オギー役者ふたりでコンビだもんなぁ。そりゃ異質だわ。@ヘイズ・コード
2006年12月17日 タカラヅカ 現代の男は、背が低い。
テレビでも映画(洋画含む)でも、背の低い男たちがあったりまえに闊歩している。同じ身長か、あるいは彼より大きな女たちとラブストーリーを演じている。
背の高い王子様と、小さなお姫様の恋物語なんて、マンガやアニメの中だけだ。
現実の人間が演じると、「男女の身長差」なんてほとんどない。
もちろん、背の高い美男俳優もいるにはいる。だが「背が高い」ことがウリになるくらい、数が少ない。
大多数のタレントは、背が低い。
何故現代の男たちは、こうまで小さいのか。
食生活の悪さだとか、子どもの頃から酒だの煙草だのやってるせいもあるんだろうけど(煙草を吸ったことがない中学生とか、存在するのか?)、ひとつには女の子のスタイルが良くなったせいだろう。相対的なものだ。高いか低いかを決めるのなんて。
なにしろ日本人男性の平均身長は170cmだ。
正確には171とコンマ以下くらいなのか? キリが悪いのでここでは170で通すが。
170cmっていったら、「低い」よね?
世の中の女の子たちの平均身長が163cmとか言われる時代だよ?
女性ファッション誌の「体型別着こなし」とか見たら、「163cmのふつう体型のアナタ」「172cmの長身のアナタ」とか「158cmの小柄なアナタ」とかに分けられているこの現代。
男が170ぽっちじゃ「低い」でしょう。
だって女の子はヒールを履くもの。
安定のいい6cmヒールを平均身長の女の子が履いたら、169cmになっちゃうよ。
男と並ぶと、「身長おんなじ」になっちゃうよ。
テレビに出てくる女の子は大抵スタイルがイイし、ヒールも履くから170cmくらいになっている。
背がある程度高くないと、きれいなスタイルであることが難しい。身長170cmで八等身とか九等身とかっていくらでも聞くけれど、身長150cmで九等身とかって、顔の大きさどんなことになるんだ?って話。身長がないとキツイわな。
一方、タレントだからって男はハイヒールを履かない。
同じくらいの身長の男女で、ラブストーリーをする。
テレビの中でなくても、町を歩けば電車に乗れば、男たちの小ささは嘆息もの。6cm程度のヒールを履いただけのわたしが、車両の中で「ひょっとしてあたし、今この中でいちばん背が高い?!」とびびる経験はいくらでもある。
「平均」てのは中間的数値のことであって、世のほとんどの人が170cmなわけじゃない。180cm50人と160cm50人でも平均は170cmになるからな。
170cmの人が100人、160cmが100人、180cmが100人いても、平均は170cm。
てゆーことは、170cmと160cmの人が200人で「背が低い」人が3分の2、「背が高い」人は3分の1しかいないっちゅーことになる。
これは現実としての正しい計算ではまったくないけど。数字の上ではこうなる。
現代の男は、背が低いのだ、ほんとーに。
だからこそ古い男尊女卑の精神を持ち、それでも女の夢の世界という相反する世界観を持つ「宝塚歌劇」では、「男役は背が高くないとダメ、娘役は小さくなくてはダメ」というすり込みがある。
もちろんソレは、「背の高い王子様と、彼より小さなお姫様の恋物語」に夢を抱く女の本能と、「男は強くあるべき、女はソレに従え」という男尊女卑精神の融合であるが。
現実問題として男役は「背が高くないと、男に見えるように作れない」ということがある。技術がなくても背さえ高ければ男っぽく見える。後押しする力になる。
だから、男役は娘役より大きい。
それがタカラヅカの「あたりまえ」。
現実社会がどうであろうと、タカラヅカだけは「男は長身、女は彼より小さい」を貫いてきた。
嘘でも。
かなり無理があっても。
貫いてきたんだ。
それが。
『ヘイズ・コード』を観て、思った。
あ、ふつーに男女身長差無しだ。
ヘタすると、女の子の方が大きい?
タカラヅカでは、およそ見ない構図。
あすかちゃんはその卓越した娘役芸でちゃんと小さくなっているんだけど、それでもあちこちで大きい印象を受ける。
彼女の素晴らしいプロポーションに感激する。
トウコが、小さい。
なにがどうじゃなく、ただたんに、物理的に身長が足りてない、というだけのことだ。
「背の高い王子様と、彼より小さなお姫様の恋物語」がタカラヅカの存在価値、あるいは必要不可欠だと思って観ていたら、新生星組トップコンビの体格はゆるせないものになるだろう。
わたしはそこまで思い込んでいたわけじゃないが、なにしろずーっとソレが「あたりまえ」であり「常識」であったので、トウコとあすかの並びに改めてショックを受けた。
あ、ふつーに男女身長差無しだ。
ヘタすると、女の子の方が大きい?
そんなタカラヅカのトップコンビ、見たことなかったから。
もちろん過去に長身の娘役と小柄な男役のトップコンビはいたけれど。それでもビジュアル的にここまで「身長差がない」ことを感じたことがなかったの。
はじめびっくりして、そして。
感じたのは、リアルさ。
世の男たちは、小さい。
ヒールを履いた女の子と同じくらいの身長で、あたりまえに恋をしている。腕を組んで歩いている。あちこちで人目もはばからずいちゃついている。
どんなに小柄でも、トウコはちゃんと男に見える。
洋画に出てくる色男。キザでうさんくさくて、クドい二枚目。男っぽいのに、かわいげもあり、ヲトメ心を刺激する。
大きくないからこその、リアリティ。
たしかに実感する、厚みを感じるナマの男。
それはトウコの芸風でもある。
質感やら体重やらを感じさせないフェアリーではなく、現実の生々しさを、ゆめゆめしい愛だ恋だのキラキラ舞台で展開する力。
リアルでありながら、それでも夢を描く力。
あすかちゃんのたしかな実力と相まって、ふたりの見せる「恋」は、絵空事ではないときめきを感じさせてくれる。
そりゃわたしも、背の高い男は好きだ。現実でも180cm以上の男はそれだけでかっこよく見えるっつーもんさ。
タカラヅカでも男女身長差があると萌える。男の腕に女の子がすっぽり入っちゃったりするのを見るの、ダイスキだ。
でも、それだけが、すべてぢゃない。
温度だとか濃さだとか息づかいだとか肉感だとか。
リアルな部分での相性がいいカップルだ。トウコとあすか。
おもしろい。
こんなタカラヅカ・トップコンビって。
たか花のよーに、ひたすら美しくトリップさせてくれるカップルも好きだけど、5組あるタカラヅカ全部が全部たか花である必要はない。
「芝居好き」「物語好き」の血が騒ぐ(笑)。
このふたりで、もっともっと「物語」が見たい。
ひりつくような愛憎劇だとか、世界を溶かすようなメロメロドラマだとか。
「男と女」が見たい。トウコとあすかで。
現代の男は、背が低い。
だから、トウコの背が低くても、なんの問題もないさ。
要はその素材で、「どんなものを見せてくれるか」だ。
テレビでも映画(洋画含む)でも、背の低い男たちがあったりまえに闊歩している。同じ身長か、あるいは彼より大きな女たちとラブストーリーを演じている。
背の高い王子様と、小さなお姫様の恋物語なんて、マンガやアニメの中だけだ。
現実の人間が演じると、「男女の身長差」なんてほとんどない。
もちろん、背の高い美男俳優もいるにはいる。だが「背が高い」ことがウリになるくらい、数が少ない。
大多数のタレントは、背が低い。
何故現代の男たちは、こうまで小さいのか。
食生活の悪さだとか、子どもの頃から酒だの煙草だのやってるせいもあるんだろうけど(煙草を吸ったことがない中学生とか、存在するのか?)、ひとつには女の子のスタイルが良くなったせいだろう。相対的なものだ。高いか低いかを決めるのなんて。
なにしろ日本人男性の平均身長は170cmだ。
正確には171とコンマ以下くらいなのか? キリが悪いのでここでは170で通すが。
170cmっていったら、「低い」よね?
世の中の女の子たちの平均身長が163cmとか言われる時代だよ?
女性ファッション誌の「体型別着こなし」とか見たら、「163cmのふつう体型のアナタ」「172cmの長身のアナタ」とか「158cmの小柄なアナタ」とかに分けられているこの現代。
男が170ぽっちじゃ「低い」でしょう。
だって女の子はヒールを履くもの。
安定のいい6cmヒールを平均身長の女の子が履いたら、169cmになっちゃうよ。
男と並ぶと、「身長おんなじ」になっちゃうよ。
テレビに出てくる女の子は大抵スタイルがイイし、ヒールも履くから170cmくらいになっている。
背がある程度高くないと、きれいなスタイルであることが難しい。身長170cmで八等身とか九等身とかっていくらでも聞くけれど、身長150cmで九等身とかって、顔の大きさどんなことになるんだ?って話。身長がないとキツイわな。
一方、タレントだからって男はハイヒールを履かない。
同じくらいの身長の男女で、ラブストーリーをする。
テレビの中でなくても、町を歩けば電車に乗れば、男たちの小ささは嘆息もの。6cm程度のヒールを履いただけのわたしが、車両の中で「ひょっとしてあたし、今この中でいちばん背が高い?!」とびびる経験はいくらでもある。
「平均」てのは中間的数値のことであって、世のほとんどの人が170cmなわけじゃない。180cm50人と160cm50人でも平均は170cmになるからな。
170cmの人が100人、160cmが100人、180cmが100人いても、平均は170cm。
てゆーことは、170cmと160cmの人が200人で「背が低い」人が3分の2、「背が高い」人は3分の1しかいないっちゅーことになる。
これは現実としての正しい計算ではまったくないけど。数字の上ではこうなる。
現代の男は、背が低いのだ、ほんとーに。
だからこそ古い男尊女卑の精神を持ち、それでも女の夢の世界という相反する世界観を持つ「宝塚歌劇」では、「男役は背が高くないとダメ、娘役は小さくなくてはダメ」というすり込みがある。
もちろんソレは、「背の高い王子様と、彼より小さなお姫様の恋物語」に夢を抱く女の本能と、「男は強くあるべき、女はソレに従え」という男尊女卑精神の融合であるが。
現実問題として男役は「背が高くないと、男に見えるように作れない」ということがある。技術がなくても背さえ高ければ男っぽく見える。後押しする力になる。
だから、男役は娘役より大きい。
それがタカラヅカの「あたりまえ」。
現実社会がどうであろうと、タカラヅカだけは「男は長身、女は彼より小さい」を貫いてきた。
嘘でも。
かなり無理があっても。
貫いてきたんだ。
それが。
『ヘイズ・コード』を観て、思った。
あ、ふつーに男女身長差無しだ。
ヘタすると、女の子の方が大きい?
タカラヅカでは、およそ見ない構図。
あすかちゃんはその卓越した娘役芸でちゃんと小さくなっているんだけど、それでもあちこちで大きい印象を受ける。
彼女の素晴らしいプロポーションに感激する。
トウコが、小さい。
なにがどうじゃなく、ただたんに、物理的に身長が足りてない、というだけのことだ。
「背の高い王子様と、彼より小さなお姫様の恋物語」がタカラヅカの存在価値、あるいは必要不可欠だと思って観ていたら、新生星組トップコンビの体格はゆるせないものになるだろう。
わたしはそこまで思い込んでいたわけじゃないが、なにしろずーっとソレが「あたりまえ」であり「常識」であったので、トウコとあすかの並びに改めてショックを受けた。
あ、ふつーに男女身長差無しだ。
ヘタすると、女の子の方が大きい?
そんなタカラヅカのトップコンビ、見たことなかったから。
もちろん過去に長身の娘役と小柄な男役のトップコンビはいたけれど。それでもビジュアル的にここまで「身長差がない」ことを感じたことがなかったの。
はじめびっくりして、そして。
感じたのは、リアルさ。
世の男たちは、小さい。
ヒールを履いた女の子と同じくらいの身長で、あたりまえに恋をしている。腕を組んで歩いている。あちこちで人目もはばからずいちゃついている。
どんなに小柄でも、トウコはちゃんと男に見える。
洋画に出てくる色男。キザでうさんくさくて、クドい二枚目。男っぽいのに、かわいげもあり、ヲトメ心を刺激する。
大きくないからこその、リアリティ。
たしかに実感する、厚みを感じるナマの男。
それはトウコの芸風でもある。
質感やら体重やらを感じさせないフェアリーではなく、現実の生々しさを、ゆめゆめしい愛だ恋だのキラキラ舞台で展開する力。
リアルでありながら、それでも夢を描く力。
あすかちゃんのたしかな実力と相まって、ふたりの見せる「恋」は、絵空事ではないときめきを感じさせてくれる。
そりゃわたしも、背の高い男は好きだ。現実でも180cm以上の男はそれだけでかっこよく見えるっつーもんさ。
タカラヅカでも男女身長差があると萌える。男の腕に女の子がすっぽり入っちゃったりするのを見るの、ダイスキだ。
でも、それだけが、すべてぢゃない。
温度だとか濃さだとか息づかいだとか肉感だとか。
リアルな部分での相性がいいカップルだ。トウコとあすか。
おもしろい。
こんなタカラヅカ・トップコンビって。
たか花のよーに、ひたすら美しくトリップさせてくれるカップルも好きだけど、5組あるタカラヅカ全部が全部たか花である必要はない。
「芝居好き」「物語好き」の血が騒ぐ(笑)。
このふたりで、もっともっと「物語」が見たい。
ひりつくような愛憎劇だとか、世界を溶かすようなメロメロドラマだとか。
「男と女」が見たい。トウコとあすかで。
現代の男は、背が低い。
だから、トウコの背が低くても、なんの問題もないさ。
要はその素材で、「どんなものを見せてくれるか」だ。
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