キラキラ・アイドル。@『維新回天・竜馬伝!』新人公演
2007年1月4日 タカラヅカ お正月だから、『維新回天・竜馬伝!』新人公演の話をしよう。
なんでお正月で『維新回天・竜馬伝!』新公なのかって?
キラキラしたものには幸福感があるからですよ。
宙組公演『維新回天・竜馬伝!』は、正月公演、お披露目公演としては悪くない作品だ。新しい時代への期待感がある。竜馬は志半ばで倒れるけれど、それで彼の人生が無駄になるわけじゃない。彼はたしかに、新しい扉を開いてみせたのだから。
内容は「幕末ストーリーダイジェスト」なので、多くは求めない。有名人たちが次々出て来るので、地方から出てきた団体のお客さんが「おお、西郷隆盛か、知ってるぞ」とか「高杉晋作、知ってる知ってる」と、「知っている人たちがなにかしている=うちの子がホームビデオに出ている」と同じ感覚で楽しむことのできる作品だと位置づけている。
タカラヅカは大衆演劇なので、ソレもありだろうと思う。
ただ、かしちゃんの1作限りの大劇場公演が「うちの子がホームビデオに出ている」レベルの意義で作られた、団体さん向け(つまり、一般的ヅカファンが嫌い)な作品でなきゃならんのだ、という憤りがあるだけで。
ただのお披露目作品、これからはじまる新しい時代の先駆けとなる作品なら、コレでもぜんぜんよかったんだよ。
だから、未来のある若者たちが、夢と希望を胸に新人公演をやるのはOKさ。
お正月にふさわしいさ。
坂本竜馬@ちぎ。
この子が、ものごっつー、キラキラしていた。
ダイジェストでしかないこの物語において、竜馬のいちばんの役割、いちばん必要な資質は、「魅力」なんだ。
歴史とか人物とか出来事とか、めまぐるしくかわる状況の中、なにを見ればいいのか。ストーリーなんかあってなきがごとし、なにを見ればいいのか。
坂本竜馬だ。
竜馬が、魅力的である、ということ。
「よくわかんないけど、竜馬がキラキラしてた」「なにがどうしてそうなるのか、歴史とかちっともわかんないけど、要するに竜馬がすごいのよね?」と、観客に思わせること。
本役のかしげ竜馬がそうであるように。
ちぎは正しく成長している。
そのことに、目もくらむ思いだ。
続けてタニちゃんの役をやってきて、たかこの役、かしげの役を1回ずつやったわけだが。
タニの演じる役というのは、タニにしかならない。他の誰が演じても、タニと同じにはならないんだ。それが大和悠河というスターの持つ力。
なのにちぎだけは、タニのコピーでありえた。タニそのままではもちろんないが、タニと同じ方向性のキャラを演じることができた。
そして今、キラキラ輝いているかしげの役を、同じようにキラキラ輝きながら演じることができる。
前回の『NEVER SAY GOODBYE』新公のジョルジュだとか、『UNDERSTUDY』のコーネリアスだとか、おとなしめの役ではダメなんだな。アイドル系の役でないと、力を発揮できないんだ。
耐えるとか支えるとか忍ぶとかの、月系の役ではなく、発散する活動する愛する愛されるという、太陽系の役。それでこそ活き活きと輝くことのできる個性。
そういう理屈ではない輝きが、まぶしくてならない。
アイドル竜馬がそこにいた。相変わらず歌唱力はアレだし日本物の所作も着こなしも足りてなくても、その輝きだけで説得力になる。
そうか、幕末の志士たちは、権力者たちは、この輝きに惑乱されたんだな。浮き足だったんだな。そう思える。
タニの問答無用の華、そして宙組に来てからのかしちゃんのキラキラっぷりを、ちぎは踏襲して行くんだろう。彼らの役を新公で演じることによって、それらを身につけてゆくのだろう。
かしちゃんが、ちゃんとちぎのなかに生きていることが見えて、うれしい。
ちぎがかしちゃんを尊敬し、吸収しようと意欲満々に食いついているさまが見えて、うれしい。
かしちゃんがいたこと。
宙組トップスターだったこと。
たとえ、この1作きりで終わってしまうのだとしても、「なかったこと」にはならない。
竜馬は志半ばで倒れるけれど、それで彼の人生が無駄になるわけじゃない。彼はたしかに、新しい扉を開いてみせたのだから。
後進の中に、その意識は意義はその志は、伝えられていく。育っていく。
ちぎのなかにかしちゃんを感じ、泣けた。
似てる、とかそーゆーんじゃない。生きている、とゆー方が近い。
がんばれ、ちぎ。
かっしーの志を継いで、はばたいてくれ。
かっしーになれと言っているんじゃない。ちぎ自身の魅力と能力で、さらに先を目指してくれ。かっしーもそれをのぞんでいるはずだ。
……実力に関してはもー、なにも言うまい。てゆーか、よくわかんない。
彼のキラキラした笑顔に泣けて、それどころではなかったから。いやその、微妙なところはいろいろいろいろわかったけど……(笑)。
ヒロインお竜@たっちん。
お竜ってこんなに歌の少ない役だったんだ、と改めて思った。たっちんだからつい、歌を期待して構えて観てしまう。されど、待てども待てども歌がない。……そうか……。
とってもかわいかった。てゆーかほんとお竜ってかわいい役だよなー。ちょっとしたことが、女の子としてすごくかわいい。
そしてたっちん、なんて危なげのない初ヒロイン(笑)。堂々として、ふつうにいつもヒロインやっていそうだ。まあ彼女のキャリアを考えれば当然だけど。
歌がないので、芝居で勝負。いつも芝居より歌の方が表現が豊かに感じ、アンバランスさに首をかしげていたのだけど、今回はソレもナシ。うまいよね。
ただ、日本物は似合わないなぁ。髷のせいでやたら肩より上が大きい印象。
がんばれー。
慶喜@春風弥里は、堅いなー、という印象。役の堅さ、縛りにがんじがらめになってそれ以上を踏み出せなかったかな?
今回春風くんがなんでこんなに精彩を欠いているのかを考え、すぐに答えを見付ける。
女と絡んでなかったからだ!
『NEVER SAY GOODBYE』新公でなにがよかったって、女と絡んでるとこだったもんなー(笑)。みょーにエロくてステキだった。
てゆーか単に、慶喜は難しい役なんだと思う。若い子には荷が重いだろう。春風くんはよくやっているのではないかと。
主要キャラ以外は前に感想を書いたよーな気がするので、このへんで筆を置く。
新しい時代の息吹を感じさせる若者たち。
がんばってくれ。
新人公演は、それだけで希望の固まりだから。
なんでお正月で『維新回天・竜馬伝!』新公なのかって?
キラキラしたものには幸福感があるからですよ。
宙組公演『維新回天・竜馬伝!』は、正月公演、お披露目公演としては悪くない作品だ。新しい時代への期待感がある。竜馬は志半ばで倒れるけれど、それで彼の人生が無駄になるわけじゃない。彼はたしかに、新しい扉を開いてみせたのだから。
内容は「幕末ストーリーダイジェスト」なので、多くは求めない。有名人たちが次々出て来るので、地方から出てきた団体のお客さんが「おお、西郷隆盛か、知ってるぞ」とか「高杉晋作、知ってる知ってる」と、「知っている人たちがなにかしている=うちの子がホームビデオに出ている」と同じ感覚で楽しむことのできる作品だと位置づけている。
タカラヅカは大衆演劇なので、ソレもありだろうと思う。
ただ、かしちゃんの1作限りの大劇場公演が「うちの子がホームビデオに出ている」レベルの意義で作られた、団体さん向け(つまり、一般的ヅカファンが嫌い)な作品でなきゃならんのだ、という憤りがあるだけで。
ただのお披露目作品、これからはじまる新しい時代の先駆けとなる作品なら、コレでもぜんぜんよかったんだよ。
だから、未来のある若者たちが、夢と希望を胸に新人公演をやるのはOKさ。
お正月にふさわしいさ。
坂本竜馬@ちぎ。
この子が、ものごっつー、キラキラしていた。
ダイジェストでしかないこの物語において、竜馬のいちばんの役割、いちばん必要な資質は、「魅力」なんだ。
歴史とか人物とか出来事とか、めまぐるしくかわる状況の中、なにを見ればいいのか。ストーリーなんかあってなきがごとし、なにを見ればいいのか。
坂本竜馬だ。
竜馬が、魅力的である、ということ。
「よくわかんないけど、竜馬がキラキラしてた」「なにがどうしてそうなるのか、歴史とかちっともわかんないけど、要するに竜馬がすごいのよね?」と、観客に思わせること。
本役のかしげ竜馬がそうであるように。
ちぎは正しく成長している。
そのことに、目もくらむ思いだ。
続けてタニちゃんの役をやってきて、たかこの役、かしげの役を1回ずつやったわけだが。
タニの演じる役というのは、タニにしかならない。他の誰が演じても、タニと同じにはならないんだ。それが大和悠河というスターの持つ力。
なのにちぎだけは、タニのコピーでありえた。タニそのままではもちろんないが、タニと同じ方向性のキャラを演じることができた。
そして今、キラキラ輝いているかしげの役を、同じようにキラキラ輝きながら演じることができる。
前回の『NEVER SAY GOODBYE』新公のジョルジュだとか、『UNDERSTUDY』のコーネリアスだとか、おとなしめの役ではダメなんだな。アイドル系の役でないと、力を発揮できないんだ。
耐えるとか支えるとか忍ぶとかの、月系の役ではなく、発散する活動する愛する愛されるという、太陽系の役。それでこそ活き活きと輝くことのできる個性。
そういう理屈ではない輝きが、まぶしくてならない。
アイドル竜馬がそこにいた。相変わらず歌唱力はアレだし日本物の所作も着こなしも足りてなくても、その輝きだけで説得力になる。
そうか、幕末の志士たちは、権力者たちは、この輝きに惑乱されたんだな。浮き足だったんだな。そう思える。
タニの問答無用の華、そして宙組に来てからのかしちゃんのキラキラっぷりを、ちぎは踏襲して行くんだろう。彼らの役を新公で演じることによって、それらを身につけてゆくのだろう。
かしちゃんが、ちゃんとちぎのなかに生きていることが見えて、うれしい。
ちぎがかしちゃんを尊敬し、吸収しようと意欲満々に食いついているさまが見えて、うれしい。
かしちゃんがいたこと。
宙組トップスターだったこと。
たとえ、この1作きりで終わってしまうのだとしても、「なかったこと」にはならない。
竜馬は志半ばで倒れるけれど、それで彼の人生が無駄になるわけじゃない。彼はたしかに、新しい扉を開いてみせたのだから。
後進の中に、その意識は意義はその志は、伝えられていく。育っていく。
ちぎのなかにかしちゃんを感じ、泣けた。
似てる、とかそーゆーんじゃない。生きている、とゆー方が近い。
がんばれ、ちぎ。
かっしーの志を継いで、はばたいてくれ。
かっしーになれと言っているんじゃない。ちぎ自身の魅力と能力で、さらに先を目指してくれ。かっしーもそれをのぞんでいるはずだ。
……実力に関してはもー、なにも言うまい。てゆーか、よくわかんない。
彼のキラキラした笑顔に泣けて、それどころではなかったから。いやその、微妙なところはいろいろいろいろわかったけど……(笑)。
ヒロインお竜@たっちん。
お竜ってこんなに歌の少ない役だったんだ、と改めて思った。たっちんだからつい、歌を期待して構えて観てしまう。されど、待てども待てども歌がない。……そうか……。
とってもかわいかった。てゆーかほんとお竜ってかわいい役だよなー。ちょっとしたことが、女の子としてすごくかわいい。
そしてたっちん、なんて危なげのない初ヒロイン(笑)。堂々として、ふつうにいつもヒロインやっていそうだ。まあ彼女のキャリアを考えれば当然だけど。
歌がないので、芝居で勝負。いつも芝居より歌の方が表現が豊かに感じ、アンバランスさに首をかしげていたのだけど、今回はソレもナシ。うまいよね。
ただ、日本物は似合わないなぁ。髷のせいでやたら肩より上が大きい印象。
がんばれー。
慶喜@春風弥里は、堅いなー、という印象。役の堅さ、縛りにがんじがらめになってそれ以上を踏み出せなかったかな?
今回春風くんがなんでこんなに精彩を欠いているのかを考え、すぐに答えを見付ける。
女と絡んでなかったからだ!
『NEVER SAY GOODBYE』新公でなにがよかったって、女と絡んでるとこだったもんなー(笑)。みょーにエロくてステキだった。
てゆーか単に、慶喜は難しい役なんだと思う。若い子には荷が重いだろう。春風くんはよくやっているのではないかと。
主要キャラ以外は前に感想を書いたよーな気がするので、このへんで筆を置く。
新しい時代の息吹を感じさせる若者たち。
がんばってくれ。
新人公演は、それだけで希望の固まりだから。
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