轟悠、「シナーマン」を歌う。

 トドの「シナーマン」を最初に聴いたのは、たしか雪組の『ノバ・ボサ・ノバ』前夜祭だったと思う。
 再演が決まったとき、わたしの周囲の人たちは口をそろえて「難曲『シナーマン』が、トドに歌えるはずがない」と言い切っていた。
 当時の「歌の雪組」では、トドロキは「歌えない」カウントされている人だった。や、なにしろいっちゃんやタータンレベルでないと「歌える」とは言えないわけですから。
 んなこと言われても、あたしゃ初演知らないし。「名作」として噂だけ聞かされてもぴんとこないし、「通常の舞台人ではとても歌えないほどの難曲」って、どんなものすげーもんなんだ? と、首を傾げていた。
 そーやってさんざん威かされての、前夜祭。
 トドはふつーに「シナーマン」を歌いきった。
 ……わたしの耳がおかしいのか? ふつーに歌っていた、と思うんだが。歌えていない、ほどだろうか?
 さて、前夜祭を観た友人知人たちは、次は口をそろえてこう言った。「トドロキ、一応歌えていたね。でも、あんな歌い方じゃ、保たないよ。喉、潰すんじゃない?」
 トドかどう、というより、「シナーマン」という曲に思い入れが相当あるってことなんだろう。「歌えない」という前提でしか話してくれない、年上の知人たち。

 だけど下馬評に反し、トドは本公演でも「シナーマン」を歌いきった。
 いろいろ口うるさかった周囲の人たちも、「トドちゃん、相当トレーニングしたのね、歌うまくなってる」と認めてくれるよーになった。

 トドはあまりムラのある人ではないので、いつも同じよーに歌いあげてくれていた。
 それでも。
 人間、好不調はあるわな。そして、舞台はナマモノだ。

 トドの、絶好調の「シナーマン」を聴いた。
 あの拍手の音と劇場の空気、そしてトドの表情を忘れない。
 だって、あの雪組だよ? 拍手少ない、手拍子少ない、総じておとなしい客層の雪組(よその組を観るようになって、その空気の差におどろいた)なのに、客席からものすげー熱量の拍手がわき上がった。

 「絶対歌えない」って言われてたのに。初演を知っているとかゆーおばさま方が、ハナで笑っていたのに。
 それ以前の公演より、確実にトドは歌がうまくなっていた。名作の再演、有名な「難曲」、どれほどのプレッシャーだろう。べつにトドのこと好きでもキライでもない人たちが揃って「歌えっこない」と否定していたくらいだったのに。

 人は、成長できるんだ。

 そのことに、感動した。
 30過ぎて、トップスターといういちばん上の地位にいて、それでもまだ、成長ってできるもんなんだ。まだ、高みを目指し、自分を変えていくことができるんだ。

 人生は、いつだって「これから」なんだ。まだ「なにか」あるんだ。
 それを決めるのは、自分自身なんだ。

 と、ヅカとなんの関係もない友人に、アツいアツい思いをメールしたり、したなあ。ははは。当時のトドロキって、今のトウコちゃんより若いんだよなあ、としみじみしてみたり。えーと、今のあさこちゃんの学年で、中卒だからさらに若いわけか。

 トドロキのことはすごい人だと思っているけれど、いちばん感動したのがこの「シナーマン」を歌い上げたときだと思う。
 貪欲に芸を追求し、上を目指す姿に感動した。

 その記憶があるから。

 正直、『TCAスペシャル2006 ワンダフル・ドリーマーズ〜人は夢見る〜』の「シナーマン」は、手に汗握った。うまく歌えて当たり前、少しでもカマせば非難囂々必至。
 わたしが観た初日は、それほどいい出来ぢゃなかった。
 でも友人たちはみんな、「トド様、さすがだったね」と言ってくれる。リップサービスかもしれんし、誉められる程度には歌えているとも思う。
 ただ。
 わたしには上演当時の、背筋が震えるほどの「歌いきった」ときの思い出があるから。
 素直には、賞賛できなかった。

 思い出は美化されるモノだし、ひとは衰える。
 一概にどうこう言えないことは、わかっている。
 わかっているから。
 えーと。

 「持ち歌」としてこれからもこの人は、「シナーマン」を歌い続けるのだろう。それはうれしいことだし、トドの野太い声でドラマティックな「シナーマン」を聴き続けたいとも思っているが。

 いろんなことに、想いを馳せた。

 轟悠という舞台人を、これからも見守りたいと思う。


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