大義のためだ。
 きれいごとだけで政治はできない。

 私欲のために前領主を暗殺し、敵国フランスにしっぽを振ってバレンシア領主となったルカノール公爵。この男から、バレンシアを取り返さなければならない。
 だが、ただ公爵を暗殺すればすむわけではない。公爵を象徴とするフランス勢力を払拭しなければ、彼ひとり殺したところでなんの意味もない。
 私は反乱のための準備を進めた。挙兵までは、私の計画が外に漏れてはならない。公爵の目をそらすための道化が必要だ。

 公爵のよく知る人物で、自分ではナニも考えられず簡単に他人の言いなりになる、しかしプライドだけは高く自意識過剰な愚か者……ちょうどいい男がいる。私はその男をバレンシアに呼び寄せることにした。

 前領主の息子フェルナンドだ。
「君の父上を殺したのは、ルカノール公爵だ」
 と、私が捏造した「証拠の手紙」とやらをちらつかせてやるだけでよかった。フェルナンドは激昂、「父の仇を討つ!」といきり立つ。
 殺人には殺人で、個人の暴力で気を晴らす程度のことしかできない、低脳な……されど素直な若者を利用するのはたやすかった。
 私の言うことを聞けば、仇が討てる。まずはルカノールを油断させるために遊び歩き、阿呆のふりをしろと言い含めた。
 フェルナンドは単純に盛り場を遊び歩き、仇討ちなど考えていない振りをする。
 そのあまりに唐突な変身ぶりが嘘臭く、ルカノールの目を引くには十分だった。しかもこの若者は、さらに愉快な真似をはじめた。
「黒い天使とでも呼んでもらおうか」
 黒い帽子に派手なマント、恥ずかしい異名を自ら名乗り、ルカノール派を襲っては悦に入っている。子どもの頃にそのテの覆面ヒーローの活躍する読み物にハマったクチらしい。
 フェルナンドの単純な脳みそには、「仇=悪」「仇を憎む自分=正義」「自分の敵=バレンシアの敵」という図式しかない。バレンシアの未来も、スペイン、フランスといった国家間のこともなにもない。
 だが、それでいい。彼が愚かであることが、重要なのだ。
 黒い天使が囮になってくれている間に、義勇軍の準備は整った。

 ルカノールの館に自在に出入りする泥棒を飼っていた私には、正直ルカノールとの決戦に黒い天使とやらは必要なかったが、あえて連れて行くことにした。
 ルカノールへの私怨に燃えるフェルナンドと、同じく私怨だけでつながった黒い天使チームは、私の組織する義勇軍と分けて行動させなければならない。この闘いへの意識がまったくチガウからだ。

 どこから見ても「賊」でしかない姿をした黒い天使たちに、ルカノールを暗殺させる。そのあとで、私の義勇軍がルカノール派を制圧し、バレンシアの実権を握るのだ。
 現国王とフランスに対しての時間稼ぎだ。
 フランス派ルカノールを暗殺したのは黒い天使という賊であり、私たちはその黒い天使を討伐しに兵を起こした。
 黒い天使は即刻公開処刑。前領主の息子が犯人だとわかれば、その動機も「現国王政府への反逆」ではなく、「ただの私怨」として片が付く。
 すべてはバレンシアのため、祖国のためだ。
 フェルナンドを処刑台に送り込むことは容易い。私に都合の悪いことはなにも言わないよう、耳障りのいい言葉でおだてあげればいい。あの愚かな男は、私の言葉ひとつで意気揚々と死んでいくだろう。自分を英雄だと信じて。
 フェルナンドの仲間の黒い天使たちは、ルカノール暗殺直後に殺してしまうので問題ない。
 黒い天使のひとりはルカノールの甥であり後継者であるロドリーゴなので、叔父を守ろうとして黒い天使に殺されたことにすればいいし、その正体を知るルカノールの妻も自殺を装って殺せばいい。
 もうひとりはただの身分の卑しい小物だ、いつこの世からいなくなってもかまわない。余計な工作も必要ない。
 黒い天使として処刑されるのは、フェルナンドひとりで十分だ。

 私が必要としたのは、スケープゴートだ。愚か者をひとり、道化として祭り上げる必要があった。
 フェルナンドの母は賢い女なので真実を察するだろうが、その賢さゆえに口を閉ざすだろう。
 大儀のためだ。
 きれいごとだけで政治はできない。

 フェルナンドよ。恨むのならば私ではなく、愚かな自分を恨んでくれ。

             ☆

 宙組新人公演『バレンシアの熱い花』観劇。

 新公感想を書こうとしていたんだが、やめた。
 本公演の、いや、『バレンシアの熱い花』という作品についての感想を書いた上でないと、新公感想が書けないことに気が付いたんだ。
 新公感想を書いていたら、いちいち本公演ではこうだった、作品がこうだったからと解説しながらになって、まだるっこしい。論点がブレるから、順に書かなきゃダメだ。

 や、タニちゃんお披露目だし、初日から作品についてキライ。駄作。と書くのもなんだかなー、と思って、書かなかったけれど。

 いい加減書かないと、先に進めないや。

 だからここで、『バレンシアの熱い花』という、作品についての感想。

 柴田作品は古くてあちこち綻びだらけである、大昔はソレで良かったのかもしれないが、現代からすりゃ目眩がするほどダサかったりする、ということは、わかっていた。
 だが柴田作品は「つまらない」ことはあっても、最低限「生理的嫌悪感がない」というのが美点だった。
 柴田せんせー自身の人柄や、考え方ゆえだろう。時代にそぐわないのはもう仕方ないが、人格への信頼感はある人だった。
 それが、同じように古くて時代錯誤でダサい植爺作品との、大きなちがいだった。

 ところがどっこい、この『バレンシアの熱い花』は。
 植爺と同種の「壊れ方」をしているんだよ。
 どーしたもんだか。

 何度も書いているが、わたしの逆ツボは、「まちがっているのに、それを正しいとする世界観」だ。
 まちがったことをしてはならない、のではない。
 まちがったことなら、まちがったこととして書いてくれ。

 恋に夢中になったヒロインが、うっかり仕事でミスをした。すると意地悪な上司がヒロインをねちねちと叱った。なんてひどい人なんだろう! ヒロインは恋で悩んでいるのに。こんなに一生懸命に生きている子がミスをしたって仕方ないじゃないか。それを責めるなんて、この上司は悪人だ。
 という、世界観のゆがみが逆ツボ。
 恋に夢中なのも、ミスをしたのもヒロインの勝手。それを責める上司は正しいのに、ヒロインを正当化するために世界を歪曲、上司を悪に仕立て上げるのが気持ち悪い。
 じゃあミスしない人間なんているの? ヒロインがミスをするのは、彼女が真摯に恋をしていることを表すエピソードなのに、書いちゃいけないの?
 そうじゃない。個人的感情のために仕事でミスをするのは悪いこと、だが、悪いことをしてしまうほどに真摯に恋に悩んでいる、という描き方をしろと言っているんだ。
 まちがったことを描いてもいい。してもいい。まちがったことはまちがったこととして、描いてくれ。
 何故そのまちがったことを、それでもしなければならなかったのかを、描いてくれ。

 『バレンシアの熱い花』の主人公フェルナンドは、まちがった人間だ。
 目には目を、傷つけられたら傷つけ返す。自分の快感のためになら、他人を利用したり殺したりも平気。疑わしきは罰せよ、自分が正義、自分ひとりの感情で裁きを下す。
 父の仇討ち、復讐劇。
 ……ソレはいいんだ、べつに。
 彼がどれだけまちがっていようと、悪人だろうとかまわない。

 フェルナンドを「悪」だと、きちんと描いてくれれば。

 俺は悪人だ、自分がしていることはわかっている。だが、それでも父の仇ルカノールを殺したいんだ。
 ……というなら、いいんだ。

 なのにフェルナンド、自分を正義だと思っている。

 私怨でしかないのに、義憤だと思っている。
 その意識のゆがみがこわい。気持ち悪い。

 とゆーことで、ダメだったのですよ、この作品。
 植爺作品と同じ気持ち悪さ。ありえない。


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