幸福な2007年。@Hallelujah GO!GO!
 ←ポスターと「満員御礼」シールの字体がみょーにマッチ。

 なにかに似てる……なにかを思い出す……と考えて。

「そうか、デコトラだ!」

 このノリ、このセンス、そしてトドメのこの字体。デコトラだ。
「デコトラ! たしかに!!」
「デコトラだよねー」
 と、ポスター1枚、シール1枚で盛り上がる。なんて幸福な2007年ヅカ初め。
 

 1年の計は元旦にあり、なにごとも最初が肝心、今年1年の幸福なヅカファン生活のためにも縁起を担ぎ、「植爺作品で2007年ヅカ初めは回避」しました。

 つーことで、チケットもないのにムラへGO!
 ナニ気にチケ難公演、いつもの場所も門の前も財布持って待っている人ばかり。
 ドリーさんにサバキGETしてもらい、満員御礼のバウホールへ。
 柚木礼音主演『Hallelujah GO!GO!』

 
 最高にしあわせな物語でした。

 ドリーさんとふたり、幕間から「泣いた」「泣けるよねっ」と盛り上がる。

 ええ。
 わたしは、なんかすごーく、ダラダラと長期間泣き通しでした。

 物語は単純。
 高校を出たあとなにをするでもなく、ただ自分が気持ちいいことだけしてイキがっている自己中な青年が、ひとりの女の子と出会うことで夢とか将来とか、親とか友だちとか、「自分」以外の「他人」のことを考えられる人間に成長する。
 て、ソレだけ。すっげーお約束。定番。シンプル。

 でもソレがね。
 ものすごーくやさしい目線で描かれているの。

 自己中で、世界が自分だけで閉じている青年デニス@れおん。
 でもべつに彼は特殊ではない。きっとどこにでもいる、ふつーの男の子。
 だって彼には仲間がいる。
 親友がいて、つきあっている女の子もいる。
 ほんとうに自分勝手な人間なら、周りに人がいるはずもない。
 デニスは人気者で、俺様で、強引なキャラを認められ愛されている。
 たぶんそれは、彼の周囲の若者たちもまた彼と似たり寄ったりのパーソナリティだっつーこともあるんだろう。
 今がたのしければいい。自己中基本で横柄で傲慢。言動がイタイのは若いから。自分のことに夢中で、他人なんか見ているヒマはない。だからひとりひとりがイタくても無問題。みんな自分のことで精一杯。

 言動がイタイ、というのは、植爺のような「人としてありえないイタさ。やってはいけないイタさ」ではないよ。
 なんの根拠もなく夢を叶えられると信じていたり、しあわせな未来が待っていると信じていたり、「ここでないどこかへ行けば、なにもかもうまくいく」と思っていたりすること。そーゆー「イタさ」。
 「若い」という、そのもののイタさ。

 そんな、未熟であるがゆえのイタさに満ちあふれたデニスくんは、ある日行きつけのディスコ「CODE」で謎の少女@ウメに出会う。
 はじめて会うのに、ダンスの息がぴったり。ひとりで踊るだけでは知りようもなかった興奮。まさに運命の人。
 名前も教えず消えてしまった彼女を追って、デニスは街中を探し回る。

 デニスにとって、「世界」は閉じたモノだった。
 自分のいる場所、いて気持ちいい場所はすでに決まっていて、そこで不満をこぼしながらもぬるま湯生活をしていればよかったんだ。「いつかこの町を出てBIGになってやる」と言いながら、結局はナニもしないでいる、「安全な、閉じた世界」。
 なにも言わなくてもなぁなぁでつきあっていける仲間、そして恋人。自宅生活だから、金銭的にも切羽詰まっていない。

 そんな彼が、「はじめて見た外の世界」が、謎の少女だった。

 閉じた世界の内側で満足していたはずなのに、デニスは少女を追う。探す。
 ウサギを追いかけた、不思議の国のアリスのように。

 なぁなぁで生きてきた彼は、なにかをこんなに必死に求めたことなんかない。
 そのために、なぁなぁでつきあってきた恋人モニカ@蒼乃夕妃ちゃんとも別れた。

 ようやく見付けた運命の彼女は、教会のコーラスグループに母と一緒に参加しているよーな、お堅いお嬢様だった。名前はブレンダ。友だちに連れて行かれたディスコにハマって、こっそり変装して通っていたらしい。

 もうディスコ通いはやめる、母を騙すようなこと、母を悲しませるようなことはしたくないとブレンダは言う。
「母を尊敬している。愛している」と、毅然と言う少女。伸びた背筋の美しさ。
 親ひとり子ひとりなのは、デニスだって同じだ。
 なのにデニスは父親のことをそんなふうに言ったことなんかない。バカにして、悪態ばかり付いていた。

 デニスにとってのブレンダは、「はじめて知る異世界」だ。

 知らない価値観、知らない強さ。
 だから彼は、閉じていた目を開く。彼女に惹かれた、彼女に出会った、それゆえに。

 同じころ、親友ブライアン@和が事件を起こした。金のために犯罪に手を出した。彼がそこまで追いつめられていることを、「親友」という美しい名前だけ持っていたデニスは、知りもしなかった。

 「閉じていた世界」「自分だけが居心地のいい、都合のいい世界」……それに対して疑問を抱くようになったデニスは、新しい世界へと歩き出す。

 愛、ゆえに。

 ブレンダを想う心ゆえに。ブライアンを想う心ゆえに。自己中だった自分を「恥ずかしい」と想う、心ゆえに。

 そんなデニスに、「世界」はやさしい。

 泣けるほど。
 彼自身は傷ついて悩んでいても、彼をとりまくすべて、つつむすべてがやさしい。

 あたりまえに、仲間たちがいる。
 デニスが一目惚れして探し回っていた、ブレンダ。彼女を一目見てみたい、とミーハー心丸出しで集まった仲間たち。
 ブレンダがデニスのダンスパートナーになることを、彼女のお堅い母親が許したことを、自分のことのよーによろこぶ。
 ここまでなら、物語的にもよくあることだけど。
 このあと彼らは、当たり前にブレンダに挨拶をする。自己紹介とかじゃなく、「別れの挨拶」。
「またね、ブレンダ」みたいな感じで。
 またねもなにも、アンタ誰よ? ブレンダとは初対面でしょ? ……まるで、10年来の友だちみたいに。
 デニスの友だちは、彼らの友だちなんだ。なんの説明もなく、友だちであれるんだ。ブレンダのために一喜一憂できて、「またね!」と笑って手を振れるんだ。
 その自然さに、涙が出る。
 軽い、イタイ、幼い友情だけど。みんな基本自己中で人間できてないんだけど。
 それでも、彼らはほんとーに大切なことはわかっている。デニスもわかっている。
 だから、彼らの周りには彼らがいる。ひとりぼっちではなく、彼らはいつも大勢でわいわいやっていられるんだ。

 友だちがいる、ということの素晴らしさ。

 フィクションでは、主人公にちゃんとした友だちがろくにいないもんなんだよね。テレビドラマとか見てよ、ほんとにいないから。
 会話の相方、合いの手を入れる人間が必要だから友だちキャラをひとり作りました、程度。ほんとに友情があるかどうか怪しい程度の描き方。主人公の恋愛描くだけで時間いっぱいだから、親友まで描写しているヒマないです、みたいな。
 友情メインの物語でない限り、友だちってのはどーでもいい描かれ方をするもんだ。

 それがわかっているだけに、ちゃんと「友だち」のいる主人公がうれしい。
 友情もきちんと描く、稲葉先生の作風がうれしい。
 デビュー作の『Appartement Cinema』も、友情を描いていたよね。

 「友だち」のいる世界はやさしい。
 主人公を……そして、彼を通して疑似体験をする、観客であるわたしたちをとりまく世界もまた、やさしいんだ。

 
 イタイ子どもだったデニスが、自分で扉を開けて歩き出す物語。
 見守る仲間たちも、大人たちも、みんなみんな、やさしさにあふれた物語。

 デニスと仲間たちの幼いイタさ、その年代だけが持つ、いずれ失ってしまうキラキラしたものがまぶしくて、泣けて泣けて仕方なかった。
 青さも愚かしさも、なにもかもが愛しい。

 老人が青春期の日記のページを、見えない目でめくりながら微笑んでいるかのような、愛しさと切なさ。

 ミラーボールが回り電飾が輝く、「ちょっと昔」の舞台が、「失われた青春」を回顧するかのように、賛美するかのように光り続けるんだ。

 しあわせでしあわせで、出てくるキャラクタひとりひとりがいとしくて。
 泣き続けた。

 なんてHAPPYな物語。
 なんてやさしい物語。

 この作品で2007年を迎えられたなんて、わたしは幸福だ。
 

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