孤独の天使。@堕天使の涙
2006年9月23日 タカラヅカ 植田景子は、あて書きをしない。
これは、ここ数年の印象だった。
彼女があて書きをしたのって、『シンデレラ・ロック』ぐらいじゃないの? 『ICARUS』だってあて書きとは思えない。たんに自分がやってみたかったんだ、としか。
『ルートヴッヒ』とか、健康優良児のタモさんに耽美をやらせて自爆してみたり、情熱的な恋をする禁断の恋人たちをよりによってあのオサ&ふーにやらせてみたり。あて書きをしていたら、ありえない失敗をしている。
ただ、景子せんせのいいところは、ニュートラルにかっこいい主人公を描くところだ。
あて書きをしなくても、誰が演じてもかっこいい役を描くから、無問題。
『ルー』のタモさんとか、『パレルモ』のオサ&ふーとか、できないことをやらせていない限り、「誰が演じてもかっこいい役」なら、スターが演じればふつーにかっこよくなる。
あて書きをしない、が前提の景子先生なのに。
今回は、あて書きをしている。
雪組公演『堕天使の涙』は、まちがいなくコム姫あて書きだよねえ? まーちゃんあて書きだよねえ?
他の人にはできないもの。
堕天使ルシファー@コムは神が創った「人間」に嫉妬し、神によって地獄へ落とされたんだって。
だから彼は、探し続ける。
神が「人間」を愛する理由を。
物語は20世紀はじめくらいのパリ。
芸能界はいつの時代も欲と毒に満ちている。
実の母@まゆみ姐さんと憎み合っている振付家のジャン=ポール@水、弟子@ひろみの曲を自分の名で発表しようとする作曲家@壮、夢を叶えるためにパトロンを作るダンサー@さゆと彼女に捨てられる善良だがびんぼーなピアニスト@キム。
ルシファーは、「人間」がどれほど醜いか、弱くてまちがっているかをあげつらい、あおり立てる。
……とまあ、この設定とストーリーラインがね、あて書き以外の何物でもないと思えるの。
ルシファーは人間たちの物語には直接関与しない。添うように、そこにいるだけ。
シニカルに眺め、自分の正体を知っているジャンPに露悪めいた台詞を投げつけるだけ。
際立つのは、ルシファーの孤独感。
人間たちと同じ地平にいない彼。
人間たちの罪にも慟哭にも流されない彼。
ルシファーは、ひとりだ。こんなにも、ひとりぼっちだ。
神が何故、「人間」を創ったか。神が何故、「人間」を愛したか。
それがわからず、いや、わかりたくなくて彼は罪を弄ぶ。
「人間」がどれほど愚かで醜いかをあげつらう。自分ではなく「人間」を愛した神に、「アナタが愛したものはこんなに醜い」と言って嗤う。それを神への復讐だという。
傷つけているのは、自分自身でしょう?
「人間」を貶めることで、さらに貶めているのは、ルシファー自身。
美貌が自慢のお姫様がいました。
だけど、彼女が夢中になっている王子様は、彼女ではなく別の女の子を選びました。
お姫様は怒り狂い、女の子を泥の中に突き落として言います。
「ほら、この子はこんなに泥だらけよ。こんなに汚いわ。アナタはこんな子を好きだというの?」
王子様は言います。
「泥だらけでも、この子の方が好きだ」
お姫様は女の子の服や装飾品を奪い取りました。身分も地位も奪い取りました。
「ほら、この子はなにも持っていないわ。アナタはこんな子を好きだというの?」
王子様は言います。
「なにも持っていなくても、この子の方が好きだ」
お姫様が女の子を貶めれば貶めるほど、お姫様自身がみじめになっていくのです。
人間を、愛したい。
堕天使ルシファーがほんとうの意味で欲していたこと。
愛したいのに愛せないから、愛したくないから、駄々をこねていた。
人間の美しさを認めてしまったら、負けを認めることになる。
だけど、「選ばれなかった」時点で彼は負けているんだ。
ただ、ソレを認めまいとしている。
神が「人間」を愛している。
その前提を受け入れるならば、「人間」は神の愛にふさわしい存在であるということだ。
だが、前提を受け入れられないルシファーは、はじめから歪んだ目で「人間」を見つめる。アンチ目線ってやつですな。アンチだから、なにをやっても言っても、全部悪く映る。
そのことで、結局傷つくのは自分なのに。
際立つ孤独感。
自ら望んで人間の醜さを嘲笑っているはずなのに、無表情な彼にいたましさが見える。
愛したい。
愛することが出来たら、救われるのに。
彼自身が、心に壁を作り、決して人間を愛すまい、認めまいとしている。
誰か、彼を救って。
心を閉ざし、孤独の底にいる美しい人を救って。
人間たちのドラマを描きながら、浮かび上がってくるのは、ルシファーの孤独感。
物語の外側にいる天使の、壮絶な孤独。
人間たちはいいよ。愛したり憎んだり、関わり合ってるじゃないか。
ルシファーにはそれすらないんだ。
彼は同じ世界に生きていないもの。
別の存在なんだもの。
コム姫あて書きだろ、コレ。
この壮絶な孤独感、異世界存在感を出すのは、コム姫の特性だろ。
たとえば、『銀の狼』のような。
研ぎ澄まされた、絶望的な孤独感。
『堕天使の涙』を視ていて、痛切に思いだしたよ。『銀の狼』と『スサノオ』。
コム姫が「孤独」を演じて秀逸だった作品。
ルシファーが良くも悪くも「大人」である分、その孤独は『銀の狼』を思い出させ、物語的には『スサノオ』を彷彿とさせる。あああれも、人間たちの中にただひとり立つ神の物語だったっけ。
愛されない。
愛せない。
すべてを否定した「孤独」の中にいる男の前に。
清冽な光が射す。
リリス@まーちゃんの、光。
満身創痍で余命数日の盲目の娼婦は微笑む。「すべてを受け入れる」と。
神に愛されなかった。母に愛されなかった。運命に愛されなかった。
あらゆる苦しみ、負の感情。それらすべてを受け止め、昇華し。
赦す、と。
自暴自棄になったスサノオの前に、清冽な少女イナダヒメが立ったように。
孤独という闇の中に、白い少女が立つ。裸足で、踊り出す。光をまとって。
それまでの孤独感と、リリスの持つ光とのコントラストがすごい。
宗教画のようだ。
まーちゃんあて書きだろ、コレ。この清浄さは、まーちゃんの持つ特性だよな?
絶望から、救いへ。
憎しみから、赦しへ。
闇から、光へ。
コム姫の孤独すぎる姿に胸がつぶれそうなほど痛み、まーちゃんの清らかな光に悲鳴をあげそうなほどせつなくなった。
痛い。
痛みに満ちた……そして、救いへ辿り着く物語。
すげえ。
景子せんせ、あて書きできるんだ。
あて書きしたら、こんなすごいことになるんだ。
ラストの、怒濤の説明台詞は健在。うわ、景子タンクオリティだ(笑)。
ルシファーが「愛を認める」ことができれば、「人間」を認めることさえ出来れば、彼は救われるわけだから。
今さら天上界には戻れないとしても、人間界で生きることができないにしても。
魂の孤独からは、解き放たれた。魂の否定からは、解き放たれた。
王子様は、お姫様の愛を拒絶し、なにも持たない泥だらけの女の子とお城を出て行きました。
王子様や女の子のことを憎んでいたときは、つらいだけの日々だったお姫様も、今では平穏に暮らしています。
「あの女の子にも、いいところはあったわ。だから王子様が愛したのね」
お姫様がどう生きるか、どうしあわせになるかは、これからのお姫様次第です。
お姫様はひとりぼっちのお城で、静かにお茶を飲みながら空を眺めていました。
いやその。
ラストの、前を向いたまま、じりじり後退していく装置は、どうかと思う。てかぶっちゃけやめてくれ(笑)。
これは、ここ数年の印象だった。
彼女があて書きをしたのって、『シンデレラ・ロック』ぐらいじゃないの? 『ICARUS』だってあて書きとは思えない。たんに自分がやってみたかったんだ、としか。
『ルートヴッヒ』とか、健康優良児のタモさんに耽美をやらせて自爆してみたり、情熱的な恋をする禁断の恋人たちをよりによってあのオサ&ふーにやらせてみたり。あて書きをしていたら、ありえない失敗をしている。
ただ、景子せんせのいいところは、ニュートラルにかっこいい主人公を描くところだ。
あて書きをしなくても、誰が演じてもかっこいい役を描くから、無問題。
『ルー』のタモさんとか、『パレルモ』のオサ&ふーとか、できないことをやらせていない限り、「誰が演じてもかっこいい役」なら、スターが演じればふつーにかっこよくなる。
あて書きをしない、が前提の景子先生なのに。
今回は、あて書きをしている。
雪組公演『堕天使の涙』は、まちがいなくコム姫あて書きだよねえ? まーちゃんあて書きだよねえ?
他の人にはできないもの。
堕天使ルシファー@コムは神が創った「人間」に嫉妬し、神によって地獄へ落とされたんだって。
だから彼は、探し続ける。
神が「人間」を愛する理由を。
物語は20世紀はじめくらいのパリ。
芸能界はいつの時代も欲と毒に満ちている。
実の母@まゆみ姐さんと憎み合っている振付家のジャン=ポール@水、弟子@ひろみの曲を自分の名で発表しようとする作曲家@壮、夢を叶えるためにパトロンを作るダンサー@さゆと彼女に捨てられる善良だがびんぼーなピアニスト@キム。
ルシファーは、「人間」がどれほど醜いか、弱くてまちがっているかをあげつらい、あおり立てる。
……とまあ、この設定とストーリーラインがね、あて書き以外の何物でもないと思えるの。
ルシファーは人間たちの物語には直接関与しない。添うように、そこにいるだけ。
シニカルに眺め、自分の正体を知っているジャンPに露悪めいた台詞を投げつけるだけ。
際立つのは、ルシファーの孤独感。
人間たちと同じ地平にいない彼。
人間たちの罪にも慟哭にも流されない彼。
ルシファーは、ひとりだ。こんなにも、ひとりぼっちだ。
神が何故、「人間」を創ったか。神が何故、「人間」を愛したか。
それがわからず、いや、わかりたくなくて彼は罪を弄ぶ。
「人間」がどれほど愚かで醜いかをあげつらう。自分ではなく「人間」を愛した神に、「アナタが愛したものはこんなに醜い」と言って嗤う。それを神への復讐だという。
傷つけているのは、自分自身でしょう?
「人間」を貶めることで、さらに貶めているのは、ルシファー自身。
美貌が自慢のお姫様がいました。
だけど、彼女が夢中になっている王子様は、彼女ではなく別の女の子を選びました。
お姫様は怒り狂い、女の子を泥の中に突き落として言います。
「ほら、この子はこんなに泥だらけよ。こんなに汚いわ。アナタはこんな子を好きだというの?」
王子様は言います。
「泥だらけでも、この子の方が好きだ」
お姫様は女の子の服や装飾品を奪い取りました。身分も地位も奪い取りました。
「ほら、この子はなにも持っていないわ。アナタはこんな子を好きだというの?」
王子様は言います。
「なにも持っていなくても、この子の方が好きだ」
お姫様が女の子を貶めれば貶めるほど、お姫様自身がみじめになっていくのです。
人間を、愛したい。
堕天使ルシファーがほんとうの意味で欲していたこと。
愛したいのに愛せないから、愛したくないから、駄々をこねていた。
人間の美しさを認めてしまったら、負けを認めることになる。
だけど、「選ばれなかった」時点で彼は負けているんだ。
ただ、ソレを認めまいとしている。
神が「人間」を愛している。
その前提を受け入れるならば、「人間」は神の愛にふさわしい存在であるということだ。
だが、前提を受け入れられないルシファーは、はじめから歪んだ目で「人間」を見つめる。アンチ目線ってやつですな。アンチだから、なにをやっても言っても、全部悪く映る。
そのことで、結局傷つくのは自分なのに。
際立つ孤独感。
自ら望んで人間の醜さを嘲笑っているはずなのに、無表情な彼にいたましさが見える。
愛したい。
愛することが出来たら、救われるのに。
彼自身が、心に壁を作り、決して人間を愛すまい、認めまいとしている。
誰か、彼を救って。
心を閉ざし、孤独の底にいる美しい人を救って。
人間たちのドラマを描きながら、浮かび上がってくるのは、ルシファーの孤独感。
物語の外側にいる天使の、壮絶な孤独。
人間たちはいいよ。愛したり憎んだり、関わり合ってるじゃないか。
ルシファーにはそれすらないんだ。
彼は同じ世界に生きていないもの。
別の存在なんだもの。
コム姫あて書きだろ、コレ。
この壮絶な孤独感、異世界存在感を出すのは、コム姫の特性だろ。
たとえば、『銀の狼』のような。
研ぎ澄まされた、絶望的な孤独感。
『堕天使の涙』を視ていて、痛切に思いだしたよ。『銀の狼』と『スサノオ』。
コム姫が「孤独」を演じて秀逸だった作品。
ルシファーが良くも悪くも「大人」である分、その孤独は『銀の狼』を思い出させ、物語的には『スサノオ』を彷彿とさせる。あああれも、人間たちの中にただひとり立つ神の物語だったっけ。
愛されない。
愛せない。
すべてを否定した「孤独」の中にいる男の前に。
清冽な光が射す。
リリス@まーちゃんの、光。
満身創痍で余命数日の盲目の娼婦は微笑む。「すべてを受け入れる」と。
神に愛されなかった。母に愛されなかった。運命に愛されなかった。
あらゆる苦しみ、負の感情。それらすべてを受け止め、昇華し。
赦す、と。
自暴自棄になったスサノオの前に、清冽な少女イナダヒメが立ったように。
孤独という闇の中に、白い少女が立つ。裸足で、踊り出す。光をまとって。
それまでの孤独感と、リリスの持つ光とのコントラストがすごい。
宗教画のようだ。
まーちゃんあて書きだろ、コレ。この清浄さは、まーちゃんの持つ特性だよな?
絶望から、救いへ。
憎しみから、赦しへ。
闇から、光へ。
コム姫の孤独すぎる姿に胸がつぶれそうなほど痛み、まーちゃんの清らかな光に悲鳴をあげそうなほどせつなくなった。
痛い。
痛みに満ちた……そして、救いへ辿り着く物語。
すげえ。
景子せんせ、あて書きできるんだ。
あて書きしたら、こんなすごいことになるんだ。
ラストの、怒濤の説明台詞は健在。うわ、景子タンクオリティだ(笑)。
ルシファーが「愛を認める」ことができれば、「人間」を認めることさえ出来れば、彼は救われるわけだから。
今さら天上界には戻れないとしても、人間界で生きることができないにしても。
魂の孤独からは、解き放たれた。魂の否定からは、解き放たれた。
王子様は、お姫様の愛を拒絶し、なにも持たない泥だらけの女の子とお城を出て行きました。
王子様や女の子のことを憎んでいたときは、つらいだけの日々だったお姫様も、今では平穏に暮らしています。
「あの女の子にも、いいところはあったわ。だから王子様が愛したのね」
お姫様がどう生きるか、どうしあわせになるかは、これからのお姫様次第です。
お姫様はひとりぼっちのお城で、静かにお茶を飲みながら空を眺めていました。
いやその。
ラストの、前を向いたまま、じりじり後退していく装置は、どうかと思う。てかぶっちゃけやめてくれ(笑)。
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