リチャードを見ると、世界が見える・その2。@MIND TRAVELLER
2006年11月15日 タカラヅカ前日欄からの続き。
こまったもんだ、の『MIND TRAVELLER』の失敗ぶりについて。
数えだしたらキリがない「お笑い要素」と「失笑ポイント」。
なのに、作者はこの物語を「シリアス物」だと思って書き、演出しているんだ。
この作品が居心地の悪い、つまらない話になっているいちばんの理由はコレだと思う。
シリアスが書きたいなら、「お笑い要素」をねじ伏せるだけのリアリティやハイクオリティなセンスが必要だ。昭和中期のセンスではなく、現代のセンスだ。おぢさんの感覚ではなく、若者の感覚だ。
「小池、携帯で友だちとメールすることないんやな……」とため息をつかせるよーな、「これだからおじさんは……」的要素をちらつかせないでくれ。
悪の組織の秘密兵器みたいなナンチャッテ装置で主人公を改造したりしないでくれ。
毛が1本立ったハゲヅラとチョビひげつけたまま、シリアスにヒロインと恋愛されても、反応に困る。
シリアスやるなら、その変なヅラ取ってよ、チョビひげ取ってよ。どれだけシリアスな台詞も場面も、ただのギャグにしか見えないよ。
「記憶喪失」で「子ども向けマンガレベルのSF要素」で「世界征服」だ。これは「ハゲヅラ+チョビひげ」に匹敵する「お笑い要素」だ。
なのに、やっていることは「シリアス」。
流れる微妙な空気。笑えばいいのか、怒ればいいのか、反応に困る。
リチャードは本気で、「研究者としての信念を持ち、『海馬を支配する者が、世界を支配する』と言っている」のだ。
マッド・サイエンティストではなく。
クライマックスで「おまえは狂ってる」とかなんとか言われているけれど、本当の狂人だと思ってこの台詞は書かれていない。
「信念一途の男」が他人には狂人に見える、というだけの意味。頑固一徹の職人が妥協せずに不眠不休で仕事に打ち込むことを、「お父さんは狂ってるわ!」と傍に言わせてみるのと同じ。
でもさ、無理だからソレ。
リチャードのしてること、まともに見えないもん。
まっつが、リチャードを「ただのマッド・サイエンティストにしない」「悪役ではなく、己れの信念に忠実な男」として演じようとしているのがわかる。
「海馬帝国のファーストレディ」にしろ「キミの海馬は私のモノだ」にしろ、正気で言っているんだ。
でもソレ、意味ナイから。
設定がバカなんだもん。どんなにまともに演じたって、バカに見えるよ。
つまりね、「設定自体が、マンガ的なマッド・サイエンティスト」なの。
だから観客はリチャードを「マンガ的悪役」だと思って観る。
だがまっつは、リチャードを「狂人」としては演じない。「マンガ」でもなく「悪役」でもない。
そうして、「まっつに狂気が感じられない」とかゆー感想を導き出してしまう。
や、だってまっつ、狂気演じてないし!!
演出意図が、「リアリティのある、シリアスな物語」なんだもの。
リチャード博士はマッド・サイエンティストなどではなく、悪役ですらなく、「考え方がチガウために主人公と対立するライバル」なんだもの。
リチャードにある「狂気」は、あくまでも現実の中にある「狂気」でしかない。仕事に入れ込んで家庭崩壊に至る働き過ぎサラリーマンの持つ程度の狂気だよ。マッド・サイエンティストのソレではない。
彼はとても丁寧に、「現実の範囲内のライバルキャラ」を演じている。マンガ的にしないようにと。
マッド・サイエンティストって、ある意味「演じやすい」役だと思う。
なにしろ「マンガ的」「記号的」だから。
観る方も「マッド・サイエンティスト=こんな感じ」と自分の頭の中でいくらでもイメージするし。
そしてリチャードはあきらかに、そのイメージに「足りていない」。
だから、居心地が悪い。
「海馬帝国」の歌を朗々と歌う様も、「海馬の帝王様」になって登場してくるのも、「リチャードというキャラの演出意図」と「リチャードというキャラに対する観客のイメージ」に差がありすぎて、混乱する。
リチャードというキャラの失敗、コレこそが、『MIND TRAVELLER』という作品の失敗を表していると思う。
つまり。
コメディにすればよかったんだよ。
『LUNA』はひでー話だったが、それでもぎりぎりセーフなのは、コメディだったからだ。
「インターネットで世界征服〜〜」とかなんとか、バカ丸出しなことを悪役が王様然として歌っても、コメディだからOKだ。笑っていいんだもん。
ショッカーが「世界征服!」と叫びながら幼稚園バスを襲うのと同じで、観客も「だってコレ、そーゆー話だもんね」とお約束を理解した上で楽しめる。
今回はリチャードを例にして語ったけれど。
別に、他のキャラでも同じだよ。だって、世界観ギャグなのに、みんなシリアス芝居させられてるもん。リチャードほど顕著じゃないだけで。
リチャードだけなら、まっつの役の解釈がまちがってるとか思うけど、他も全員だもんよ。
「海馬の帝王」リチャードは、槍玉に挙げやすいっつーだけでな。
『MIND TRAVELLER』は、どう見たってコメディだ。設定もストーリーもセンスも。バカバカしいほどに。
なのに、作者だけが「シリアス物」だとカンチガイして、まちがった演出をしている。
脚本を一言一句変えずに、別の物語にできるよ。
コメディとして開き直って、リチャードも完璧なマッド・サイエンティストの悪役で、イッちゃった目で高笑いしてヨシ。
ボケとツッコミ、ハリセン出してもいいからテンポ命で丁々発止、そのくせ要所要所で主役とヒロインはシリアスに恋愛するんだ。
パパ・カザンの人情物とヒロインとの恋愛と、ポイントだけ「お涙ちょうだい」にして、あとはお笑い一直線。
……べつに、タカラヅカで「昭和中期の特撮ヒーロー物風ドタバタコメディ」なんか、観たくないけどさ。
仕方ないよ。そうする以外に、『MIND TRAVELLER』を救う方法はないんだから。
こまったもんだ、の『MIND TRAVELLER』の失敗ぶりについて。
数えだしたらキリがない「お笑い要素」と「失笑ポイント」。
なのに、作者はこの物語を「シリアス物」だと思って書き、演出しているんだ。
この作品が居心地の悪い、つまらない話になっているいちばんの理由はコレだと思う。
シリアスが書きたいなら、「お笑い要素」をねじ伏せるだけのリアリティやハイクオリティなセンスが必要だ。昭和中期のセンスではなく、現代のセンスだ。おぢさんの感覚ではなく、若者の感覚だ。
「小池、携帯で友だちとメールすることないんやな……」とため息をつかせるよーな、「これだからおじさんは……」的要素をちらつかせないでくれ。
悪の組織の秘密兵器みたいなナンチャッテ装置で主人公を改造したりしないでくれ。
毛が1本立ったハゲヅラとチョビひげつけたまま、シリアスにヒロインと恋愛されても、反応に困る。
シリアスやるなら、その変なヅラ取ってよ、チョビひげ取ってよ。どれだけシリアスな台詞も場面も、ただのギャグにしか見えないよ。
「記憶喪失」で「子ども向けマンガレベルのSF要素」で「世界征服」だ。これは「ハゲヅラ+チョビひげ」に匹敵する「お笑い要素」だ。
なのに、やっていることは「シリアス」。
流れる微妙な空気。笑えばいいのか、怒ればいいのか、反応に困る。
リチャードは本気で、「研究者としての信念を持ち、『海馬を支配する者が、世界を支配する』と言っている」のだ。
マッド・サイエンティストではなく。
クライマックスで「おまえは狂ってる」とかなんとか言われているけれど、本当の狂人だと思ってこの台詞は書かれていない。
「信念一途の男」が他人には狂人に見える、というだけの意味。頑固一徹の職人が妥協せずに不眠不休で仕事に打ち込むことを、「お父さんは狂ってるわ!」と傍に言わせてみるのと同じ。
でもさ、無理だからソレ。
リチャードのしてること、まともに見えないもん。
まっつが、リチャードを「ただのマッド・サイエンティストにしない」「悪役ではなく、己れの信念に忠実な男」として演じようとしているのがわかる。
「海馬帝国のファーストレディ」にしろ「キミの海馬は私のモノだ」にしろ、正気で言っているんだ。
でもソレ、意味ナイから。
設定がバカなんだもん。どんなにまともに演じたって、バカに見えるよ。
つまりね、「設定自体が、マンガ的なマッド・サイエンティスト」なの。
だから観客はリチャードを「マンガ的悪役」だと思って観る。
だがまっつは、リチャードを「狂人」としては演じない。「マンガ」でもなく「悪役」でもない。
そうして、「まっつに狂気が感じられない」とかゆー感想を導き出してしまう。
や、だってまっつ、狂気演じてないし!!
演出意図が、「リアリティのある、シリアスな物語」なんだもの。
リチャード博士はマッド・サイエンティストなどではなく、悪役ですらなく、「考え方がチガウために主人公と対立するライバル」なんだもの。
リチャードにある「狂気」は、あくまでも現実の中にある「狂気」でしかない。仕事に入れ込んで家庭崩壊に至る働き過ぎサラリーマンの持つ程度の狂気だよ。マッド・サイエンティストのソレではない。
彼はとても丁寧に、「現実の範囲内のライバルキャラ」を演じている。マンガ的にしないようにと。
マッド・サイエンティストって、ある意味「演じやすい」役だと思う。
なにしろ「マンガ的」「記号的」だから。
観る方も「マッド・サイエンティスト=こんな感じ」と自分の頭の中でいくらでもイメージするし。
そしてリチャードはあきらかに、そのイメージに「足りていない」。
だから、居心地が悪い。
「海馬帝国」の歌を朗々と歌う様も、「海馬の帝王様」になって登場してくるのも、「リチャードというキャラの演出意図」と「リチャードというキャラに対する観客のイメージ」に差がありすぎて、混乱する。
リチャードというキャラの失敗、コレこそが、『MIND TRAVELLER』という作品の失敗を表していると思う。
つまり。
コメディにすればよかったんだよ。
『LUNA』はひでー話だったが、それでもぎりぎりセーフなのは、コメディだったからだ。
「インターネットで世界征服〜〜」とかなんとか、バカ丸出しなことを悪役が王様然として歌っても、コメディだからOKだ。笑っていいんだもん。
ショッカーが「世界征服!」と叫びながら幼稚園バスを襲うのと同じで、観客も「だってコレ、そーゆー話だもんね」とお約束を理解した上で楽しめる。
今回はリチャードを例にして語ったけれど。
別に、他のキャラでも同じだよ。だって、世界観ギャグなのに、みんなシリアス芝居させられてるもん。リチャードほど顕著じゃないだけで。
リチャードだけなら、まっつの役の解釈がまちがってるとか思うけど、他も全員だもんよ。
「海馬の帝王」リチャードは、槍玉に挙げやすいっつーだけでな。
『MIND TRAVELLER』は、どう見たってコメディだ。設定もストーリーもセンスも。バカバカしいほどに。
なのに、作者だけが「シリアス物」だとカンチガイして、まちがった演出をしている。
脚本を一言一句変えずに、別の物語にできるよ。
コメディとして開き直って、リチャードも完璧なマッド・サイエンティストの悪役で、イッちゃった目で高笑いしてヨシ。
ボケとツッコミ、ハリセン出してもいいからテンポ命で丁々発止、そのくせ要所要所で主役とヒロインはシリアスに恋愛するんだ。
パパ・カザンの人情物とヒロインとの恋愛と、ポイントだけ「お涙ちょうだい」にして、あとはお笑い一直線。
……べつに、タカラヅカで「昭和中期の特撮ヒーロー物風ドタバタコメディ」なんか、観たくないけどさ。
仕方ないよ。そうする以外に、『MIND TRAVELLER』を救う方法はないんだから。
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