わたしにとって『エリザベート』は、すでに「なんでもあり」なんだなあと思う。

 初演と比べてどうこうとか、**役なのに**が足りない、とか、特に思わない。何組の『エリザベート』が何組の『エリザベート』と比べてどうだとか超えているとか足りないとかではなく、全部ひっくるめて「ソレもあり」だと思っている。

 好みであるとかないとかは、そりゃーあるけどねー。
 でもって、エルマー、今のところミスキャストじゃん?とか思うけどねー(役者への含みはない)。
 でも、だからといって、「ダメだ」とは思わない。それもひっくるめて「作品」なんだろう、と思うよ。たかがカフェの客に埋没している革命家たちを「そりゃねーだろ」と思いはするけれど、その埋没する彼らだからこそ創り上げられる、新しい解釈の場面なのだと思うさ。

 すべて肯定して、「たのしもう」と思う。
 せっかくの『エリザベート』だもん。

 
 こだわりがなくなったのは、わたしが初演ファンだからだ(笑)。
 雪組での初演、そして星組での再演、あれはもー、ひどかった。

 星組版がひどいと言っているのではない。
 あのタイミングで再演したことだ。

 初演『エリザベート』は、いっちゃんの退団公演だ。
 ブロードウェイでもなければロンドンでもない、ウィーンのミュージカルってなんだそりゃ、日本での知名度が低い作品、しかもタイトルロールがヒロイン? 無理に脚色して主役変更? しかも死神役? トップスター退団公演なのに? 
 ……幕が上がるまでは、マイナスイメージばかりが声高に述べられていた。

 作品が思いの外良かったことはたしかだと思うが、ソレだけでは意味がない。マイナスイメージを払いのけ、難度の高い作品を、いっちゃんはじめとする雪組キャストが実力で名作に叩き上げた。
 いっちゃんファンも組ファンも、誇らしく劇場に通っていた。

 それが。

 わずか数ヶ月後に、再演。
 しかも、主役の持ち味がまったくチガウ組で。

 考えてみてくれ。

 たかちゃん退団公演の『NEVER SAY GOODBYE』。
 ワタさん退団公演の『愛するには短すぎる』。
 コム姫退団公演の『堕天使の涙』『タランテラ!』。
 かしちゃん退団公演の『維新回天・竜馬伝!』

 これらを、たった半年後、同じ年のうちに別の組で再演されたら。ふつーの「通常公演」でやられてしまったら。(ヅカは男役社会ゆえ、娘役退団はあえてカウントしない)
 それぞれのファンは、どう思う?
 組ファンは、どう思う?

 場面ごとに別物のショーを、全国ツアーで次のトッププレお披露目に使われるのとは、ワケがチガウよ。
 ストーリーを、役を、別の人が、別の組がやるんだよ?

「ジョルジュはたかちゃんの役!」
 と思って大切に大切に、宝物のようにしているのに、まったく別の人が演じてしまう。
「『NEVER SAY GOODBYE』は宙組のもの!」
 と思って誇りにしているのに、まったく別の組が公演してしまう。

 たった、半年後に。

 退団公演は、特別なものだ。
 ファンの思い入れがふつーではない。
 汚してはならないサンクチュアリだ。

 それが、劇団によって踏みにじられた。

 ファンの拒絶反応は激しかった。
 当時は今ほどネット文化が根付いていなかったが、それでも公式サイトの投稿欄他、パソコン通信も含め、ネット上では戦争勃発、雪組ファンと星組ファンが互いを罵り合い、貶し合っていた。作品を、スターを貶め、ソレを支持するファンの人間性まで否定して、泥仕合を繰り返していた。

 まちがっているのは、劇団だ。
 このタイミングで再演するべきではなかった。
 結果として星組で再演したことで、『エリザベート』が「タカラヅカ版」として確立したとしてもだ。版権云々の大人の事情は抜きにして、半年後にやる必要はなかった。

 劇団員を「生徒」と呼び、その成長を見守り、退団を「卒業」と呼びセレモニーとして盛り上げるカンパニーのしていいことではない。

 通常の再演とはちがい、間が短すぎたこと、ふたつの組のトップスターの得意分野がかすりもしないくらい別物だったこと(つまり、ファンの価値観がまったくチガウ)、初演がトップスターの退団公演であったことで、拒絶反応の出方が大きかった。
 贔屓組ではない方の『エリザベート』を、「なにがなんでも全否定、カケラも認めない! 認める奴は許さない、戦い抜く!!」という気持ちにファンを追いつめる所行だった。
 大切な宝物を権力で奪われた雪組ファンもそうだし、そうやって敵意剥き出しになっている人たちから自組を護らなければならないと強迫観念を持つ星組ファンもそうだった。
「音痴トート最低」「ちびのトートは不細工で見ていられなかった」てなノリで、えんえん罵り合っていた。

 わたしは今も昔も匿名掲示板は眺めるだけで一切発言しないし、争いに参加するガッツは持ち合わせていないが、とにかく傷ついていた。

 雪組の『エリザベート』が、再演されてしまったことに。

 大切だったんだ。
 珠玉の作品であり、大切な想い出だったんだ。

 初演を最上のモノと思う人間には、再演は「『エリザベート』のパロディ」にしか見えなかった。
 「ミュージカル」だったはずなのに、ふつーの「よくあるタカラヅカ」になってしまった……。
 あんなの「死」じゃない。ただの「格好付けた人間の男」だ。

 星組トートの格好良さはよーっくわかったし、また、作品が「難解」でなくなったぶん、全年齢対象で「大衆的」になったこともよくわかった。
 タカラヅカは大衆演劇なんだから、これが正しい進化なのだと思った。
 どちらにも一長一短あり、完全否定できることなどない。

 それでも、かなしかった。
 作品ファンだったので、星組版にも機嫌良く通っていたけれど、かなしかった。マリコさんかっこいー、と思う気持ちと、星組『エリザベート』もたのしい、と思う気持ちと、再演で傷ついていることはまったく別だ。

 劇場のあちこちで、周辺のお店や駅で、ファンが他方の『エリザベート』を攻撃し続ける現実も、つらかった。
 傷ついていること、初演を最上だと思うことと、再演の悪口を言うことはイコールではないんだ。ほんとに。

 星組『エリザベート』公演中に知り合ったマリコさんファンの人が、わたしが雪組ファンだと知ると真顔になってこう言った。
「ごめんなさい、大切な作品をウチで上演してしまって。でも、ウチのさきちゃんもがんばっているから。一路さんにはかなわないけれど、ものすごく大切に演じているから」
 ……なんで、1ファンが謝らなければならない? そう言わざるを得ないと思わせるところまで、劇団がファンを追いつめたんだ。

 再演は避けられないことであったとしても、半年後でなければ、まだよかったのに。同じ年でなければ、まだよかったのに。
 まだ傷口がふさがっていないときに、劇団によってその傷口をぐちゃぐちゃにかき回されたんだもの、血があふれ出して大変さ。

 大切な作品を、別物にされてしまった。
 その記憶があるから。

 時は流れ、宙組で再々演が決まったとき、星組ファンの悲鳴を遠い気持ちで聞いていた。
「再演反対! トートはさきちゃんの当たり役なのに!」
 ……いや、その前にいっちゃんの役だから。
 星組で再演した段階で、『エリザベート』はもう「誰のモノ」でもないんだよ。

 星組ファンが宙組公演を全面否定し、マリコさんファンがずんちゃんトートを悪し様に罵っているのを眺めながら、「歴史は繰り返すんだなあ」と思った。
 もちろんそこに雪組初演ファンも加わって、やはりあちこちで小競り合いが起こっていたなあ。雪VS星のときほど大戦争にはなってなかったけれど。
 退団でもなければ半年後でもなかったし、間があいていた分「満を持して」の再演っぽかったし、主演が歌手として人気の人だったから、「歌」中心ミュージカル再演も「そりゃアリでしょう」ムードがあったな。

 それから、花組で再演され、月組で再演され。
 月組のキャスティングは宙や花とはチガウ意味でおどろかせてもらったが、おもしろがりはしても、拒否反応などない。いろいろ理屈をこねてここでなにかしら書いているが、ほんとのとこ否定はしていない。
 『エリザベート』に関しては、「なんでもアリ」だ。
 全肯定。

 すべてを、『エリザベート』だと思う。

 それくらい、初演と再演のときのショックは、大きかったんだよ。
 もうあんな想いはしたくない。
 劇団が、「退団公演」を貶め、ファンを憎み合わせるよーなことを二度としないでほしいと思うだけだ。

 現雪組の『エリザベート』も、もちろん全肯定だ。
 トートもシシィもフランツも、みんな正しい。
 だってこれが、「今の『エリザベート』」だもの。
 ちがいだとか個性だとかをたのしむの。なにが正解で、なにが間違いだなんて、ありえないもの。

 萌えるぞ、いつだって。


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