鳥は飛ぶ。@TCAスペシャル2006
2006年9月4日 タカラヅカ 轟悠、「シナーマン」を歌う。
トドの「シナーマン」を最初に聴いたのは、たしか雪組の『ノバ・ボサ・ノバ』前夜祭だったと思う。
再演が決まったとき、わたしの周囲の人たちは口をそろえて「難曲『シナーマン』が、トドに歌えるはずがない」と言い切っていた。
当時の「歌の雪組」では、トドロキは「歌えない」カウントされている人だった。や、なにしろいっちゃんやタータンレベルでないと「歌える」とは言えないわけですから。
んなこと言われても、あたしゃ初演知らないし。「名作」として噂だけ聞かされてもぴんとこないし、「通常の舞台人ではとても歌えないほどの難曲」って、どんなものすげーもんなんだ? と、首を傾げていた。
そーやってさんざん威かされての、前夜祭。
トドはふつーに「シナーマン」を歌いきった。
……わたしの耳がおかしいのか? ふつーに歌っていた、と思うんだが。歌えていない、ほどだろうか?
さて、前夜祭を観た友人知人たちは、次は口をそろえてこう言った。「トドロキ、一応歌えていたね。でも、あんな歌い方じゃ、保たないよ。喉、潰すんじゃない?」
トドかどう、というより、「シナーマン」という曲に思い入れが相当あるってことなんだろう。「歌えない」という前提でしか話してくれない、年上の知人たち。
だけど下馬評に反し、トドは本公演でも「シナーマン」を歌いきった。
いろいろ口うるさかった周囲の人たちも、「トドちゃん、相当トレーニングしたのね、歌うまくなってる」と認めてくれるよーになった。
トドはあまりムラのある人ではないので、いつも同じよーに歌いあげてくれていた。
それでも。
人間、好不調はあるわな。そして、舞台はナマモノだ。
トドの、絶好調の「シナーマン」を聴いた。
あの拍手の音と劇場の空気、そしてトドの表情を忘れない。
だって、あの雪組だよ? 拍手少ない、手拍子少ない、総じておとなしい客層の雪組(よその組を観るようになって、その空気の差におどろいた)なのに、客席からものすげー熱量の拍手がわき上がった。
「絶対歌えない」って言われてたのに。初演を知っているとかゆーおばさま方が、ハナで笑っていたのに。
それ以前の公演より、確実にトドは歌がうまくなっていた。名作の再演、有名な「難曲」、どれほどのプレッシャーだろう。べつにトドのこと好きでもキライでもない人たちが揃って「歌えっこない」と否定していたくらいだったのに。
人は、成長できるんだ。
そのことに、感動した。
30過ぎて、トップスターといういちばん上の地位にいて、それでもまだ、成長ってできるもんなんだ。まだ、高みを目指し、自分を変えていくことができるんだ。
人生は、いつだって「これから」なんだ。まだ「なにか」あるんだ。
それを決めるのは、自分自身なんだ。
と、ヅカとなんの関係もない友人に、アツいアツい思いをメールしたり、したなあ。ははは。当時のトドロキって、今のトウコちゃんより若いんだよなあ、としみじみしてみたり。えーと、今のあさこちゃんの学年で、中卒だからさらに若いわけか。
トドロキのことはすごい人だと思っているけれど、いちばん感動したのがこの「シナーマン」を歌い上げたときだと思う。
貪欲に芸を追求し、上を目指す姿に感動した。
その記憶があるから。
正直、『TCAスペシャル2006 ワンダフル・ドリーマーズ〜人は夢見る〜』の「シナーマン」は、手に汗握った。うまく歌えて当たり前、少しでもカマせば非難囂々必至。
わたしが観た初日は、それほどいい出来ぢゃなかった。
でも友人たちはみんな、「トド様、さすがだったね」と言ってくれる。リップサービスかもしれんし、誉められる程度には歌えているとも思う。
ただ。
わたしには上演当時の、背筋が震えるほどの「歌いきった」ときの思い出があるから。
素直には、賞賛できなかった。
思い出は美化されるモノだし、ひとは衰える。
一概にどうこう言えないことは、わかっている。
わかっているから。
えーと。
「持ち歌」としてこれからもこの人は、「シナーマン」を歌い続けるのだろう。それはうれしいことだし、トドの野太い声でドラマティックな「シナーマン」を聴き続けたいとも思っているが。
いろんなことに、想いを馳せた。
轟悠という舞台人を、これからも見守りたいと思う。
トドの「シナーマン」を最初に聴いたのは、たしか雪組の『ノバ・ボサ・ノバ』前夜祭だったと思う。
再演が決まったとき、わたしの周囲の人たちは口をそろえて「難曲『シナーマン』が、トドに歌えるはずがない」と言い切っていた。
当時の「歌の雪組」では、トドロキは「歌えない」カウントされている人だった。や、なにしろいっちゃんやタータンレベルでないと「歌える」とは言えないわけですから。
んなこと言われても、あたしゃ初演知らないし。「名作」として噂だけ聞かされてもぴんとこないし、「通常の舞台人ではとても歌えないほどの難曲」って、どんなものすげーもんなんだ? と、首を傾げていた。
そーやってさんざん威かされての、前夜祭。
トドはふつーに「シナーマン」を歌いきった。
……わたしの耳がおかしいのか? ふつーに歌っていた、と思うんだが。歌えていない、ほどだろうか?
さて、前夜祭を観た友人知人たちは、次は口をそろえてこう言った。「トドロキ、一応歌えていたね。でも、あんな歌い方じゃ、保たないよ。喉、潰すんじゃない?」
トドかどう、というより、「シナーマン」という曲に思い入れが相当あるってことなんだろう。「歌えない」という前提でしか話してくれない、年上の知人たち。
だけど下馬評に反し、トドは本公演でも「シナーマン」を歌いきった。
いろいろ口うるさかった周囲の人たちも、「トドちゃん、相当トレーニングしたのね、歌うまくなってる」と認めてくれるよーになった。
トドはあまりムラのある人ではないので、いつも同じよーに歌いあげてくれていた。
それでも。
人間、好不調はあるわな。そして、舞台はナマモノだ。
トドの、絶好調の「シナーマン」を聴いた。
あの拍手の音と劇場の空気、そしてトドの表情を忘れない。
だって、あの雪組だよ? 拍手少ない、手拍子少ない、総じておとなしい客層の雪組(よその組を観るようになって、その空気の差におどろいた)なのに、客席からものすげー熱量の拍手がわき上がった。
「絶対歌えない」って言われてたのに。初演を知っているとかゆーおばさま方が、ハナで笑っていたのに。
それ以前の公演より、確実にトドは歌がうまくなっていた。名作の再演、有名な「難曲」、どれほどのプレッシャーだろう。べつにトドのこと好きでもキライでもない人たちが揃って「歌えっこない」と否定していたくらいだったのに。
人は、成長できるんだ。
そのことに、感動した。
30過ぎて、トップスターといういちばん上の地位にいて、それでもまだ、成長ってできるもんなんだ。まだ、高みを目指し、自分を変えていくことができるんだ。
人生は、いつだって「これから」なんだ。まだ「なにか」あるんだ。
それを決めるのは、自分自身なんだ。
と、ヅカとなんの関係もない友人に、アツいアツい思いをメールしたり、したなあ。ははは。当時のトドロキって、今のトウコちゃんより若いんだよなあ、としみじみしてみたり。えーと、今のあさこちゃんの学年で、中卒だからさらに若いわけか。
トドロキのことはすごい人だと思っているけれど、いちばん感動したのがこの「シナーマン」を歌い上げたときだと思う。
貪欲に芸を追求し、上を目指す姿に感動した。
その記憶があるから。
正直、『TCAスペシャル2006 ワンダフル・ドリーマーズ〜人は夢見る〜』の「シナーマン」は、手に汗握った。うまく歌えて当たり前、少しでもカマせば非難囂々必至。
わたしが観た初日は、それほどいい出来ぢゃなかった。
でも友人たちはみんな、「トド様、さすがだったね」と言ってくれる。リップサービスかもしれんし、誉められる程度には歌えているとも思う。
ただ。
わたしには上演当時の、背筋が震えるほどの「歌いきった」ときの思い出があるから。
素直には、賞賛できなかった。
思い出は美化されるモノだし、ひとは衰える。
一概にどうこう言えないことは、わかっている。
わかっているから。
えーと。
「持ち歌」としてこれからもこの人は、「シナーマン」を歌い続けるのだろう。それはうれしいことだし、トドの野太い声でドラマティックな「シナーマン」を聴き続けたいとも思っているが。
いろんなことに、想いを馳せた。
轟悠という舞台人を、これからも見守りたいと思う。
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