あの子は、かわいい子猫ちゃん。
 愛されたがりの甘えっ子。
 父の愛に飢えているからか、うんと年上の、大人の男に弱い。

 少し優しくしてやると、簡単に身を任せた。
 飼い主がいるにも関わらず、私になびいた。

 最初から遊びのつもりだったので、手を出したあとは大して構いもしなかった。まとわりついてくるのを邪険にもした。
 もともとあまり利口ではない、育ちのよくもない野良育ちの猫だ。エサをやらなくなったらすぐに元の飼い主のところへ戻った。

 猫の飼い主は、私のライバル的存在の男だ。
 私が猫に興味を持ったのは、その男の飼い猫だったからだ。悪戯心で手を出した。軽い意趣返し程度の気持ち。ただの遊び。

 だが。
 あの日たしかに私の腕の中にいた猫が、あの男に抱かれている。
 私のことなど忘れたように。いや、出会ってすらいないかのように、私の存在を抹消して、飼い主に甘えている。
 それを見ていると、ひどく腹立たしかった。

 私より、その男がいいのか。

 なにかにつれ、私の前を行く同郷の年長の男。なにかにつれ、比べられてきた男。
 猫もまた、私と男を秤にかけ、男を選ぶのか。

 猫を手に入れるには、どうすればいい?

 遊びのつもりだったのに、いつの間にか私はひどくムキになっていた。なにがなんでも、あの猫を手に入れたかった。

 猫は飼い主を愛している。もう私が声をかけても振り向きもしない。
 誇らしそうに、飼い主からもらったペンダントを首からかけている。

 私を愛さないなら、殺してしまえばいい。
 なにかと目障りな飼い主ごと、殺してしまおう。

 そのつもりだったのに、いざ私は、猫を殺すことができなかった。
 飼い主の方は無事に殺すことができたのに、猫だけは殺せなかった。猫を狙うはずの銃口は大きく逸れた。

 猫は、私の前から姿を消した。逃げてしまった。

 待っていれば、きっとまた、猫は私の前に現れる。目の前で愛する飼い主を殺されたのだ。あの利口でない猫は、感情のままに私の元に現れるだろう。私に復讐するために。
 それを待てばいい。

 しかし、予想に反して猫はなかなか現れなかった。
 あの愛されたがりの甘えっ子は、別の男を見付けでもしたのだろうか。
 父の愛に飢えているからか、うんと年上の、大人の男に弱い。誰か他の男に優しくされ、ころりと身を任せているのだろうか。

 そうではなかった。
 猫は事件のショックで記憶を失っているというのだ。私の元へ復讐に現れなかったのは、そのためだった。

 記憶喪失の、猫……。
 あの男を愛していない、猫……。

 それは、ぞくぞくする事実だった。
 私は猫が収容されている病院を訪ねた。なんとしてでも、猫を引き取らなければならない。
 猫を引き取り、そして、私だけを愛させるのだ。

 担当医師だという若い教授は言う。彼の行う手術で、猫の失った記憶を取り戻すことができると。

 せっかく記憶を失っている猫を、元に戻すだと?
 それでは、私が飼い主を殺したことも思い出してしまう。
 それでは、猫は一生私を愛さなくなってしまう。
 なにか手だてはないかと思案する私に、教授は傲慢に言い放つ。

「私には、人間の記憶を書き換えることができる」

 あったことをなかったことに。
 なかったことを、あったことに。

 飼い主を愛していた猫。
 では、その飼い主への愛を、「なかったこと」にできるか?

 研究資金の援助を申し出ることで、教授は私の要望を承諾した。
 猫の記憶の、飼い主への愛を書き換える。

 無邪気に飼い主を愛していた猫。
 愛されたがりの甘えっ子。
 父の愛に飢えているからか、うんと年上の、大人の男に弱い。
 「愛の証」と贈られたペンダントを大切にしていた猫。

 その猫の気持ちを踏みにじる「出来事」を、猫の記憶に上書きする。

「俺のことを愛してるって言ったじゃないか!」
「誰がお前のような、素性のしれない馬の骨を愛するものか。遊んでやっただけだ。身寄りがなければ、使い捨てても問題はないしな」

 愛を踏みにじられて。
 裏切られて。
 嘲笑されて。
 猫は激昂する。飼い主に向かって、引き金を引く。

 そう、飼い主を殺したのはお前だ。

 書き換えされた偽りの記憶とも知らず、猫は消沈する。罪の意識に苦悩する。

 どん底にいる猫を救うのは、私だ。
 やさしくしてやろう。ただひとりの味方になってやろう。そうすれば、あの利口でない愛されたがりの子猫ちゃんは、私を頼るだろう。私を愛するだろう。

 愛を得るために。記憶を操作するのだ。

 病院から姿を消した猫を追う。猫を捕まえ、檻に入れよう。私だけが鍵を持つ檻へ。
 私しかいない世界へ閉じこめれば、猫は私を愛するはずだ。

 教授の研究はまだ未完成であるらしい。定期的にケアが必要だという。そんな中、別の被験者が記憶を取り戻し、騒ぎ出した。
 ゆえに猫の記憶の書き換えも発覚し、外野が突然うるさくなった。飼い主を殺したのが誰なのか、追求されることとなった。

 猫を閉じこめるつもりだった。私だけのものにするつもりだった。
 それが叶わないなら、取るべき方法はひとつだけだ。

 前と同じ。
 私を愛さないなら、殺してしまえばいい。
 私のものにならないなら、殺してしまえばいい。

 そのつもりだったのに、いざ私は、猫を殺すことができなかった。
 猫を狙うはずの銃口は大きく逸れた。

 何故?
 何故2度も、同じ過ちを繰り返す?

 銃声がきっかけとなって、猫はすべての記憶を取り戻した。
 書き換えたはずの記憶。愛の裏切りの記憶。
 なのに猫は、飼い主への愛を忘れない。死んだ飼い主だけを愛し、私を決して愛さない。

 猫を殺す機会は、いくらでもあった。
 でも私は、猫を殺せなかった。

 最初から遊びのつもりだった。私が猫に興味を持ったのは、私のライバル的存在の男の飼い猫だったからだ。悪戯心で手を出した。軽い意趣返し程度の気持ち。ただの遊び。
 ……だったのに。

 猫もまた、私に抱かれていたときは、ただのアタマの軽い野良猫だった。
 だが飼い主の毅然とした愛を知ったあとでは、もう私に見向きもしなくなった。

 私が失ったのはなんだったのか。
 私が愛したのは、なんだったのか。……欲しかったのは、誰だったのか。

「腕が鈍ったな」
 私はつぶやく。猫を殺せなかったことに、深い意味などない。そう結論づけるために。


                 ☆

 「テオはわざとマックスを撃たなかったんだよね?」てことで結論が出ました、『MIND TRAVELLER』
 故意であれ無意識であれ、テオにはマックスを殺せなかったのさ。

 そもそもこの物語は、テオが撃ち損じなければはじまらなかった。
 「当初の予定通り、同士討ちに見せかけてマックスとカザンを同時に殺す」ことができていれば、なんの問題もなかったんだ。
 なのにテオは、マックスを殺さなかった。

 しかも、同じ失敗を2度もしているんですよ、この人。ありえないってそんなの。
 結果には、理由があるんだってば。

 金でなければ色でしょう、この世の中。火曜サスペンス劇場ならなおさら。

 「カザンを愛している記憶」を、「カザンに裏切られた記憶」に変えるなんて、えげつなさ過ぎですよちょっと!(笑)

 「記憶の旅人」とはテオのことですか? マックスの心からカザンを消し去ってしまおうとしたテオの物語……それこそが、『MIND TRAVELLER』という物語のすべてですね?

 まぁ、マックスが華麗に総受キャラなのが問題だと思いますが。
 登場するすべての男たちに狙われても仕方ないよなー(笑)。
 ボブもリチャードも、恋敵認定で、テオに撃たれたっつー感じだし。

 『MIND TRAVELLER』千秋楽の日付に、ナニ書いてんだかなぁ(笑)。
 楽の話はまた別欄で。
 

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