役の比重は演出次第だから。@新人公演『エリザベート』
2007年5月23日 タカラヅカ 作品を短縮するのは大変だと思う。
『ベルばら』みたいにいらないシーンばかりでできあがっているのではなく、ちゃんと意味のあるシーンがつらなってできあがっている作品を、短くするのは。
大変だとは思うけど……。
新人公演『エリザベート』の演出家は、小柳先生。
あの最悪だった月組新公『エリザベート』と同じ演出家! やはり問題ありすぎだった新公『NEVER SAY GOODBYE』と同じ演出家!
小池の弟子なんですか、彼女。小池作品の新公演出ばかりしている? 小柳先生には構成力や物語をなめらかに進めるセンスが欠けていると思うんだが……鈴木圭演出で、『エリザベート』の新人公演が観てみたい。
鈴木くんなら、どんなふーに『エリザベート』を料理し、ルキーニにどんな台詞を言わせ、どんな歌を歌わせるだろう。新公のみの新曲や新場面を作ってしまう人だからなー。
はい、月組新公の構成のひどさがトラウマ(笑)になっているので、今回も開演直前にnanaタンとふたり新公プログラム開いて、「演出家、小柳先生だよ!」と、不安におののいたのでした。
またなにか、ひでーことするんぢゃないかと。
でも冒頭に「霊廟」のシーンがあるようだ。
月組新公ではなかったシーンが、存在する。
やっぱ不評だったんだ、月組新公『エリザベート』。
1場をすっとばしてシシィとパパからはじめるもんだから、主役のハズのトート閣下の出番がシシィが木から落ちたあとまでない、という構成。
そして、ルキーニがえんえんセンスのない流れの悪い台詞をひとりで喋って無理から解説していたっけ。
それをやめて、「霊廟」シーンやるんだー。よかったー。
プロローグの「霊廟」シーンがない『エリザベート』が、どれだけ盛り下がるか、月組新公で思い知ったもの。
と、ほっとしたのも束の間。
「霊廟」シーンは、ただのデコレーションでした。
銀橋で解説するルキーニ@せしるの背景に、ただ衣装を着て並んでいるだけのみなさん。
トート閣下も歌うことはなく、ただ出てきただけ。
月組よりはマシだけど。
しかしやっぱ、プロローグは欲しいわ……アンサンブルぶちかますのは、「作品」として必要だと思うよ。トートが主役だということを、最初に示すことも。
パパとシシィ削って(台詞だけのやりとりにするとかして)、かわりにプロローグの「霊廟」シーンやればいいのにー。
なーんかバランス悪いよなー。
でもって。
その昔、『あさきゆめみし』という作品があり、「刻の霊」という役の比重について、ファンたちは首を傾げていた。
「あれって、2番手、だよね……?」
「しっ、言っちゃダメだよそんなこと!」
スダマ役をやっているのは、2番手ではなく、学年的にはまだ4番手のはずの、若者だったから。番手制度絶対のタカラヅカで、ソレは「言ってはいけない」こと。
とくに、わたしの友人のチャーリーファンの神経の尖らせ方は、痛々しかった。
2番手はチャーリーのはず。
だけど、チャーリーが演じている頭中将はどう考えてもスダマ以下の役だった。
劇団が押している若手が、わざわざ原作にはないオリジナルキャラクタで2番手以上の扱いを受ける。
それは露骨な所行だったが、とりあえず公的には「頭中将が準主役」という触れ込みだった。
公的な2番手役……ソレが、救いだったのに。
新人公演で。
2番手ポジションの生徒が演じたのは、頭中将ではなく、刻の霊だった。
本公演では、それでも取り繕っていたくせに!
「スダマが2番手役? いやいや、そんなことはありませんよ、よく見てくださいよ、2番手役は、頭中将ですってば」
と、言ってお茶を濁していたくせに。
新公では詭弁を捨てて、「スダマが準主役」と公言しますか!!
チャー様ファンの友人のグレ方、そしてスダマ役をやった当時4番手の若者くんに対する反感は凄まじかったっす……。
劇団、これはひどいよー、なまじお茶を濁したあとの本音だから、さらにきついよー。
そのチャー様ファンの友人は、未だにハルノスミレ大ッ嫌いだもの。
なーんて昔話を思い出した。
というのも、『エリザベート』新公の2番手役は、比重的に言ってルキーニだよな、と思ったから。
月組新公ではルキーニに台詞が不必要なほど増やされていて、たんに構成が悪くなっていただけ、という印象が強かったし、まあ、演じている人がいっぱいいっぱいで、台詞噛みまくり、忘却してしばし沈黙したりの繰り返しで、流れがそのたび止まって大変だった(でもずっと、「ルキーニ」役として通していた、あっぱれな役者ハート)ので、比重云々つーこともなかったんだが。
今回はわかりやすかった。
そっか、ルキーニか、と。
フランツ視点で観劇する癖のついているnanaタンと一緒にいたことも大きいと思うが(笑)、たしかにフランツの見せ場がカットされ、ルキーニの見せ場は増えている。
そして、月組新公ほど不要なまでに台詞をダラダラ増やしていない。必要最低限の解説で進めているので、進行がなめらかだ。
もともと辛抱キャラのフランツを大きく引き離し、ルキーニが準主役の座にわかりやすく躍り出た。
新公のルキーニ役は、芝居の主要キャラというより、ショーの主役に近いかな。
他のことは置いておいて、とにかく求心力が求められる。ぶった切って継ぎ接ぎした場面場面を、彼がまとめなければならないから。
この構成において、主役以外でもっとも「タカラヅカスター」として「勉強」になるのはルキーニ役だ。
新公になると、いろーんなことが起こるなあ。
その昔、『あさきゆめみし』で番手逆転が白日の下になったよーに。
2幕冒頭にあたる、カメラ小僧ルキーニの「キッチュ」。客席から登場、さんざん客いじりをしたのち、銀橋に上がってそのままそこで単独で1曲。
トップスターでも、ここまで派手な演出はそうそうない(笑)。
銀橋でピンライト浴びてソロ1曲、って、ふつーそこまでする必要はない。本舞台のカーテン前(本公演と同じ)でも花道でも済むことだ。
それがわざわざ銀橋だからなー。
そっかあ、ルキーニの比重上げてあるんだー。「解説」として必要だからではなく、番手を上げるために。
や、番手云々より、それによって舞台が派手になってくれる方がいいので、ありがたいっす。
そして、ルキーニ@せしるはちゃんと、仕事をこなしていた。
おおっ、なめらかだー。
台詞や手順がどれだけ変わっていても、噛んだり忘れたりせずにちゃんとふつーに演じている。
『ハロー!ダンシング』のために、わたしの中のせしる株は暴落していたんだけど、一気に持ち直したわ(笑)。
なんだよ、ここまでデキんじゃんー。
狂言回しとして、空気動かせるんじゃんー。
ルキーニとして、一貫したモノがあったのが、大きいかなと。
場面ごとに都合良く別物にならず、ちゃんとひとつのキャラクタで演じきった。
台詞も歌もよかったよー。
ただ、あまりにも「簡単」なルキーニで、「軽い」役作りではあったけれど。
そうそう、「ルキーニ」っていったらこうだよね? みたいな。
簡単お手軽わかりやすい……そうか、こうすればインスタントに「ルキーニ」ってできるんだ。みたいな。
もちろん、これは新公だから。新公でそこまでカタチを叩き出したことがすごい。
なんつっても、美形だし。
もー、眼福ですよ、ルキーニの美形っぷり。
ヒゲ似合うなー、せしる。
客席いじりしているときのせしる、わたしの目の前だったんですよ。
すぐ目の前で三脚立てて、本役さんたちの座席に向けてカメラ構えて。
あの大きな目が、ずらーっと周囲見回して。
目が合って、どきんとしたよ。
わわわ、あの美しい人と見つめ合ってしまった!!(誇大妄想)
かっこいーなー、せしる〜〜。
2幕モノの芝居を短縮して1幕構成にするうえで、役の比重が変わっていたことはたしかだ。
フランツ役のしゅうくんがどうこうという意味ではなく。役の比重の変化は、出演者のせいじゃないからな。
そのことがどーゆー意味を持つのかは、深く考えない。
ただ、ルキーニはちゃんと、2番手としての役目を果たしていたと思う。
『ベルばら』みたいにいらないシーンばかりでできあがっているのではなく、ちゃんと意味のあるシーンがつらなってできあがっている作品を、短くするのは。
大変だとは思うけど……。
新人公演『エリザベート』の演出家は、小柳先生。
あの最悪だった月組新公『エリザベート』と同じ演出家! やはり問題ありすぎだった新公『NEVER SAY GOODBYE』と同じ演出家!
小池の弟子なんですか、彼女。小池作品の新公演出ばかりしている? 小柳先生には構成力や物語をなめらかに進めるセンスが欠けていると思うんだが……鈴木圭演出で、『エリザベート』の新人公演が観てみたい。
鈴木くんなら、どんなふーに『エリザベート』を料理し、ルキーニにどんな台詞を言わせ、どんな歌を歌わせるだろう。新公のみの新曲や新場面を作ってしまう人だからなー。
はい、月組新公の構成のひどさがトラウマ(笑)になっているので、今回も開演直前にnanaタンとふたり新公プログラム開いて、「演出家、小柳先生だよ!」と、不安におののいたのでした。
またなにか、ひでーことするんぢゃないかと。
でも冒頭に「霊廟」のシーンがあるようだ。
月組新公ではなかったシーンが、存在する。
やっぱ不評だったんだ、月組新公『エリザベート』。
1場をすっとばしてシシィとパパからはじめるもんだから、主役のハズのトート閣下の出番がシシィが木から落ちたあとまでない、という構成。
そして、ルキーニがえんえんセンスのない流れの悪い台詞をひとりで喋って無理から解説していたっけ。
それをやめて、「霊廟」シーンやるんだー。よかったー。
プロローグの「霊廟」シーンがない『エリザベート』が、どれだけ盛り下がるか、月組新公で思い知ったもの。
と、ほっとしたのも束の間。
「霊廟」シーンは、ただのデコレーションでした。
銀橋で解説するルキーニ@せしるの背景に、ただ衣装を着て並んでいるだけのみなさん。
トート閣下も歌うことはなく、ただ出てきただけ。
月組よりはマシだけど。
しかしやっぱ、プロローグは欲しいわ……アンサンブルぶちかますのは、「作品」として必要だと思うよ。トートが主役だということを、最初に示すことも。
パパとシシィ削って(台詞だけのやりとりにするとかして)、かわりにプロローグの「霊廟」シーンやればいいのにー。
なーんかバランス悪いよなー。
でもって。
その昔、『あさきゆめみし』という作品があり、「刻の霊」という役の比重について、ファンたちは首を傾げていた。
「あれって、2番手、だよね……?」
「しっ、言っちゃダメだよそんなこと!」
スダマ役をやっているのは、2番手ではなく、学年的にはまだ4番手のはずの、若者だったから。番手制度絶対のタカラヅカで、ソレは「言ってはいけない」こと。
とくに、わたしの友人のチャーリーファンの神経の尖らせ方は、痛々しかった。
2番手はチャーリーのはず。
だけど、チャーリーが演じている頭中将はどう考えてもスダマ以下の役だった。
劇団が押している若手が、わざわざ原作にはないオリジナルキャラクタで2番手以上の扱いを受ける。
それは露骨な所行だったが、とりあえず公的には「頭中将が準主役」という触れ込みだった。
公的な2番手役……ソレが、救いだったのに。
新人公演で。
2番手ポジションの生徒が演じたのは、頭中将ではなく、刻の霊だった。
本公演では、それでも取り繕っていたくせに!
「スダマが2番手役? いやいや、そんなことはありませんよ、よく見てくださいよ、2番手役は、頭中将ですってば」
と、言ってお茶を濁していたくせに。
新公では詭弁を捨てて、「スダマが準主役」と公言しますか!!
チャー様ファンの友人のグレ方、そしてスダマ役をやった当時4番手の若者くんに対する反感は凄まじかったっす……。
劇団、これはひどいよー、なまじお茶を濁したあとの本音だから、さらにきついよー。
そのチャー様ファンの友人は、未だにハルノスミレ大ッ嫌いだもの。
なーんて昔話を思い出した。
というのも、『エリザベート』新公の2番手役は、比重的に言ってルキーニだよな、と思ったから。
月組新公ではルキーニに台詞が不必要なほど増やされていて、たんに構成が悪くなっていただけ、という印象が強かったし、まあ、演じている人がいっぱいいっぱいで、台詞噛みまくり、忘却してしばし沈黙したりの繰り返しで、流れがそのたび止まって大変だった(でもずっと、「ルキーニ」役として通していた、あっぱれな役者ハート)ので、比重云々つーこともなかったんだが。
今回はわかりやすかった。
そっか、ルキーニか、と。
フランツ視点で観劇する癖のついているnanaタンと一緒にいたことも大きいと思うが(笑)、たしかにフランツの見せ場がカットされ、ルキーニの見せ場は増えている。
そして、月組新公ほど不要なまでに台詞をダラダラ増やしていない。必要最低限の解説で進めているので、進行がなめらかだ。
もともと辛抱キャラのフランツを大きく引き離し、ルキーニが準主役の座にわかりやすく躍り出た。
新公のルキーニ役は、芝居の主要キャラというより、ショーの主役に近いかな。
他のことは置いておいて、とにかく求心力が求められる。ぶった切って継ぎ接ぎした場面場面を、彼がまとめなければならないから。
この構成において、主役以外でもっとも「タカラヅカスター」として「勉強」になるのはルキーニ役だ。
新公になると、いろーんなことが起こるなあ。
その昔、『あさきゆめみし』で番手逆転が白日の下になったよーに。
2幕冒頭にあたる、カメラ小僧ルキーニの「キッチュ」。客席から登場、さんざん客いじりをしたのち、銀橋に上がってそのままそこで単独で1曲。
トップスターでも、ここまで派手な演出はそうそうない(笑)。
銀橋でピンライト浴びてソロ1曲、って、ふつーそこまでする必要はない。本舞台のカーテン前(本公演と同じ)でも花道でも済むことだ。
それがわざわざ銀橋だからなー。
そっかあ、ルキーニの比重上げてあるんだー。「解説」として必要だからではなく、番手を上げるために。
や、番手云々より、それによって舞台が派手になってくれる方がいいので、ありがたいっす。
そして、ルキーニ@せしるはちゃんと、仕事をこなしていた。
おおっ、なめらかだー。
台詞や手順がどれだけ変わっていても、噛んだり忘れたりせずにちゃんとふつーに演じている。
『ハロー!ダンシング』のために、わたしの中のせしる株は暴落していたんだけど、一気に持ち直したわ(笑)。
なんだよ、ここまでデキんじゃんー。
狂言回しとして、空気動かせるんじゃんー。
ルキーニとして、一貫したモノがあったのが、大きいかなと。
場面ごとに都合良く別物にならず、ちゃんとひとつのキャラクタで演じきった。
台詞も歌もよかったよー。
ただ、あまりにも「簡単」なルキーニで、「軽い」役作りではあったけれど。
そうそう、「ルキーニ」っていったらこうだよね? みたいな。
簡単お手軽わかりやすい……そうか、こうすればインスタントに「ルキーニ」ってできるんだ。みたいな。
もちろん、これは新公だから。新公でそこまでカタチを叩き出したことがすごい。
なんつっても、美形だし。
もー、眼福ですよ、ルキーニの美形っぷり。
ヒゲ似合うなー、せしる。
客席いじりしているときのせしる、わたしの目の前だったんですよ。
すぐ目の前で三脚立てて、本役さんたちの座席に向けてカメラ構えて。
あの大きな目が、ずらーっと周囲見回して。
目が合って、どきんとしたよ。
わわわ、あの美しい人と見つめ合ってしまった!!(誇大妄想)
かっこいーなー、せしる〜〜。
2幕モノの芝居を短縮して1幕構成にするうえで、役の比重が変わっていたことはたしかだ。
フランツ役のしゅうくんがどうこうという意味ではなく。役の比重の変化は、出演者のせいじゃないからな。
そのことがどーゆー意味を持つのかは、深く考えない。
ただ、ルキーニはちゃんと、2番手としての役目を果たしていたと思う。
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