君が孤独でなくなればいいのに。@愛するには短すぎる
2006年8月30日 タカラヅカ「フレッド、こっちこっち」
アンソニーが手を振っている。
黒いシルクハットに黒いマント、その下はどうやら黒燕尾だ。
「なんて格好をしている」
僕があきれて言うと、小柄な友人はつんと顎を上げて見せた。
「なにを言ってる、今夜は仮装舞踏会じゃないか。君も早く着替えろよ」
「仮装舞踏会?」
そういえば、そんなことを聞いたような。
アンソニーは吸血鬼ドラキュラを気取っているらしい。気障に笑ってみせると、マントを翻した。
「あ、おい、待てよ」
僕はあわてて後を追い掛ける。
ここは船の上。客室が幾重にもなった豪華客船だ。闇は空と海の区別をなくし、今いるこの船だけが光を灯している。
折れ曲がった廊下、いくつもの階段。降りても上がっても、廊下が続き同じような扉が並ぶ。
「アンソニー、待てよ。仮装舞踏会って、どこでやってるんだ?」
見え隠れする背中を追いかけて走る。音楽が聞こえる。遠く近く。どこから聞こえてくるのか、わかるようでわからない。耳に馴染む陽気な曲、「フニクリ・フニクラ」。
ふいに、デッキに出た。
夜なのに、何故か明るくて面食らう。
「すいませーん」
明るい声がして、デッキブラシを持った若い水夫が前を通る。思わず道を譲った僕は、セーラーカラーのその青年を見て、首を傾げる。
「船長……?」
に、似ているような?
乗船したときに挨拶に現れたまだ若い船長と、今のセーラーが似ている気がした。気のせいか。
それよりも、アンソニーだ。
僕はデッキの手すりにもたれている吸血鬼のところへ行った。
「おい、あぶないぞ」
アンソニーは子どものように手すりに足をかけ、海面をのぞき込んでいた。
「落ちたら、君が助けてくれ」
「無茶言うな」
「大丈夫、君なら出来るよ」
「なにを根拠に」
「知っているから。今もし、僕が飛び込んだら、君も迷わずあとを追って飛び込む」
目を見て、躊躇なく言う。その自信はどこから。
「……そんな馬鹿なことはしない。まず、人を呼ぶさ」
「ふうん?」
いたずらっぽく笑うと、アンソニーはひょい、と手すりに片足を載せ、乗り越えた。
「馬鹿……ッ!!」
僕は悲鳴を上げて、友人の身体を抱き留める。シルクハットがはらりと落ち、手すりの向こうの闇に消えた。
腕の中の身体は、くすくすと笑っている。
「フレッド、秘密を教えようか。実は僕は人魚なんだ」
「そうか。それなら手を放そうか。人魚なら、ここから落ちても平気だろう」
「海に落ちても平気だけど、王子の愛がないと泡になって消えてしまうんだ」
「王子?」
「助けたのは僕なのに、他の姫に夢中な、つれない王子。彼の愛がないと、人魚姫はあわれ海の藻屑に」
会話をするのが面倒になって、僕は力任せに彼を抱き上げる。手すりを超えて、安全な甲板側に着地させる。
マントが円を描いた。ドレスのように。
アンソニーは笑っている。笑って、僕に抱きついている。僕の首に両手を巻き付けて。
「僕なら、ひとりで藻屑になったりしないけどな。ひとりはもうあきた。欲しいモノは手に入れる」
「お前はいつもそうだろう。好きなことしかしないじゃないか」
大体、いつお前がひとりだったことがある? 人なつこくてお節介で、簡単にどこへでも首を突っ込むくせに。
だが、おどけた口調と裏腹に、瞳はひどく静かだった。静か……なにごとにも揺らぐことがないような、なにかを置き忘れてきたような、孤独。痛み、のようなもの。なんだ? よく見知った友人であるはずなのに、不安に駆られる。ひどく、遠く感じて。
「知ってる? 人魚姫は声と引き替えに脚を手に入れ、人間になった。吸血鬼は、花嫁の血を吸うことで同族にする」
「花嫁……? ……って、おい!!」
巻き付いていた腕に力が入ったかと思うと、首筋にやわらかいものが押し当てられた。濡れた感触。
強く吸われて、うろたえる。
音楽が聞こえる。陽気な曲の、陽気な歌声。……いや、耳障りな高音? あれは誰の……そうか、船長の奥方の歌だ。
惑乱。腕の中の身体と、首筋の濡れた体温。
金髪に手を差し入れる。引き離すために……それとも、抱きしめるために?
「いっ……」
鋭い痛みに、声が出た。
腕の中の小柄な身体は、ひらりと僕から離れる。赤い舌が、ちらりと見えた。
「アンソニー!!」
僕は噛まれた首筋を押さえて唸る。なにをするんだ、この吸血鬼。彼は笑うと、また走り出した。マントを翻して。
「待てよ」
追って走る。闇の中に浮かぶ船。飾られた電飾、回る音楽。
仮面を付けた人々とすれ違う。ピンクのドレスの淑女の群れ。仮装舞踏会? 会場は何処だ?
高音の歌声……船長の奥方って、チガウだろう、船長はまだ若くて、夫人同伴の航海なんかしていない。いつかの船旅と記憶が混同している? いつの?
歌声は、心地いいアルトの歌声に変わった。別れの歌だ。記憶をくすぐる歌。この歌で踊ったことがある。あれはいつだったか。
「あ、フレッド」
翼型の大階段のあるホールで、アンソニーを見つけた。向こうから声を掛けてきた。
「どうしたんだ、そんな血相を変えて」
「君がろくでもないことをするからだろう」
「僕が? なに?」
「とぼけるな、首筋に……」
言いかけて、服装が違うことに気づく。
アンソニーは、かわいらしい白いセーラーを着ていた。どこの水兵さんだ。
「いいだろう、コレ。明日の仮装舞踏会で着ようと思うんだ。かわいい?」
「ああ、かわいい……って、小首をかしげるな、そーゆー話じゃないだろう! いつ着替えたんだ」
「いつって、さっき。コレって水夫見習いの制服なんだってさ。10代に見えるか?」
「犯罪だ、やめておけ。吸血鬼の方がまだいい」
「吸血鬼? おっ、いいねソレ。よし、そっちにするかな」
「あのな……」
真面目に話すのが厭になってきた。
ふと見上げた階段の上に、黒いドレスの女がいた。一瞬だ。
「どうした?」
「いや、今ドレスの女性が……」
「ああ、もうじきウェルカムパーティがはじまるからな。さて、早いとこ着替えに戻るか。昼間の避難訓練はまいったよ、まったく。おかげでクルーと親しくなって、こんな衣装も借りられたけど……フレッド?」
「……ああ」
何故だろう、首筋の傷がちりりと痛んだ。熱を持って。知らない女、だったのに。
黒いドレス。白い肌。あかいくちびる。何故だろう、さっきの吸血鬼姿のアンソニーを思い出した。
「吸血鬼は、何故花嫁の血を吸うんだ?」
首筋を押さえ、ぽつんと言う。
「そりゃあ、共に生きるためだろう。吸血鬼は歳を取らないが、人間は老いる。時間のことわりをはなれ、永遠に生きるためにくちづけをするのさ」
「そうか……」
それじゃあ、花嫁を持たない吸血鬼は、ずっとひとりなのかな。人魚姫のように、泡になって消えてしまうこともなく。ずっと。
永遠の孤独を。
「さっきからどうしたんだ。なにを押さえて……うわっ、キスマーク!! しかも歯形付きかよ! 恥ずかしいヤツだな、こんな堂々と。婚約者のいる身で……」
僕の手を引きはがして、セーラー姿の小悪魔が大袈裟に声を上げる。ええい、恥ずかしいのはどっちだ。
音楽は聞こえない。いつの間にか、終わってしまったようだ。
なんだったんだろう、さっきのあの奇妙な既視感。
「…………!!」
油断した。
首筋の印を眺めていたアンソニーが、いたずらっぽく同じ場所にキスをしてきた。舌と、歯の感触に腕を振って抵抗する。
白いセーラーはケラケラ笑って、翼型の階段を駆け上がる。
「この、吸血鬼め。永遠なんて……!」
永遠なんて?
「吸血鬼というより、悪魔だ」
追いかけるのをあきらめて、僕はひとりつぶやいた。
首筋のくちづけのあとを、押さえながら。
アンソニーが手を振っている。
黒いシルクハットに黒いマント、その下はどうやら黒燕尾だ。
「なんて格好をしている」
僕があきれて言うと、小柄な友人はつんと顎を上げて見せた。
「なにを言ってる、今夜は仮装舞踏会じゃないか。君も早く着替えろよ」
「仮装舞踏会?」
そういえば、そんなことを聞いたような。
アンソニーは吸血鬼ドラキュラを気取っているらしい。気障に笑ってみせると、マントを翻した。
「あ、おい、待てよ」
僕はあわてて後を追い掛ける。
ここは船の上。客室が幾重にもなった豪華客船だ。闇は空と海の区別をなくし、今いるこの船だけが光を灯している。
折れ曲がった廊下、いくつもの階段。降りても上がっても、廊下が続き同じような扉が並ぶ。
「アンソニー、待てよ。仮装舞踏会って、どこでやってるんだ?」
見え隠れする背中を追いかけて走る。音楽が聞こえる。遠く近く。どこから聞こえてくるのか、わかるようでわからない。耳に馴染む陽気な曲、「フニクリ・フニクラ」。
ふいに、デッキに出た。
夜なのに、何故か明るくて面食らう。
「すいませーん」
明るい声がして、デッキブラシを持った若い水夫が前を通る。思わず道を譲った僕は、セーラーカラーのその青年を見て、首を傾げる。
「船長……?」
に、似ているような?
乗船したときに挨拶に現れたまだ若い船長と、今のセーラーが似ている気がした。気のせいか。
それよりも、アンソニーだ。
僕はデッキの手すりにもたれている吸血鬼のところへ行った。
「おい、あぶないぞ」
アンソニーは子どものように手すりに足をかけ、海面をのぞき込んでいた。
「落ちたら、君が助けてくれ」
「無茶言うな」
「大丈夫、君なら出来るよ」
「なにを根拠に」
「知っているから。今もし、僕が飛び込んだら、君も迷わずあとを追って飛び込む」
目を見て、躊躇なく言う。その自信はどこから。
「……そんな馬鹿なことはしない。まず、人を呼ぶさ」
「ふうん?」
いたずらっぽく笑うと、アンソニーはひょい、と手すりに片足を載せ、乗り越えた。
「馬鹿……ッ!!」
僕は悲鳴を上げて、友人の身体を抱き留める。シルクハットがはらりと落ち、手すりの向こうの闇に消えた。
腕の中の身体は、くすくすと笑っている。
「フレッド、秘密を教えようか。実は僕は人魚なんだ」
「そうか。それなら手を放そうか。人魚なら、ここから落ちても平気だろう」
「海に落ちても平気だけど、王子の愛がないと泡になって消えてしまうんだ」
「王子?」
「助けたのは僕なのに、他の姫に夢中な、つれない王子。彼の愛がないと、人魚姫はあわれ海の藻屑に」
会話をするのが面倒になって、僕は力任せに彼を抱き上げる。手すりを超えて、安全な甲板側に着地させる。
マントが円を描いた。ドレスのように。
アンソニーは笑っている。笑って、僕に抱きついている。僕の首に両手を巻き付けて。
「僕なら、ひとりで藻屑になったりしないけどな。ひとりはもうあきた。欲しいモノは手に入れる」
「お前はいつもそうだろう。好きなことしかしないじゃないか」
大体、いつお前がひとりだったことがある? 人なつこくてお節介で、簡単にどこへでも首を突っ込むくせに。
だが、おどけた口調と裏腹に、瞳はひどく静かだった。静か……なにごとにも揺らぐことがないような、なにかを置き忘れてきたような、孤独。痛み、のようなもの。なんだ? よく見知った友人であるはずなのに、不安に駆られる。ひどく、遠く感じて。
「知ってる? 人魚姫は声と引き替えに脚を手に入れ、人間になった。吸血鬼は、花嫁の血を吸うことで同族にする」
「花嫁……? ……って、おい!!」
巻き付いていた腕に力が入ったかと思うと、首筋にやわらかいものが押し当てられた。濡れた感触。
強く吸われて、うろたえる。
音楽が聞こえる。陽気な曲の、陽気な歌声。……いや、耳障りな高音? あれは誰の……そうか、船長の奥方の歌だ。
惑乱。腕の中の身体と、首筋の濡れた体温。
金髪に手を差し入れる。引き離すために……それとも、抱きしめるために?
「いっ……」
鋭い痛みに、声が出た。
腕の中の小柄な身体は、ひらりと僕から離れる。赤い舌が、ちらりと見えた。
「アンソニー!!」
僕は噛まれた首筋を押さえて唸る。なにをするんだ、この吸血鬼。彼は笑うと、また走り出した。マントを翻して。
「待てよ」
追って走る。闇の中に浮かぶ船。飾られた電飾、回る音楽。
仮面を付けた人々とすれ違う。ピンクのドレスの淑女の群れ。仮装舞踏会? 会場は何処だ?
高音の歌声……船長の奥方って、チガウだろう、船長はまだ若くて、夫人同伴の航海なんかしていない。いつかの船旅と記憶が混同している? いつの?
歌声は、心地いいアルトの歌声に変わった。別れの歌だ。記憶をくすぐる歌。この歌で踊ったことがある。あれはいつだったか。
「あ、フレッド」
翼型の大階段のあるホールで、アンソニーを見つけた。向こうから声を掛けてきた。
「どうしたんだ、そんな血相を変えて」
「君がろくでもないことをするからだろう」
「僕が? なに?」
「とぼけるな、首筋に……」
言いかけて、服装が違うことに気づく。
アンソニーは、かわいらしい白いセーラーを着ていた。どこの水兵さんだ。
「いいだろう、コレ。明日の仮装舞踏会で着ようと思うんだ。かわいい?」
「ああ、かわいい……って、小首をかしげるな、そーゆー話じゃないだろう! いつ着替えたんだ」
「いつって、さっき。コレって水夫見習いの制服なんだってさ。10代に見えるか?」
「犯罪だ、やめておけ。吸血鬼の方がまだいい」
「吸血鬼? おっ、いいねソレ。よし、そっちにするかな」
「あのな……」
真面目に話すのが厭になってきた。
ふと見上げた階段の上に、黒いドレスの女がいた。一瞬だ。
「どうした?」
「いや、今ドレスの女性が……」
「ああ、もうじきウェルカムパーティがはじまるからな。さて、早いとこ着替えに戻るか。昼間の避難訓練はまいったよ、まったく。おかげでクルーと親しくなって、こんな衣装も借りられたけど……フレッド?」
「……ああ」
何故だろう、首筋の傷がちりりと痛んだ。熱を持って。知らない女、だったのに。
黒いドレス。白い肌。あかいくちびる。何故だろう、さっきの吸血鬼姿のアンソニーを思い出した。
「吸血鬼は、何故花嫁の血を吸うんだ?」
首筋を押さえ、ぽつんと言う。
「そりゃあ、共に生きるためだろう。吸血鬼は歳を取らないが、人間は老いる。時間のことわりをはなれ、永遠に生きるためにくちづけをするのさ」
「そうか……」
それじゃあ、花嫁を持たない吸血鬼は、ずっとひとりなのかな。人魚姫のように、泡になって消えてしまうこともなく。ずっと。
永遠の孤独を。
「さっきからどうしたんだ。なにを押さえて……うわっ、キスマーク!! しかも歯形付きかよ! 恥ずかしいヤツだな、こんな堂々と。婚約者のいる身で……」
僕の手を引きはがして、セーラー姿の小悪魔が大袈裟に声を上げる。ええい、恥ずかしいのはどっちだ。
音楽は聞こえない。いつの間にか、終わってしまったようだ。
なんだったんだろう、さっきのあの奇妙な既視感。
「…………!!」
油断した。
首筋の印を眺めていたアンソニーが、いたずらっぽく同じ場所にキスをしてきた。舌と、歯の感触に腕を振って抵抗する。
白いセーラーはケラケラ笑って、翼型の階段を駆け上がる。
「この、吸血鬼め。永遠なんて……!」
永遠なんて?
「吸血鬼というより、悪魔だ」
追いかけるのをあきらめて、僕はひとりつぶやいた。
首筋のくちづけのあとを、押さえながら。
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