涙の再会。@シークレット・ハンター
2007年4月27日 タカラヅカ 王女暗殺計画は無事に阻止することが出来、ダゴベールとブリジットは結ばれることとなった。
ハッピー・ウェディングに沸き立つ人々の中。
わざとらしいまでに「女らしさ」をアピールする帽子をかぶった中年女性が、ダゴベールの前に進み出た。
「ダゴベール……」
帽子の下のその顔は、まちがいなくダゴベールの……。
「父さん……!」
ダゴベールは驚愕した。
「どうして……? 死んだはずじゃあ……それに、その姿は」
ダゴベールの父は、女らしいワンピース姿だった。膝丈のスカートからは、細い足がのぞいている。微妙に、開いたままの立ち姿だが。
「これが父さんの、ほんとうの姿なの。世間体を考えて無理矢理結婚したけれど、自分を偽って生きることはつらかったわ。あのころは、それでお酒に逃げてばかりいたけど……ほんとうの姿で生きようと決意したの。でも、幼いお前にはとても真実を打ち明けることは出来ず……だから、母さんとも相談して、死んだことにしたの」
「どうして、もっと早く打ち明けてくれなかったんだ? あのとき、海へ行ったっきり……そのままずっと……」
「ごめんなさい。私……お前に会わせる顔がなくて」
「馬鹿だな。どこの世界に、親を思わない子どもがいる? 父さんは……オレの父さんだ」
「ダゴベール」
「お帰り、父さん」
固く抱き合うふたり。
「でもダゴベール。私のことは、『母さん』と呼ぶのよ。いいわね?」
「…………」
☆
とゆー、意味のないお笑いシーンは置くとして。
ダゴベール父と母を同じ役者が演じなければならない理由もわからないし、ここでダゴベール母が出てくる意味もわからない。
出なくていいよー。
流れが止められて、いいことなにもないよー。
他のキャストの話。
あかしが二枚目だ。
とゆーのは、なんかもー、わたし的にデフォルトになってきている気がするので、いちいち語るほどのこともないのかもしれない。
でもほんと、ハンサムでびびるよー。
街の人々として歌い踊っているときの「若さ」と「美しさ」もすごいの。
あの美形ダレ? と思ってよく見たら、あかしだった。なんてコトが、いくらでもあるわけだから!!
金髪と明暗くっきりメイクのせいかなあ、なんかビスクドールみたいな美貌に見えるんですが。
わたしが盲目状態なだけですか?
でも、あかしよりびびったのは、みきちぐが、美形だということなんですが。
美形だよね?
美しいよね?
どーしちゃったんだ今回。
みきちぐって、こんなにきれいな人だったの??
謎の画家役のみきちぐ。
みきちぐだということは、一目でわかる。だが、「わかる」ことと「視覚情報」が同期できずに混乱した。エラー出そうな勢いで、混乱したってばよ。
てゆーか、「美形」を演じれば美形になれる人だったってことか。
三枚目しか見たことなかったからなー。
ふだん三枚目なところばかり見ていたから、うっかり恋に落ちそうなくらい、ときめいちゃったわ(笑)。←笑うのか。
最近好み度が上がっているのは、れおん。
セルジオ役はべつにどーってことないっちゅーか、「また同じ役かよ」って感じの、れおんがいちばん得意とする役なだけだが。
……でも、ちょっと引っかかるのは、彼から、大らかさや暖かさをあまり感じないせいだと思う。
同じ役をワタさんが演じたら、それこそ太陽そのものになったと思うのね。大きさも温度も。ついでに、うさんくささも(笑)。
でもれおんだと、温度のない「ラテン男」になる。
どこか、いびつだ。
そこが、引っかかる。
そしてわたしの場合、ソコが魅力に感じられるわけだ。
たぶん、もともとの姿には、温度も大らかさもあるんだと思う。カラー粘土を想像してくれ。暖色の粘土の丸い固まり。
でも、役目的にもとのままではいられず、必要に応じてのばしてのばして、無理矢理にでも「器」に合わせなければならない。
足りない分無理に広げるもんだから、粘土は薄っぺらくなり、色も薄くなってしまった。
いちおー、器全部を埋めてはいるけれど……今にも穴が開きそうに薄くなっている。とても大らかさや暖かさを出せる余裕はない。
どんなに薄くなってしまったとしても、求められた器を埋めるだけ「のびる」のだから、彼はそれだけの実力があるのだろう。
このまま成長すればいずれ、色を変えないまま器を覆うことができるようになる、だろう。
だけど「今」、いびつに器を覆っている姿が、けっこー好みだ。
なーんか、やばいよなー、こいつ(笑)。
「演じて」はいるけれど、ほんとに、ソレだけだ。リアリティはないし、感情移入も出来ない。
それでも、ダゴベール@トウコと「仲間」らしい貫禄はあるときたもんだ。
歪んでるわー、嘘くさいわー、ニセモノくさいわー。
ソレはちょっと、いいかもしんない(笑)。
れおんは、ワタさんとは似ていない。
ワタさんに今いちばん似ている男は、らんとむだろう。漢っぽさはもちろんのこと、温度や芸風がもっとも似ている。
れおんはワタさんの持ち味から、どんどん遠くなっていっている。
ワタさんなら、セルジオはあんなに気味の悪い温度になってない。低温でラテン、って、ちょっとゾンビみたいだぞっと。
でもソコがいいんだよなあ、セルジオ@れおん。
「トップスターになるしかない」育てられ方をした、御曹司。
医者以外の選択肢を与えられないまま育った医学生みたいだ。周囲のお膳立てゆえ「仕方ない」から医者になるのか、ほんとうに医者になりたいのか、「どんな」医者になりたいのか、わからないままとにかく「医者になること」だけを苦行僧のように黙々と目指す。
そのいびつさが、どんな濁りとなって、この「大切に大切に、傷ひとつないよう守られて育てられた御曹司」を花開かせるのか。
たのしみだ。
ハッピー・ウェディングに沸き立つ人々の中。
わざとらしいまでに「女らしさ」をアピールする帽子をかぶった中年女性が、ダゴベールの前に進み出た。
「ダゴベール……」
帽子の下のその顔は、まちがいなくダゴベールの……。
「父さん……!」
ダゴベールは驚愕した。
「どうして……? 死んだはずじゃあ……それに、その姿は」
ダゴベールの父は、女らしいワンピース姿だった。膝丈のスカートからは、細い足がのぞいている。微妙に、開いたままの立ち姿だが。
「これが父さんの、ほんとうの姿なの。世間体を考えて無理矢理結婚したけれど、自分を偽って生きることはつらかったわ。あのころは、それでお酒に逃げてばかりいたけど……ほんとうの姿で生きようと決意したの。でも、幼いお前にはとても真実を打ち明けることは出来ず……だから、母さんとも相談して、死んだことにしたの」
「どうして、もっと早く打ち明けてくれなかったんだ? あのとき、海へ行ったっきり……そのままずっと……」
「ごめんなさい。私……お前に会わせる顔がなくて」
「馬鹿だな。どこの世界に、親を思わない子どもがいる? 父さんは……オレの父さんだ」
「ダゴベール」
「お帰り、父さん」
固く抱き合うふたり。
「でもダゴベール。私のことは、『母さん』と呼ぶのよ。いいわね?」
「…………」
☆
とゆー、意味のないお笑いシーンは置くとして。
ダゴベール父と母を同じ役者が演じなければならない理由もわからないし、ここでダゴベール母が出てくる意味もわからない。
出なくていいよー。
流れが止められて、いいことなにもないよー。
他のキャストの話。
あかしが二枚目だ。
とゆーのは、なんかもー、わたし的にデフォルトになってきている気がするので、いちいち語るほどのこともないのかもしれない。
でもほんと、ハンサムでびびるよー。
街の人々として歌い踊っているときの「若さ」と「美しさ」もすごいの。
あの美形ダレ? と思ってよく見たら、あかしだった。なんてコトが、いくらでもあるわけだから!!
金髪と明暗くっきりメイクのせいかなあ、なんかビスクドールみたいな美貌に見えるんですが。
わたしが盲目状態なだけですか?
でも、あかしよりびびったのは、みきちぐが、美形だということなんですが。
美形だよね?
美しいよね?
どーしちゃったんだ今回。
みきちぐって、こんなにきれいな人だったの??
謎の画家役のみきちぐ。
みきちぐだということは、一目でわかる。だが、「わかる」ことと「視覚情報」が同期できずに混乱した。エラー出そうな勢いで、混乱したってばよ。
てゆーか、「美形」を演じれば美形になれる人だったってことか。
三枚目しか見たことなかったからなー。
ふだん三枚目なところばかり見ていたから、うっかり恋に落ちそうなくらい、ときめいちゃったわ(笑)。←笑うのか。
最近好み度が上がっているのは、れおん。
セルジオ役はべつにどーってことないっちゅーか、「また同じ役かよ」って感じの、れおんがいちばん得意とする役なだけだが。
……でも、ちょっと引っかかるのは、彼から、大らかさや暖かさをあまり感じないせいだと思う。
同じ役をワタさんが演じたら、それこそ太陽そのものになったと思うのね。大きさも温度も。ついでに、うさんくささも(笑)。
でもれおんだと、温度のない「ラテン男」になる。
どこか、いびつだ。
そこが、引っかかる。
そしてわたしの場合、ソコが魅力に感じられるわけだ。
たぶん、もともとの姿には、温度も大らかさもあるんだと思う。カラー粘土を想像してくれ。暖色の粘土の丸い固まり。
でも、役目的にもとのままではいられず、必要に応じてのばしてのばして、無理矢理にでも「器」に合わせなければならない。
足りない分無理に広げるもんだから、粘土は薄っぺらくなり、色も薄くなってしまった。
いちおー、器全部を埋めてはいるけれど……今にも穴が開きそうに薄くなっている。とても大らかさや暖かさを出せる余裕はない。
どんなに薄くなってしまったとしても、求められた器を埋めるだけ「のびる」のだから、彼はそれだけの実力があるのだろう。
このまま成長すればいずれ、色を変えないまま器を覆うことができるようになる、だろう。
だけど「今」、いびつに器を覆っている姿が、けっこー好みだ。
なーんか、やばいよなー、こいつ(笑)。
「演じて」はいるけれど、ほんとに、ソレだけだ。リアリティはないし、感情移入も出来ない。
それでも、ダゴベール@トウコと「仲間」らしい貫禄はあるときたもんだ。
歪んでるわー、嘘くさいわー、ニセモノくさいわー。
ソレはちょっと、いいかもしんない(笑)。
れおんは、ワタさんとは似ていない。
ワタさんに今いちばん似ている男は、らんとむだろう。漢っぽさはもちろんのこと、温度や芸風がもっとも似ている。
れおんはワタさんの持ち味から、どんどん遠くなっていっている。
ワタさんなら、セルジオはあんなに気味の悪い温度になってない。低温でラテン、って、ちょっとゾンビみたいだぞっと。
でもソコがいいんだよなあ、セルジオ@れおん。
「トップスターになるしかない」育てられ方をした、御曹司。
医者以外の選択肢を与えられないまま育った医学生みたいだ。周囲のお膳立てゆえ「仕方ない」から医者になるのか、ほんとうに医者になりたいのか、「どんな」医者になりたいのか、わからないままとにかく「医者になること」だけを苦行僧のように黙々と目指す。
そのいびつさが、どんな濁りとなって、この「大切に大切に、傷ひとつないよう守られて育てられた御曹司」を花開かせるのか。
たのしみだ。
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