わたしは、作家ではありません。……知ってるってば。@My Stage
2007年6月10日 タカラヅカ「『運動会』をタイトルに作文を書きましょう」
「やだやだやだ。書きたくない」
「書かないと2学期の成績表がつけられなくなりますよ」
「やだやだやだ。作文きらい」
「嫌いでも書くのです。みんなだって書いているでしょう?」
「やだやだやだ」
さんざん逃げ回って末に、提出された作文は。
「『運動会』 四年三組 とどろきゆう
朝起きました。
お母さんが「おはよう」と言いました。
ぼくも「おはようございます」と言いました。
家族で朝ごはんを食べました。
手を合わせて「いただきます」と言いました。
(中略)
学校へ向かって歩いていると、みのるくんに会いました。
みのるくんは、「おはよう」と言いました。
ぼくも「おはよう」と言いました。
それから、まことくんに会いました。
まことくんは「おはよう」と言いました。
ぼくも「おはよう」と言いました。
まことくんは「今日の運動会、たのしみだなあ」と言いました。
ぼくも「たのしみだね」と言いました。
(中略)
こうして、運動会がはじまりました。
たのしかったです。」
てな具合の「その日の出来事箇条書き」で、しかもどーでもいいことだけをさも「書くことないんだよ」と書いてマス目を埋めて、結局運動会の感想は「たのしかったです。」だけ。
……はい、トド様の「最初で最後のエッセイ」(本人談)は、こーゆー感じの本でした。
前日欄でちょろっとトドロキのエッセイの話をしたので、どう最悪だったのかを書いておこうかと(笑)。
当時のトップスターはすべからく、自筆エッセイを出さなければならなかった。
これは「トップスターとしての義務」だった。……たぶん。
それ以前、3番手のころトドは、同期のマミ・ノル・タモと一緒に『すみれ四重奏』というエッセイを書く予定だったが、「書きたくない」と言ってひとりだけ逃げ切り、『すみれ三重奏』というタイトルで出版された。
これはどっかでトド本人が語っていたぞ。「同期(マミ・ノル・タモ)から恨まれた(笑)」と。
3番手のころは「嫌だ」で済んだけれど、トップになればそうはいかない。
「トップの義務」で仕方なくトドは筆を執った。
轟悠の唯一のエッセイ。タイトルは、とってもやる気なく『My Stage』。
わたしはトドファンだったので、発売日にわくわく買いに行きましたよ。
そして、アゴを落とす。
まず本文1ページ目にデカい活字でひとこと。
わたしは
作家では
ありません。
1ページ、コレだけ。
究極の、開き直り。
「オレは作家ぢゃねーんだよ、こんなもん書けるわけねーだろ、仕事だから仕方なく、嫌々やってんだよ。うまくなんか書けるわけねーんだから、内容がどれだけアレでも文句言うなよ?」
ジェンヌ自筆のエッセイに、「巧さ」なんか誰も期待してないって。
ファンが買うものであり、スター本人の人となりや過去のエピソード、舞台裏がのぞければソレでいいんだってば。
つたない文章でも、どんな子どもだったとかどんなふうにタカラヅカに出会って、どんなふうにがんばって受験して、音楽学校時代はこんなことがあって、入団してからはこんなことがあって……と、本人の「想い」が伝わればソレだけでいいんだって。
他の人のエッセイはそうだったってば。
なのにトドエッセイは、それすらなかった。
初舞台からの仕事を、箇条書き。
それも、資料としてもらった写真を見ながら、思い出したことを書いてあるだけ。
ひどいときは、「新人公演*月*日」と、ほんとに日付だけ書いてある。
「この写真の私は、**さんとなにを話しているんでしょうね」って、おぼえてもいないのに、ただ写真見て書いてるだけかよ?!……とかな。
「このお衣装は好きでしたね」「**役は**さん、**役は**さんでした」「この公演は大変だったことをおぼえています」って、終始この調子。
エッセイぢゃ、ない……。
こんなの、エッセイぢゃないよーっ!
備忘録以下。
目的は、「原稿用紙を埋めること」。マス目を無駄に稼いで、「とにかく、終わらせたい」という本音プンプン。
全編通して、「書きたくて書いてんぢゃねーよ! 嫌なんだよ!」という、トドの叫びが伝わってくる……。
あまりのことに、口は開いたまんまふさがらないわ、目は点だわ……。
『歌劇』の「えと文」を、格言を書き写すだけで3ヶ月埋めたという伝説の持ち主は、やることがチガウわ……。
本当に、モノを書くのが嫌いなんだな。
わたしはこの通りモノを書くのがダイスキなので、さらに唖然としましたわ。
文章書くのなんか、どーってことないじゃん。踊ったり演技したりより、ぜんぜん簡単で、誰にだってできることだろうに。
最低最悪、こんなもんを世に出すくらいなら、本人のためにもファンのためにも、出版しなければよかったのに。と、心から思いました。
でも、だんだん慣れてきたのか、記憶に新しくなるからか、後半になると「舞台の思い出」らしい記述も増えていくので、ほっとする。
あっ、そーいや新人公演の『ベルサイユのばら』の記述のころはまだただの「箇条書き」で、なんの思い出も書かれていなかったのだけど。
あのころいろんなインタビューでたかこが、「ファーストキスの相手はトドロキさん♪」と宣伝して回っていたのに、トドはオスカル@たかこにキスをしたことなんか、完全スルーしていたことに、ウケたっけ。
たかちゃんがあんなにうれしそーに、トドとの新公『ベルばら』の話をしているのに、トドにとってソレは黒歴史、記憶から抹殺したいような出来事なんだ……(笑)。
後年トドも大人になったのか、いろんなところで「ファーストキスの相手はたかこ」と言うようになっていたけれど。
『ベルばら』みたいな大きな作品での初新公主演すら、出演者の名前を数名挙げただけの箇条書きレベルで済ませていた、実にやる気のない文章。
ほんとにひどい本だと思いつつ。
それでも、ファンにとっては愛すべき1冊であることも、たしかだ。
ここまで書くのを嫌がりながら、それでも気力を振り絞って書いた1冊。
この投げやりな文章が、やけっぱちな態度が、彼の性格を物語っていて、それこそが愛しい。
くそお、ファンってやつは、どーしよーもねぇな。
この最低最悪なエッセイの最後のページには、
やっぱり
わたしは
作家では
ありませんでした。
あしからず。
と、まるまる1ページ使ってデカい活字で書き捨ててある。
「だからオレは作家ぢゃねーんだよ、嫌々やってんだよ、わかって読んだんだから文句言うなよ?」
って、書き逃げかよっ?!(笑)
帯のあおり文「舞台人・轟悠が溢れる思いの丈を綴った、ファーストエッセイ集。」が、ひたすら哀しい……(笑)。
「やだやだやだ。書きたくない」
「書かないと2学期の成績表がつけられなくなりますよ」
「やだやだやだ。作文きらい」
「嫌いでも書くのです。みんなだって書いているでしょう?」
「やだやだやだ」
さんざん逃げ回って末に、提出された作文は。
「『運動会』 四年三組 とどろきゆう
朝起きました。
お母さんが「おはよう」と言いました。
ぼくも「おはようございます」と言いました。
家族で朝ごはんを食べました。
手を合わせて「いただきます」と言いました。
(中略)
学校へ向かって歩いていると、みのるくんに会いました。
みのるくんは、「おはよう」と言いました。
ぼくも「おはよう」と言いました。
それから、まことくんに会いました。
まことくんは「おはよう」と言いました。
ぼくも「おはよう」と言いました。
まことくんは「今日の運動会、たのしみだなあ」と言いました。
ぼくも「たのしみだね」と言いました。
(中略)
こうして、運動会がはじまりました。
たのしかったです。」
てな具合の「その日の出来事箇条書き」で、しかもどーでもいいことだけをさも「書くことないんだよ」と書いてマス目を埋めて、結局運動会の感想は「たのしかったです。」だけ。
……はい、トド様の「最初で最後のエッセイ」(本人談)は、こーゆー感じの本でした。
前日欄でちょろっとトドロキのエッセイの話をしたので、どう最悪だったのかを書いておこうかと(笑)。
当時のトップスターはすべからく、自筆エッセイを出さなければならなかった。
これは「トップスターとしての義務」だった。……たぶん。
それ以前、3番手のころトドは、同期のマミ・ノル・タモと一緒に『すみれ四重奏』というエッセイを書く予定だったが、「書きたくない」と言ってひとりだけ逃げ切り、『すみれ三重奏』というタイトルで出版された。
これはどっかでトド本人が語っていたぞ。「同期(マミ・ノル・タモ)から恨まれた(笑)」と。
3番手のころは「嫌だ」で済んだけれど、トップになればそうはいかない。
「トップの義務」で仕方なくトドは筆を執った。
轟悠の唯一のエッセイ。タイトルは、とってもやる気なく『My Stage』。
わたしはトドファンだったので、発売日にわくわく買いに行きましたよ。
そして、アゴを落とす。
まず本文1ページ目にデカい活字でひとこと。
わたしは
作家では
ありません。
1ページ、コレだけ。
究極の、開き直り。
「オレは作家ぢゃねーんだよ、こんなもん書けるわけねーだろ、仕事だから仕方なく、嫌々やってんだよ。うまくなんか書けるわけねーんだから、内容がどれだけアレでも文句言うなよ?」
ジェンヌ自筆のエッセイに、「巧さ」なんか誰も期待してないって。
ファンが買うものであり、スター本人の人となりや過去のエピソード、舞台裏がのぞければソレでいいんだってば。
つたない文章でも、どんな子どもだったとかどんなふうにタカラヅカに出会って、どんなふうにがんばって受験して、音楽学校時代はこんなことがあって、入団してからはこんなことがあって……と、本人の「想い」が伝わればソレだけでいいんだって。
他の人のエッセイはそうだったってば。
なのにトドエッセイは、それすらなかった。
初舞台からの仕事を、箇条書き。
それも、資料としてもらった写真を見ながら、思い出したことを書いてあるだけ。
ひどいときは、「新人公演*月*日」と、ほんとに日付だけ書いてある。
「この写真の私は、**さんとなにを話しているんでしょうね」って、おぼえてもいないのに、ただ写真見て書いてるだけかよ?!……とかな。
「このお衣装は好きでしたね」「**役は**さん、**役は**さんでした」「この公演は大変だったことをおぼえています」って、終始この調子。
エッセイぢゃ、ない……。
こんなの、エッセイぢゃないよーっ!
備忘録以下。
目的は、「原稿用紙を埋めること」。マス目を無駄に稼いで、「とにかく、終わらせたい」という本音プンプン。
全編通して、「書きたくて書いてんぢゃねーよ! 嫌なんだよ!」という、トドの叫びが伝わってくる……。
あまりのことに、口は開いたまんまふさがらないわ、目は点だわ……。
『歌劇』の「えと文」を、格言を書き写すだけで3ヶ月埋めたという伝説の持ち主は、やることがチガウわ……。
本当に、モノを書くのが嫌いなんだな。
わたしはこの通りモノを書くのがダイスキなので、さらに唖然としましたわ。
文章書くのなんか、どーってことないじゃん。踊ったり演技したりより、ぜんぜん簡単で、誰にだってできることだろうに。
最低最悪、こんなもんを世に出すくらいなら、本人のためにもファンのためにも、出版しなければよかったのに。と、心から思いました。
でも、だんだん慣れてきたのか、記憶に新しくなるからか、後半になると「舞台の思い出」らしい記述も増えていくので、ほっとする。
あっ、そーいや新人公演の『ベルサイユのばら』の記述のころはまだただの「箇条書き」で、なんの思い出も書かれていなかったのだけど。
あのころいろんなインタビューでたかこが、「ファーストキスの相手はトドロキさん♪」と宣伝して回っていたのに、トドはオスカル@たかこにキスをしたことなんか、完全スルーしていたことに、ウケたっけ。
たかちゃんがあんなにうれしそーに、トドとの新公『ベルばら』の話をしているのに、トドにとってソレは黒歴史、記憶から抹殺したいような出来事なんだ……(笑)。
後年トドも大人になったのか、いろんなところで「ファーストキスの相手はたかこ」と言うようになっていたけれど。
『ベルばら』みたいな大きな作品での初新公主演すら、出演者の名前を数名挙げただけの箇条書きレベルで済ませていた、実にやる気のない文章。
ほんとにひどい本だと思いつつ。
それでも、ファンにとっては愛すべき1冊であることも、たしかだ。
ここまで書くのを嫌がりながら、それでも気力を振り絞って書いた1冊。
この投げやりな文章が、やけっぱちな態度が、彼の性格を物語っていて、それこそが愛しい。
くそお、ファンってやつは、どーしよーもねぇな。
この最低最悪なエッセイの最後のページには、
やっぱり
わたしは
作家では
ありませんでした。
あしからず。
と、まるまる1ページ使ってデカい活字で書き捨ててある。
「だからオレは作家ぢゃねーんだよ、嫌々やってんだよ、わかって読んだんだから文句言うなよ?」
って、書き逃げかよっ?!(笑)
帯のあおり文「舞台人・轟悠が溢れる思いの丈を綴った、ファーストエッセイ集。」が、ひたすら哀しい……(笑)。
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