愛しい記憶と愛しい現在と。@貴城けいサヨナラショー
2006年12月13日 タカラヅカ 過去にわたしは、1作トップぶんちゃんのサヨナラショーを観ている。エスプリホールでだけどな。
星組作品の曲ばかりで構成された、雪組ファンには馴染みのないサヨナラショーだった。仕方ない、とはいえ、雪組で3公演(博多座のように1ヶ月もあった公演を入れれば4公演)一緒に過ごしたのに雪作品を潔いまでに排除した構成に、寂しいモノを感じた。
また、同時退団するスター成瀬も、雪組での曲ではなく月組時代の曲を選んでいたこともあり、ほんとーにどこの組のショーかわからない状態だった。
わたしがいたホールの空気も微妙だった。劇場内ではない映像を眺めるホールだから、空気はそのまま低いざわめきになる。
「この曲知ってる?」「知らない……」「コレも知らない……」
ぶんちゃん個人ファンしかわからない曲が続き、客席のテンションが微妙になる。もちろん、基本はあたたかく、また涙涙で見送っているのだけど。
ぶんちゃんのときの微妙な空気感をおぼえているから。てゆーかある意味トラウマ、忘れられないでいるから。
1作トップが発表されたとき、そのことにも傷ついた。
あの、微妙な空気。
個人ファンはいいけれど、置き去りにされた組ファンの複雑の心境。
知らない曲ばかりなのは仕方ない、それでも見送らなきゃ、盛り上がらなきゃ!と、馴染みのない曲に手拍子を送る姿。次こそは知ってる曲かな? ……また知らない曲だ、の連続。
ちゃんと見送りたい、大切なわたしたちの組のトップさん! そう思っているのに、曲を知らないがゆえにさみしい気持ちになる。好きだからこそ、見せつけられる「知らない歴史」にかなしくなる。共有したいのに、どうすることもできない思い出に、苦しくなる。
組替え先での1作トップ、という、気の毒な状況と相まって。
かしげもまた、あーゆーサヨナラショーをするんだろうか。
とゆー危惧があったので、前楽を観たときは選曲にとてもぴりぴりしていた、『貴城けいサヨナラショー』。
『コパカバーナ』ではじまったり、『ネオ・ヴォヤージュ』を入れたり、雪時代の曲でもわざわざ『ワンダーランド』のような新しい作品、しかも主題歌ではあまりに雪組臭が強い(ついこの前コムちゃんがサヨナラショーで使った)ので劇中曲を選ぶあたり、気を遣っているなと、しみじみ思った。
3公演、雪組本公演に出演していたぶんちゃんが星組一色のサヨナラショーをしたんだ、1公演ぽっきりのかっしーがそうでもまったくおかしくはないのに。
それでも、宙組の曲を使うんだね。
かっしー、宙組が好きなんだね。
そして、宙組の子たちが、応えてくれているね。
かっしーのワンマンショーではなく、相手役のるいちゃん、同時退団者たち、そして組子全員が一丸となって取り組む、きちんとしたショー作品だった。
すげー出番多いんですけどみんな。すげー踊ってるんですけどみんな。
お稽古、大変だったろうなあ。よくぞここまで。
いやその、『ワンダーランド』がよりにもよってアラビアのシーンだったものでオチをどうするつもりなんだ、と手に汗握ったんだが、どーしてくれよう(笑)。
ええ、大嫌いな『ワンダーランド』。そしていちばん大嫌いなアラビアのシーン(笑)。なにが嫌いかって、あのくだらないオチがあるからよ。
「『ネオ・ヴォヤージュ』と『ワンダーランド』はどっちが駄作か」と、仲間たち話した究極の二者択一、わたしは「『ワンダーランド』が駄作! だってアラビアがあるから! かしちゃんにあんなことをやらせるなんて、石田許すまじ!!」と答えていたもんだ。
サヨナラショーでは衣装がきれいになっており、さらに、あの最悪なオチがなかった。
すると、ものすごーくいいシーンになっている。あああ、やっぱりオチが悪かったんだよまったくもー! と、今さら再確認。
でも、最初はオチがないなんてわからないからおびえたよ。「リピーターやコアなファンの存在を念頭に置かず、団体の一見さん向けに作られた大衆娯楽場面」、温泉旅館の余興のようなオチを見せられたときの、あの嫌な気持ちを、サヨナラショーでは味わいたくない!
で、次のシーンがるいちゃんと同期による『ネオ・ヴォヤージュ』でしょ。
「『ネオ・ヴォヤージュ』と『ワンダーランド』はどっちが駄作か」という、究極の二択を続けられて、ツボ直撃しました。やー、すげー。
以降の雪組メドレー(本公演主題歌ナシ、主演公演曲という、ある意味地味な選択)は想定の範囲内だったので置くとして。
『仮面のロマネスク』は、クリティカルだった。
あの歌、あの台詞、あのシチュエーション。
予備知識がないまま見せられて、そのまま撃沈した。しゃくりあげるほど泣いた。
おぼえているさ、新人公演。
かしちゃんは衣装を着て立っているだけでもいっぱいいっぱいだった。まだ長の学年でもないっつーのに、いきなりの大人の男で初主演。
ゆきちゃんが演じてあんなにエロい役、エロい台詞が、ちーっともエロくならないことに感心したさ。
ま、わたしはケロ目当てで客席にいたんだけどなー。ダンスニー@ケロは、本役より正しい役作りだったと今でも確信しているぞっと(トドのダンスニーは「変な人」、ケロのダンスニーは「いい人」だった)。
あの、ちいさな男の子が。
若くて幼くてなんにもできなかった子が。
今、大人の男として、ここにいる。
そうか、『仮面のロマネスク』か。かしるいで観てみたかった、コレ。
雪組時代のかしげではない、宙組のかしげで観たい。……そう思えることがうれしい。かっしーはたしかに、変わったんだ。意味があったんだ。この組替えも。
さよならはかなしくても、1作きりに納得なんかしていなくても、それでも無意味なことなんてなにひとつない。
宙組に来て貴城けいは変わった。雪組時代より、さらにいい男になった。その事実がうれしい。
サヨナラショーで泣きツボ直撃の魂シェイクシェ〜イク(何故かピート@めぐむ調)されたのは、『仮面のロマネスク』と、『コパカバーナ』関連全部。
『コパ』はいかん。いかんちや。と、嘘っぱち土佐弁で降参してしまうくらい、勘弁してください状態。(幕末ミーハーなので、竜馬喋りでごっこ遊びくらい、学生時代さんざんやったさ)
『コパ』はしあわせの記憶だから。
かしちゃんお披露目おめでとー!と、夜行に乗って駆けつけた博多座初日。
闇雲にわくわくしていたあの時間、あの日々。
初日の幕が下りたあと、興奮冷めやらぬまま川下りの船に乗り、博多を堪能したっけ。ひとり旅のわたしに、地元の人たちはすげーやさしかった。
船から見た夕焼け。
……知らないおじさんに、博多駅まで車で送ってもらったなぁ(笑)。みんないい人だった。
出会う人出会う人、みんなやさしくていい人で。ヅカ関係の人も、まーったく関係ない通りすがりの人も。
やさしい、たのしい旅の記憶は、『コパ』のたのしさ、かしちゃんのトップお披露目のよろこびとも融合して。
ただただ幸福な記憶となる。
帰りの夜行で、知り合ったばかりのかしファン(ブログに博多座初日行くと宣言していたため、ココを読んでくれている人に捕獲された。顔バレしてないハズなのに・笑)と、えんえん喋った。かしちゃんファンに会うのは長いヅカファン人生でもはぢめてのことだ。すっげーうれしくて、いっぱいいっぱいかしちゃんの話をした。
信じていた未来。幸福。
幸福の記憶が押し寄せてきて、痛い。
痛くて痛くて泣く。
『コパ』の中でも、「踊る阿呆」よりさらにさらに、るいちゃんの「さらばオクラホマ」ではじまる歌の方が、痛かった。
はじまりの歌、新しい希望に満ちた歌だから。
彼女の歌声に、新生宙組、かしるいに夢を見た時間がよみがえってくる。
博多旅行が幸福であった分、今の現実が痛くて泣く。
いや、今のかしるいが博多のころよりさらにさらに素敵になっているから。
だから余計に泣く。
で、ラストの「奇跡」でまた泣いて。「さだまさしかよっ」とツッコミつつも、こーゆーところで歌われるとすげーリンクして泣けるよなと。某趣味の悪い語らせすぎのショパンがどーのクラシックがどーのというショーの曲とえらいちがいだ。
雪組メドレーがいちばん平静でいられた、というこの事実。
それが、かっしーが成長し、今、この組のトップスターであるということなんだろう。
宙組として宙組メンバーと共にあったかしコンの曲の方が、胸に迫ったしな。
過去を振り返るより、現在が愛しい。
そう思わせてくれるかっしーと、宙組の仲間たちが愛しい。
まだまだ未整理だけど。すべて納得できたわけではないけれど。
それでも、サヨナラショーを観られて良かったんだ。
いいサヨナラショーだったよ。
ありがとう。
星組作品の曲ばかりで構成された、雪組ファンには馴染みのないサヨナラショーだった。仕方ない、とはいえ、雪組で3公演(博多座のように1ヶ月もあった公演を入れれば4公演)一緒に過ごしたのに雪作品を潔いまでに排除した構成に、寂しいモノを感じた。
また、同時退団するスター成瀬も、雪組での曲ではなく月組時代の曲を選んでいたこともあり、ほんとーにどこの組のショーかわからない状態だった。
わたしがいたホールの空気も微妙だった。劇場内ではない映像を眺めるホールだから、空気はそのまま低いざわめきになる。
「この曲知ってる?」「知らない……」「コレも知らない……」
ぶんちゃん個人ファンしかわからない曲が続き、客席のテンションが微妙になる。もちろん、基本はあたたかく、また涙涙で見送っているのだけど。
ぶんちゃんのときの微妙な空気感をおぼえているから。てゆーかある意味トラウマ、忘れられないでいるから。
1作トップが発表されたとき、そのことにも傷ついた。
あの、微妙な空気。
個人ファンはいいけれど、置き去りにされた組ファンの複雑の心境。
知らない曲ばかりなのは仕方ない、それでも見送らなきゃ、盛り上がらなきゃ!と、馴染みのない曲に手拍子を送る姿。次こそは知ってる曲かな? ……また知らない曲だ、の連続。
ちゃんと見送りたい、大切なわたしたちの組のトップさん! そう思っているのに、曲を知らないがゆえにさみしい気持ちになる。好きだからこそ、見せつけられる「知らない歴史」にかなしくなる。共有したいのに、どうすることもできない思い出に、苦しくなる。
組替え先での1作トップ、という、気の毒な状況と相まって。
かしげもまた、あーゆーサヨナラショーをするんだろうか。
とゆー危惧があったので、前楽を観たときは選曲にとてもぴりぴりしていた、『貴城けいサヨナラショー』。
『コパカバーナ』ではじまったり、『ネオ・ヴォヤージュ』を入れたり、雪時代の曲でもわざわざ『ワンダーランド』のような新しい作品、しかも主題歌ではあまりに雪組臭が強い(ついこの前コムちゃんがサヨナラショーで使った)ので劇中曲を選ぶあたり、気を遣っているなと、しみじみ思った。
3公演、雪組本公演に出演していたぶんちゃんが星組一色のサヨナラショーをしたんだ、1公演ぽっきりのかっしーがそうでもまったくおかしくはないのに。
それでも、宙組の曲を使うんだね。
かっしー、宙組が好きなんだね。
そして、宙組の子たちが、応えてくれているね。
かっしーのワンマンショーではなく、相手役のるいちゃん、同時退団者たち、そして組子全員が一丸となって取り組む、きちんとしたショー作品だった。
すげー出番多いんですけどみんな。すげー踊ってるんですけどみんな。
お稽古、大変だったろうなあ。よくぞここまで。
いやその、『ワンダーランド』がよりにもよってアラビアのシーンだったものでオチをどうするつもりなんだ、と手に汗握ったんだが、どーしてくれよう(笑)。
ええ、大嫌いな『ワンダーランド』。そしていちばん大嫌いなアラビアのシーン(笑)。なにが嫌いかって、あのくだらないオチがあるからよ。
「『ネオ・ヴォヤージュ』と『ワンダーランド』はどっちが駄作か」と、仲間たち話した究極の二者択一、わたしは「『ワンダーランド』が駄作! だってアラビアがあるから! かしちゃんにあんなことをやらせるなんて、石田許すまじ!!」と答えていたもんだ。
サヨナラショーでは衣装がきれいになっており、さらに、あの最悪なオチがなかった。
すると、ものすごーくいいシーンになっている。あああ、やっぱりオチが悪かったんだよまったくもー! と、今さら再確認。
でも、最初はオチがないなんてわからないからおびえたよ。「リピーターやコアなファンの存在を念頭に置かず、団体の一見さん向けに作られた大衆娯楽場面」、温泉旅館の余興のようなオチを見せられたときの、あの嫌な気持ちを、サヨナラショーでは味わいたくない!
で、次のシーンがるいちゃんと同期による『ネオ・ヴォヤージュ』でしょ。
「『ネオ・ヴォヤージュ』と『ワンダーランド』はどっちが駄作か」という、究極の二択を続けられて、ツボ直撃しました。やー、すげー。
以降の雪組メドレー(本公演主題歌ナシ、主演公演曲という、ある意味地味な選択)は想定の範囲内だったので置くとして。
『仮面のロマネスク』は、クリティカルだった。
あの歌、あの台詞、あのシチュエーション。
予備知識がないまま見せられて、そのまま撃沈した。しゃくりあげるほど泣いた。
おぼえているさ、新人公演。
かしちゃんは衣装を着て立っているだけでもいっぱいいっぱいだった。まだ長の学年でもないっつーのに、いきなりの大人の男で初主演。
ゆきちゃんが演じてあんなにエロい役、エロい台詞が、ちーっともエロくならないことに感心したさ。
ま、わたしはケロ目当てで客席にいたんだけどなー。ダンスニー@ケロは、本役より正しい役作りだったと今でも確信しているぞっと(トドのダンスニーは「変な人」、ケロのダンスニーは「いい人」だった)。
あの、ちいさな男の子が。
若くて幼くてなんにもできなかった子が。
今、大人の男として、ここにいる。
そうか、『仮面のロマネスク』か。かしるいで観てみたかった、コレ。
雪組時代のかしげではない、宙組のかしげで観たい。……そう思えることがうれしい。かっしーはたしかに、変わったんだ。意味があったんだ。この組替えも。
さよならはかなしくても、1作きりに納得なんかしていなくても、それでも無意味なことなんてなにひとつない。
宙組に来て貴城けいは変わった。雪組時代より、さらにいい男になった。その事実がうれしい。
サヨナラショーで泣きツボ直撃の魂シェイクシェ〜イク(何故かピート@めぐむ調)されたのは、『仮面のロマネスク』と、『コパカバーナ』関連全部。
『コパ』はいかん。いかんちや。と、嘘っぱち土佐弁で降参してしまうくらい、勘弁してください状態。(幕末ミーハーなので、竜馬喋りでごっこ遊びくらい、学生時代さんざんやったさ)
『コパ』はしあわせの記憶だから。
かしちゃんお披露目おめでとー!と、夜行に乗って駆けつけた博多座初日。
闇雲にわくわくしていたあの時間、あの日々。
初日の幕が下りたあと、興奮冷めやらぬまま川下りの船に乗り、博多を堪能したっけ。ひとり旅のわたしに、地元の人たちはすげーやさしかった。
船から見た夕焼け。
……知らないおじさんに、博多駅まで車で送ってもらったなぁ(笑)。みんないい人だった。
出会う人出会う人、みんなやさしくていい人で。ヅカ関係の人も、まーったく関係ない通りすがりの人も。
やさしい、たのしい旅の記憶は、『コパ』のたのしさ、かしちゃんのトップお披露目のよろこびとも融合して。
ただただ幸福な記憶となる。
帰りの夜行で、知り合ったばかりのかしファン(ブログに博多座初日行くと宣言していたため、ココを読んでくれている人に捕獲された。顔バレしてないハズなのに・笑)と、えんえん喋った。かしちゃんファンに会うのは長いヅカファン人生でもはぢめてのことだ。すっげーうれしくて、いっぱいいっぱいかしちゃんの話をした。
信じていた未来。幸福。
幸福の記憶が押し寄せてきて、痛い。
痛くて痛くて泣く。
『コパ』の中でも、「踊る阿呆」よりさらにさらに、るいちゃんの「さらばオクラホマ」ではじまる歌の方が、痛かった。
はじまりの歌、新しい希望に満ちた歌だから。
彼女の歌声に、新生宙組、かしるいに夢を見た時間がよみがえってくる。
博多旅行が幸福であった分、今の現実が痛くて泣く。
いや、今のかしるいが博多のころよりさらにさらに素敵になっているから。
だから余計に泣く。
で、ラストの「奇跡」でまた泣いて。「さだまさしかよっ」とツッコミつつも、こーゆーところで歌われるとすげーリンクして泣けるよなと。某趣味の悪い語らせすぎのショパンがどーのクラシックがどーのというショーの曲とえらいちがいだ。
雪組メドレーがいちばん平静でいられた、というこの事実。
それが、かっしーが成長し、今、この組のトップスターであるということなんだろう。
宙組として宙組メンバーと共にあったかしコンの曲の方が、胸に迫ったしな。
過去を振り返るより、現在が愛しい。
そう思わせてくれるかっしーと、宙組の仲間たちが愛しい。
まだまだ未整理だけど。すべて納得できたわけではないけれど。
それでも、サヨナラショーを観られて良かったんだ。
いいサヨナラショーだったよ。
ありがとう。
コメント