美しいヒトが描く、美しいモノ。@第3回轟悠個展『心の旅』
2007年7月28日 タカラヅカ 実は行ってました、「第3回轟悠個展『心の旅』」。
トークショーに行けるはずもないので、ふつーに絵を見てきただけです。
コンセプトもなにも知らずに見た。
今回は南の島なのね。
どこか知らないけれど、外国。ただもうえんえん、南の島の海と空と自然を描き綴っている。
轟悠の絵は、美しい。
端正だ。
とても美しく、生真面目で、面白味がない。
とてもきれいなので感心するけれど、お金を出してまで欲しいとは思えないし、とくに「好き」だとも思わない。
写真とどこがチガウの? それなら写真でいいじゃん。……みたいな。
わたしの絵の好みとはかけ離れている。
だからトドの絵の価値は、わたしにとっては「轟悠の絵」ということに尽きる。
わたしがトドを好きで、トドに興味があるから、その絵にも好意と興味を持つ、という。
描かれているのは、必ず風景。
生物はほとんどいない。
トド様は、「イキモノ」に興味がないのだろう。「描く」対象としては。
トドの絵はいつも、空が大きい。
今回は海と自然の絵ばかりだから、今までほどは目立たなかったけれど。やっぱり、空ばかり描いているよこの人。
構図的にも故意に空の配分が大きくしてある。
いろんな空を描く人だ。
青空、夕焼け、さまざまな雲。
なにもないはずの空間に、丹念に光を描き続ける。
彼が描く「空」を、美しいと思う。
タイトルがどんどんリリカルになっている気がして、そっちに気を取られた(笑)。
どーってことない海の絵に、哲学的なタイトルがつけられてるのね。や、タイトルも作品の一部だから、絵自体で表現できない部分を、直接「言葉」に託すのはアリだけど、その割合が以前より多くなった気がした。
タイトルをメモったりしていないんで例に出せないけど、たとえばふつーの海岸が描かれているだけなのに、「神の静寂」とタイトルされているよーなノリ。
どんなふつーの絵でも、タイトルが神秘的だと描かれていること以上のナニかがあるように見える……てか?
わたしにはよくわからなかったけれど。
もっと絵を「見る」目のある人なら、なにか深いモノを感じられるのかもしれないけれど、わたしには猫に小判ですわ。
ただこの美しい絵を、あの美しいヒトが描いているのだということ以上の感動はありません。
真面目で面白みのないところや、融通のきかなさを感じて愛しくなるのみです。
絵というジャンルは、もっと自己主張できると思っている。
キムシンぐらい、自分を叫ぶことが出来るジャンルでしょうに。
なのにトド様は、黙々と「美しいもの」を描き続けている。自己主張はひかえめに、ある意味不器用に。
あの生真面目さに触れたくて、毎回個展に行くのかもしれないな。
トークショーに行けるはずもないので、ふつーに絵を見てきただけです。
コンセプトもなにも知らずに見た。
今回は南の島なのね。
どこか知らないけれど、外国。ただもうえんえん、南の島の海と空と自然を描き綴っている。
轟悠の絵は、美しい。
端正だ。
とても美しく、生真面目で、面白味がない。
とてもきれいなので感心するけれど、お金を出してまで欲しいとは思えないし、とくに「好き」だとも思わない。
写真とどこがチガウの? それなら写真でいいじゃん。……みたいな。
わたしの絵の好みとはかけ離れている。
だからトドの絵の価値は、わたしにとっては「轟悠の絵」ということに尽きる。
わたしがトドを好きで、トドに興味があるから、その絵にも好意と興味を持つ、という。
描かれているのは、必ず風景。
生物はほとんどいない。
トド様は、「イキモノ」に興味がないのだろう。「描く」対象としては。
トドの絵はいつも、空が大きい。
今回は海と自然の絵ばかりだから、今までほどは目立たなかったけれど。やっぱり、空ばかり描いているよこの人。
構図的にも故意に空の配分が大きくしてある。
いろんな空を描く人だ。
青空、夕焼け、さまざまな雲。
なにもないはずの空間に、丹念に光を描き続ける。
彼が描く「空」を、美しいと思う。
タイトルがどんどんリリカルになっている気がして、そっちに気を取られた(笑)。
どーってことない海の絵に、哲学的なタイトルがつけられてるのね。や、タイトルも作品の一部だから、絵自体で表現できない部分を、直接「言葉」に託すのはアリだけど、その割合が以前より多くなった気がした。
タイトルをメモったりしていないんで例に出せないけど、たとえばふつーの海岸が描かれているだけなのに、「神の静寂」とタイトルされているよーなノリ。
どんなふつーの絵でも、タイトルが神秘的だと描かれていること以上のナニかがあるように見える……てか?
わたしにはよくわからなかったけれど。
もっと絵を「見る」目のある人なら、なにか深いモノを感じられるのかもしれないけれど、わたしには猫に小判ですわ。
ただこの美しい絵を、あの美しいヒトが描いているのだということ以上の感動はありません。
真面目で面白みのないところや、融通のきかなさを感じて愛しくなるのみです。
絵というジャンルは、もっと自己主張できると思っている。
キムシンぐらい、自分を叫ぶことが出来るジャンルでしょうに。
なのにトド様は、黙々と「美しいもの」を描き続けている。自己主張はひかえめに、ある意味不器用に。
あの生真面目さに触れたくて、毎回個展に行くのかもしれないな。
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