彼という波に押し流されて。@貴城けいサヨナラショー
2006年12月12日 タカラヅカ もしも「運命」に出会ったら。
運命……あるいは、「神」といってもいいかもしれない。
わたしたちの手の届かない、わたしたちに関与し、自在に翻弄する、あらがいがたい力。
それを、目にすることがあったら。
ひとは、こんな眼をするのかもしれない。
それを思った。
宙組公演千秋楽、『貴城けいサヨナラショー』。
かしちゃんを見つめるるいちゃんの眼がね。
「運命」を視る目だった。
あらがいがたい、強大な力。人を超えた存在。
るいちゃんにとって、かしちゃんは……かしちゃんに対する想いは、そーゆーとこまで行っているのかもしれないな、と、思った。
かしるいがどういう状況で結ばれ、ともに1作きりで散るのかはわからない。
意志なのか、そうでないのか。
歓喜なのか慚愧なのか、諦念なのか信念なのか。
わたしには、想像することさえできない。
どんな事情や感情があるにせよ、わかっていることは、ふたりが共に滅びる者として、対峙しているということだ。
これだけ多くの人間がひしめいている中で。
今の自分の立場、今の自分の心情を理解し、分かち合える相手は、ただひとりだけ。
灰色の世界のなかに、ただひとり、色を持って立つ人がいる。
それが、かしげにとってのるいであり、るいにとってのかしげであるということ。
多くの人の中でひとりだということは、無人島でひとりであることとはチガウ絶望がある。ある意味無人島にいるよりも孤独である。
だが、かしるいは、ひとりではない。
彼らには、互いがいるんだ。
「あなたがいたから、生きていられた」
『仮面のロマネスク』の歌詞が、胸に突き刺さる。
このふたりで、よかった。
かしちゃんに対するるいちゃん、るいちゃんに対するかしちゃん。彼らが、ひとりでなくてよかった。かけらとかけらが合ってひとつのパーツになるように、片翼と片翼が合って飛び立てるように。
かしちゃんに、るいちゃんがいてくれてよかった。
かしちゃんは、強い人だ。
強くないと言いながら、とても強い人だ。少なくとも、公の場では「貴城けい」としての顔を保ち続けている。
その強さで、るいちゃんを包み、導いている。
かしちゃんの強さが発揮されているのは、組替え後だと思う。この人事がすべて予定されていたものだというなら、自分のタカラジェンヌとしての終焉を知った上で、発揮された強さだと思う。
ほんとうは、これほど強い人だった。強靱な持ち味の人だった。雪組の御曹司、きらきら白馬の王子様だったときには発揮できなかったカラーだ。あのまま雪でのんびりトップになっていたら、表に出ることはなかったかもしれない力だ。
今のかっしーを見ることができた、知ることができた、それを、すばらしいことだと思う。
これほどすばらしい人を、長年愛し見守ってきたのだと思えることを、誇りに思う。
るいちゃんが見ているのは、その「強いかっしー」だ。
雪組時代のヘタレかしちゃんじゃない。
天下無敵の美貌を持ったかっしーが、それまでは持たなかった強さや男っぽさを備えて、ある日ふつーの女の子(といっても、相当美少女。少女マンガで「ふつーのヒロイン」といえば、設定はどうあれ見た目は絶対相当かわいいんだからな)るいの前に現れる。
「キミは、僕を愛する運命にある」
彼は予言する。
反発する暇も、困惑している暇もない。
抱きしめられて口づけられて、あとはもうめくるめく(笑)惑乱の世界へ。
気が付けば、彼を愛している。
理屈じゃない。
本能が、彼を求めている。
親も家も友だちも、学校も未来もみんな捨てる。
彼以外、なにも必要ない。
それがまちがっていることはわかる。ゆがんでいる、なにかおかしい、わかっていても、止められない。
彼が「運命」だから。
彼が「神」だから。
彼が「世界」だから。
愛欲ではなく、敬虔な祈りが満ちる。
自分ではどうすることもできない、大きなものに対峙した。
人の姿をして、美しい青年の姿をして、彼女の前に現れた。
彼女が視ているものは、「彼」ではなく、「彼」を超えた、もっと別の、果てしないもの。
それは、彼女自身に由来するものかもしれない。
かしちゃんを視る、るいちゃんの眼が、せつなくて。
凝視、という言葉が合うほどに強く見開いた眼で見つめて。
瞳ではなく眼という文字が合うような、いびつささえ感じる強さで。
「運命」を視てしまった彼女は、どうなるのだろう?
ふつーに生きていたら、そんなもん見えるはずがない。
だけどぎりぎりまで追いつめられ、研ぎすまされた濃密な時間と空間の中にいた彼女には、見えたのかもしれないな。
それはおそろしくて、そして、うらやましいことだ。
ふつーに生きていたら、見えない、感じられないことだから。
見えなくていい、感じなくていいことだとしても。
うらやましいよ、るいちゃん。
わたしはあなたになって、かしげと心中したかったよ。
砲弾の音と崩れ落ちる屋敷の中で、踊り続けたかったさ。
自分を見つめるかしげのなかに、「運命」を視たかったさ。
せつなくてせつなくて、号泣した。
それまでけっこー平静に観ていたサヨナラショー。
『仮面のロマネスク』がはじまるなり、奔流が来た。
しゃくりあげている自分が不思議だった。こんな泣き方、ありえない。子どもじゃないんだぞ?
追いつめられた崩壊する時代の最期の恋人たちが、次の瞬間、しあわせそうに笑う。光がこぼれるような、花びらが揺れるような、明るいかわいらしい微笑。
ヴァルモンとメルトゥイユだったかしるいは、一瞬でかしるいにもどって、ライトを浴びて笑ってみせるんだ。
いろんな色を持つ恋人同士。短いけれど光彩を放つ時間をともに生き、ともに終焉を迎えるふたり。それは、凝縮された人生にも似て。
かしちゃんは単体よりも、恋人といるときの方が魅力の出る人だった。
そのことがはっきりとわかる、この最後のショーが愛しい。
愛する人といる。そのときこそ、輝くひと。
ある意味残酷に、ある意味強く、ある意味やさしく、ある意味おおらかに。
愛することでいろんな顔を見せてくれる。
だから愛のひと。
だから運命。
だから。
だから、彼の導くものが、愛しい。
……貴城けいサヨナラショー。
彼のタカラジェンヌ人生最後のショー。
それが、さらに彼の魅力を見せてくれるものであることが、うれしくてせつなくて、くるしい。
新しい魅力。きっとかっしーは、「真ん中」に、「相手役」と立つことで、脇で決まった相手なしでいたときには出せなかった魅力を、開放していくはずだったろう。
10年間貴城けいを見てきたわたしもまだまだ知らない、未知の魅力を持っていたことだろう。
もっと彼を、知りたかった。
運命……あるいは、「神」といってもいいかもしれない。
わたしたちの手の届かない、わたしたちに関与し、自在に翻弄する、あらがいがたい力。
それを、目にすることがあったら。
ひとは、こんな眼をするのかもしれない。
それを思った。
宙組公演千秋楽、『貴城けいサヨナラショー』。
かしちゃんを見つめるるいちゃんの眼がね。
「運命」を視る目だった。
あらがいがたい、強大な力。人を超えた存在。
るいちゃんにとって、かしちゃんは……かしちゃんに対する想いは、そーゆーとこまで行っているのかもしれないな、と、思った。
かしるいがどういう状況で結ばれ、ともに1作きりで散るのかはわからない。
意志なのか、そうでないのか。
歓喜なのか慚愧なのか、諦念なのか信念なのか。
わたしには、想像することさえできない。
どんな事情や感情があるにせよ、わかっていることは、ふたりが共に滅びる者として、対峙しているということだ。
これだけ多くの人間がひしめいている中で。
今の自分の立場、今の自分の心情を理解し、分かち合える相手は、ただひとりだけ。
灰色の世界のなかに、ただひとり、色を持って立つ人がいる。
それが、かしげにとってのるいであり、るいにとってのかしげであるということ。
多くの人の中でひとりだということは、無人島でひとりであることとはチガウ絶望がある。ある意味無人島にいるよりも孤独である。
だが、かしるいは、ひとりではない。
彼らには、互いがいるんだ。
「あなたがいたから、生きていられた」
『仮面のロマネスク』の歌詞が、胸に突き刺さる。
このふたりで、よかった。
かしちゃんに対するるいちゃん、るいちゃんに対するかしちゃん。彼らが、ひとりでなくてよかった。かけらとかけらが合ってひとつのパーツになるように、片翼と片翼が合って飛び立てるように。
かしちゃんに、るいちゃんがいてくれてよかった。
かしちゃんは、強い人だ。
強くないと言いながら、とても強い人だ。少なくとも、公の場では「貴城けい」としての顔を保ち続けている。
その強さで、るいちゃんを包み、導いている。
かしちゃんの強さが発揮されているのは、組替え後だと思う。この人事がすべて予定されていたものだというなら、自分のタカラジェンヌとしての終焉を知った上で、発揮された強さだと思う。
ほんとうは、これほど強い人だった。強靱な持ち味の人だった。雪組の御曹司、きらきら白馬の王子様だったときには発揮できなかったカラーだ。あのまま雪でのんびりトップになっていたら、表に出ることはなかったかもしれない力だ。
今のかっしーを見ることができた、知ることができた、それを、すばらしいことだと思う。
これほどすばらしい人を、長年愛し見守ってきたのだと思えることを、誇りに思う。
るいちゃんが見ているのは、その「強いかっしー」だ。
雪組時代のヘタレかしちゃんじゃない。
天下無敵の美貌を持ったかっしーが、それまでは持たなかった強さや男っぽさを備えて、ある日ふつーの女の子(といっても、相当美少女。少女マンガで「ふつーのヒロイン」といえば、設定はどうあれ見た目は絶対相当かわいいんだからな)るいの前に現れる。
「キミは、僕を愛する運命にある」
彼は予言する。
反発する暇も、困惑している暇もない。
抱きしめられて口づけられて、あとはもうめくるめく(笑)惑乱の世界へ。
気が付けば、彼を愛している。
理屈じゃない。
本能が、彼を求めている。
親も家も友だちも、学校も未来もみんな捨てる。
彼以外、なにも必要ない。
それがまちがっていることはわかる。ゆがんでいる、なにかおかしい、わかっていても、止められない。
彼が「運命」だから。
彼が「神」だから。
彼が「世界」だから。
愛欲ではなく、敬虔な祈りが満ちる。
自分ではどうすることもできない、大きなものに対峙した。
人の姿をして、美しい青年の姿をして、彼女の前に現れた。
彼女が視ているものは、「彼」ではなく、「彼」を超えた、もっと別の、果てしないもの。
それは、彼女自身に由来するものかもしれない。
かしちゃんを視る、るいちゃんの眼が、せつなくて。
凝視、という言葉が合うほどに強く見開いた眼で見つめて。
瞳ではなく眼という文字が合うような、いびつささえ感じる強さで。
「運命」を視てしまった彼女は、どうなるのだろう?
ふつーに生きていたら、そんなもん見えるはずがない。
だけどぎりぎりまで追いつめられ、研ぎすまされた濃密な時間と空間の中にいた彼女には、見えたのかもしれないな。
それはおそろしくて、そして、うらやましいことだ。
ふつーに生きていたら、見えない、感じられないことだから。
見えなくていい、感じなくていいことだとしても。
うらやましいよ、るいちゃん。
わたしはあなたになって、かしげと心中したかったよ。
砲弾の音と崩れ落ちる屋敷の中で、踊り続けたかったさ。
自分を見つめるかしげのなかに、「運命」を視たかったさ。
せつなくてせつなくて、号泣した。
それまでけっこー平静に観ていたサヨナラショー。
『仮面のロマネスク』がはじまるなり、奔流が来た。
しゃくりあげている自分が不思議だった。こんな泣き方、ありえない。子どもじゃないんだぞ?
追いつめられた崩壊する時代の最期の恋人たちが、次の瞬間、しあわせそうに笑う。光がこぼれるような、花びらが揺れるような、明るいかわいらしい微笑。
ヴァルモンとメルトゥイユだったかしるいは、一瞬でかしるいにもどって、ライトを浴びて笑ってみせるんだ。
いろんな色を持つ恋人同士。短いけれど光彩を放つ時間をともに生き、ともに終焉を迎えるふたり。それは、凝縮された人生にも似て。
かしちゃんは単体よりも、恋人といるときの方が魅力の出る人だった。
そのことがはっきりとわかる、この最後のショーが愛しい。
愛する人といる。そのときこそ、輝くひと。
ある意味残酷に、ある意味強く、ある意味やさしく、ある意味おおらかに。
愛することでいろんな顔を見せてくれる。
だから愛のひと。
だから運命。
だから。
だから、彼の導くものが、愛しい。
……貴城けいサヨナラショー。
彼のタカラジェンヌ人生最後のショー。
それが、さらに彼の魅力を見せてくれるものであることが、うれしくてせつなくて、くるしい。
新しい魅力。きっとかっしーは、「真ん中」に、「相手役」と立つことで、脇で決まった相手なしでいたときには出せなかった魅力を、開放していくはずだったろう。
10年間貴城けいを見てきたわたしもまだまだ知らない、未知の魅力を持っていたことだろう。
もっと彼を、知りたかった。
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