世界の中心に、強く美しい人が立つ。@タランテラ!
2006年9月22日 タカラヅカ あれは、『アルバトロス、南へ』をバウホールで観たあと。
わたしは白木蓮ちゃん相手に、なんかものすげー興奮して喋っていた。感情が高ぶって、半泣きになっていた。
……ごめんよ、パクちゃん。めーちゃ年下の女の子相手に、なにをやってんだか。
コムちゃんファンの人と話したかったんだよ。『アルバ』を、語りたかったの。
で、自分でもこりゃまずい、大人としてこの興奮っぷりはいかんやろ、パクちゃんドン引きしてんぢゃねえ? と、びびっていたとき。
「オギーの『タランテラ!』を、たのしみにしているんですよ。なんといっても、壮くんの使い方を」
パクちゃんが言った。
自分の醜態を恥じて「どーしよー」とアタマを抱えていたわたしに、パクちゃんはそう言って、すこんと話を変えてくれたんだ。
荻田浩一が、壮一帆を、どう使うか。
想像しただけで、爆笑してしまいました。
たのしみだ。そりゃー、めっちゃくちゃたのしみだっ。
つーことで、あれほど熱くイタく『アルバ』を語り、目に涙を溜めて熱弁をふるっていたのに、わたしとパクちゃんの会話の最後は、「壮一帆」。わたしの『アルバ』感想の最後は、「壮一帆」。ふたりして爆笑して終わりました。
すげえよ、壮一帆。
とゆーことで、壮くんに心をときめかせて、行って来ました雪組公演『タランテラ!』初日!!(芝居はちょっと横へ置いておく)
わたしは水くんLOVEな人間なので、オギーが水くんをどう使うか、どのよーなあて書きをするかを、とてもたのしみにしておりました。
………………。
オギー、水くんにあんまし興味ないんだね……。涙。
いや、そーぢゃないかな、とは、ちと思ってはいたんだ……いたんだよ……。でもさ、こうまであからさまな扱いをされるとさ……(笑)。
期待の壮くんは、期待をはずさない使われ方でしたとも。
終演後にパクちゃんと会ったんだけど、彼女も壮くんの素敵さに、大きな瞳をきらきら輝かせておりました。
プロローグからすごかったよ。
毒々しいきらびやかな人たちの中に、必殺リーマンヘア&地味スーツで登場! で、みんなに喰われる。毒蜘蛛たちに弄ばれ、ヘタレ全開。おー、キムにまで喰われてるー。きゃー。
ヘタレでなければ、スカンと明るい場面や、キャラクタとして使う。派手な衣装で銀橋渡ったりねっ。
いいなあ、壮一帆。癒やし系だよ。
この人の毒のなさ、空気のちがい、周囲からの浮きっぷり。すばらしい個性だ。
ほら、壮くんってなまじ美形ぢゃん?
センスのない人だと、「美形」=「耽美」とか、安直に思い込むぢゃん?
「美形」と「耽美」は、別の概念。併せ持つ人もいるけど、壮くんはそうぢゃない。
いやあ、さすがオギー。
壮くんにフリルブラウス着せて、オスカル様カツラかぶせて、コム姫とえっちくさく男同士で踊らせたりしないんだよ!!
ほれ、つい先日、センスのない人の「エセ耽美」見せられたとこだからさあ(笑)。や、かっしーにもちぎにも罪はない。やらせたヤツが悪い。
わたしが盛大に引っかかっているのは、この素敵壮一帆と、愛する水夏希先輩の使われ方に、あまり差がなかったこと。
番手の話じゃないよ。
キャラクタとして。
水くんはもちろん、2番手としてコム姫とがっぷり組んでみたり、かっこよかったりおいしかったりしていますよ。
ただ。
オギー的に、水くんは好みぢゃなかったってことなのかなぁ、と。
水くんは、健康な人だと思うの。カラダがではなく、魂が。
そして、魂が健康な人って、オギー的ではないんだよね。
健康は健康でも、ハマコくらい突き抜けて、「頑丈」って感じになればまだ別なんだろうけど。
水くん、適度に繊細だからなぁ。
さて。
壮くんと水くんを語るだけではなんなので。
レビュー・アラベスク『タランテラ!』とやら。
毒々しい色彩の洪水。いつものオギーショーの洗練とは、おもむきがチガウかな。群舞と娘たちの独唱、とにかくダンスダンスダンス。
なんつーか、アレだな。
教会のステンドグラスというより、カラーセロファンとアルミホイルで創った子ども工作のステンドグラスみたい。
安っぽい。
だが、安っぽいことが、不安をかき立てる。
夏祭りの夜店の、裸電球が作る美しさというか。
まがいものだと、太陽の光の下だとメッキがはがれることがわかっていて、今この瞬間の美しさだけを愛でるよーな。
その嘘くさい色彩世界で、タランテラ@コム姫が踊る。
彼は変わらない。
物語が変わり、舞台が変わっても、彼は変わらないんだ。
で。
んな変わらない人だけぢゃ、どーしよーもないわな。
この「物語」を「視る」なら、もうひとりの主人公に注目しなければならない。
もうひとりの主人公……いや、影の主人公、真の主人公と呼ぶべきか?
キムだ。
タランテラ@コム姫は「象徴」として世界の中心に存在し、彼のミラーとしてキムが存在する。
変わらないコムと対照的に、キムは変わり続ける。ときに残酷に笑い、毒を振りまき、純粋な憧れや寂寥、もどかしさをも表現する。
『パッサージュ』の主演がトドであったのに、主役がコム姫であったよーに、『タランテラ!』では主役の位置にキムを配したようだ。
そしてそれは、時の流れと、コム姫への讃辞と哀悼でもあると思う。
『アルバトロス、南へ』へ、コム姫はかつて自分が演じた役を相手に、現在の男役・朝海ひかるとして対峙した。
そしてこの『タランテラ!』では、かつて自分が演じたポジション……作品の中枢を表現する「主役」をキムに譲り、「主演」をつとめた。
あの少年天使は成長し、なにものにも揺るがないタランテラとなり、かつての少年@キムを背後に置く。
コム姫。
こんなところまで、やってきたんだね、アナタは。
……てゆーかこの作品、キムをガン見してないとストーリーについていなくなるんぢゃあ……?
ふつートップスター退団作品で、下っ端の男の子をガン見しているファンは少ないと思うが……いいのか、この作りで?
壮くんとキムのパレードの立ち位置のことで、友人のユウさんが憤慨していたけれど(はい、ついにブログ登場ですよユウさん>私信)、そんなのささやかですよ、水ファン的には。
ショーが終わってから、パクちゃんとにこやかに、
「キムくんが2番手でしたねっ」
と、会話してしまえるくらい、「物語」的に、比重がキムの方が上だったんだもん。
水くんがいなくても物語は成り立つけれど、キムがいないと成り立たない。
……オギー……あうあう。
正直者め……。
でも、壮くんは銀橋ひとり渡りするシーンをもらっていたし、水くんだってコム姫といっぱい絡んで、いいシーンをたくさんもらっていた。あーついでにエトワールだしなー。コム姫への愛を歌う歌だっけ? コレを水に歌わせるのって絶対確信犯(笑)。
とまあ、「物語」に絡んでいなくても、つりあいは取れるよーにしてあるんだ。……ずるいよなー。
目がいくつあっても足りない、含みがあちこちにありすぎる作品。
チケットぜんぜん持ってないんだけどなあ、どうしたもんか。
あー、最後に。
あいようこ、歌いすぎ。
じつは2番手娘役か?(笑)
わたしは白木蓮ちゃん相手に、なんかものすげー興奮して喋っていた。感情が高ぶって、半泣きになっていた。
……ごめんよ、パクちゃん。めーちゃ年下の女の子相手に、なにをやってんだか。
コムちゃんファンの人と話したかったんだよ。『アルバ』を、語りたかったの。
で、自分でもこりゃまずい、大人としてこの興奮っぷりはいかんやろ、パクちゃんドン引きしてんぢゃねえ? と、びびっていたとき。
「オギーの『タランテラ!』を、たのしみにしているんですよ。なんといっても、壮くんの使い方を」
パクちゃんが言った。
自分の醜態を恥じて「どーしよー」とアタマを抱えていたわたしに、パクちゃんはそう言って、すこんと話を変えてくれたんだ。
荻田浩一が、壮一帆を、どう使うか。
想像しただけで、爆笑してしまいました。
たのしみだ。そりゃー、めっちゃくちゃたのしみだっ。
つーことで、あれほど熱くイタく『アルバ』を語り、目に涙を溜めて熱弁をふるっていたのに、わたしとパクちゃんの会話の最後は、「壮一帆」。わたしの『アルバ』感想の最後は、「壮一帆」。ふたりして爆笑して終わりました。
すげえよ、壮一帆。
とゆーことで、壮くんに心をときめかせて、行って来ました雪組公演『タランテラ!』初日!!(芝居はちょっと横へ置いておく)
わたしは水くんLOVEな人間なので、オギーが水くんをどう使うか、どのよーなあて書きをするかを、とてもたのしみにしておりました。
………………。
オギー、水くんにあんまし興味ないんだね……。涙。
いや、そーぢゃないかな、とは、ちと思ってはいたんだ……いたんだよ……。でもさ、こうまであからさまな扱いをされるとさ……(笑)。
期待の壮くんは、期待をはずさない使われ方でしたとも。
終演後にパクちゃんと会ったんだけど、彼女も壮くんの素敵さに、大きな瞳をきらきら輝かせておりました。
プロローグからすごかったよ。
毒々しいきらびやかな人たちの中に、必殺リーマンヘア&地味スーツで登場! で、みんなに喰われる。毒蜘蛛たちに弄ばれ、ヘタレ全開。おー、キムにまで喰われてるー。きゃー。
ヘタレでなければ、スカンと明るい場面や、キャラクタとして使う。派手な衣装で銀橋渡ったりねっ。
いいなあ、壮一帆。癒やし系だよ。
この人の毒のなさ、空気のちがい、周囲からの浮きっぷり。すばらしい個性だ。
ほら、壮くんってなまじ美形ぢゃん?
センスのない人だと、「美形」=「耽美」とか、安直に思い込むぢゃん?
「美形」と「耽美」は、別の概念。併せ持つ人もいるけど、壮くんはそうぢゃない。
いやあ、さすがオギー。
壮くんにフリルブラウス着せて、オスカル様カツラかぶせて、コム姫とえっちくさく男同士で踊らせたりしないんだよ!!
ほれ、つい先日、センスのない人の「エセ耽美」見せられたとこだからさあ(笑)。や、かっしーにもちぎにも罪はない。やらせたヤツが悪い。
わたしが盛大に引っかかっているのは、この素敵壮一帆と、愛する水夏希先輩の使われ方に、あまり差がなかったこと。
番手の話じゃないよ。
キャラクタとして。
水くんはもちろん、2番手としてコム姫とがっぷり組んでみたり、かっこよかったりおいしかったりしていますよ。
ただ。
オギー的に、水くんは好みぢゃなかったってことなのかなぁ、と。
水くんは、健康な人だと思うの。カラダがではなく、魂が。
そして、魂が健康な人って、オギー的ではないんだよね。
健康は健康でも、ハマコくらい突き抜けて、「頑丈」って感じになればまだ別なんだろうけど。
水くん、適度に繊細だからなぁ。
さて。
壮くんと水くんを語るだけではなんなので。
レビュー・アラベスク『タランテラ!』とやら。
毒々しい色彩の洪水。いつものオギーショーの洗練とは、おもむきがチガウかな。群舞と娘たちの独唱、とにかくダンスダンスダンス。
なんつーか、アレだな。
教会のステンドグラスというより、カラーセロファンとアルミホイルで創った子ども工作のステンドグラスみたい。
安っぽい。
だが、安っぽいことが、不安をかき立てる。
夏祭りの夜店の、裸電球が作る美しさというか。
まがいものだと、太陽の光の下だとメッキがはがれることがわかっていて、今この瞬間の美しさだけを愛でるよーな。
その嘘くさい色彩世界で、タランテラ@コム姫が踊る。
彼は変わらない。
物語が変わり、舞台が変わっても、彼は変わらないんだ。
で。
んな変わらない人だけぢゃ、どーしよーもないわな。
この「物語」を「視る」なら、もうひとりの主人公に注目しなければならない。
もうひとりの主人公……いや、影の主人公、真の主人公と呼ぶべきか?
キムだ。
タランテラ@コム姫は「象徴」として世界の中心に存在し、彼のミラーとしてキムが存在する。
変わらないコムと対照的に、キムは変わり続ける。ときに残酷に笑い、毒を振りまき、純粋な憧れや寂寥、もどかしさをも表現する。
『パッサージュ』の主演がトドであったのに、主役がコム姫であったよーに、『タランテラ!』では主役の位置にキムを配したようだ。
そしてそれは、時の流れと、コム姫への讃辞と哀悼でもあると思う。
『アルバトロス、南へ』へ、コム姫はかつて自分が演じた役を相手に、現在の男役・朝海ひかるとして対峙した。
そしてこの『タランテラ!』では、かつて自分が演じたポジション……作品の中枢を表現する「主役」をキムに譲り、「主演」をつとめた。
あの少年天使は成長し、なにものにも揺るがないタランテラとなり、かつての少年@キムを背後に置く。
コム姫。
こんなところまで、やってきたんだね、アナタは。
……てゆーかこの作品、キムをガン見してないとストーリーについていなくなるんぢゃあ……?
ふつートップスター退団作品で、下っ端の男の子をガン見しているファンは少ないと思うが……いいのか、この作りで?
壮くんとキムのパレードの立ち位置のことで、友人のユウさんが憤慨していたけれど(はい、ついにブログ登場ですよユウさん>私信)、そんなのささやかですよ、水ファン的には。
ショーが終わってから、パクちゃんとにこやかに、
「キムくんが2番手でしたねっ」
と、会話してしまえるくらい、「物語」的に、比重がキムの方が上だったんだもん。
水くんがいなくても物語は成り立つけれど、キムがいないと成り立たない。
……オギー……あうあう。
正直者め……。
でも、壮くんは銀橋ひとり渡りするシーンをもらっていたし、水くんだってコム姫といっぱい絡んで、いいシーンをたくさんもらっていた。あーついでにエトワールだしなー。コム姫への愛を歌う歌だっけ? コレを水に歌わせるのって絶対確信犯(笑)。
とまあ、「物語」に絡んでいなくても、つりあいは取れるよーにしてあるんだ。……ずるいよなー。
目がいくつあっても足りない、含みがあちこちにありすぎる作品。
チケットぜんぜん持ってないんだけどなあ、どうしたもんか。
あー、最後に。
あいようこ、歌いすぎ。
じつは2番手娘役か?(笑)
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