのだわ。カタチだけのヒロイン。だって物語上では、ヒロインは妹の方なの、どう考えても。姉は脇役でしかないから、物語から置き去りにされる。
 何故、作品を壊してまで、ヒロイン配置を換えた?
 本来のヒロインを脇役にして、でも物語は彼女を中心に描いてあるから作品自体が重心を欠いて崩壊に至る、何故そんなことに?

 たっちんの存在が、すべてを狂わしている、気がした。

 マクベス夫人を演じる、テーマを担う「代役」を否定する女優の卵ジュリア役は、たっちんでなければならなかった。
 たっちんにシェークスピアをやらせたかった、歌わせたかった。

 でも、彼女をヒロインにするわけにはいかなかった。
 理由は知らないが、そーゆーことになっていた。
 ので、ヒロインのはずのジュリア役を、そのまま脇役にした。アレックと絡ませない、というだけで、あとはヒロインのまま、ただ横へ立ち位置だけずらした。

 主役のアレックのそばに花のように添えるだけの役、ハーミアをつくり、それをヒロインということにした。
 物語に絡まないし存在意義もないけれど、「ヒロイン」と言っておけばヒロインになるのがタカラヅカ。きれいなドレスを着せて、歌を1曲ソロで歌わせれば、言い訳になる。

 作品のテーマであり根幹である「代役」についての物語は、ケビンとブライアン、そしてジュリアでかまわず展開。
 主役のハズのアレックはその外側で、あらすじだけでテーマ「代役」をなぞる。

 …………とゆー話に思えたんだけど、どうなんだろう。

 とりあえずアレックがいちばんたくさん出番があり、いちばんたくさん衣装を替え、いちばんたくさん喋り、いちばんたくさん歌うから、「主役」ということになっているけれど。
 物語の中心からズレたところで「主役」という見目のいい衣装を着せられ、踊らされているよーにも見えたんだが……。
 もちろん、出番が多くて台詞や歌が多いのはすばらしいことだけどさ。
 内容的、構成的に、さ。
 真の「物語の中心」ではなかったなあ、と。

 ハーミアに至っては、かなしくなるくらい無意味な役だったし。熱演しているアリスちゃんの問題ではなく、役がね。

 何故こんなことになったんだろう。
 や、わかるよ。たっちんにジュリアを、テーマ部分の芝居を、キャラを、そしてマクベス夫人やタイターニアをやらせたかったのだということは。
 実際、たっちんで見ることが出来てよかったさ。
 厚みのある芝居、そして艶やかな役者ぶり、なにより至上の歌声。コスプレものが似合うってばよ。半面、現代パートはちとやぼったいけど。
 冒頭の『マクベス』なんか、たっちんがいなかったらつらいだけだったよ、技術もキャリアもない下級生たちで演じるシェークスピアなんて。七帆くんだっていっぱいいっぱいで、それ以上のものはなかったわけだしさ。
 見られたことは、うれしいし、好きなのだけど。

 「作品」が壊れているのが、気になる。
 壊れ方が、変だ。

 それがなあ、引っかかるんだよなあ。
 「作品」を壊すよーなキャスティングは、どうかと思うよ。

 主役は、アレック@七帆であるべきだ。
 彼を主役にするために、正しく物語を構築して欲しかった。

 
「たっちん、うますぎ。あたしが演出家なら……」

 演出家なら?
 彼女をヒロインにするのに、って?

「ううん、もう彼女は使わない。ひとりだけうますぎて、浮く。主役が誰かわからなくなる」

 観劇前に友人に聞いた『UNDERSTUDY』のこの感想は、それらを言い表しているよなあ。


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