もしも「運命」に出会ったら。

 運命……あるいは、「神」といってもいいかもしれない。
 わたしたちの手の届かない、わたしたちに関与し、自在に翻弄する、あらがいがたい力。

 それを、目にすることがあったら。

 ひとは、こんな眼をするのかもしれない。

 それを思った。

 宙組公演千秋楽、『貴城けいサヨナラショー』

 かしちゃんを見つめるるいちゃんの眼がね。
 「運命」を視る目だった。

 あらがいがたい、強大な力。人を超えた存在。
 るいちゃんにとって、かしちゃんは……かしちゃんに対する想いは、そーゆーとこまで行っているのかもしれないな、と、思った。

 かしるいがどういう状況で結ばれ、ともに1作きりで散るのかはわからない。
 意志なのか、そうでないのか。
 歓喜なのか慚愧なのか、諦念なのか信念なのか。
 わたしには、想像することさえできない。

 どんな事情や感情があるにせよ、わかっていることは、ふたりが共に滅びる者として、対峙しているということだ。

 これだけ多くの人間がひしめいている中で。

 今の自分の立場、今の自分の心情を理解し、分かち合える相手は、ただひとりだけ。

 灰色の世界のなかに、ただひとり、色を持って立つ人がいる。
 それが、かしげにとってのるいであり、るいにとってのかしげであるということ。

 多くの人の中でひとりだということは、無人島でひとりであることとはチガウ絶望がある。ある意味無人島にいるよりも孤独である。
 だが、かしるいは、ひとりではない。
 彼らには、互いがいるんだ。

「あなたがいたから、生きていられた」

 『仮面のロマネスク』の歌詞が、胸に突き刺さる。

 このふたりで、よかった。
 かしちゃんに対するるいちゃん、るいちゃんに対するかしちゃん。彼らが、ひとりでなくてよかった。かけらとかけらが合ってひとつのパーツになるように、片翼と片翼が合って飛び立てるように。
 かしちゃんに、るいちゃんがいてくれてよかった。

 かしちゃんは、強い人だ。
 強くないと言いながら、とても強い人だ。少なくとも、公の場では「貴城けい」としての顔を保ち続けている。
 その強さで、るいちゃんを包み、導いている。

 かしちゃんの強さが発揮されているのは、組替え後だと思う。この人事がすべて予定されていたものだというなら、自分のタカラジェンヌとしての終焉を知った上で、発揮された強さだと思う。
 ほんとうは、これほど強い人だった。強靱な持ち味の人だった。雪組の御曹司、きらきら白馬の王子様だったときには発揮できなかったカラーだ。あのまま雪でのんびりトップになっていたら、表に出ることはなかったかもしれない力だ。

 今のかっしーを見ることができた、知ることができた、それを、すばらしいことだと思う。

 これほどすばらしい人を、長年愛し見守ってきたのだと思えることを、誇りに思う。

 るいちゃんが見ているのは、その「強いかっしー」だ。
 雪組時代のヘタレかしちゃんじゃない。

 天下無敵の美貌を持ったかっしーが、それまでは持たなかった強さや男っぽさを備えて、ある日ふつーの女の子(といっても、相当美少女。少女マンガで「ふつーのヒロイン」といえば、設定はどうあれ見た目は絶対相当かわいいんだからな)るいの前に現れる。
「キミは、僕を愛する運命にある」
 彼は予言する。
 反発する暇も、困惑している暇もない。
 抱きしめられて口づけられて、あとはもうめくるめく(笑)惑乱の世界へ。

 気が付けば、彼を愛している。
 理屈じゃない。
 本能が、彼を求めている。

 親も家も友だちも、学校も未来もみんな捨てる。
 彼以外、なにも必要ない。

 それがまちがっていることはわかる。ゆがんでいる、なにかおかしい、わかっていても、止められない。

 彼が「運命」だから。
 彼が「神」だから。
 彼が「世界」だから。

 愛欲ではなく、敬虔な祈りが満ちる。

 自分ではどうすることもできない、大きなものに対峙した。
 人の姿をして、美しい青年の姿をして、彼女の前に現れた。
 彼女が視ているものは、「彼」ではなく、「彼」を超えた、もっと別の、果てしないもの。

 それは、彼女自身に由来するものかもしれない。

 かしちゃんを視る、るいちゃんの眼が、せつなくて。
 凝視、という言葉が合うほどに強く見開いた眼で見つめて。
 瞳ではなく眼という文字が合うような、いびつささえ感じる強さで。

 「運命」を視てしまった彼女は、どうなるのだろう?

 ふつーに生きていたら、そんなもん見えるはずがない。
 だけどぎりぎりまで追いつめられ、研ぎすまされた濃密な時間と空間の中にいた彼女には、見えたのかもしれないな。

 それはおそろしくて、そして、うらやましいことだ。

 ふつーに生きていたら、見えない、感じられないことだから。
 見えなくていい、感じなくていいことだとしても。

 うらやましいよ、るいちゃん。

 わたしはあなたになって、かしげと心中したかったよ。

 砲弾の音と崩れ落ちる屋敷の中で、踊り続けたかったさ。

 自分を見つめるかしげのなかに、「運命」を視たかったさ。

 せつなくてせつなくて、号泣した。
 それまでけっこー平静に観ていたサヨナラショー。
 『仮面のロマネスク』がはじまるなり、奔流が来た。
 しゃくりあげている自分が不思議だった。こんな泣き方、ありえない。子どもじゃないんだぞ?

 追いつめられた崩壊する時代の最期の恋人たちが、次の瞬間、しあわせそうに笑う。光がこぼれるような、花びらが揺れるような、明るいかわいらしい微笑。
 ヴァルモンとメルトゥイユだったかしるいは、一瞬でかしるいにもどって、ライトを浴びて笑ってみせるんだ。

 いろんな色を持つ恋人同士。短いけれど光彩を放つ時間をともに生き、ともに終焉を迎えるふたり。それは、凝縮された人生にも似て。

 かしちゃんは単体よりも、恋人といるときの方が魅力の出る人だった。
 そのことがはっきりとわかる、この最後のショーが愛しい。
 愛する人といる。そのときこそ、輝くひと。
 ある意味残酷に、ある意味強く、ある意味やさしく、ある意味おおらかに。
 愛することでいろんな顔を見せてくれる。

 だから愛のひと。
 だから運命。
 だから。

 だから、彼の導くものが、愛しい。

 ……貴城けいサヨナラショー。
 彼のタカラジェンヌ人生最後のショー。

 それが、さらに彼の魅力を見せてくれるものであることが、うれしくてせつなくて、くるしい。
 新しい魅力。きっとかっしーは、「真ん中」に、「相手役」と立つことで、脇で決まった相手なしでいたときには出せなかった魅力を、開放していくはずだったろう。
 10年間貴城けいを見てきたわたしもまだまだ知らない、未知の魅力を持っていたことだろう。

 
 
 もっと彼を、知りたかった。

 
 

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