底力を見せるのは、アクシデントのときだろうさ。
 そしてソレは、どさくさまぎれの力ではなく、蓄積した技術や経験が能力として発揮されるということ。

 演出変更された『ヘイズ・コード』を観て思った。

 トウコちゃんが声帯を傷め、歌えなくなっている。話す声自体がどえらいことになっている。
 そのために演出が変更になっている。ソロはすべてカット、なくせない歌は、録音された曲や別の人が歌う声にあわせて、口パクしている。

 そう聞いて、純粋に訝しんだ。
 トウコちゃんが心配、ショック、とかそーゆーことは置いておいて、ただ初日を観た者として、一観客として、
「ろくに声のでない人を主役にして、演出変更したからって、舞台が成り立つの? なにをどう変更すれば成り立つの?」
 と、首をかしげたんだ。

 そして実際に観に行って。

 トウコちゃんの「声」におどろき、口パクにおどろき、演出変更におどろき、なによりも、舞台がちゃんと成り立っていることに、おどろいた。

 思うように抑揚のつけられない、ざらざらしたレイモンド@トウコの声は、たしかにもどかしかった。ここはこうしたいわけじゃないだろう。初日はもっと抑揚があった、感情が込められていた……なのに「声を出す」ことが精一杯の一本調子のかすれた喋り。
 でも、それだけだ。
 初見ならソレも気づかないかもしれない。そーゆー抑揚のない話し方をするクールなキャラクタ、で通るんじゃないか。
 口パクはさすがに変だし、とくにリビィ@あすかとのデュエットで、別人の声に口パクしているのは違和感があったことはたしかだけれど、それでいてなお、物語として舞台として、致命的な問題にはならず、ちゃーんと進んでいくのがすごい。

 わかっていた。
 トウコは、歌だけの人じゃない。
 役者としての力を、きちんと持つ人だ。たとえ歌部分全部カットでストレートプレイになっていたとしても、観客をたのしませるだけの演技をしてくれる人だと安心していた。
 演技だけでなく、場を支配する力を持つ人だ。その他大勢の脇役ではなく、「真ん中」に立つべき能力を持つ人。
 空気を動かし、どこが真ん中であるかを知らしめる人。たまたま持って生まれただけの「神様のお手柄」でしかない、与えられただけのものではなく、後天的に自分の力で得た、実力で輝く人。

 その力を、信じていた。
 だから、わかっていた。
 この窮地を、トウコが乗り越えることを。

 絶対的信頼のもと、
「ろくに声のでない人を主役にして、演出変更したからって、舞台が成り立つの? なにをどう変更すれば成り立つの?」
 と、思っていた。
 さあて、どんなことになっているの? どんな変更なの? ありえるの、そんなこと?
 トウコと星組を信頼してなきゃ、思わないさ。

 そのうえで。

 想像を超えたトウコの声のひどさと、それでもちゃーんと『ヘイズ・コード』という作品を完結させてしまうトウコと星組の底力に、想像をまるっと超えられてしまった。

 すげえ。
 こいつら、すげえや。

 演出変更になったあとからこの公演を観た人が、口をそろえて言う。
「口パク以外は、どこが変更になっているのかわからなかった」
 歌が少ないなとは思う、コーラスになっているところがひょっとしたらトウコのソロだったのかなと予想する……ぐらいで、「トウコの声が出ない」という先入観がなければ思わなかっただろう程度のきしみ。

 突然の演出変更について行き作品を作り上げた出演者もすごいし、違和感ない変更を施した演出家もすごい。
 演出家が大野先生でよかった〜〜!! 実力のある、若く順応力のある人でよかった。

 わたしはとにかく記憶力がろくにないので、細かい変更点なぞ、気づきもしませんさ。
 口パクだとか、存在自体なかったことになっているソロに少々気づくだけで。
 ここまで違和感なく作り上げてくれた『ヘイズ・コード』に惜しみない拍手を。

 
 とゆーのはさらにさらに、置いておいて。
 やっぱり完璧版を観たかった。
 歌いまくりのトウコの美声に酔いしれたかった。
 観客とはわがままで貪欲なものなのさ。

 一朝一夕に治るものではないと思いつつ、また、絶対に無理して欲しくない、これからの舞台人生活に響くようなことにならないよう完治させて欲しいと思いつつ。

 ドラマシティ千秋楽までに、治ってくれないかなぁ……と、はかない期待を抱いていた。
 や、無理だろうと思ってたし、無理して欲しくないと思っていたんだけど!!

 つーことで、ドラマシティ千秋楽の話。

 長くなったんで、ふたつに分けるね。

翌日欄へ続く。


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