タニちゃんを考える。@大和悠河次期宙組トップスター内定発表
2006年11月7日 タカラヅカ タニちゃん、次期宙組トップスター内定おめでとうございます。
タニちゃんだということはもうわかっていたのでおどろきはなく、どっちかっちゅーとジュンタンの誕生日に発表なのかということの方に、おどろいてます。
ジュンタンとゆーのはわたしの友人で、「爆裂タニィファン」と枕詞をつけて紹介される人です。
ねらったかのように今日なんだ……。(ねらってませんて)
宙組公演についてまだなにも書いていないけれど、今現在同じ舞台に立っている人同士で「引き継ぎ」があることにほっとしています。
きっとこれからもっともっと、舞台が深まっていくんだろう。まとまっていくんだろう。
見守っていこうと思います。
つい先日、nanaタンと「大和悠河」という人について真面目に話したところだ。
話すことによって整理できることや、見えてくるものがあるから。
わたしは月組時代からタニちゃんを見ている。初単独バウ主演の『シンデレラ・ロック』だって観に行ったさ。伝説の『EL DORADO』エトワールだってナマで聴いたさ。
歌はたしかに壊滅的だったが、ソレはソレ、彼の華と可能性を損なうモノではまったくなかった。
タニちゃんはひたすら愛らしく、かわいらしかった。
タニちゃんが変わったのは、宙組に組替えしてからだ。
どこぞの新聞記事にもあったが、組替えを機にそれまでのイメージを払拭したかったらしい。
気持ちはわかる。月組にいる限り、タニちゃんはかわいいアイドルで少年キャラ、弟キャラだ。タカラヅカスターは「大人の男」でなければならない。トップの役は30男が大半だ、10代のスクールボーイ役なんてありえない。
だから、「組替えデビュー」をねらったのは正しいことだろう。タニちゃんとユニットを組んでいた(?)ケロだって雪組時代の「いい人キャラ」を月組への組替えを機に「エロいキャラ」と変換したのだから。
しかし、タニちゃんの「組替えデビュー」は、成功したのだろうか?
宙組に来てからのタニちゃんは、月組時代の精彩を感じられなくなった。
もちろんいつも美しいし、かわいらしいんだけれど。
なんだろう、なにがチガウんだろうと考えた。
「大人の男」「セクスィな男」を作ろうとして、片目をすがめて口を突き出し眉をぴくぴくさせる、独特の「せくすぃタニ」を開眼したこともそりゃ大きな変化だが、それだけではない。
もっとなにか、ファジィかつ、根本的なことだ。
たどり着いた答えは、彼が他人を愛していないってことだった。
恋愛している設定なのに、相手役を愛していない。
一般に「タニちゃんに合う娘役は難しい」とされるけれど、それとは別の次元の話だ。
外見や持ち味が合う合わないじゃなく、つーかそんなことはぶっとばして、タニ自身が相手役の子をとろとろでろでろに愛しまくれば無問題だ。
舞台の上、役の上での話な。
どんなにクソしょーもない話でも、カップルが恋のハートを飛び散らせていりゃ、それだけで場が持つのがタカラヅカだ。
なのに思い返してみて、タニちゃんの役が誰かをめろめろに愛している姿はカウントできない。
『コパカバーナ』のリコ。『NEVER SAY GOODBYE』のヴィセント。『不滅の恋人たちへ』のミュッセ。『THE LAST PARTY』のスコット。
それぞれいい味は出していたけれど、「相手役」に恋していたか? 愛していたか? 自分自身のかっこよさだとか苦悩だとかの方が優先してなかったか?
相手役どうのより、自分を見ている印象。
恋愛していなくても、タニの役はいつも基本自分のことしか見ていないし、考えていない。
たとえば『炎にくちづけを』のパリアなんかはソレが「強さ」になって出ていたけれど、成功例ばかりでもないだろう。
月組時代と宙組時代のいちばんのちがいは、「月ではかわいこちゃん」と「宙では渋い男役」ではないと思う。
宙に来てから「他人を見なくなったこと」だ。
月時代のタニちゃんは、そりゃーきらきらと、相手役を愛していた。子犬が飼い主にじゃれつくようであったとしても、微笑ましくも愛があふれていた。
わたしはタニちゃんの演技と相性がよくないとここで何度か書いているが、そう思うようになったのは、彼が宙組に行ってからだ。月組時代はなにも思わなかった。
月組時代の彼は、そのままの愛らしさで体当たりしていたから、演技の相性どころの話ではなく、あるがままの心の素直さを受け止めていればよかったんだ。
それが宙組での演技は、心が見えなくて響いてこなくなったんだ……。
いったい、宙組ではなにがあったのだろう。
自分だけを見ている、といっても、たとえば壮くんみたいに「自分スキ!!」と叫んでいる印象はない。
ぶっちゃけ、自分のこともあまり愛しているように見えない……。
なんだかいろんな束縛があるように見える。
いくつも鎖をつけられて、そのなかであがくのに精一杯で、周囲を見ている余裕も、誰かを愛する余裕もないように見える。
鎖をつけているのは、自分自身だろうか。
「こうあらなければならない」という型をつくり、そこにあてはめるために身動きが取れなくなっているのだろうか。
タニちゃんの魅力は、彼が考えている「型」とは別のところにあるのに。
タニちゃんが舞台を好きで、いつも努力している人だということはわかる。
今の苦行僧のような雰囲気も、仕事に対して誠実だからだろうと思う。
でもやっぱり、なにかチガウと思うんだよ……。
トップスターになれば、抱え込んでいる枷から解き放たれるのだろうか。
それともさらに重いモノをまとって心の身動きが取れなくなってしまうのだろうか。
タニちゃんのタニちゃんまんまの「輝き」に心打たれた者として、純粋に心配なんだよ……。
いや、全部全部、わたしのただの思いこみで勘違いで、余計なお世話でしかないのだろうけれど。
相手役が誰なのかわからないけれど、タニちゃんが舞台の上で愛せる人だといいね。
相手役に限らず、もっともっと愛を表現できるように、なるといいね。
いやその、ほんとに勝手なことをほざいてしまったが。
タニちゃんは真ん中にふさわしい人だと思っている。彼のトップ時代に幸あれと心から願うよ。
で。
ジュンタンごめんね、ダーリンのことを勝手にいろいろ書いて。
タニちゃんだということはもうわかっていたのでおどろきはなく、どっちかっちゅーとジュンタンの誕生日に発表なのかということの方に、おどろいてます。
ジュンタンとゆーのはわたしの友人で、「爆裂タニィファン」と枕詞をつけて紹介される人です。
ねらったかのように今日なんだ……。(ねらってませんて)
宙組公演についてまだなにも書いていないけれど、今現在同じ舞台に立っている人同士で「引き継ぎ」があることにほっとしています。
きっとこれからもっともっと、舞台が深まっていくんだろう。まとまっていくんだろう。
見守っていこうと思います。
つい先日、nanaタンと「大和悠河」という人について真面目に話したところだ。
話すことによって整理できることや、見えてくるものがあるから。
わたしは月組時代からタニちゃんを見ている。初単独バウ主演の『シンデレラ・ロック』だって観に行ったさ。伝説の『EL DORADO』エトワールだってナマで聴いたさ。
歌はたしかに壊滅的だったが、ソレはソレ、彼の華と可能性を損なうモノではまったくなかった。
タニちゃんはひたすら愛らしく、かわいらしかった。
タニちゃんが変わったのは、宙組に組替えしてからだ。
どこぞの新聞記事にもあったが、組替えを機にそれまでのイメージを払拭したかったらしい。
気持ちはわかる。月組にいる限り、タニちゃんはかわいいアイドルで少年キャラ、弟キャラだ。タカラヅカスターは「大人の男」でなければならない。トップの役は30男が大半だ、10代のスクールボーイ役なんてありえない。
だから、「組替えデビュー」をねらったのは正しいことだろう。タニちゃんとユニットを組んでいた(?)ケロだって雪組時代の「いい人キャラ」を月組への組替えを機に「エロいキャラ」と変換したのだから。
しかし、タニちゃんの「組替えデビュー」は、成功したのだろうか?
宙組に来てからのタニちゃんは、月組時代の精彩を感じられなくなった。
もちろんいつも美しいし、かわいらしいんだけれど。
なんだろう、なにがチガウんだろうと考えた。
「大人の男」「セクスィな男」を作ろうとして、片目をすがめて口を突き出し眉をぴくぴくさせる、独特の「せくすぃタニ」を開眼したこともそりゃ大きな変化だが、それだけではない。
もっとなにか、ファジィかつ、根本的なことだ。
たどり着いた答えは、彼が他人を愛していないってことだった。
恋愛している設定なのに、相手役を愛していない。
一般に「タニちゃんに合う娘役は難しい」とされるけれど、それとは別の次元の話だ。
外見や持ち味が合う合わないじゃなく、つーかそんなことはぶっとばして、タニ自身が相手役の子をとろとろでろでろに愛しまくれば無問題だ。
舞台の上、役の上での話な。
どんなにクソしょーもない話でも、カップルが恋のハートを飛び散らせていりゃ、それだけで場が持つのがタカラヅカだ。
なのに思い返してみて、タニちゃんの役が誰かをめろめろに愛している姿はカウントできない。
『コパカバーナ』のリコ。『NEVER SAY GOODBYE』のヴィセント。『不滅の恋人たちへ』のミュッセ。『THE LAST PARTY』のスコット。
それぞれいい味は出していたけれど、「相手役」に恋していたか? 愛していたか? 自分自身のかっこよさだとか苦悩だとかの方が優先してなかったか?
相手役どうのより、自分を見ている印象。
恋愛していなくても、タニの役はいつも基本自分のことしか見ていないし、考えていない。
たとえば『炎にくちづけを』のパリアなんかはソレが「強さ」になって出ていたけれど、成功例ばかりでもないだろう。
月組時代と宙組時代のいちばんのちがいは、「月ではかわいこちゃん」と「宙では渋い男役」ではないと思う。
宙に来てから「他人を見なくなったこと」だ。
月時代のタニちゃんは、そりゃーきらきらと、相手役を愛していた。子犬が飼い主にじゃれつくようであったとしても、微笑ましくも愛があふれていた。
わたしはタニちゃんの演技と相性がよくないとここで何度か書いているが、そう思うようになったのは、彼が宙組に行ってからだ。月組時代はなにも思わなかった。
月組時代の彼は、そのままの愛らしさで体当たりしていたから、演技の相性どころの話ではなく、あるがままの心の素直さを受け止めていればよかったんだ。
それが宙組での演技は、心が見えなくて響いてこなくなったんだ……。
いったい、宙組ではなにがあったのだろう。
自分だけを見ている、といっても、たとえば壮くんみたいに「自分スキ!!」と叫んでいる印象はない。
ぶっちゃけ、自分のこともあまり愛しているように見えない……。
なんだかいろんな束縛があるように見える。
いくつも鎖をつけられて、そのなかであがくのに精一杯で、周囲を見ている余裕も、誰かを愛する余裕もないように見える。
鎖をつけているのは、自分自身だろうか。
「こうあらなければならない」という型をつくり、そこにあてはめるために身動きが取れなくなっているのだろうか。
タニちゃんの魅力は、彼が考えている「型」とは別のところにあるのに。
タニちゃんが舞台を好きで、いつも努力している人だということはわかる。
今の苦行僧のような雰囲気も、仕事に対して誠実だからだろうと思う。
でもやっぱり、なにかチガウと思うんだよ……。
トップスターになれば、抱え込んでいる枷から解き放たれるのだろうか。
それともさらに重いモノをまとって心の身動きが取れなくなってしまうのだろうか。
タニちゃんのタニちゃんまんまの「輝き」に心打たれた者として、純粋に心配なんだよ……。
いや、全部全部、わたしのただの思いこみで勘違いで、余計なお世話でしかないのだろうけれど。
相手役が誰なのかわからないけれど、タニちゃんが舞台の上で愛せる人だといいね。
相手役に限らず、もっともっと愛を表現できるように、なるといいね。
いやその、ほんとに勝手なことをほざいてしまったが。
タニちゃんは真ん中にふさわしい人だと思っている。彼のトップ時代に幸あれと心から願うよ。
で。
ジュンタンごめんね、ダーリンのことを勝手にいろいろ書いて。
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