いつか、還るところ。@TUXEDO JAZZ
2007年4月24日 タカラヅカ わたしは、『TUXEDO JAZZ』が好きだ。
観れば観るほど、好きになっている。
しかし。
うーん。
あんまし、他人様にはお勧めできないよなあ、コレ。
どんなにこまったことになっていても、『タランテラ!』は胸を張ってオススメできたのね。
「タカラヅカ」としての欠点はあれど、「作品」としての力を確信していたから。
ヅカファンには不評かもしれない、でも、ヅカとは関係なく「ドラマ」を愛する人は観て。この世ではない、人間が、人間だからこそ創り得る「異世界」を愛する人は観て。
ショーとしても、物語としても、秀逸だから。
むしろ、「こうでなくてはならない」に凝り固まったヅカファン以外の人にこそ、観て欲しい、評価して欲しい作品だった。
実際、ヅカファン以外にも好評だったみたいだし。ヅカなんてキョーミない、でもオギーだから観る、てなあたりの人は熱狂(笑)。
オギーがその才能とシュミを野放しにした作品。
しかし、『TUXEDO JAZZ』は。
ヅカファン的にも、オギーファン的にも、どうよ?
ヅカファンが受け入れない作品であることは、容易に想像がつく。
シックなスーツの男女がクラシックに踊った直後、水玉原色ラテン衣装でバンボコ踊り狂うのがヅカのショーだもん。次の瞬間軍服とロングドレスで不倫の恋とかやってたりするのがヅカのショーだもん。
同じテイストの場面が続くと、「ヅカのショー」らしくない、つまらない、単調だ、と攻撃されるのが「ヅカのショー」だもん。
もちろん、ソレでいいと思うし、それでこそタカラヅカだとわたしも思っている。
だから、同じテイストで貫かれた『TUXEDO JAZZ』は、メリハリに欠けるタカラヅカらしくない、つまらないショーだと判断される可能性は、大いにある。
オギーセンサーがついていないと、「よくわかんなかったけど、なんか気になる」ともならないだろうしなあ。
あ、オギーセンサーって、彼の作品の中にある「毒」を感知する力。べつに、持ってなくても、人生ナニも困らないもの。
センサーに引っかかると、「とりあえず、もう一度観てみよう」となり、2回目になるとセンサーの針がぎゅいんぎゅいん動いて「さすがオギー!! この作品好き!」になる(笑)。
しかしふつーの人はふつーに1回だけ観て、「つまんないから、もういいや」てなことになるよなあ。
なんでこんなことになってるんだろう。
オギーは今まで、「オギー全開場面」と、「一般人用の華やかな場面」を交互に入れるなどして、工夫してきていたのに。
『TUXEDO JAZZ』は、「オギー色」をゆるめにしたことで、誤解したのかな。毒を薄めた分、無理してヅカっぽい仕掛けをしておもねらなくてもいいや、って。
毒も薄いけれど、華やかさも薄い。
……それって、単に、全体が同じ色になってしまっただけぢゃあ?
まずいってば。ソレ。
わたしはオギーのショー作品で『パッサージュ』をもっとも愛しているけれど、アレなんかほんと、「オギー場面」と「ヅカ場面」のサンドイッチ作品。ふたつがわかりやすーく交互に来る(笑)。
また、オギー場面もダークさを秘めているとはいえ十分見た目にも華やかだったしなあ。
『バビロン』はオギー場面と全体のテーマが乖離していて苦手なのでスルーするとして(笑)、『ドルチェ・ヴィータ!』は過去2作を踏まえた上で、さらに「オギー場面」と「ヅカ場面」の使い分けと融合が洗練された印象。
で、『タランテラ!』がオギー暴走、ヅカ置き去り作品(笑)。
『TUXEDO JAZZ』は、『タランテラ!』直後ってのが災いしたのかなあ。
「オギー場面」が薄いのはヅカファン的にいいことかもしれないが、「ヅカ場面」も薄いっつーはやばいって。
つーことで、あんましおおっぴらにオススメできない、『TUXEDO JAZZ』。
「絶対イイよ、すごいから、モノ創る人間なら絶対観て損ないから!!」
と、豪語していた『パッサージュ』や『ドルチェ・ヴィータ!』、『タランテラ!』とはちがって。
『TUXEDO JAZZ』は。
「えーと、まあ、よかったら観てみて。あちこちに仕掛けがしてあるから、ハマるとすげーおもしろいよ?」(語尾上がる)
てな勧め方になってますよ、ヲタクな人相手にすら。
うおおお。
やーんもー、複雑だわー。
でももちろん、声を大きくして、付け加えているけどね。
「でもわたしは、ダイスキよ」
と。
薄い毒はリピートすることで中毒になるし、どれほど毒がちりばめられていても、基本にあるのは「やさしさ」だし。
切なさや痛み、かなしみと表裏一体だとしても。それで「やさしさ」が損なわれることはない。
「♪誰もがみなここへと きっと帰りくる」
……愛しい場所。
愛しい世界。
寿美礼サマの魔王っぷりと、まっつ眺めているだけでしあわせだもん!!
……と言うと途端に、「作品」を薦める、説得力が落ちるけどなー。
や、全部本音だし。とほ。
観れば観るほど、好きになっている。
しかし。
うーん。
あんまし、他人様にはお勧めできないよなあ、コレ。
どんなにこまったことになっていても、『タランテラ!』は胸を張ってオススメできたのね。
「タカラヅカ」としての欠点はあれど、「作品」としての力を確信していたから。
ヅカファンには不評かもしれない、でも、ヅカとは関係なく「ドラマ」を愛する人は観て。この世ではない、人間が、人間だからこそ創り得る「異世界」を愛する人は観て。
ショーとしても、物語としても、秀逸だから。
むしろ、「こうでなくてはならない」に凝り固まったヅカファン以外の人にこそ、観て欲しい、評価して欲しい作品だった。
実際、ヅカファン以外にも好評だったみたいだし。ヅカなんてキョーミない、でもオギーだから観る、てなあたりの人は熱狂(笑)。
オギーがその才能とシュミを野放しにした作品。
しかし、『TUXEDO JAZZ』は。
ヅカファン的にも、オギーファン的にも、どうよ?
ヅカファンが受け入れない作品であることは、容易に想像がつく。
シックなスーツの男女がクラシックに踊った直後、水玉原色ラテン衣装でバンボコ踊り狂うのがヅカのショーだもん。次の瞬間軍服とロングドレスで不倫の恋とかやってたりするのがヅカのショーだもん。
同じテイストの場面が続くと、「ヅカのショー」らしくない、つまらない、単調だ、と攻撃されるのが「ヅカのショー」だもん。
もちろん、ソレでいいと思うし、それでこそタカラヅカだとわたしも思っている。
だから、同じテイストで貫かれた『TUXEDO JAZZ』は、メリハリに欠けるタカラヅカらしくない、つまらないショーだと判断される可能性は、大いにある。
オギーセンサーがついていないと、「よくわかんなかったけど、なんか気になる」ともならないだろうしなあ。
あ、オギーセンサーって、彼の作品の中にある「毒」を感知する力。べつに、持ってなくても、人生ナニも困らないもの。
センサーに引っかかると、「とりあえず、もう一度観てみよう」となり、2回目になるとセンサーの針がぎゅいんぎゅいん動いて「さすがオギー!! この作品好き!」になる(笑)。
しかしふつーの人はふつーに1回だけ観て、「つまんないから、もういいや」てなことになるよなあ。
なんでこんなことになってるんだろう。
オギーは今まで、「オギー全開場面」と、「一般人用の華やかな場面」を交互に入れるなどして、工夫してきていたのに。
『TUXEDO JAZZ』は、「オギー色」をゆるめにしたことで、誤解したのかな。毒を薄めた分、無理してヅカっぽい仕掛けをしておもねらなくてもいいや、って。
毒も薄いけれど、華やかさも薄い。
……それって、単に、全体が同じ色になってしまっただけぢゃあ?
まずいってば。ソレ。
わたしはオギーのショー作品で『パッサージュ』をもっとも愛しているけれど、アレなんかほんと、「オギー場面」と「ヅカ場面」のサンドイッチ作品。ふたつがわかりやすーく交互に来る(笑)。
また、オギー場面もダークさを秘めているとはいえ十分見た目にも華やかだったしなあ。
『バビロン』はオギー場面と全体のテーマが乖離していて苦手なのでスルーするとして(笑)、『ドルチェ・ヴィータ!』は過去2作を踏まえた上で、さらに「オギー場面」と「ヅカ場面」の使い分けと融合が洗練された印象。
で、『タランテラ!』がオギー暴走、ヅカ置き去り作品(笑)。
『TUXEDO JAZZ』は、『タランテラ!』直後ってのが災いしたのかなあ。
「オギー場面」が薄いのはヅカファン的にいいことかもしれないが、「ヅカ場面」も薄いっつーはやばいって。
つーことで、あんましおおっぴらにオススメできない、『TUXEDO JAZZ』。
「絶対イイよ、すごいから、モノ創る人間なら絶対観て損ないから!!」
と、豪語していた『パッサージュ』や『ドルチェ・ヴィータ!』、『タランテラ!』とはちがって。
『TUXEDO JAZZ』は。
「えーと、まあ、よかったら観てみて。あちこちに仕掛けがしてあるから、ハマるとすげーおもしろいよ?」(語尾上がる)
てな勧め方になってますよ、ヲタクな人相手にすら。
うおおお。
やーんもー、複雑だわー。
でももちろん、声を大きくして、付け加えているけどね。
「でもわたしは、ダイスキよ」
と。
薄い毒はリピートすることで中毒になるし、どれほど毒がちりばめられていても、基本にあるのは「やさしさ」だし。
切なさや痛み、かなしみと表裏一体だとしても。それで「やさしさ」が損なわれることはない。
「♪誰もがみなここへと きっと帰りくる」
……愛しい場所。
愛しい世界。
寿美礼サマの魔王っぷりと、まっつ眺めているだけでしあわせだもん!!
……と言うと途端に、「作品」を薦める、説得力が落ちるけどなー。
や、全部本音だし。とほ。
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