4月1日エイプリルフール。

 嘘をついてもいい日、ではなくて、願いが叶う日だといいのに。

 『ドラえもん』のひみつ道具「ウソ800」って、エイプリルフール・ネタだっけ?

 「ウソ800」を飲んでから口にした言葉は、全部嘘になる。

 いいお天気だからそのまま「いい天気だね」と言うと、途端雨が降る、そんな薬。

 ドラえもんは未来へ帰ってしまい、もう二度と会えない。
 その現実を受け止め、のび太は肩を落として言う。「ドラえもんが帰ってくるわけないじゃないか」
 諦観。絶望。

 すると突然、ドラえもんが現れた。
 のび太と、彼の生きる20世紀世界で、今までと同じように一緒に暮らせることになった、と。

 のび太が「ウソ800」を飲んでいたためだった。
 彼の言ったことが、全部嘘になったんだ。

 のび太が口にした「事実」、口にすることで受け入れようとしていた「絶望」が、覆された。

 「帰ってこない」は嘘に。
 「二度と会えない」は嘘に。

 ドラえもんはのび太の元へ戻り、のび太は号泣しながらも「嘘」を口にし続ける。

「ドラえもんは帰ってこない。ずっと一緒に暮らさない」

 泣きながら、抱きしめ合いながら。
 愛しい嘘を叫び続ける。

 
 子どものころ読んだ記憶のままなんで、まちがっている可能性大だが、たしかこんな話があった。
 泣いたおぼえがある。

 
 エイプリルフールが、願いの叶う日だったらいいのに。

 どうせ叶いっこない、とあきらめて口にする、ネガティヴな言葉がすべて嘘になればいいのに。

 タカラジェンヌは誰もが必ず退団する。

 初舞台を踏んだその日から、カウントダウンははじまっている。
 生まれた命がいずれ必ず死ぬように。
 それは、ただの事実。世の理。

 花は散るからこそ美しいし、楽園は有限だからこそ素晴らしい。
 新陳代謝を繰り返して、地球は回り続ける。

 それでも。

 「事実」だとか「理」だとか。
 そんなもので、寂寥も哀惜もぬぐい去れやしない。

 生まれたからどーせ死ぬんだ、人の寿命なんて大抵決まっている、と言ったって、いざ大切な人の命が消えていくとき、平静なんかでいられなかったように。

 祖父は96歳の大往生だったけれど、それでも、その死の直後に「そんなトシまで生きたんだから、いいじゃない」と言って笑った人に、やるせない怒りを感じた。
 理屈じゃない。96だから死んでイイなんて、どうして思える。祖父は次の季節をたのしみにしていた。家族で出かけるイベントを楽しみに、次の約束を楽しみに、家族を愛し猫を愛し、生きようとしていたのに。死んで良かったというのか。

 終わりが来ることと、終わりを悼むことは、また別の感覚だ。

 「事実」であっても。
 「理」であっても。

 
 みんなみんな、嘘になれ。

 わたしの愛するあの人が、いつか必ずいなくなる、なんて事実。そんな理。

 『アデュー』なんてタイトルも、嘘になれ。

 
 わたしはただの一ファンで、ジェンヌの人事情報なんか公式を待つしかない身だし、これまでがそうだったように、年間スケジュールや任期を鑑みて心の折り合いをつけるよう努力しつつ、それでもまだ未来を夢見ている。

 いやその、タイトル発表されて以来、ずーっとヘコんでるからさ。

 
 助けてドラえもん。


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