彼の闇と、彼女の光。@堕天使の涙
2006年10月19日 タカラヅカ 『堕天使の涙』のジャンP@水と、その家族について。
景子女史作品は設定がベッタベタなので、とてもステレオタイプにいろんなことを想像できる。
元オペラ座のエトワールだとかいうジュスティーヌ@五峰姐さんが、「子どもを愛せなかった」ということから、すべての不幸がはじまっているジャンPの人生。
愛せなかった、といっても。
ジュスティーヌがこだわったのは、娘リリス@まーちゃんだけだと思う。
息子=恋人、娘=自分自身。
「母親」として「人間」として納得や成熟がないままに、子どもを持ったジュスティーヌが、娘リリスのみを憎んだのは想像に難くない。
リリスは、自分自身だから。まだなにも失っていない、可能性と幸福を持った若い女だから。
自分がなにもかも失ったあとで、リリスの「純粋さ」を見せつけられるのは、耐えられなかったんだろう。
もうひとりの自分が幸福になるなんて許せない。だってわたしは、こんなに不幸なのだから。
リリスが別人格を持つ、別の人間だということを、本能的に理解していない。
子どもと自分の存在の混同。きっとジュスティーヌは、リリスとずっとへその緒がつながっていると感じていたんだろうなあ。自分の一部だったんだろうなあ。
だから、憎しみも果てがない。苦しみも、果てがない。
そして、ジャンP。
ジャンPのことは、ジュスティーヌは愛していたと思う。
彼女が憎むのは自分の分身であるリリスのみ。じゃあなんでジャンPのことも憎むのかというと。
ジャンPが、罪を見つめる者だからだ。
ジュスティーヌが娘リリスを愛せず、虐げる、その生き証人がジャンPだ。
「母親は、子どもを愛さなければならない」という刷り込みが、「愛せない自分」を責める。自分がまちがっていることはわかっているんだ。他の誰より自分自身の良心が自分自身を責め、裁いているというのに、それをさらに追いつめるカタチで、いつももうひとつの目が自分を見ている。
娘リリスが「幸福を失う前の自分自身」であるならば、息子ジャンPは「罪を犯した自分自身を責め続ける、もうひとりの自分」なのだろう。
ジャンPが双子ではなく、ひとり息子として生まれていたら、まったくちがったものになっていたのではないかと思う。
娘が「悪魔の女」という悪意の名を付けられているのに、ジャンPはそうではない。ありふれた名前なだけに、「好きな男の名前でもつけたかな」という感じがする。
リリスがおらず、ジャンPひとりなら。
彼は、ジュスティーヌの「恋人」だったのではないか。や、変な意味ではなくて。
自分の人生を捨ててまで生んだ息子を、溺愛したのではないだろうか。
だって、そーでもないと救われないからな。愛した男は消え、人生懸けてきたバレリーナとしてのキャリアも失い、残ったのが赤ん坊だけなら。
もう、赤ん坊を愛するしかないじゃないか。
赤ん坊が同性ならば、自分と同じバレエの才能も憎らしいが、異性ならば彼のバレエの才能は愛した男から受け継いだものになる。
ジュスティーヌは、ジャンPを愛していたと思う。
リリスがいてなお。
そして、ジャンPもそれを知っていたと思う。
ジャンPが露悪的な生き方をするのは、それゆえだろうと思うんだ。
母親が、娘を憎み、息子である自分だけを愛する。その生々しい「女」の部分が、潔癖な彼の逆鱗に触れるのだろう。
ジャンPはきっと、リリスに対して罪悪感を持っていたと思う。
自分だけが母から愛されているのを、知っていたから。
盲目の娼婦リリスは言う。「誰からも愛されなかった」と。
ジャンPは? 共に母から憎まれた、この世でたったふたりっきりの兄妹ならば、ジャンPからの愛情だけは本物だったろうに。
リリスは、ジャンPの愛を勘定に入れないんだ。
ジャンPがリリスを愛していたのは事実だろうけれど、そこにはもっと複雑なものが絡んでいて。
自分だけが母に愛されている罪悪感、そんな歪んだ愛情しか子どもに抱けない母への反発、リリスを守って生きながらも「リリスがいなければ、自分は解き放たれるのでは?」という黒い感情。
そーゆーものが混沌とした上での、愛情だったから。
リリスは、ジャンPからの愛を、純粋な意味での「愛」としては、数えないのな。
ほんとーにリリスとジャンPが愛し合っていたら、リリスはどこへも行かなかったと思う。
だけどリリスは、姿を消した。自分がいると迷惑だから、と母も兄も捨てて出て行った。
リリスにとっては、ジャンPもジュスティーヌと同じ「リリスを愛したいのに、愛せない」と悩み、鎖に囚われている罪人だったんだろう。だから、解放してあげるために、姿を消すしかなかった。
や、もちろんジャンPが、「光のパ・ドゥ・ドゥ」というすばらしい作品を創り出すくらい、ちゃんとリリスを愛していることは、わかっているんだよ。だけどその愛の奥にある闇を知るからこそ、リリスは彼からも去るんだ。
リリスを失ったあとジャンPが荒れているのは、そのこともあったと思う。
彼女が何故、自分すら捨てて消えてしまったのか。
自分の中にあった彼女への暗い感情を見抜かれていたせいだと……ある意味、彼女を追いつめた責任は自分にもあるのだと、わかっていたからではないか。
そして、自分を守るために、母を責める。
悪いのはジュスティーヌひとりだと。リリスの不幸も、自分の過ちも、なにもかも。
……ジュスティーヌとジャンPは、似ている。
良くも悪くも。
ジャンPはことあるごとに、ジュスティーヌを責める。
それはまちがいなく、弱い者いじめだ。
ジュスティーヌは決して彼の目を見ないのだから。正視できないほど、罪を知り悔いているのに、彼は容赦しない。彼女をいたぶり続ける。
彼女を責めることで、ジャンPは救われようとしているんだ。
ジャンPは破滅的に生き、ルシファーに興味を抱かせるほどの闇を瞳に宿している。
それは「愛してくれなかったから、母を憎んでいる」という単純なものではないだろう。
自分の罪から目を逸らし、他人のせいにして、自堕落に生きることへの歪み。他人を攻撃することで自己正当化し、泥の中で足踏みすることを赦す弱さこそが、彼の抱える「闇」ではないだろうか。
リリスが死の間際に、彼らの鎖を解き放っていく。
彼女が赦したのは、ジュスティーヌだけではないだろう。
☆
ジャンP@水に関しては、ルシファー@コムとはまったく萌えません。
今回彼的にいちばん萌えたのは、ジュスティーヌに関してだ。
ああ、このマザコン男、どーしてくれよう。
ほんとうは愛し合っていることがわかる母子なだけに、「ひざまずかせてやる」とか言い合う憎悪な関係は、すげー萌えです。
アデーラ@いづるんとつきあっているのも、ママが嫌がる相手だからてのが丸わかりだし。
基本的にわたし近親相姦ダメなんですが、この母子は萌えです、はい。
ねーっとり憎み合い、生々しい雄と雌であってほしいもんですなっ。
景子女史作品は設定がベッタベタなので、とてもステレオタイプにいろんなことを想像できる。
元オペラ座のエトワールだとかいうジュスティーヌ@五峰姐さんが、「子どもを愛せなかった」ということから、すべての不幸がはじまっているジャンPの人生。
愛せなかった、といっても。
ジュスティーヌがこだわったのは、娘リリス@まーちゃんだけだと思う。
息子=恋人、娘=自分自身。
「母親」として「人間」として納得や成熟がないままに、子どもを持ったジュスティーヌが、娘リリスのみを憎んだのは想像に難くない。
リリスは、自分自身だから。まだなにも失っていない、可能性と幸福を持った若い女だから。
自分がなにもかも失ったあとで、リリスの「純粋さ」を見せつけられるのは、耐えられなかったんだろう。
もうひとりの自分が幸福になるなんて許せない。だってわたしは、こんなに不幸なのだから。
リリスが別人格を持つ、別の人間だということを、本能的に理解していない。
子どもと自分の存在の混同。きっとジュスティーヌは、リリスとずっとへその緒がつながっていると感じていたんだろうなあ。自分の一部だったんだろうなあ。
だから、憎しみも果てがない。苦しみも、果てがない。
そして、ジャンP。
ジャンPのことは、ジュスティーヌは愛していたと思う。
彼女が憎むのは自分の分身であるリリスのみ。じゃあなんでジャンPのことも憎むのかというと。
ジャンPが、罪を見つめる者だからだ。
ジュスティーヌが娘リリスを愛せず、虐げる、その生き証人がジャンPだ。
「母親は、子どもを愛さなければならない」という刷り込みが、「愛せない自分」を責める。自分がまちがっていることはわかっているんだ。他の誰より自分自身の良心が自分自身を責め、裁いているというのに、それをさらに追いつめるカタチで、いつももうひとつの目が自分を見ている。
娘リリスが「幸福を失う前の自分自身」であるならば、息子ジャンPは「罪を犯した自分自身を責め続ける、もうひとりの自分」なのだろう。
ジャンPが双子ではなく、ひとり息子として生まれていたら、まったくちがったものになっていたのではないかと思う。
娘が「悪魔の女」という悪意の名を付けられているのに、ジャンPはそうではない。ありふれた名前なだけに、「好きな男の名前でもつけたかな」という感じがする。
リリスがおらず、ジャンPひとりなら。
彼は、ジュスティーヌの「恋人」だったのではないか。や、変な意味ではなくて。
自分の人生を捨ててまで生んだ息子を、溺愛したのではないだろうか。
だって、そーでもないと救われないからな。愛した男は消え、人生懸けてきたバレリーナとしてのキャリアも失い、残ったのが赤ん坊だけなら。
もう、赤ん坊を愛するしかないじゃないか。
赤ん坊が同性ならば、自分と同じバレエの才能も憎らしいが、異性ならば彼のバレエの才能は愛した男から受け継いだものになる。
ジュスティーヌは、ジャンPを愛していたと思う。
リリスがいてなお。
そして、ジャンPもそれを知っていたと思う。
ジャンPが露悪的な生き方をするのは、それゆえだろうと思うんだ。
母親が、娘を憎み、息子である自分だけを愛する。その生々しい「女」の部分が、潔癖な彼の逆鱗に触れるのだろう。
ジャンPはきっと、リリスに対して罪悪感を持っていたと思う。
自分だけが母から愛されているのを、知っていたから。
盲目の娼婦リリスは言う。「誰からも愛されなかった」と。
ジャンPは? 共に母から憎まれた、この世でたったふたりっきりの兄妹ならば、ジャンPからの愛情だけは本物だったろうに。
リリスは、ジャンPの愛を勘定に入れないんだ。
ジャンPがリリスを愛していたのは事実だろうけれど、そこにはもっと複雑なものが絡んでいて。
自分だけが母に愛されている罪悪感、そんな歪んだ愛情しか子どもに抱けない母への反発、リリスを守って生きながらも「リリスがいなければ、自分は解き放たれるのでは?」という黒い感情。
そーゆーものが混沌とした上での、愛情だったから。
リリスは、ジャンPからの愛を、純粋な意味での「愛」としては、数えないのな。
ほんとーにリリスとジャンPが愛し合っていたら、リリスはどこへも行かなかったと思う。
だけどリリスは、姿を消した。自分がいると迷惑だから、と母も兄も捨てて出て行った。
リリスにとっては、ジャンPもジュスティーヌと同じ「リリスを愛したいのに、愛せない」と悩み、鎖に囚われている罪人だったんだろう。だから、解放してあげるために、姿を消すしかなかった。
や、もちろんジャンPが、「光のパ・ドゥ・ドゥ」というすばらしい作品を創り出すくらい、ちゃんとリリスを愛していることは、わかっているんだよ。だけどその愛の奥にある闇を知るからこそ、リリスは彼からも去るんだ。
リリスを失ったあとジャンPが荒れているのは、そのこともあったと思う。
彼女が何故、自分すら捨てて消えてしまったのか。
自分の中にあった彼女への暗い感情を見抜かれていたせいだと……ある意味、彼女を追いつめた責任は自分にもあるのだと、わかっていたからではないか。
そして、自分を守るために、母を責める。
悪いのはジュスティーヌひとりだと。リリスの不幸も、自分の過ちも、なにもかも。
……ジュスティーヌとジャンPは、似ている。
良くも悪くも。
ジャンPはことあるごとに、ジュスティーヌを責める。
それはまちがいなく、弱い者いじめだ。
ジュスティーヌは決して彼の目を見ないのだから。正視できないほど、罪を知り悔いているのに、彼は容赦しない。彼女をいたぶり続ける。
彼女を責めることで、ジャンPは救われようとしているんだ。
ジャンPは破滅的に生き、ルシファーに興味を抱かせるほどの闇を瞳に宿している。
それは「愛してくれなかったから、母を憎んでいる」という単純なものではないだろう。
自分の罪から目を逸らし、他人のせいにして、自堕落に生きることへの歪み。他人を攻撃することで自己正当化し、泥の中で足踏みすることを赦す弱さこそが、彼の抱える「闇」ではないだろうか。
リリスが死の間際に、彼らの鎖を解き放っていく。
彼女が赦したのは、ジュスティーヌだけではないだろう。
☆
ジャンP@水に関しては、ルシファー@コムとはまったく萌えません。
今回彼的にいちばん萌えたのは、ジュスティーヌに関してだ。
ああ、このマザコン男、どーしてくれよう。
ほんとうは愛し合っていることがわかる母子なだけに、「ひざまずかせてやる」とか言い合う憎悪な関係は、すげー萌えです。
アデーラ@いづるんとつきあっているのも、ママが嫌がる相手だからてのが丸わかりだし。
基本的にわたし近親相姦ダメなんですが、この母子は萌えです、はい。
ねーっとり憎み合い、生々しい雄と雌であってほしいもんですなっ。
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