「ねえ、アンタ司馬遼太郎全部読んでるよね? 『大坂侍』ってどう?」
「ああ? 短編だろ。読んだけど……べつにどーってことない話」
「今度ソレ、ヅカでやるんだよ」
「……阪急電車のポスター、アレ、タカラヅカか」
「知ってるの? てゆーか、ポスター見て、なんだと思ったのよ」
「そんな、ちゃんと見てないから、ただ『ああ、芝居のポスターだな』って」

 ふつーに、芝居のポスターに見えた……つまり、ふつーに男の人に見えたんだ、きりやん。

 や、ヅカにカケラも興味のない弟が、車内吊りポスターをおぼえている+ヅカだと思わないクオリティ、だなんて、きりやんステキ。

 つーことで、『大坂侍−けったいな人々−』の話。

 いつものよーに初日から観に行きたかったのに、チケット難民していたので、無理でした。ま、バウの初日は無理だわな。友会ではもちろんはずれちゃって、チケット1枚もないままだわ、サバキも出ないわ。……どーなることかと思ったぞ。

 司馬遼はかなりの冊数読んでいるけど、『大坂侍』は読んでない。ので、予備知識ナシ。
 えーと、誰が出てるんだっけ。たしか、ヒロインがねねちゃんで、まさきとマギーが出ていたはず。それからもりえもいたよな。……いつもなら出演者を誰も知らないのに、かなり理解しているぞ、今回。
 でも、それ以外は誰が出ているかわかっていなかったので、いちいちおどろいた。わ、マチヲ先輩出てたんだ、とか、よしづきさんいたんだ、とか、マヤさんとチャルさんってすげー豪華!とか。

 時は幕末、舞台は大坂。士農工商ならぬ商工農士、いちばんえらいのが商人、いちばん立場が弱いのが侍、という世界で、頑なに時代遅れに武士であることを貫く男・鳥居又七@きりやん。
 彼に惚れた豪商のわがまま娘・お勢@ねねちゃんが、父親の大和屋源右衛門@チャルさんと結託して「金」の力で又七を手に入れようと表に裏に画策・爆走、それと同時に時代も急変、えーと世の中では後世に「明治維新」と呼ばれる大騒ぎの最中なんですが、大坂はなにやってんですか? そう、大坂は「金」の力で戦争すら回避、金さえあればなんでも出来るっつーことでヨロシク。
 そんな大坂人のなか、「武士」であることを貫く又七は、死を覚悟して彰義隊に参加することを決意。悲壮な決意と覚悟で大坂侍は江戸を目指すが……。
 笑いと涙の、歴史ファンタジー。

 そう。
 幕末という動乱の時代を借りた、ファンタジーだ。
 すべては金だという独特の世界観がしっかり構築された異世界で、「人間」たちが右往左往喜怒哀楽している。
 歴史の渦の中で、出来事ひとつひとつが「金」という世界観で洗われていく。「んなわけあるかい!」な展開も、世界観が正しく機能しているから、どんなにナンセンスでも「アリでしょう!」と思わせる。

 やりすぎなおかしな人たちの間で、主人公の又七ひとりがわたしたちと同じ価値観を持っている。彼のみを「まとも」だと思うのは、観客であるわたしたちの目線に合わせてあるから。
 視点となる主人公になっておかしな……「けったいな人々」に翻弄され、それでもいつしかその「けったいな人々」を愛し、また、不器用な生き方しかできない又七を愛していく。
 又七はわたしたちの視点でありながら、わたしたちが持たない強さ、人としての正しさを持つ。だからこそ、彼の存在は心地いい。彼を視点としてこの世界にいるのは心地いいんだ。

 ファンタジーとして、たのしんだ。
 や、たのしかったよ、ほんと。

 『維新回天・竜馬伝!』と陸続きというか、石田せんせ、作風確立したな、という感じ。
 下手にシリアス歴史物として大上段に構えず、「ファンタジー」であること、史実に足を取られ過ぎず「別の世界」を構築することにこだわった作品。

 ファンタジーの鉄則として、主人公と同じくらい、「世界描写」が大切なんだよね。
 わたしたちが生きている現実社会とは別の世界なわけだから、そこをしっかり教えておいてもらわないと、ついていけなくなるからね。
 んじゃどーやって解説するかとゆーと、1列に並んで順番に説明台詞を長々言うだけが解説方法ではなく、「いろんなサブキャラを出す」ことで、彼らの言動全部ひっくるめて「世界描写」。
 石田芝居はもともとサブキャラ多すぎで下級生までなんかしら役があって画面のあちこちでごそごそやっているもんだけど、バウで小品なんでその手法もいい感じに機能、「銭が命」「銭次第」と体現する彼らのエピソードが混在することによって、「世界」を解説する。
 主人公・又七の話だけなら、シンプルであっちゅー間に終わるんだけどね。サブタイトルにもなっている「けったいな人々」を描くのに時間を割いてあるからさー。
 「けったいな人々」を描いてあるからこそ、又七のキャラクタが浮かび上がってくるし。

 コメディだから、素直に笑って観ていたんだけど、意外なほど泣けたんですが。

 笑いと涙なら、わたし的には涙の方が多かった。

 「異世界ファンタジー」であり、その世界観の中で人々の人生に共感してしまったら、そりゃ泣けるって。

 「戦う」とか、「強く生きる」とか、「命ぎりぎり愛」とか「命がけの友情」とか、そーゆーのはなにも、戦争とかSFとかことさらにドラマティックな時代背景や道具立ては必要ないのよ。
 イタリアンレストランが舞台でも「学校」と戦う女弁護士でもなんでもいいの(今期ドラマで出来がいいものを例に挙げてみた)。「世界」がきちんと描かれていて、そこで「生きている人間たち」がきちんと描かれていれば、歴史巨編に遜色ない「人間ドラマ」を描くことができる。
 「金がすべて」という価値観に貫かれた舞台で、その金の力ですべてを回していく「人間」たちの物語。
 道具立てがちがっても、やはり「人間」の物語だから。
 それは哀しく愛しく、ある意味滑稽で、そして感動的だ。

 ド真面目公務員・又七のコツコツとした人生を、「金さえあればなんでも出来る」大金持ちお嬢様・お勢がひっくり返すのがおもしろい。
 徳川の家臣であり、その禄を受けてきた鳥居家の存在意義や誇りや歴史も、金持ちお嬢様にかかっちゃーひとことだ。鳥居家が得てきた30年分の俸禄なんぞ、お嬢様の一声で全額返金できるってか。
 金で買えること、そして、金でもどうしようもないこと、このパワーバランス絶妙に、綱引きしながら物語が転がっていく痛快さ。
 金文化を否定する又七も、金文化の申し子お勢も、どちらもかわいいし、愛しい。

 たのしいファンタジーだ。
 素直に、しあわせなキモチになれる。

 
 ……という感想を先に書いていたんだが、腐女子話が先になってしまったのは何故なんだ。


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