春野寿美礼、制御装置解除。@TUXEDO JAZZ
2007年4月6日 タカラヅカ 花組東宝初日、翌日と合計3公演連続で観てきました。
ムラから東宝へハコが移動するにあたって。
期待していたことがある。
『TUXEDO JAZZ』というワンダーランドの物語が、正しく仕切り直されていること。
ムラの初日からしばらくは、おそらくオギーの演出通りの物語になっていた。
彩音を探すオサ、オサを探す彩音、すれちがい続ける恋人同士、彼らを翻弄するまとぶ、人間のオサ様が悪魔まとぶに導かれ、混沌の中で狂気と絶望に堕ちる……ええっと、こんな感じだったよね?
それが、中日を過ぎるころには、別物。
オサ様は狂気を愉しみはじめた。
苦悩しなければならない場面で、ノリノリで歌いまくる。絶望しなければならないところで、ポーズを決める。
誰かこの人なんとかして。
オサ様は「人間」役なのに。
悪魔に翻弄される、「こちら側」の存在なのに。
誰よりも愉しそーに「あちら側」で息づかないで。
春野寿美礼って……。
なんつー困ったイキモノだ。
寿美礼様サマに「人外」を振ることは簡単だったのに、オギーは今回あえてそうしなかった、らしいのに。暗黒ではない物語を表面に描いていたのに。
なのに寿美礼サマは、勝手に「人外」キャラになる。
放っておくと、「人間」を、わたしたちの生きる「こちら側」を簡単に置き去りにして、選ばれた者だけが赦される場所へ行ってしまう。
舞台はイキモノだから、公演を重ねるごとに変化していくことは仕方がない。最初揃っていたダンスがどんどんバラバラになっていくよーに、それぞれ個性が出てしまって、当初の予定とちがってくることはある。
それをリセットする意味が、ムラと東宝の劇場移動にはある。
一旦千秋楽を迎え、再び演出家のもとお稽古をし、初日を迎える。
これまでも、ムラでヒートアップし過ぎていた舞台が、東宝初日にはムラ初日のテンションに戻っていたり、過剰なアドリブが抑えられたりしたもんだ。
だから、期待していた。
オギーがきちんと手綱を取り、好き勝手やっていたオサ様に、脚本上の演出上の演技をするよーに、仕切り直すと思っていたの。
カオスでエクスタシーのまま絶唱する寿美礼サマは大好物だけど、オギーファンでもあるわたしは、正しい「オギー作品」も観たいのよ。
期待していた、のに。
リセットされていない。
矯正されていない。
制御されていない。
当初のストーリーもテーマも、あったもんぢゃない。
ムラ楽のまんま(むしろ前楽の狂乱に近い)、さらにエスカレートしている。
春野寿美礼、暴走。
なにコレなにコレなにコレ。
寿美礼サマが暴走している。
野放しになってる。
リミッター解除。
剥き出しの、春野寿美礼。
クライマックスのカオスシーンにて。
オサ様は、魔界で笑い出す。
ただ表情が笑いのカタチになっているだけじゃない。
好きに「音」で遊んでいいこの場面で、オサ様は今までもスキャットで自在に「声」を出してきた。「みわ〜〜っち!!」と歌ったりな。
それが東宝初日。
「AH〜〜」で自由に音を遊ぶところで、オサ様、本気で笑っている。
「AHAHA」、って、歌の中で本気で笑ってるよ。
なにコレなにコレなにコレ。
カオス突入前のさあやの清浄な歌声が、狂気の歌い上げにつながる、アレンジの変更。それが示す通りに。
盛り上がる狂気。
回り出す狂乱。
春野寿美礼が、解き放たれる。
もう彼は、「人間」ぢゃない。
わたしたち側の存在じゃない。
「あちら側」が彼の居場所だ。
理解した。
理解したよ。
こちら側とあちら側が描かれるこの物語において、オサ様があんなに重いせつない「現実」を生きていたのは、わたしたちのいる「ここ」が、彼の本来の世界ではなかったためだね。
「あちら側」の人だったんだ。
なのにまちがって「こちら側」に生まれてしまった。
だからあんなにも、彼は孤独だった。
今、カオスの中で彼は本来の自分に戻る。
制御装置をはずして。
演出家も、ソレを許した。
春野寿美礼に「人間」をやらせようとした、ソレが間違いだったと認めた。
まとぶに奪われた彩音を追っていたはずの銀橋渡りも、彩音のことなんかまったく眼中にない。
彼は自分の世界を見回すことに気を取られている。
まとぶは悪魔ではない。
魔界の帝王ハルノスミレ自身の使い魔だ。彼の回りをちょろちょろすることでヒントを与えた程度。……や、寿美礼サマの目に入っていたかどうかも怪しい。
魔王は自身で覚醒したのだから。
めちゃくちゃだ。
ほんと、カオス。混沌。狂乱。
こんなめちゃくちゃなショー、知らない。
春野寿美礼がめちゃくちゃにした。
なにかもぶっ壊して、そしてその上で、君臨している。
その、圧倒的実力。カリスマ性。
作品ってのは、ここまで壊していいもんなんだ。
それを統べる、力があるなら。
気持ちいい。
能力を自在に解放する天才のオーラに身を任せるのが、最高に気持ちいい。
てゆーか、リミッター解除したオサ様に引っ張られて、他のみんなの狂気も上がってるよね?
えーらいことになってんですが。
おかげで、カオスのあとショーシーンに戻るために、音楽に「線引き」のためのアレンジ加えられてるじゃん?(笑)
オギーが、春野寿美礼を「赦した」んだなあ。
その才能を発揮するための舞台を提供したんだ。あちこち細かいアレンジして、クライマックスで大暴れしていいように、バランス調整してくれている。
ものすごく、気持ちいい作品だ。
東宝『TUXEDO JAZZ』。ムラ前半とは、明らかに別物(笑)。
いいなあ、東京の人。
これから毎日、魔王の宴で異次元体験できるなんて。
や、正しい演出だったムラの『TUXEDO JAZZ』も、できることならもう一度観たいのだけど。……もう消えてなくなってしまった。
だから今はただ、「今」の『TUXEDO JAZZ』が観たいよ。
帝王、春野寿美礼にひれ伏したい。
ムラから東宝へハコが移動するにあたって。
期待していたことがある。
『TUXEDO JAZZ』というワンダーランドの物語が、正しく仕切り直されていること。
ムラの初日からしばらくは、おそらくオギーの演出通りの物語になっていた。
彩音を探すオサ、オサを探す彩音、すれちがい続ける恋人同士、彼らを翻弄するまとぶ、人間のオサ様が悪魔まとぶに導かれ、混沌の中で狂気と絶望に堕ちる……ええっと、こんな感じだったよね?
それが、中日を過ぎるころには、別物。
オサ様は狂気を愉しみはじめた。
苦悩しなければならない場面で、ノリノリで歌いまくる。絶望しなければならないところで、ポーズを決める。
誰かこの人なんとかして。
オサ様は「人間」役なのに。
悪魔に翻弄される、「こちら側」の存在なのに。
誰よりも愉しそーに「あちら側」で息づかないで。
春野寿美礼って……。
なんつー困ったイキモノだ。
寿美礼様サマに「人外」を振ることは簡単だったのに、オギーは今回あえてそうしなかった、らしいのに。暗黒ではない物語を表面に描いていたのに。
なのに寿美礼サマは、勝手に「人外」キャラになる。
放っておくと、「人間」を、わたしたちの生きる「こちら側」を簡単に置き去りにして、選ばれた者だけが赦される場所へ行ってしまう。
舞台はイキモノだから、公演を重ねるごとに変化していくことは仕方がない。最初揃っていたダンスがどんどんバラバラになっていくよーに、それぞれ個性が出てしまって、当初の予定とちがってくることはある。
それをリセットする意味が、ムラと東宝の劇場移動にはある。
一旦千秋楽を迎え、再び演出家のもとお稽古をし、初日を迎える。
これまでも、ムラでヒートアップし過ぎていた舞台が、東宝初日にはムラ初日のテンションに戻っていたり、過剰なアドリブが抑えられたりしたもんだ。
だから、期待していた。
オギーがきちんと手綱を取り、好き勝手やっていたオサ様に、脚本上の演出上の演技をするよーに、仕切り直すと思っていたの。
カオスでエクスタシーのまま絶唱する寿美礼サマは大好物だけど、オギーファンでもあるわたしは、正しい「オギー作品」も観たいのよ。
期待していた、のに。
リセットされていない。
矯正されていない。
制御されていない。
当初のストーリーもテーマも、あったもんぢゃない。
ムラ楽のまんま(むしろ前楽の狂乱に近い)、さらにエスカレートしている。
春野寿美礼、暴走。
なにコレなにコレなにコレ。
寿美礼サマが暴走している。
野放しになってる。
リミッター解除。
剥き出しの、春野寿美礼。
クライマックスのカオスシーンにて。
オサ様は、魔界で笑い出す。
ただ表情が笑いのカタチになっているだけじゃない。
好きに「音」で遊んでいいこの場面で、オサ様は今までもスキャットで自在に「声」を出してきた。「みわ〜〜っち!!」と歌ったりな。
それが東宝初日。
「AH〜〜」で自由に音を遊ぶところで、オサ様、本気で笑っている。
「AHAHA」、って、歌の中で本気で笑ってるよ。
なにコレなにコレなにコレ。
カオス突入前のさあやの清浄な歌声が、狂気の歌い上げにつながる、アレンジの変更。それが示す通りに。
盛り上がる狂気。
回り出す狂乱。
春野寿美礼が、解き放たれる。
もう彼は、「人間」ぢゃない。
わたしたち側の存在じゃない。
「あちら側」が彼の居場所だ。
理解した。
理解したよ。
こちら側とあちら側が描かれるこの物語において、オサ様があんなに重いせつない「現実」を生きていたのは、わたしたちのいる「ここ」が、彼の本来の世界ではなかったためだね。
「あちら側」の人だったんだ。
なのにまちがって「こちら側」に生まれてしまった。
だからあんなにも、彼は孤独だった。
今、カオスの中で彼は本来の自分に戻る。
制御装置をはずして。
演出家も、ソレを許した。
春野寿美礼に「人間」をやらせようとした、ソレが間違いだったと認めた。
まとぶに奪われた彩音を追っていたはずの銀橋渡りも、彩音のことなんかまったく眼中にない。
彼は自分の世界を見回すことに気を取られている。
まとぶは悪魔ではない。
魔界の帝王ハルノスミレ自身の使い魔だ。彼の回りをちょろちょろすることでヒントを与えた程度。……や、寿美礼サマの目に入っていたかどうかも怪しい。
魔王は自身で覚醒したのだから。
めちゃくちゃだ。
ほんと、カオス。混沌。狂乱。
こんなめちゃくちゃなショー、知らない。
春野寿美礼がめちゃくちゃにした。
なにかもぶっ壊して、そしてその上で、君臨している。
その、圧倒的実力。カリスマ性。
作品ってのは、ここまで壊していいもんなんだ。
それを統べる、力があるなら。
気持ちいい。
能力を自在に解放する天才のオーラに身を任せるのが、最高に気持ちいい。
てゆーか、リミッター解除したオサ様に引っ張られて、他のみんなの狂気も上がってるよね?
えーらいことになってんですが。
おかげで、カオスのあとショーシーンに戻るために、音楽に「線引き」のためのアレンジ加えられてるじゃん?(笑)
オギーが、春野寿美礼を「赦した」んだなあ。
その才能を発揮するための舞台を提供したんだ。あちこち細かいアレンジして、クライマックスで大暴れしていいように、バランス調整してくれている。
ものすごく、気持ちいい作品だ。
東宝『TUXEDO JAZZ』。ムラ前半とは、明らかに別物(笑)。
いいなあ、東京の人。
これから毎日、魔王の宴で異次元体験できるなんて。
や、正しい演出だったムラの『TUXEDO JAZZ』も、できることならもう一度観たいのだけど。……もう消えてなくなってしまった。
だから今はただ、「今」の『TUXEDO JAZZ』が観たいよ。
帝王、春野寿美礼にひれ伏したい。
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