あなたに恋をする女でありたい。@ワタさんとわたし。
2006年9月17日 タカラヅカ 湖月わたるにあるのは、演技力ではなくて男役芸だと思う。
ワタさんを演技巧者だとは思っていない。
新専科時代より以前は、「早くどっかでトップにしてくれ」と思った。理由は、「演技がアレだから」。歌が下手なのはわたしはあまり気にしていない。ヘタだな、とは思うけど、芝居重視なのでそれ以外は気にならない。
新専科として2番手であちこちの組に出演されると、いろいろつらかったのだ。
だってワタさん、悪役できないし。いや、通り一遍はできるけど、それ以上ができない。彼は「湖月わたる」であって、その悪役自体ではないから。あくまでも湖月わたるとして、役を演じる人だから。
スターたるもの、それでいいんだ。キムタクがなにやってもキムタクであるように。役になりきってしまうことはない。そーゆー人は「地味」と言われる。
トップになるべき人は、「なにをやっても****」という人でなきゃいけないのだ、タカラヅカでは。
ワタさんは、「トップにするしか能がない人」認識だった。
とゆーと言葉は悪いが、彼は脇で芝居を固める人じゃないからさ。つか、引き出しにない役や持ち味とチガウ役を割り振られたときに、真ん中の芝居を壊すので迷惑だ。地味なら埋没して目立たないけど、ワタさん華があるから、真ん中に影響するんだもん。
彼に似合うのは、「真ん中」の役。
真ん中でまっすぐに光り輝く役。
屈折していたり邪悪だったりは、無理だからやめてくれ。持ち味殺して押さえた演技をすると、無表情で大根風味になるからパス。
だから、彼が星組のトップスターになったときは心からよろこんだ。
2番手の彼はちと苦手だったけど、「真ん中」の彼は好きだ。
「主役」という役は、ワタさんの持ち味に合っている。彼がより魅力的に見えるはず。
相応しい地位に立つことで、湖月わたるは男役としてさらにステップアップしていった。
懐深くなった今なら、昔ほど「芝居を壊す」演技をするとは思っていない。
でも。
ワタさんは、演技の人ではないと思うんだ。
彼の演ずる役は、どれもハートがあって好きだけど。
それと、演技力とはまた別の話で。
ラダメス、アリスティド、玄宗、卯之助、フェルゼン、そしてフレッド。
結局のところ全部、湖月わたるまんまという気がしている。
湖月わたるのハートフルさ。アツさ。誠実さ。強さや大きさ、寛さ。そーゆーものがまるっと出ている。
ただ素を出しているだけで、魅力的な男性に見えるわけじゃない。
ワタさんが長い年月を掛けて作り上げた男役芸がずば抜けて秀でているために、演技力云々を超えているのだ。
ワタさん演じる役が素敵なのは、湖月わたる自身が素敵だからだと思う。
そしてそれは、正しいトップスターの姿だ。
役者と役を混同し、ジェンヌへの愛情で彼が演じる役に恋をする。
それが心地よいのがタカラヅカ。
ワタさんは、正しいトップスターだ。
この人が正しくトップスターとして生きることができた、この時代とこの組とを、愛しく思う。
男役を極めたワタさんのこと、今はもう大根だなんて思ってないよ。
人は変わるし、人への想いだって変わるから。
「トップにするしか能がない人」と、昔このブログでも書いていたと思う。2002年ぐらい?
今はチガウ。
「トップになるべき人」「トップであるべき人」だ。
トップスターになったワタさんを見続けて、見識が変わったことがうれしい。
好きってうれしい。
湖月わたるというキャラクタ自体が、大輪の花を咲かせていることを、同時代にこの目で見ることが出来て、とてもうれしい。
苦手だったままで、終わらなくて。好きだと言えることが、とてもうれしい。
演技力ではなく、その研ぎ澄まされた男役芸と、トップスター力を、尊敬している。
才能だけで築き上げたモノではなく、努力による鍛錬の結果だとわかるから。
その、湖月わたるという生き方に、敬服している。
今、ね。
フレッドに恋をしたいと思うんだ。
バーバラになって、彼に恋したい。
彼を思って、泣きたい。傷つきたい。苦しみたい。
その傷ごと苦しみごと、微笑んで生きていきたい。
そう思うの。
湖月わたるが、すてきだからなの。
ワタさんを演技巧者だとは思っていない。
新専科時代より以前は、「早くどっかでトップにしてくれ」と思った。理由は、「演技がアレだから」。歌が下手なのはわたしはあまり気にしていない。ヘタだな、とは思うけど、芝居重視なのでそれ以外は気にならない。
新専科として2番手であちこちの組に出演されると、いろいろつらかったのだ。
だってワタさん、悪役できないし。いや、通り一遍はできるけど、それ以上ができない。彼は「湖月わたる」であって、その悪役自体ではないから。あくまでも湖月わたるとして、役を演じる人だから。
スターたるもの、それでいいんだ。キムタクがなにやってもキムタクであるように。役になりきってしまうことはない。そーゆー人は「地味」と言われる。
トップになるべき人は、「なにをやっても****」という人でなきゃいけないのだ、タカラヅカでは。
ワタさんは、「トップにするしか能がない人」認識だった。
とゆーと言葉は悪いが、彼は脇で芝居を固める人じゃないからさ。つか、引き出しにない役や持ち味とチガウ役を割り振られたときに、真ん中の芝居を壊すので迷惑だ。地味なら埋没して目立たないけど、ワタさん華があるから、真ん中に影響するんだもん。
彼に似合うのは、「真ん中」の役。
真ん中でまっすぐに光り輝く役。
屈折していたり邪悪だったりは、無理だからやめてくれ。持ち味殺して押さえた演技をすると、無表情で大根風味になるからパス。
だから、彼が星組のトップスターになったときは心からよろこんだ。
2番手の彼はちと苦手だったけど、「真ん中」の彼は好きだ。
「主役」という役は、ワタさんの持ち味に合っている。彼がより魅力的に見えるはず。
相応しい地位に立つことで、湖月わたるは男役としてさらにステップアップしていった。
懐深くなった今なら、昔ほど「芝居を壊す」演技をするとは思っていない。
でも。
ワタさんは、演技の人ではないと思うんだ。
彼の演ずる役は、どれもハートがあって好きだけど。
それと、演技力とはまた別の話で。
ラダメス、アリスティド、玄宗、卯之助、フェルゼン、そしてフレッド。
結局のところ全部、湖月わたるまんまという気がしている。
湖月わたるのハートフルさ。アツさ。誠実さ。強さや大きさ、寛さ。そーゆーものがまるっと出ている。
ただ素を出しているだけで、魅力的な男性に見えるわけじゃない。
ワタさんが長い年月を掛けて作り上げた男役芸がずば抜けて秀でているために、演技力云々を超えているのだ。
ワタさん演じる役が素敵なのは、湖月わたる自身が素敵だからだと思う。
そしてそれは、正しいトップスターの姿だ。
役者と役を混同し、ジェンヌへの愛情で彼が演じる役に恋をする。
それが心地よいのがタカラヅカ。
ワタさんは、正しいトップスターだ。
この人が正しくトップスターとして生きることができた、この時代とこの組とを、愛しく思う。
男役を極めたワタさんのこと、今はもう大根だなんて思ってないよ。
人は変わるし、人への想いだって変わるから。
「トップにするしか能がない人」と、昔このブログでも書いていたと思う。2002年ぐらい?
今はチガウ。
「トップになるべき人」「トップであるべき人」だ。
トップスターになったワタさんを見続けて、見識が変わったことがうれしい。
好きってうれしい。
湖月わたるというキャラクタ自体が、大輪の花を咲かせていることを、同時代にこの目で見ることが出来て、とてもうれしい。
苦手だったままで、終わらなくて。好きだと言えることが、とてもうれしい。
演技力ではなく、その研ぎ澄まされた男役芸と、トップスター力を、尊敬している。
才能だけで築き上げたモノではなく、努力による鍛錬の結果だとわかるから。
その、湖月わたるという生き方に、敬服している。
今、ね。
フレッドに恋をしたいと思うんだ。
バーバラになって、彼に恋したい。
彼を思って、泣きたい。傷つきたい。苦しみたい。
その傷ごと苦しみごと、微笑んで生きていきたい。
そう思うの。
湖月わたるが、すてきだからなの。
コメント