スタンダードこそが求められる。@エリザベート
2007年5月15日 タカラヅカ 『エリザベート』初日を観劇し、水トートが気持ち悪いと、さんざん書きまくった緑野こあらです。
それから約10日ほど経過してから、いそいそとトート閣下に会いに行きました。
そして。
水トートは、気持ち悪くなくなっていました。てゆーか、ふつーにかっこいいです。
……うわあぁぁああん。
なんか、作品変わってるぅ。
初日に観劇し、なにに感動したかって言ったら、トートの異世界感にですよ。
「気持ち悪い」と感じさせるほどの「別のイキモノ」ぶり。
今までのトートでも『エリザベート』でもなく、まったく新しい作品を創ろうとしている意気込みに、困惑しつつも惹かれたの。
トートの、気持ち悪い動き。フィンガーアクションだけでなく、表情や感情の動きまでもが、わたしたち人間とは別の理による存在。
姿の美しさと、存在の気味悪さを同時に表現する。
歌い方も、今までなら激しく歌い上げる部分を、ささやくように語るように歌う。
たしかに、とまどった。
過去5作品が心に刻まれきっているので。
ここは歌い上げるところ、と思っているのに、ささやかれて肩すかしを食らったりもした。
だけど、「これが、『新しいトート』なんだ」と思い、興味深かった。先入観に振り回されすぎないよう、柔軟に新しい作品として受け止めようと思った。
そして、新しいトート像であるがゆえも萌えもあった。
それが。
……ふつーのトート、ふつーの『エリザベート』になってます……。
や、雪組版としての個性の上での、『エリザベート』という作品のスタンダードを踏襲している、という意味。
トートは初日ほどぬめぬめしてない。変質的でもない。テーブルに寝そべったりもしてない。
水くんの個性は残しながらも、過去のトートに近い作りになっている。
ささやくよーに歌っていた歌も、やっぱり歌い上げる部分が多くなっている。
トートから「気持ち悪い」を取ったら、ふつーに「かっこいい」です。
でも、ソレって。
水くんがかっこいいのは、「あたりまえ」だ。
あたりまえが見たかったわけではないのよ。や、もちろんかっこいい水しぇん好きだけど、今回は、トートは、再演『エリザベート』は、そーゆーモノを目指しているのではない、と思ったから。
「男役」として完成度の高い、放っておいても「かっこいい」主役を演じられる水夏希に、あえて「気持ち悪い」ところまで創りあげたトートを演じさせる。……それが今回のキモだと思った。
水くんは感覚で演じる役者ではなく、努力して計算して、作り込んでいく人だと思う。
その役者として、人間として、誠実さの感じられる芸風が好きだ。
その彼が、触れれば切れそうなほどの緊張感(プレッシャー)をまといつつも演じきった初日の「ヤモリトート」に、わたしは惚れ込んだ。
気持ち悪い。このトート、気持ち悪いよ!! ……でもソレって、演出意図なんじゃない? 「タカラヅカのヒーロー」としてのトートではなく、あくまでも「死」として創りあげたキャラクタなんじゃないの?
……てことで、勝手に萌えていたわけだ。
なんか、今までのヅカ版『エリザベート』っぽくなってます。
トートとシシィが恋愛する、ヅカ版『エリザベート』。トートはダークファッションに身を包んだクールで強引な美青年で、ひたすらかっこいい。
水くんはもちろん水くんらしく演じているけれど、フィンガーアクションも「気持ち悪い」までいかず、「エロい」と言える範疇。
やっぱり、「気持ち悪い」とか「ヤモリトート」ではダメだったのかなあ。
今までと同じでないと、受け入れられないってことなのかなあ。
いつだったか、テレビドラマの『水戸黄門』を実験的に作り直したことがあったよね。「史実に基づいた」作りで、黄門様はヒゲがなくてなかなか諸国漫遊に旅立たない。
新しいことをやろうとしたけれど、視聴者の支持を得られず紆余曲折、結局は「いつも通り」でないと『水戸黄門』として認められないのだ、という結果を知るに至ったという。
なんか、ソレを思い出した……。わたし、新しい『水戸黄門』、好きだったんだけどなぁ。少数派だったんだよなぁ。
トートがかっこよくヒーローらしくなった分、フランツ@ゆみこは地味になっているし(もともとそーゆー役、バランスが正しくなった)、ゾフィー@ハマコもこわく押し出し強くなって「わかりやすい存在」になっている。
異次元トートと人間フランツ、ゾフィー、その狭間に立つエリザベート、という構図が萌えだったんだが……。
そうか、「ふつー」になったんだ……。
『エリザベート』は、やっぱり『エリザベート』なんだ……。
と、愕然としました。
いやたぶん、これが正しいのだと思う。
『水戸黄門』が結局いつものパターンに落ち着いたように。
観客は、「斬新な」ものが見たいのではなく、「いつもの」ものが見たいんだ。
「いつもの」ものを「いつもの」と比べて、あーでもないこーでもない、と言うのが楽しいんだ。まったく別だと、拒否反応出ちゃうんだ。
気持ち悪いトートではなく、かっこいいトートが、かっこいい水くんが見たいんだ。
正しいし、それでこそ『エリザベート』だとわたしも思うし、『エリザベート』を愉しむつもりであることに、なんら変わりはない。
ただ。
初日にあんなにときめいた、あのトートには、もう二度と会えないんだ、と思うと、すごくかなしい。
初日付近から現在にかけて役作りが「変化」したことを、わたし以上に回数観ている人が同じように指摘しているので、やっぱそーゆーことなんだ、もう変わってしまったんだ、と思ったよ。
気持ち悪い。このひと、絶対人間じゃない。別の世界のイキモノだ。
そう思えた、ヤモリトート。変質者トート。
別のイキモノだったのに、人間より高次の存在だったのに、人間の少女シシィに恋をして、人間と同じ次元まで堕ちてしまったトート。翼を失った天使。
彼に、会いたかったんだ。
あの気持ち悪いトートに、会いたかったの。
ふつーにかっこいい、エロいトート閣下に会えるとは、思ってなかったですよ……。かっこいいのはうれしいけれど、思ってなかったから、すげーおどろいたし、気持ちが切り替わらない……。わーん。
初日はトートのインパクトですげー記憶違いとかもしているし(笑)。や、あの「コートの前を開ける」変質者の定番ポーズ、霊廟じゃなくてドクトル・ゼーブルガーだから! ほんとに強烈だったんだな、まちがうにしても程があるぞ自分! てな、自分のまちがいっぷりにもツボった。
トートの気持ち悪いところが、すげー好みだったんだよなあ。
だから、好みなところは全部まとめて、こんがらがって思い込んでいたんだなあ。
トートが別人になっていて、しょぼんとしていますが。
今のエロかっこいいトートも、愛でていこうと思います。
それから約10日ほど経過してから、いそいそとトート閣下に会いに行きました。
そして。
水トートは、気持ち悪くなくなっていました。てゆーか、ふつーにかっこいいです。
……うわあぁぁああん。
なんか、作品変わってるぅ。
初日に観劇し、なにに感動したかって言ったら、トートの異世界感にですよ。
「気持ち悪い」と感じさせるほどの「別のイキモノ」ぶり。
今までのトートでも『エリザベート』でもなく、まったく新しい作品を創ろうとしている意気込みに、困惑しつつも惹かれたの。
トートの、気持ち悪い動き。フィンガーアクションだけでなく、表情や感情の動きまでもが、わたしたち人間とは別の理による存在。
姿の美しさと、存在の気味悪さを同時に表現する。
歌い方も、今までなら激しく歌い上げる部分を、ささやくように語るように歌う。
たしかに、とまどった。
過去5作品が心に刻まれきっているので。
ここは歌い上げるところ、と思っているのに、ささやかれて肩すかしを食らったりもした。
だけど、「これが、『新しいトート』なんだ」と思い、興味深かった。先入観に振り回されすぎないよう、柔軟に新しい作品として受け止めようと思った。
そして、新しいトート像であるがゆえも萌えもあった。
それが。
……ふつーのトート、ふつーの『エリザベート』になってます……。
や、雪組版としての個性の上での、『エリザベート』という作品のスタンダードを踏襲している、という意味。
トートは初日ほどぬめぬめしてない。変質的でもない。テーブルに寝そべったりもしてない。
水くんの個性は残しながらも、過去のトートに近い作りになっている。
ささやくよーに歌っていた歌も、やっぱり歌い上げる部分が多くなっている。
トートから「気持ち悪い」を取ったら、ふつーに「かっこいい」です。
でも、ソレって。
水くんがかっこいいのは、「あたりまえ」だ。
あたりまえが見たかったわけではないのよ。や、もちろんかっこいい水しぇん好きだけど、今回は、トートは、再演『エリザベート』は、そーゆーモノを目指しているのではない、と思ったから。
「男役」として完成度の高い、放っておいても「かっこいい」主役を演じられる水夏希に、あえて「気持ち悪い」ところまで創りあげたトートを演じさせる。……それが今回のキモだと思った。
水くんは感覚で演じる役者ではなく、努力して計算して、作り込んでいく人だと思う。
その役者として、人間として、誠実さの感じられる芸風が好きだ。
その彼が、触れれば切れそうなほどの緊張感(プレッシャー)をまといつつも演じきった初日の「ヤモリトート」に、わたしは惚れ込んだ。
気持ち悪い。このトート、気持ち悪いよ!! ……でもソレって、演出意図なんじゃない? 「タカラヅカのヒーロー」としてのトートではなく、あくまでも「死」として創りあげたキャラクタなんじゃないの?
……てことで、勝手に萌えていたわけだ。
なんか、今までのヅカ版『エリザベート』っぽくなってます。
トートとシシィが恋愛する、ヅカ版『エリザベート』。トートはダークファッションに身を包んだクールで強引な美青年で、ひたすらかっこいい。
水くんはもちろん水くんらしく演じているけれど、フィンガーアクションも「気持ち悪い」までいかず、「エロい」と言える範疇。
やっぱり、「気持ち悪い」とか「ヤモリトート」ではダメだったのかなあ。
今までと同じでないと、受け入れられないってことなのかなあ。
いつだったか、テレビドラマの『水戸黄門』を実験的に作り直したことがあったよね。「史実に基づいた」作りで、黄門様はヒゲがなくてなかなか諸国漫遊に旅立たない。
新しいことをやろうとしたけれど、視聴者の支持を得られず紆余曲折、結局は「いつも通り」でないと『水戸黄門』として認められないのだ、という結果を知るに至ったという。
なんか、ソレを思い出した……。わたし、新しい『水戸黄門』、好きだったんだけどなぁ。少数派だったんだよなぁ。
トートがかっこよくヒーローらしくなった分、フランツ@ゆみこは地味になっているし(もともとそーゆー役、バランスが正しくなった)、ゾフィー@ハマコもこわく押し出し強くなって「わかりやすい存在」になっている。
異次元トートと人間フランツ、ゾフィー、その狭間に立つエリザベート、という構図が萌えだったんだが……。
そうか、「ふつー」になったんだ……。
『エリザベート』は、やっぱり『エリザベート』なんだ……。
と、愕然としました。
いやたぶん、これが正しいのだと思う。
『水戸黄門』が結局いつものパターンに落ち着いたように。
観客は、「斬新な」ものが見たいのではなく、「いつもの」ものが見たいんだ。
「いつもの」ものを「いつもの」と比べて、あーでもないこーでもない、と言うのが楽しいんだ。まったく別だと、拒否反応出ちゃうんだ。
気持ち悪いトートではなく、かっこいいトートが、かっこいい水くんが見たいんだ。
正しいし、それでこそ『エリザベート』だとわたしも思うし、『エリザベート』を愉しむつもりであることに、なんら変わりはない。
ただ。
初日にあんなにときめいた、あのトートには、もう二度と会えないんだ、と思うと、すごくかなしい。
初日付近から現在にかけて役作りが「変化」したことを、わたし以上に回数観ている人が同じように指摘しているので、やっぱそーゆーことなんだ、もう変わってしまったんだ、と思ったよ。
気持ち悪い。このひと、絶対人間じゃない。別の世界のイキモノだ。
そう思えた、ヤモリトート。変質者トート。
別のイキモノだったのに、人間より高次の存在だったのに、人間の少女シシィに恋をして、人間と同じ次元まで堕ちてしまったトート。翼を失った天使。
彼に、会いたかったんだ。
あの気持ち悪いトートに、会いたかったの。
ふつーにかっこいい、エロいトート閣下に会えるとは、思ってなかったですよ……。かっこいいのはうれしいけれど、思ってなかったから、すげーおどろいたし、気持ちが切り替わらない……。わーん。
初日はトートのインパクトですげー記憶違いとかもしているし(笑)。や、あの「コートの前を開ける」変質者の定番ポーズ、霊廟じゃなくてドクトル・ゼーブルガーだから! ほんとに強烈だったんだな、まちがうにしても程があるぞ自分! てな、自分のまちがいっぷりにもツボった。
トートの気持ち悪いところが、すげー好みだったんだよなあ。
だから、好みなところは全部まとめて、こんがらがって思い込んでいたんだなあ。
トートが別人になっていて、しょぼんとしていますが。
今のエロかっこいいトートも、愛でていこうと思います。
コメント