作品もキャストのクオリティも置いておいて。

 とりあえず、七帆ひかるが愛しい。

 『UNDERSTUDY』にて、ともちをとばしてまさかの初主演。
 チケ取りを忘却していたため(最近忘れっぽい……)、中日あたりにサバキで観たんだが、中日とは思えないほど七帆くんはいっぱいいっぱいだった。

 容姿に恵まれ、歌唱力もあり、スターコースを歩いているというのに、彼からいつも感じる「もたつき」はなんなんだろう。
 タカラヅカスターであるための条件をすべてクリアしているにも関わらず、彼にはなにかが「足りない」と思う。
 それは**の実力だとか**の技術だとか、そーゆーフィジカルな問題ではなく、メンタルな問題だと思う。

 何故、ソコで止まるのか。

 七帆を見ていて思うこと。「足りない」と思う、その中身。
 精神的に、壁を感じるんだ。彼の周りに壁があって、そこから出てこない。もっと手を伸ばせるのに、「ここから先はダメ」と自分で思い込んで、はじめから手を伸ばさない。

 大きな水たまりがある。
 ジャンプして、跳び越えるしかない。
 飛び越えられなかったら、濡れてしまう。尻餅をつくかも。そうなると、すごくかっこわるい。やだな。
 てゆーか、絶対越えられないに決まってる。どうして水たまりがこんなとこにあるんだろう。他に通れる道ってなかったっけ? とりあえず迂回しておくかな。

 そんな印象。
 ただ、それは「手抜き」ではないんだよね。

 水たまりを迂回する。跳べば一瞬だけど、別の道を通るなら、ものすごーく時間がかかる。だから、走る。大汗かいて、髪振り乱して服装乱して、必死になって走る。
 で、ぜーはー言いながら、水たまりの向こう側に辿り着くの。

 えーと。
 ハタから見ていると、もどかしくてならない。
 跳べるのに。
 絶対、跳び越えられるのがわかるのに。なんで跳ばないの?
 そんなにボロボロになって迂回するより、はじめから跳べばいいのに。

 「スター」になるべき性質の人って、水たまりを前にして、なんの疑問も恐れもなく跳べる人のことなんだよね。

 たとえば、タニちゃんは跳ぶと思う。ためらわず。失敗してずぶ濡れになっても気にしないと思う。だってソコに、水たまりがあって、跳ぶしかないんだから。跳ぶでしょうよ。
 トウコは自信満々跳ぶだろうし、水くんは黙々と跳ぶだろう。コム姫は淡々と跳び、失敗しても「じゃあ、もう水たまりには近寄りません」とマイペースでいるだろう。
 若い人でいうなら、まさきは絶対、躊躇なく跳ぶ(笑)。「跳べるはず。自分は跳ぶべき人間」という過信のもと(笑)。

 七帆に感じる「もどかしさ」は、この「水たまりを跳ばずに迂回する」感じなんだよね。
 努力していることはわかる。これ以上やったら倒れる、ところまでがんばっていることはわかる。でもなんか、チガウ。努力しているからいいのではなくて、努力のベクトルが微妙にズレているような?
 跳ばずに迂回する、そのための努力で今はひーひーになっているように見える。
 ええいっ、倒れそうなまで走らなくていいから、跳べよ! 跳べるだろう、それだけめぐまれた資質持っていて。

 
 跳ばずに迂回する彼が、誠心誠意限界までがんばっていることは、舞台からそのまま伝わってきた。
 がんばりは、伝わる。心って、伝わるものだから。
 だけどそれ以外の部分、純粋にフィジカルな面では、かなりきつい舞台だった。

 ……これって、ワークショップだっけ。
 キャストのレベルの低さにあぜん。
 とゆーのも、若手だけで演じるシェイクスピアの、悲劇っぷりときたら。
 みんな、衣装を着て長台詞を言うだけで精一杯。着こなしもできないし、立ち姿もやばい。声もできてない人が多いし、演技とか話の内容とか以前の問題。(除・専科ふたりと組長とたっちん)
 『Young Bloods!! 』と、どこがチガウんだ……料金同じだから、いいのか、べつに……?
 コーラスだけはいいんだけどさぁ。ひとりずつが、「ひとりで舞台に立つ」ことに慣れていないのか、腰が据わっていないのが気になる。

 ふつーバウ公演は、脇の下級生たちがへたっぴなのは当然のこと、これから成長してゆけばヨシ、だが、真ん中の主要人物はふつーにうまい、というものだった。
 しかし『UNDERSTUDY』の主要人物たちって……?
 がんばっていることはわかるのだけど、「真ん中」に必要な「物語を支える安定感」に欠けていたと思うんだ。
 まあ、作品も悪いよ。下級生にシェークスピアって……めためたになるのがわかっていて、それでも「勉強」だと思ってやらせたんだろう。

 できない、のはいいんだ。
 人はそうやって成長していく。出演している学年を考えれば、へたっぴで当然と思う。
 ただ、「学芸会」と「プロの舞台」を分けるものが、「主役の仕事」だと思う。
 つまり、「跳ぶ」こと。跳んでみせること。
 技術的につたなくても、真ん中の人間が「空気」を動かせばいい。
 技術の低さ足りなさに気づかせないオーラを放つこと。
 「よくわかんないけど、いいもん見たかも?」と思わせてしまう力。ハッタリ、と言ってもいい。
 それは、真ん中の仕事だ。

 七帆くんは、「オーラ」で観客を煙に巻くかわりに、「努力」で観客の保護本能に訴えかけた。
 こんなにこんなにがんばっている、という、痛々しい姿を見せることで、技術の足りなさを不問にするよう仕向けた。や、本人が計算しているとかゆー意味ではなくて。
 脚本的にも、そーゆー「夢に向かって一途にがんばる姿を肯定する」というテーマの芝居だったので、七帆の努力と合致して、脚本の粗とキャストの粗とを全部ごまかしてカタルシスへ強引に持ち込んだ。
 ここはタカラヅカだから、ソレはアリだと思う。思うけど。

 それだけじゃ、ダメだろ。

 技術の足りなさを、オーラで満たすことによって煙に巻け。
 そうでなくては、将来広大な大劇場の真ん中に立ち、2500席ある客席の空気を動かせないよ。
 トップスターに必要なのは、どーしよーもない駄作を、無理矢理どーにかしてしまう、力技。小さくまとまるな、努力する姿を見せることでお茶を濁すな、そんなことをまるっと超えた次元に羽ばたけ。

 なんてゆーかねぇ。
 七帆くんって、ダメだなあ、と思うのよ。「足りない」といつも感じるのよ。
 素質とか、技術とか以外の部分で。
 真ん中、向いてない? とか。

 でも。

 この子に、真ん中でいて欲しいと思う。
 素質を磨いて欲しいと思う。
 彼が水たまりを「跳ぶ」ことができたときの「変身」のあざやかさを思い描くだけで、わくわくするから。

 ま、それと同時に。

 跳べるだろう水たまりを必死になって迂回して、倒れそうなくらいぜーぜー言って走る、そのなんとも不器用っちゅーかどんくさい性質が、かわいくてならない。

 スターにならなくても、ダメっこのままでも、充分愛しいんだよなぁ。
 タカラヅカってとこはよぅ(笑)。


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