誰が、誰を治めるのか? その1。@暁のローマ
2006年8月26日 タカラヅカ やっぱり、ブルータスはバカに見える。
……ということについての考察。
今さらだが『暁のローマ』の話。
「人気がない」とちまたで言われているのをいいことに、手ぶらで東宝へ行き、あっさり前方センターを連番でGET。いやあ、ありがたい話っす。
しかも上手寄りのセンターブロックだから、銀橋に坐り込むカシウス様が間近!!
カ、カシウス様、わたしのこと見てる? その鋭い眼差しは、美しいお顔は、わたしだけに向けられているのですか?!(動揺)
ゆーひさんの目って、どこを見ているのかいまいちわかんない作りだから……ゲフンゲフン。や、そこが魅力なんですけど。
わたしがあれほどゆーひくんにとろけている横で、これほどまでに「ゆーひ席」でありながらジュンタさんは「ゆーひくん? ああ、かっこよかったわね」と棒読みで返しているし。ほんと、ひとの好みはそれぞれ(笑)。
ま、かっこいーカシウス様は置いておいて。
ブルータスの話。
わたしはやはり、ブルータスを「かっこいい」とは思えないんだ。
や、ビジュアルはいいよ。あさこちゃんだから、かっこいいに決まっている。
そうではなくて、「物語に描かれているブルータス像」の話。
原作云々も関係なし。あくまでも、『暁のローマ』に描かれている事柄のみにしぼって書く。
アントニウスに負けて自殺しちゃうからブルータスがかっこわるい、のではなくて、彼の「思想に説得力がない」ことが、どーにも引っかかる。
さて。
この『暁のローマ』に繰り返し使われる「悪」のテーマとして、「男はみんな王になりたい」というのがある。
「王」というのは、権力の象徴。支配する者。他人を見下し、力を誇示し、人権を侵し奴隷とする。
「王」=「悪の権化」。
「王になりたい」という思想は悪。
カエサルは王になりたがった。自由なローマ市民を私物化しようとした。だから「悪」である。……カエサルがほんとーに王になりたがっていたかは今は置く。ブルータス側の言い分ではこうなっているということね。
だがそもそも、ほんとーに「王」は悪なのか。「王になりたい」という思想は悪なのか。
この『暁のローマ』では、実に丹念に、「王になりたい」と思うことは悪であると、刷り込んでいる。
「王」=「悪の権化」であるカエサルを暗殺する正義の味方、であるはずの暗殺者たち。彼らの描き方のえげつないこと。
王は悪だから暗殺する、といいながら、彼らの本心は「王になりたい」なのよ。王になりたいけどその能力がないから、王になりうるカエサルに嫉妬する。他人が幸福になるのは許せないからそれを阻止する。
自分だってカンニングしたいけど、度胸がないからしない。うまくカンニングした同級生をこっそり教師に密告する。……いや、正しいよ。正しいですとも。カンニングは不正だし、それを告発することは正義ですともさ。
告発の動機が「あいつだけうまい汁を吸うなんて許せない」だとしても、行動だけを見るなら正義。
悪の権化を成敗するハズの彼らが「悪」であることを見せる。「王になりたい」くせに王を殺すことで、さらに「王になりたい」という者たちの歪みを表現しているのね。
「王になりたい」者は皆、醜い。
暗殺者たちは実に卑劣に情けなく破滅する。
「男はみんな王になりたい」というテーマを繰り返し、唯一「王になりたくない男」ブルータスを善人とする。
「王になりたい」=悪、「王になりたくない」=善。
……おかしくないか? なんなの、この妙な刷り込み。
ブルータスの思想も、演説も、はっきりいっておかしい。
「だれがだれをおさめられるだろう」
「ローマはみんなのもの」
ここまではまあ、いいとして。
「進んで奴隷になりたいものがあるだろうか。ローマ人の権利と誇りを捨て、誰かに命じられるままに生きたい者があるだろうか」
えーと。
「王国」には、「王」と「奴隷」しかいないんですか?
共和制のローマには、すでに「奴隷」がいるんですが。ローマに「王」が現れたって、現ローマ市民が何故「奴隷」になる?
現ローマ市民が奴隷になるとすれば、それは他国の侵略を受けたときぢゃないの? なんでローマの王様がローマ市民を奴隷にするの?
ブルータスあなた、論旨をすり替えているよ。
そりゃ、「奴隷になりたいか」って言えば誰だって「イヤだ」と答えるでしょう。
「治める」=「奴隷にする」ことではない。
ブルータスにとっては「比喩」なのかもしれない。個人に支配される、ということは精神的堕落を意味し、「自由を売り渡した奴隷」になるのかもしれない。
だがソレは、ほんとうの意味での「奴隷」ではない。ローマには、ちゃんと奴隷制度があるんだから、そこでそんな言い方をしてはいけない。
精神論と現実をごっちゃにして市民を洗脳しようとしている、よな? ここのブルータス。
精神的堕落を心の奴隷だと判断するかどうかは、市民個人個人であるべきだ。
てゆーかぶっちゃけ、ブルータスのアタマの中では、「カエサルが王になる、大変だ、ローマ市民は全員カエサルの奴隷にされる! 自由もなにもなくなる!」と直結している模様。
だって彼は、なにも計算せず、正直に話しただけだそうだからな。
共和制を守ること、を主眼とするなら、個人が絶対権力を手にすることを阻止するべきであって、「だれがだれをおさめられるだろう」という動機はおかしい。
共和制であっても、市民は治められなければならない。秩序によって。秩序を保つ機関が共和制か王制かというだけの問題だ。
ブルータスがあまりにも浅慮……というか、アタマが悪く見える。
とゆーところで、長くなったのでいったん切る。続く!!
……ということについての考察。
今さらだが『暁のローマ』の話。
「人気がない」とちまたで言われているのをいいことに、手ぶらで東宝へ行き、あっさり前方センターを連番でGET。いやあ、ありがたい話っす。
しかも上手寄りのセンターブロックだから、銀橋に坐り込むカシウス様が間近!!
カ、カシウス様、わたしのこと見てる? その鋭い眼差しは、美しいお顔は、わたしだけに向けられているのですか?!(動揺)
ゆーひさんの目って、どこを見ているのかいまいちわかんない作りだから……ゲフンゲフン。や、そこが魅力なんですけど。
わたしがあれほどゆーひくんにとろけている横で、これほどまでに「ゆーひ席」でありながらジュンタさんは「ゆーひくん? ああ、かっこよかったわね」と棒読みで返しているし。ほんと、ひとの好みはそれぞれ(笑)。
ま、かっこいーカシウス様は置いておいて。
ブルータスの話。
わたしはやはり、ブルータスを「かっこいい」とは思えないんだ。
や、ビジュアルはいいよ。あさこちゃんだから、かっこいいに決まっている。
そうではなくて、「物語に描かれているブルータス像」の話。
原作云々も関係なし。あくまでも、『暁のローマ』に描かれている事柄のみにしぼって書く。
アントニウスに負けて自殺しちゃうからブルータスがかっこわるい、のではなくて、彼の「思想に説得力がない」ことが、どーにも引っかかる。
さて。
この『暁のローマ』に繰り返し使われる「悪」のテーマとして、「男はみんな王になりたい」というのがある。
「王」というのは、権力の象徴。支配する者。他人を見下し、力を誇示し、人権を侵し奴隷とする。
「王」=「悪の権化」。
「王になりたい」という思想は悪。
カエサルは王になりたがった。自由なローマ市民を私物化しようとした。だから「悪」である。……カエサルがほんとーに王になりたがっていたかは今は置く。ブルータス側の言い分ではこうなっているということね。
だがそもそも、ほんとーに「王」は悪なのか。「王になりたい」という思想は悪なのか。
この『暁のローマ』では、実に丹念に、「王になりたい」と思うことは悪であると、刷り込んでいる。
「王」=「悪の権化」であるカエサルを暗殺する正義の味方、であるはずの暗殺者たち。彼らの描き方のえげつないこと。
王は悪だから暗殺する、といいながら、彼らの本心は「王になりたい」なのよ。王になりたいけどその能力がないから、王になりうるカエサルに嫉妬する。他人が幸福になるのは許せないからそれを阻止する。
自分だってカンニングしたいけど、度胸がないからしない。うまくカンニングした同級生をこっそり教師に密告する。……いや、正しいよ。正しいですとも。カンニングは不正だし、それを告発することは正義ですともさ。
告発の動機が「あいつだけうまい汁を吸うなんて許せない」だとしても、行動だけを見るなら正義。
悪の権化を成敗するハズの彼らが「悪」であることを見せる。「王になりたい」くせに王を殺すことで、さらに「王になりたい」という者たちの歪みを表現しているのね。
「王になりたい」者は皆、醜い。
暗殺者たちは実に卑劣に情けなく破滅する。
「男はみんな王になりたい」というテーマを繰り返し、唯一「王になりたくない男」ブルータスを善人とする。
「王になりたい」=悪、「王になりたくない」=善。
……おかしくないか? なんなの、この妙な刷り込み。
ブルータスの思想も、演説も、はっきりいっておかしい。
「だれがだれをおさめられるだろう」
「ローマはみんなのもの」
ここまではまあ、いいとして。
「進んで奴隷になりたいものがあるだろうか。ローマ人の権利と誇りを捨て、誰かに命じられるままに生きたい者があるだろうか」
えーと。
「王国」には、「王」と「奴隷」しかいないんですか?
共和制のローマには、すでに「奴隷」がいるんですが。ローマに「王」が現れたって、現ローマ市民が何故「奴隷」になる?
現ローマ市民が奴隷になるとすれば、それは他国の侵略を受けたときぢゃないの? なんでローマの王様がローマ市民を奴隷にするの?
ブルータスあなた、論旨をすり替えているよ。
そりゃ、「奴隷になりたいか」って言えば誰だって「イヤだ」と答えるでしょう。
「治める」=「奴隷にする」ことではない。
ブルータスにとっては「比喩」なのかもしれない。個人に支配される、ということは精神的堕落を意味し、「自由を売り渡した奴隷」になるのかもしれない。
だがソレは、ほんとうの意味での「奴隷」ではない。ローマには、ちゃんと奴隷制度があるんだから、そこでそんな言い方をしてはいけない。
精神論と現実をごっちゃにして市民を洗脳しようとしている、よな? ここのブルータス。
精神的堕落を心の奴隷だと判断するかどうかは、市民個人個人であるべきだ。
てゆーかぶっちゃけ、ブルータスのアタマの中では、「カエサルが王になる、大変だ、ローマ市民は全員カエサルの奴隷にされる! 自由もなにもなくなる!」と直結している模様。
だって彼は、なにも計算せず、正直に話しただけだそうだからな。
共和制を守ること、を主眼とするなら、個人が絶対権力を手にすることを阻止するべきであって、「だれがだれをおさめられるだろう」という動機はおかしい。
共和制であっても、市民は治められなければならない。秩序によって。秩序を保つ機関が共和制か王制かというだけの問題だ。
ブルータスがあまりにも浅慮……というか、アタマが悪く見える。
とゆーところで、長くなったのでいったん切る。続く!!
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