語れずにいた。

 かしちゃんと宙組公演について、どれだけ書いたかしれない。だけどここにUPすることはできなかった。書きかけの、整理が付かないままのテキストがどれほどあるか。

 ここは愛を叫ぶところであって、毒を吐くところじゃないからだ。
 作品いじりキャラいじりをするところであって、人事や劇団の経営方針について疑問や文句を書くところではないからだ。
 や、そりゃいろいろ愚痴も文句も書いてるけどさ。ネタの範囲を超えるよーな、ヘヴィな物言いは、「緑野こあら」がすることではないんだ。ここが世界の片隅でありながら、世界の誰からでものぞける場所であることを自覚する以上、「負」の文章は書きたくないんだ。(腐った文章はいくらでも書くけどな、愛ゆえに・笑)

 『維新回天・竜馬伝!』『ザ・クラシック』を語りたくても、作品がどうとかいう前に、疑問ばかりがわきあがって平静でいられない。

 わたしは所詮「作品」にいちばん重点を置く人間なので、好きな人が出ていても駄作には通えないし、特別好きな人がいなくても良作ならよろこんで通う。「○○ちゃんが出ていれば、すべて名作」とは思えない。反対に「●●が出ている作品は観ない」とかもない。
 また、つまんねー作品であっても、逆鱗ポイントに触れなければ、出演者への愛情の濃淡によりいくらでも通うことができる。『スカウト』や『マイトラ』がアレな作品であっても、生理的嫌悪をもよおすよーなものではなかったので、まっつへの愛だけでいくらでも通えたように。反対に、たかはなダイスキでありながら、『ネバセイ』は気持ち悪くてろくに通えなかったように。

 『維新回天・竜馬伝!』は、ふつーレベルの作品だ。リピーターやコアなファンの存在を念頭に置かず、団体の一見さん向けに作られた大衆娯楽作品。
 わたしは石田作品は嫌いだが、石田せんせーは最低限「物語」だとか「芝居」だとかは作れる人だと思っている。ただ、ヅカ向きぢゃないっつーだけでな。演歌歌手主演の舞台とか作ったら、高評価を受けられる人ぢゃないかしらね。
 だから正直なとこ、『維新回天・竜馬伝!』はいいんだ、べつに。

 わたしがつらくて正視できないのは、『ザ・クラシック』だ。

 『ザ・クラシック』は、駄作だ。わたし的にな。

 いやあ、そーいやわたし、草野作品ダメだったよ、思い出した。
 『バロック千一夜』とか『マンハッタン不夜城』とか『火の鳥』とか、気持ちよくも心の底から大嫌いだったもんな。ショーが草野だとわかるとヘコんだもんだった。「嫌いな芝居」を上げると植爺尽くしになるが、「嫌いなショー」というと草野尽くしになる人間だったわ、わたし。
 『タカラヅカ絢爛』も、ダメだったんだよ。だから星組公演はほとんど観なかった。月組版はちょっとマシになってたから、まだ観られたけど。
 ただ、ワタさんと星組が、あんまりたのしそーに、なにかっちゅーと『タカラヅカ絢爛』の曲をやるもんで、彼らの温度にのせられて、忘れていた。
 わたし、草野ダメだったんだよ……。

 『ザ・クラシック』でよかったのはオープニングと最後の大階段パレードのみだ。
 あとはわたし的に、どーにもこーにもダメなところと、ツッコミたいところばかりだった。
 なんで「クラシック」というテーマでお笑いなんだろう。なんでセンス最悪なんだろう。軍服尽くしのくせに、美しい軍服はひとつくらいで、あとはみんなダサいんだろう。お金はかかっていそうなのに、空間をもてあましたちゃちぃ演出なんだろう。なんでショパンが深夜アニメもどきのキモ格好悪い服を着なきゃいけないんだろう。微妙とはいえいちおーそれらしい「天井画」を背景に、何故モンペで踊るんだろう。

 わたしは説明過多がどーにもダメだ。創作でいちばん簡単プーなのが、「台詞ですべて説明する」ことだと思っているからな。
 格好悪いことだと思っている。
 表現することを、放棄することだと思っている。

 『ザ・クラシック』はセンスがひでー作品だが、それでも「台詞で全部説明」さえなければここまでくだらなくならなかったと思う。
 芝居ではなくショーだっつーに、いちいち台詞で説明。前後のつながりもなにもなく、その場限りの繰り返し。
 たとえば『ネオ・ダンディズム』も説明台詞でドン引きさせてくれたけど、アレはまだ冒頭だったからマシだったのね。それからあとのシーンで忘れられるから。
 しかし『ザ・クラシック』ってば、説明台詞があるの、後半なんだもん。しかも、クライマックスは説明台詞オンパレード!!
 とってつけたよーな「退団作品台詞」、意味のわからない「次期トップ引き継ぎ台詞」で地の果てまでドン引きし、コレ、もう二度と観なくていいやと思った(笑)。

 わたしは所詮「作品」にいちばん重点を置く人間なので、好きな人が出ていても駄作には通えない……いやしかし、そんなこと言ってられないだろ、かっしーコレで最後なんだから!
 ただの駄作ならまだよかったんだ。逆鱗ポイントさえなければ。でも『ザ・クラシック』は逆鱗に触れまくってるよヲイ!!

 かしちゃんもるいちゃんも、そして宙組のみんなも、とても誠実に舞台をつとめている。かしちゃん、あったかく迎えてもらえてよかったね、と思える。
 彼らを眺めているのはたのしい。
 だがどーしても、作品への嫌悪感、そして、嫌悪を感じるよーな作品1作こっきりで卒業しなければならないかっしーに、納得できないんだ。

 たとえ1作きりであってもそれが良作なら、いや多くは望むまい、せめてふつーレベルの作品なら、まだ納得できたのに。

 わたしは、かしちゃんが宙組で1作限りで辞めることを、まだ受け止め切れていない。
 かしちゃん単体のことすら整理がつかないのに、そのうえ作品がコレだ。
 『ザ・クラシック』を観るたび、納得できない想いが沸き上がり、ただただつらいばかりだった。

 たのしい感想を書けない。
 おバカなネタやツッコミを書けない。

 じゃあもう、宙組公演についてなにも書けないじゃないか。つらさだけを書くのは「緑野こあら」ではないから。
 1作きりでないのなら、これがただのお披露目作品なら、張り切って文句を書いていたと思う。演出の矛盾や構成の粗など、いつもの調子で。
 未来を信じているから、書けることなんだ。

 未来を断ち切られたあとでは、なにも書けないよ。苦しいだけだ。
 作品への絶望が、そのまま宝塚への、人事だとか方針だとかへの絶望になってしまうから。
 なにも書きたくない。

 
 と、たのしくもなんともない話になってしまうので、宙組公演、かしちゃんの公演については語れずにいた。まっつの話に逃げていたさ。

 わたしがなにも書けないだけで、かしちゃんも宙組も、みんなキラキラしているんだよ。
 それはほんとう。
 てゆーか、わたし個人の逆ツボ直撃しているだけで、人の好みは千差万別、この作品を「名作! こんなかしちゃんが見たかったの!」という人だってきっとたくさんいるはず。
 わたしにとってのみの駄作。世間的にどうかはわからないし、世間がどうでも、ひとりひとりにとって感想がチガウのは当たり前。
 かしちゃんの美貌や、あの笑顔を見られるだけで「名作」とするのも、ぜんぜんアリだと思う。
 かしちゃん、ほんとにステキに笑っているから。

 だからみんな、輝いているかしちゃんたちに、会いに行ってね。


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