彼は、もういない。@まっつまっつまっつ
2007年7月5日 タカラヅカ「もう10日もタカラヅカに行ってない……」
と、つぶやいては家族にウザがられている緑野です。「10日“も”ってなんだ、もう半年ぐらいは行くな」とか言われてますよ、ははは。
『舞姫』期間中、ずーっとムラ通いしていたことが祟ってますな。
や、毎日あんなところまで通うのは大変だったんで、しばらく家でおとなしくしているのはいいことなんですが。
不便すぎるんだ、宝塚。神戸や京都の方がよっぽど行きやすいよ……特急とか急行とかあるもん。宝塚線は「急行」という名前の付いた各駅停車があるのみだもんよー。
遠すぎるよー、宝塚〜〜。
ヅカを観ていないのは10日ほどだし、オサ様の『あさきゆめみし』がはじまるから、おとなしく家に引きこもっているのはあと数日のことだと思うが、まっつに次に会えるのは、いつだろう。と思うと、遠い目をしてしまいます……。
遠い道のりだなー……。
つーことではい、『舞姫』楽からたった10日、すでにまっつ切れ起こしてる緑野です。
だからここで、まっつの話!
わたしは手帳にまっつの写真を入れている。
キャトルレーヴで販売されている、スケジュール帳だ。アレの表紙は2Lサイズで、キャトレで売ってる舞台写真がぴったり入るのよ。
今年の手帳に入れているのは、リチャード教授@『MIND TRAVELLER』。
きほちゃんの手にチューした直後の横顔と、撃たれたあとの手に包帯(ハンカチ?)巻いているヤツ。
まあ、他にもいろいろ写真を入れてある恥ずかしい手帳なんだが(絶対に落としたりできないっ)、この手帳をわたしはなんとなーく毎日、ぼーっと眺めているんだわ。
や、たんに時間待ちしているときとか、ほんと空いた時間に、意味もなく。
他に見るもんがありゃーんなこともしないと思うが、とくになにもないときに見る。
そして、思うわけだ。
まっつってほんと、髪型いつも一緒だな。
まっつの髪型のバリエーションって、少なすぎ。
芝居でもショーでも、同じ髪型し過ぎだよー。
リチャード教授を見て、次に相沢@『舞姫』を見てとほほ、髪型同じかよ、と肩を落とす。
もちろん、厳密には違うんだろうし、まっつなりのこだわりもあるんだろうけど。
ぱっと見、ちがいなんかわかんないって。
そして。
思うわけだ。
外見は同じなのに、別の人なんだな。
髪型は同じ、色も似たよーなもん。同じ人が演じているんだから、とーぜん顔も同じ。
なのに、別人だとわかる。
リチャードはキツイ、冷酷な顔をしている。
相沢も冷徹さを持つエリートなんだが、それでもやはり、顔がチガウ。
ああ、別の人なんだ。
リチャードと、相沢。
そりゃ、キャラが違いすぎるんだから、顔つきが違っても当然だけど。
同じ冷徹な顔でも、別人なんだよ?
もうリチャード教授はいないんだなあ。
そしてたぶん、相沢くんも、もういないんだなあ。
役者ってのは不思議だ。
その瞬間瞬間の、消えてしまうことが前提のアートを創るひと。
リチャードの、嫉妬に燃える凍り付いた眼差しが好きだった。
マッド・サイエンティストではなく、人間的な感情を持っていた彼。
いちいち嫉妬したり不安に駆られたり、無表情なのに感情が動く様を見るのが好きだった。
相沢くんの、「人を傷つけることで、自分が傷つくことをおそれない」強さが好きだった。
あえて相手を傷つける、その自覚の元に発する言葉、言わなければならない言葉を痛みを持って告げる、そのやさしい強さ。強いゆえのかなしさ。
細かく揺れ動く心。繊細さと大胆な決意。誠実さに裏付けられた残酷さに、ときめいた。
あれらはみな、あのとき一瞬だけのもの。
きっともう、二度と会えない。
映像に残っていたとしても、それはやっぱり映像でしかなく、ただの別物だ。
第一わたしのようにまっつだけを最初から最後まで追った映像なんて、存在するわけない。
もう会えない。
それがかなしい。
そりゃ、次の公演はあるけどさー。
役があるかどうか、台詞があるかどうかすらアヤしいのが本公演のまっつの位置だもんなー。
濃密度に作り上げた「役」として息づくまっつを見られるのは、いつになるやら。
や、役が無くても台詞が無くても、いてくれるだけでいいんですけどね。
ほんと、ソレだけなんですけどね。
未涼亜希が、消えてしまわなければ、ソレでいいんですが。
『舞姫』楽から10日ですでにまっつ切れ。
こんなんで、やっていけるのかしら……。
いやその、所詮ミーハー全開ヅカファンなので、次の萌えがあればそれを糧に、まっつ待ちして生きますが。
『あさき』に萌えがあるといいなー。『マジシャンの憂鬱』が萌えな作品だといいなー。
まっつまっつまっつ。
と、つぶやいては家族にウザがられている緑野です。「10日“も”ってなんだ、もう半年ぐらいは行くな」とか言われてますよ、ははは。
『舞姫』期間中、ずーっとムラ通いしていたことが祟ってますな。
や、毎日あんなところまで通うのは大変だったんで、しばらく家でおとなしくしているのはいいことなんですが。
不便すぎるんだ、宝塚。神戸や京都の方がよっぽど行きやすいよ……特急とか急行とかあるもん。宝塚線は「急行」という名前の付いた各駅停車があるのみだもんよー。
遠すぎるよー、宝塚〜〜。
ヅカを観ていないのは10日ほどだし、オサ様の『あさきゆめみし』がはじまるから、おとなしく家に引きこもっているのはあと数日のことだと思うが、まっつに次に会えるのは、いつだろう。と思うと、遠い目をしてしまいます……。
遠い道のりだなー……。
つーことではい、『舞姫』楽からたった10日、すでにまっつ切れ起こしてる緑野です。
だからここで、まっつの話!
わたしは手帳にまっつの写真を入れている。
キャトルレーヴで販売されている、スケジュール帳だ。アレの表紙は2Lサイズで、キャトレで売ってる舞台写真がぴったり入るのよ。
今年の手帳に入れているのは、リチャード教授@『MIND TRAVELLER』。
きほちゃんの手にチューした直後の横顔と、撃たれたあとの手に包帯(ハンカチ?)巻いているヤツ。
まあ、他にもいろいろ写真を入れてある恥ずかしい手帳なんだが(絶対に落としたりできないっ)、この手帳をわたしはなんとなーく毎日、ぼーっと眺めているんだわ。
や、たんに時間待ちしているときとか、ほんと空いた時間に、意味もなく。
他に見るもんがありゃーんなこともしないと思うが、とくになにもないときに見る。
そして、思うわけだ。
まっつってほんと、髪型いつも一緒だな。
まっつの髪型のバリエーションって、少なすぎ。
芝居でもショーでも、同じ髪型し過ぎだよー。
リチャード教授を見て、次に相沢@『舞姫』を見てとほほ、髪型同じかよ、と肩を落とす。
もちろん、厳密には違うんだろうし、まっつなりのこだわりもあるんだろうけど。
ぱっと見、ちがいなんかわかんないって。
そして。
思うわけだ。
外見は同じなのに、別の人なんだな。
髪型は同じ、色も似たよーなもん。同じ人が演じているんだから、とーぜん顔も同じ。
なのに、別人だとわかる。
リチャードはキツイ、冷酷な顔をしている。
相沢も冷徹さを持つエリートなんだが、それでもやはり、顔がチガウ。
ああ、別の人なんだ。
リチャードと、相沢。
そりゃ、キャラが違いすぎるんだから、顔つきが違っても当然だけど。
同じ冷徹な顔でも、別人なんだよ?
もうリチャード教授はいないんだなあ。
そしてたぶん、相沢くんも、もういないんだなあ。
役者ってのは不思議だ。
その瞬間瞬間の、消えてしまうことが前提のアートを創るひと。
リチャードの、嫉妬に燃える凍り付いた眼差しが好きだった。
マッド・サイエンティストではなく、人間的な感情を持っていた彼。
いちいち嫉妬したり不安に駆られたり、無表情なのに感情が動く様を見るのが好きだった。
相沢くんの、「人を傷つけることで、自分が傷つくことをおそれない」強さが好きだった。
あえて相手を傷つける、その自覚の元に発する言葉、言わなければならない言葉を痛みを持って告げる、そのやさしい強さ。強いゆえのかなしさ。
細かく揺れ動く心。繊細さと大胆な決意。誠実さに裏付けられた残酷さに、ときめいた。
あれらはみな、あのとき一瞬だけのもの。
きっともう、二度と会えない。
映像に残っていたとしても、それはやっぱり映像でしかなく、ただの別物だ。
第一わたしのようにまっつだけを最初から最後まで追った映像なんて、存在するわけない。
もう会えない。
それがかなしい。
そりゃ、次の公演はあるけどさー。
役があるかどうか、台詞があるかどうかすらアヤしいのが本公演のまっつの位置だもんなー。
濃密度に作り上げた「役」として息づくまっつを見られるのは、いつになるやら。
や、役が無くても台詞が無くても、いてくれるだけでいいんですけどね。
ほんと、ソレだけなんですけどね。
未涼亜希が、消えてしまわなければ、ソレでいいんですが。
『舞姫』楽から10日ですでにまっつ切れ。
こんなんで、やっていけるのかしら……。
いやその、所詮ミーハー全開ヅカファンなので、次の萌えがあればそれを糧に、まっつ待ちして生きますが。
『あさき』に萌えがあるといいなー。『マジシャンの憂鬱』が萌えな作品だといいなー。
まっつまっつまっつ。
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