『Hallelujah GO!GO!』が、お正月公演でよかった。新年明けてすぐの公演でよかった。
 おかげでなんて幸福な1年のはじまり。
「タカラヅカがダイスキだ」
 と、目をキラキラさせて宣言できるよーな、愛しい物語から、新しい年をはじめられてしあわせだ。

 だけど。

 作品の完成度からすれば、お正月公演でなければよかった。

 とゆーのもだ。
 デニス・ジュニア@れおん2役の存在って、いらんやろ?

 デニス・ジュニアが語る「父の話」で幕を開け、ラストシーンはデニス・ジュニアの結婚式。
 だけど物語自体は、デニスのもの。

 それまでずーっとデニスとブレンダ@ウメに感情移入して観劇してきて、ラストで思い切り拍子抜け。
 えっ?! 主人公、変わっちゃったの?!!
 誰よアンタ、デニス・ジュニアの花嫁は彼の母親にそっくり、って、ウメちゃんがウェディングドレスで登場……って、んなバカな!!
 祝福している友人たちは、同一人物? それともそれぞれのジュニアたち?

 わたしが愛し、見守ってきた人々はどこ?!

 ……これは反則だろ。
 デニスの物語であり、ブレンダとの恋を丹念に描いてきたのに、何故最後でソレを全部ぶちこわすんだ?
 デニスもブレンダも、出てこないんだよ。知らない人=デニス・ジュニアとその嫁で終わるの。
 口ぽかーん……。

 主役変更にちゃんと計算があり、それゆえに感動を大きくすることができるなら、やってもいいさ。
 でも、この作品のめちゃくちゃな主役変更の意図って、「2007年のお正月公演だから」ってだけでしょ?!!

 電飾に「2007」って書きたかった。……ソレだけのために、2時間デニスの物語を見てきたにもかかわらず、ハッピーエンド、ハッピーウェディングはデニスではなく、デニス・ジュニア。

 馬鹿げてる。

 またコレが、ものすごーく無理矢理こじつけているのが、丸見えなのね。
 うまく処理してくれりゃーいいのに、粗しかないときたもんだ。

 やめときゃいいのに。
 せっかくのお約束だけど気持ちのいいかわいい物語を、つまらないことで自分でぶちこわして。
 「ヘイズ・コード」とか「シークレット・ハンター」とか、『ヘイズ・コード』の大野先生がやったのと同じ遊びをここでもやるんだけど、ものすごーく無理矢理だしな。
 稲葉先生、内輪受けと仕事は区別しようよ。かっこわるいっす。

 お正月公演でなければよかった。

 そうすればコレ、デニス・ジュニアなんて存在しなかったんでしょう?
 ちゃんとデニスの語りからはじまり、最後はデニスとブレンダの結婚式で終わりだよね?
 1975年から、無意味に2007年へ舞台を飛ばさなくてはならなかったから、ただそれだけのためにデニス・ジュニアを作ったんだよね?

 「作品」を愛したいから、そんなバカなことはしないでほしかった。
 いくら同じ役者だからって、「知らない人」がいきなり出てきて終わりはひどいよ。それも、愛して見守ってきた主役はちゃんと生きているのに、会話に出てくるだけで出てこないの。
 どーしても2007年にして、成功したデニス・ジュニアの話をしたいっていうなら、デニスとブレンダも出せよ。年を取ったふたりを出せ。だって彼らが主役なんだから。
 最後までわたしは、期待していた。
 年を取ったふたりが出てくることを。ふたりの愛があったからこそ、息子のデニス・ジュニアがこんなにも今幸福そうに輝いているのだと、それを見守るふたりが登場することを、最後の最後まで期待していた。

 喧噪が遠ざかり、中年になったデニスとブレンダが現れる。パーティに盛り上がる若者たちの方向を眺めながら、男泣きするデニスをブレンダが抱きしめる。
 顔は見せなくていい。白髪まじりのカツラと大人らしい服装だけでいい。
 デニスとブレンダ、を見せてくれ。主役は彼らなんだから。

 そーでないとおかしいから。
 あまりに不誠実だから。顔さえ同じ、役者さえ同じなら、誰でもいいだろ、なんて作品に対しても観客に対しても、失礼過ぎる。
 たかが「2007年」って電飾を使うためだけに、「ヘイズ・コード」ってお遊びを言うためだけに、知らない人の結婚式を見せられて終わり、なんてありえないって!

 がっくり、と、肩を落とした。
 いなばっち、けっこーバカ……?
 遊ぶためだけに、作品の質を落とすって、ありえねー。
 それともナニ、歌劇団のエライ人が無理難題をふっかけたの?

エライ人「2007年のお正月公演だ。2007年から物語がはじまるようにしなさい」
いなばっち「無理ですよ! 物語の舞台は、1975年なんですよ?! どうやって30年以上もあとから話をはじめるんです?」
「そうか、できないのか。できないなら上演中止だ、キミは演出助手からやりなおしたまえ」
「……わかりました。2007年からはじめます」

 で、2007年デニス・ジュニア(ここだけ登場の脇役)が「父(=主役)の話をする」という形を無理矢理あとから付け加えた。

エライ人「はじまりだけじゃダメだな、終わりも2007年にしなさい。2007年のお正月公演なんだから」
いなばっち「無理ですよ! 物語の舞台は、1975年なんですよ?! なんのために30年以上もあとの話にするんです?!」
「息子の話からはじまるんだろう、その息子に話を戻せばいいだけのことじゃないか」
「息子は主人公ではありません。ただのナレーターです。下級生にやらせる予定です。ラストシーンを下級生で締めさせることになりますよ」
「主役の柚希にやらせればいいじゃないか。主役とその息子が同じ顔でも問題ない」
「顔の問題はなくても、主役とその息子は別人です、別人格です。主役は主役として物語を締める義務があります。最後で主役が出なくなるなんて、ありえません」
「出なくなる? 柚希は息子役で出ているじゃないか」
「息子役は息子役であって、主役ではありません!」
柚希さえ出ていればどうでもいいだろう、そんなこと」
「柚希がそれまで演じてきた主役の立場はどうなるんですか」
「柚希はちゃんと舞台の真ん中で、舞台を締めて終わる。キミがなにを言っているのかわからんね。できないなら上演中止だ、キミは演出助手からやりなおしたまえ」
「……わかりました。息子を柚希の2役にして、息子のいる2007年で締めます」

 てなことがあった結果、作品がぶっこわれた、と。
 無惨な横槍が入ったために壊れた、としか思えないもん。あまりにひどい、無意味なコワレ方で。

 お正月公演でさえなかったら、劇団のエライ人もこんなめちゃくちゃなこと言わなかっただろうに、大変だったね、いなばっち。
 無理難題を押しつけられたための回避方法で仕方なくやったにしろ、やり方がまずかったねー。

 2007年、中年になったデニスとブレンダが、「自分たちはもう人生引退だ、若い者たちに譲ろう」なんてしみじみやっているところに、昔のままの仲間たち登場、デニスとブレンダも白髪のカツラを投げ捨てて、若い姿になって歌い踊って完。とかでよかったのに。
 「れおんが出てるんだから、デニスでもデニス・ジュニアでもどーでもいい」なんて、不誠実な壊れたことをしなくても、2007年のお正月公演らしい締め方ができたのになー。

 
 や、作者が壊したラストシーンは、正直かなりあきれましたが、それでもソコをうやむやにして盛り上がれるくらいには、たのしくて大好きな物語ですよ、『Hallelujah GO!GO!』。


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