エイプリルフール、ウソ800。
2007年4月1日 タカラヅカ 4月1日エイプリルフール。
嘘をついてもいい日、ではなくて、願いが叶う日だといいのに。
『ドラえもん』のひみつ道具「ウソ800」って、エイプリルフール・ネタだっけ?
「ウソ800」を飲んでから口にした言葉は、全部嘘になる。
いいお天気だからそのまま「いい天気だね」と言うと、途端雨が降る、そんな薬。
ドラえもんは未来へ帰ってしまい、もう二度と会えない。
その現実を受け止め、のび太は肩を落として言う。「ドラえもんが帰ってくるわけないじゃないか」
諦観。絶望。
すると突然、ドラえもんが現れた。
のび太と、彼の生きる20世紀世界で、今までと同じように一緒に暮らせることになった、と。
のび太が「ウソ800」を飲んでいたためだった。
彼の言ったことが、全部嘘になったんだ。
のび太が口にした「事実」、口にすることで受け入れようとしていた「絶望」が、覆された。
「帰ってこない」は嘘に。
「二度と会えない」は嘘に。
ドラえもんはのび太の元へ戻り、のび太は号泣しながらも「嘘」を口にし続ける。
「ドラえもんは帰ってこない。ずっと一緒に暮らさない」
泣きながら、抱きしめ合いながら。
愛しい嘘を叫び続ける。
子どものころ読んだ記憶のままなんで、まちがっている可能性大だが、たしかこんな話があった。
泣いたおぼえがある。
エイプリルフールが、願いの叶う日だったらいいのに。
どうせ叶いっこない、とあきらめて口にする、ネガティヴな言葉がすべて嘘になればいいのに。
タカラジェンヌは誰もが必ず退団する。
初舞台を踏んだその日から、カウントダウンははじまっている。
生まれた命がいずれ必ず死ぬように。
それは、ただの事実。世の理。
花は散るからこそ美しいし、楽園は有限だからこそ素晴らしい。
新陳代謝を繰り返して、地球は回り続ける。
それでも。
「事実」だとか「理」だとか。
そんなもので、寂寥も哀惜もぬぐい去れやしない。
生まれたからどーせ死ぬんだ、人の寿命なんて大抵決まっている、と言ったって、いざ大切な人の命が消えていくとき、平静なんかでいられなかったように。
祖父は96歳の大往生だったけれど、それでも、その死の直後に「そんなトシまで生きたんだから、いいじゃない」と言って笑った人に、やるせない怒りを感じた。
理屈じゃない。96だから死んでイイなんて、どうして思える。祖父は次の季節をたのしみにしていた。家族で出かけるイベントを楽しみに、次の約束を楽しみに、家族を愛し猫を愛し、生きようとしていたのに。死んで良かったというのか。
終わりが来ることと、終わりを悼むことは、また別の感覚だ。
「事実」であっても。
「理」であっても。
みんなみんな、嘘になれ。
わたしの愛するあの人が、いつか必ずいなくなる、なんて事実。そんな理。
『アデュー』なんてタイトルも、嘘になれ。
わたしはただの一ファンで、ジェンヌの人事情報なんか公式を待つしかない身だし、これまでがそうだったように、年間スケジュールや任期を鑑みて心の折り合いをつけるよう努力しつつ、それでもまだ未来を夢見ている。
いやその、タイトル発表されて以来、ずーっとヘコんでるからさ。
助けてドラえもん。
嘘をついてもいい日、ではなくて、願いが叶う日だといいのに。
『ドラえもん』のひみつ道具「ウソ800」って、エイプリルフール・ネタだっけ?
「ウソ800」を飲んでから口にした言葉は、全部嘘になる。
いいお天気だからそのまま「いい天気だね」と言うと、途端雨が降る、そんな薬。
ドラえもんは未来へ帰ってしまい、もう二度と会えない。
その現実を受け止め、のび太は肩を落として言う。「ドラえもんが帰ってくるわけないじゃないか」
諦観。絶望。
すると突然、ドラえもんが現れた。
のび太と、彼の生きる20世紀世界で、今までと同じように一緒に暮らせることになった、と。
のび太が「ウソ800」を飲んでいたためだった。
彼の言ったことが、全部嘘になったんだ。
のび太が口にした「事実」、口にすることで受け入れようとしていた「絶望」が、覆された。
「帰ってこない」は嘘に。
「二度と会えない」は嘘に。
ドラえもんはのび太の元へ戻り、のび太は号泣しながらも「嘘」を口にし続ける。
「ドラえもんは帰ってこない。ずっと一緒に暮らさない」
泣きながら、抱きしめ合いながら。
愛しい嘘を叫び続ける。
子どものころ読んだ記憶のままなんで、まちがっている可能性大だが、たしかこんな話があった。
泣いたおぼえがある。
エイプリルフールが、願いの叶う日だったらいいのに。
どうせ叶いっこない、とあきらめて口にする、ネガティヴな言葉がすべて嘘になればいいのに。
タカラジェンヌは誰もが必ず退団する。
初舞台を踏んだその日から、カウントダウンははじまっている。
生まれた命がいずれ必ず死ぬように。
それは、ただの事実。世の理。
花は散るからこそ美しいし、楽園は有限だからこそ素晴らしい。
新陳代謝を繰り返して、地球は回り続ける。
それでも。
「事実」だとか「理」だとか。
そんなもので、寂寥も哀惜もぬぐい去れやしない。
生まれたからどーせ死ぬんだ、人の寿命なんて大抵決まっている、と言ったって、いざ大切な人の命が消えていくとき、平静なんかでいられなかったように。
祖父は96歳の大往生だったけれど、それでも、その死の直後に「そんなトシまで生きたんだから、いいじゃない」と言って笑った人に、やるせない怒りを感じた。
理屈じゃない。96だから死んでイイなんて、どうして思える。祖父は次の季節をたのしみにしていた。家族で出かけるイベントを楽しみに、次の約束を楽しみに、家族を愛し猫を愛し、生きようとしていたのに。死んで良かったというのか。
終わりが来ることと、終わりを悼むことは、また別の感覚だ。
「事実」であっても。
「理」であっても。
みんなみんな、嘘になれ。
わたしの愛するあの人が、いつか必ずいなくなる、なんて事実。そんな理。
『アデュー』なんてタイトルも、嘘になれ。
わたしはただの一ファンで、ジェンヌの人事情報なんか公式を待つしかない身だし、これまでがそうだったように、年間スケジュールや任期を鑑みて心の折り合いをつけるよう努力しつつ、それでもまだ未来を夢見ている。
いやその、タイトル発表されて以来、ずーっとヘコんでるからさ。
助けてドラえもん。
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