絶望と、希望が踊る。@朝海ひかるサヨナラショー。
2006年10月31日 タカラヅカ コムまーのサヨナラショーがどんなものになるのか、どうしてもこの目で見届けたかった。
荻田浩一が、「タカラヅカの朝海ひかる」のラストステージとして書き下ろすものが、どーゆーものなのかを、確認したかったんだ。
前楽のとき、サヨナラショースタートと共に緞帳にコム姫のサインがアニメーションで描かれ、しかも音楽が『ベルサイユのばら』オープニングだったもんで、そのベッタベタ感にびっくらこいたのだけど。
楽を観て納得。
千秋楽は本編とサヨナラショーの間に組長による「退団者紹介」が入る。
その紹介のときに、ひとりひとりに「おとめ」の写真とサインが緞帳に映し出されたの。
ほほお、これは親切な演出だ。映像好きなオギーらしい。
入団当初のものから最近のものまで、いわば、卒業アルバムだ。
卒業していく人たちを見送り、思い出を振り返りながら前途を祝うのにぴったりだ。
その流れでなら、サヨナラショーの冒頭にサインが描かれても変じゃない。
前楽は退団者紹介がなかったから、いきなりサインでびっくりした。
緞帳が上がり、大階段にひとり立つオスカル様@コム。や、コスプレはナシ。
終始彼は「朝海ひかる」のままだった。
ワタさんがラダメスになったのとは対照的に。
なつかしい衣装は使ってもなりきることはせず、役を表す端的な記号を使わず、匂わすのみにとどめ、「朝海ひかる」のままであること。
それが、このショーのこだわりであったと思う。
オスカル様をはじめ、コムまーの単体orペアでの派手目の演目が前半に集中する。
大階段には、当時の映像。
すげえ。
大階段ってスクリーンとして使えるの?! はじめて見た、そんな使い方。
まーちゃんも登場し、ふつーに、さも「ふつーのトップコンビですが、なにか?」というような、きれいでキャッチーなデュエットダンスを披露。
1曲や1場面をそのまま切り張りするのではなく、いったんばらばらにして細かく再構成された凝った作り。オギーお得意のパッチワーク手法。
『タランテラ!』がトバしすぎたから、サヨナラショーはふつうに無難にまとめるつもりかしら、と、そのときは思った。
他退団者たちの見せ場を作り、組子全員で元気に「HeyHeyワンダーランド!!」と歌い踊ってみたりな。あー、ふつーじゃん、と。
甘かった。
後半は、芝居パートに突入。
『睡れる月』の曲を歌いながら、ひとり銀橋を渡るコム姫。本舞台では、同作品で悪役だったゆっさんが、虚空に向かって弓を引く。
なにかの象徴のように。
コム姫が本舞台に戻るころに、まーちゃんが中央にせり上がり。ナディアだった。
そしてコム姫とまーちゃん、ふたりで『Romance de Paris』の曲をデュエット。
……なんだけど。
背中合わせ。
ふたりは、触れあわないの。
大きな盆の対角線上に立ち、背中を向けたままで歌う。
たしかに別れの歌ではあるんだが……だが、接触ナシってそんな馬鹿な。
『Romance de Paris』で別れたふたりのその後、遠く離れた地で愛を歌っている……にしては、向かい合っていないのはおかしい。
遠く離れたまま、背中を向けたまま回る盆に、背筋をぞくぞくしたものを這い上がってくる。
ナディアは去り、コム姫のみが残る。
群衆が行き交い、それぞれの人生が行き交う。そのなかに、コム姫。
高まるのは、孤独感。
そしてそのまま『銀の狼』行きます。
孤独がひりつくような、あの物語に。
激しい渇きと狂気と絶望。
不安にゆがむ世界。
そこに再度登場する、まーちゃん。その姿は、ミレイユ。
ここでもコムちゃんとまーちゃんは、触れあわない。
ふたりはそれぞれの孤独のなかにいる。
えーと?
芝居の再現でしょ、コレ。
それも、そのまんまぢゃなく、「イメージ再現」ってやつ。
まーちゃんは役が想像できる姿になるけれど、コムちゃんは「朝海ひかる」のまま。
何故、コムちゃんはコムちゃんのままなの? まーちゃんだけが役になるの?
何故、触れあわないの? 手を取り、視線を合わせ、愛を歌わないの?
背筋を這い上がるもの。
ぞくぞくと、確実に、あがってくる。
コムは先に舞台から消え、ミレイユひとりが残される。
彼女は背を向け、静かに歩み去っていく。
「めをとじて みみをふさぎ やみのなかに かくれて
ただおちるだけ 堕チルダケ ただ」
『アルバトロス、南へ』の1幕ラストを飾った、あのフレーズが響く。
ライトの消えた舞台を、ミレイユが奥へと進む。
薄い背中。
ひとり。
闇の中へ。
虚空の中へ。
孤独の中へ。
絶望の中へ。
そして。
次の瞬間、歓びの歌が響く。
『Joyful!』。
暗闇の中に、ハマコの美声が響き渡る。や、コーラスなんだけど、ハマコの声だけびんびんにわかる(笑)。
振り返ったミレイユは、もうミレイユじゃない。まーちゃんだ。こぼれんばかりの笑顔の。
絶望のあとに、生きる歓びかよ!!!
落としたくせに。
もうこれ以上なく、立ち上がれないくらい、叩き落としたくせに。
なのに、「Joyful」かよ、「Freude」かよ。
信じられない。
昔、平井堅が英語でベートーヴェンの『第九』を歌った。
歓喜の歌、『第九』。
歓喜の叫び「Freude!!」を、彼は「Joyful Joyful!!」と歌った。
「Joyful」ってのは、そーゆー意味。
歓び。希望。光。
だーだーに号泣しました。
や、だって。
あそこまで突き落とされたあとに、コレだよ?! 魂振り回され過ぎて、おかしくなりそうだ。
徹底している。まーちゃんとコムちゃんはすれ違いに登場し、コムちゃんを中心とした全員ラインダンス@90周年風に、まーちゃんはいないの。
仲間たちと一緒になって希望と愛を歌うコム姫は「トップスター」であるけれど、横に「娘役トップスター」が、「トップ人生の伴侶」がいない。
そして、「おお大和よ」と世界に対する呼びかけをして、みんなに見守られながらセリ下がっていく。
彼がたしかに「世界の中心」であることを位置づけて。
コムとすれ違う形で、イナダヒメ@まーちゃん登場。
「泣くのはやめた」と、別れを乗り越える歌を歌う。
清々しい美しさ。
そして、またしてもまーちゃんとすれ違う形でコム姫登場。
男の美学ともいうべきソフト帽とロングコート姿。
人を頼ることなく、かわりに縛ることもなく生きる、ひとりの男。
しんとした美しさ。
ひとりで立つ美しさ。
ここで、幕が下りる。
…………えええっ?!
サヨナラショーの最後って、組子全員が登場して、にぎやかに思い出の曲を歌い踊って幕、ぢゃないのおおお?!
てゆーか、コム姫とまーちゃん、最後まで絡まなかったんですけどっ?!!
呆然。
なんなの、コレ。
『アルバトロス、南へ』と同じ手法? 前半でふつーのぬるいショーみたいなふりして目くらましして、後半でやりたいよーにやるっていう?
コム姫は終始「朝海ひかる」だった。
まーちゃんは、そのたび役になった。
そしてふたりは、すれ違い続けた。
生きている次元がチガウ。
存在する世界がチガウ。
愛し合っているのかもしれないが。必要としあっているのかもしれないが。
欠けたパーツのように、ぴたりと符合するのかもしれないが。
彼らの手が、重なることはないんだ。
ぞくぞくと、背筋に走る戦慄。
これが、コムまーってことか、オギー。
地上最後の男と女。
毒蜘蛛と蝶。
決して相容れることのない存在。
彼らの意志であるとかないとかではなく。そんな、生やさしいモノではなく。
絶望と希望。
闇と光。
邪と聖。
すごいものを、観た。
『アルバトロス、南へ』『タランテラ!』、そしてこのサヨナラショー。
同じテーマで貫かれた壮大な物語。
タカラヅカ史上でも、稀に見る個性のトップコンビが、退団する。
ただ、刮目し続けるのみ。
荻田浩一が、「タカラヅカの朝海ひかる」のラストステージとして書き下ろすものが、どーゆーものなのかを、確認したかったんだ。
前楽のとき、サヨナラショースタートと共に緞帳にコム姫のサインがアニメーションで描かれ、しかも音楽が『ベルサイユのばら』オープニングだったもんで、そのベッタベタ感にびっくらこいたのだけど。
楽を観て納得。
千秋楽は本編とサヨナラショーの間に組長による「退団者紹介」が入る。
その紹介のときに、ひとりひとりに「おとめ」の写真とサインが緞帳に映し出されたの。
ほほお、これは親切な演出だ。映像好きなオギーらしい。
入団当初のものから最近のものまで、いわば、卒業アルバムだ。
卒業していく人たちを見送り、思い出を振り返りながら前途を祝うのにぴったりだ。
その流れでなら、サヨナラショーの冒頭にサインが描かれても変じゃない。
前楽は退団者紹介がなかったから、いきなりサインでびっくりした。
緞帳が上がり、大階段にひとり立つオスカル様@コム。や、コスプレはナシ。
終始彼は「朝海ひかる」のままだった。
ワタさんがラダメスになったのとは対照的に。
なつかしい衣装は使ってもなりきることはせず、役を表す端的な記号を使わず、匂わすのみにとどめ、「朝海ひかる」のままであること。
それが、このショーのこだわりであったと思う。
オスカル様をはじめ、コムまーの単体orペアでの派手目の演目が前半に集中する。
大階段には、当時の映像。
すげえ。
大階段ってスクリーンとして使えるの?! はじめて見た、そんな使い方。
まーちゃんも登場し、ふつーに、さも「ふつーのトップコンビですが、なにか?」というような、きれいでキャッチーなデュエットダンスを披露。
1曲や1場面をそのまま切り張りするのではなく、いったんばらばらにして細かく再構成された凝った作り。オギーお得意のパッチワーク手法。
『タランテラ!』がトバしすぎたから、サヨナラショーはふつうに無難にまとめるつもりかしら、と、そのときは思った。
他退団者たちの見せ場を作り、組子全員で元気に「HeyHeyワンダーランド!!」と歌い踊ってみたりな。あー、ふつーじゃん、と。
甘かった。
後半は、芝居パートに突入。
『睡れる月』の曲を歌いながら、ひとり銀橋を渡るコム姫。本舞台では、同作品で悪役だったゆっさんが、虚空に向かって弓を引く。
なにかの象徴のように。
コム姫が本舞台に戻るころに、まーちゃんが中央にせり上がり。ナディアだった。
そしてコム姫とまーちゃん、ふたりで『Romance de Paris』の曲をデュエット。
……なんだけど。
背中合わせ。
ふたりは、触れあわないの。
大きな盆の対角線上に立ち、背中を向けたままで歌う。
たしかに別れの歌ではあるんだが……だが、接触ナシってそんな馬鹿な。
『Romance de Paris』で別れたふたりのその後、遠く離れた地で愛を歌っている……にしては、向かい合っていないのはおかしい。
遠く離れたまま、背中を向けたまま回る盆に、背筋をぞくぞくしたものを這い上がってくる。
ナディアは去り、コム姫のみが残る。
群衆が行き交い、それぞれの人生が行き交う。そのなかに、コム姫。
高まるのは、孤独感。
そしてそのまま『銀の狼』行きます。
孤独がひりつくような、あの物語に。
激しい渇きと狂気と絶望。
不安にゆがむ世界。
そこに再度登場する、まーちゃん。その姿は、ミレイユ。
ここでもコムちゃんとまーちゃんは、触れあわない。
ふたりはそれぞれの孤独のなかにいる。
えーと?
芝居の再現でしょ、コレ。
それも、そのまんまぢゃなく、「イメージ再現」ってやつ。
まーちゃんは役が想像できる姿になるけれど、コムちゃんは「朝海ひかる」のまま。
何故、コムちゃんはコムちゃんのままなの? まーちゃんだけが役になるの?
何故、触れあわないの? 手を取り、視線を合わせ、愛を歌わないの?
背筋を這い上がるもの。
ぞくぞくと、確実に、あがってくる。
コムは先に舞台から消え、ミレイユひとりが残される。
彼女は背を向け、静かに歩み去っていく。
「めをとじて みみをふさぎ やみのなかに かくれて
ただおちるだけ 堕チルダケ ただ」
『アルバトロス、南へ』の1幕ラストを飾った、あのフレーズが響く。
ライトの消えた舞台を、ミレイユが奥へと進む。
薄い背中。
ひとり。
闇の中へ。
虚空の中へ。
孤独の中へ。
絶望の中へ。
そして。
次の瞬間、歓びの歌が響く。
『Joyful!』。
暗闇の中に、ハマコの美声が響き渡る。や、コーラスなんだけど、ハマコの声だけびんびんにわかる(笑)。
振り返ったミレイユは、もうミレイユじゃない。まーちゃんだ。こぼれんばかりの笑顔の。
絶望のあとに、生きる歓びかよ!!!
落としたくせに。
もうこれ以上なく、立ち上がれないくらい、叩き落としたくせに。
なのに、「Joyful」かよ、「Freude」かよ。
信じられない。
昔、平井堅が英語でベートーヴェンの『第九』を歌った。
歓喜の歌、『第九』。
歓喜の叫び「Freude!!」を、彼は「Joyful Joyful!!」と歌った。
「Joyful」ってのは、そーゆー意味。
歓び。希望。光。
だーだーに号泣しました。
や、だって。
あそこまで突き落とされたあとに、コレだよ?! 魂振り回され過ぎて、おかしくなりそうだ。
徹底している。まーちゃんとコムちゃんはすれ違いに登場し、コムちゃんを中心とした全員ラインダンス@90周年風に、まーちゃんはいないの。
仲間たちと一緒になって希望と愛を歌うコム姫は「トップスター」であるけれど、横に「娘役トップスター」が、「トップ人生の伴侶」がいない。
そして、「おお大和よ」と世界に対する呼びかけをして、みんなに見守られながらセリ下がっていく。
彼がたしかに「世界の中心」であることを位置づけて。
コムとすれ違う形で、イナダヒメ@まーちゃん登場。
「泣くのはやめた」と、別れを乗り越える歌を歌う。
清々しい美しさ。
そして、またしてもまーちゃんとすれ違う形でコム姫登場。
男の美学ともいうべきソフト帽とロングコート姿。
人を頼ることなく、かわりに縛ることもなく生きる、ひとりの男。
しんとした美しさ。
ひとりで立つ美しさ。
ここで、幕が下りる。
…………えええっ?!
サヨナラショーの最後って、組子全員が登場して、にぎやかに思い出の曲を歌い踊って幕、ぢゃないのおおお?!
てゆーか、コム姫とまーちゃん、最後まで絡まなかったんですけどっ?!!
呆然。
なんなの、コレ。
『アルバトロス、南へ』と同じ手法? 前半でふつーのぬるいショーみたいなふりして目くらましして、後半でやりたいよーにやるっていう?
コム姫は終始「朝海ひかる」だった。
まーちゃんは、そのたび役になった。
そしてふたりは、すれ違い続けた。
生きている次元がチガウ。
存在する世界がチガウ。
愛し合っているのかもしれないが。必要としあっているのかもしれないが。
欠けたパーツのように、ぴたりと符合するのかもしれないが。
彼らの手が、重なることはないんだ。
ぞくぞくと、背筋に走る戦慄。
これが、コムまーってことか、オギー。
地上最後の男と女。
毒蜘蛛と蝶。
決して相容れることのない存在。
彼らの意志であるとかないとかではなく。そんな、生やさしいモノではなく。
絶望と希望。
闇と光。
邪と聖。
すごいものを、観た。
『アルバトロス、南へ』『タランテラ!』、そしてこのサヨナラショー。
同じテーマで貫かれた壮大な物語。
タカラヅカ史上でも、稀に見る個性のトップコンビが、退団する。
ただ、刮目し続けるのみ。
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