ちょっくら長々と自分語りをする。ヅカ絡みの話ではあるが、観劇感想などではまったくないので、今日から数日間の日記は興味ない場合まるっとトバしてやってくれ。
 

 今さら話をすると、わたしがmixiをはじめたのは、そこにケロがいたからだ。

 ケロがmixiをはじめたまさにその日、彼が本名まんま(笑)でミクに登録したことをハイディさんに教えてもらい、その足でわたしも登録した。
 そのころケロの行方はファンの間では「NYに行った」としかわからず、そのくせあちこちの国内の劇場で「客席にケロさんがいた」とデマがとんでいる、そういう状況だった。
 生きて、生活しているケロの姿を知ることができて、マジ泣きした。

 当時はまだmixiも今ほどオープンになっていなかったし、ケロがそこで日記を書いていることは公然の秘密、ずいぶん長い間外には出なかった……と思う。
 mixiに、ディープなケロファンがどんどん集結していくのがたのしかった。みんな、口伝てに知り、やってくる。わたしも限られた人にだけ教えた。
 いくらでも芸能人や元芸能人がブログを持つ時代に、mixiで日記をはじめたケロの真意がわからず、このDiaryNoteでケロmixiの話題をすることは控えた。……ので、いろんな見知らぬ方が、「こあらさん、ケロさんならミクシーにいますよ」と教えてくれたりした。や、ありがとうございます。ご心配をおかけしてましたが、緑野こあらはケロちゃんをずーっとまったり見守っていました。
 ケロのファンコミュニティに登録することもなく、もちろんケロの日記にコメントするでなく、ただROMるだけ。遠くで愛し続けるのが、わたしのファンとしてのスタンスだから。
 あまりにゆるいyokoさんの生活ぶりに苦笑したりつっこんだりしつつ、眺めてきた。
 彼がしあわせでいてくれれば、それでよかった。

 ケロが帰国すると宣言したあたりから、考えていた。
 わたしはこれからどうしよう、と。

 日本に戻れば、なにかしら活動をするだろう。
 それをわたしはどう受け止め、かかわっていくか。

 日本でヨガのインストラクタをやる、というのは本人の日記でも、また巷の噂でも耳に入っていた。
 だが、ケロヨガの生徒になる、という選択肢はわたしにはカケラもなかった。
 わたしが愛したのは舞台の上の汐美真帆だ。カルチャースクールの先生じゃない。
 ケロ自身がしあわせにいてくれればそれでいいのだから、ヨガのせんせー生活をたのしそうにしているのを遠くから眺めて、そこで終わっていた。
 舞台人・汐美真帆がいない、という意味では、場所がNYでも東京でも同じだった。ただまったりと、ブログを眺めるだけ。

 うろたえだした(笑)のは、ケロが「舞台に立つ」とわかってからだ。

 といっても、星組貸切公演の「司会」として東宝の舞台に立つ、ということで、舞台人として復活したわけじゃない。
 それでも、司会の仕事は素人はやらせてもらえないし、カルチャースクールの先生もやらせてもらえない。
 プロの司会者か、元ジェンヌを含めたタレントがつとめる。

 元ジェンヌというブランドで、なにかしら芸能生活をする人たちのことを、とてもアバウトに「タレント」だとわたしは思っている。
 や、世間の人たちに言わせれば、「はあ? タカラヅカにいたことがあるってだけの一般人でしょう、その仕事内容と知名度って」てなもんであったとしても、ヅカファンであるわたしからすりゃ、なにかしら芸名で活動している元ジェンヌは立派にタレントだ。

 ケロが、タレント活動をはじめた。
 どうする?

 mixiで写真はずっと見ていたし、主演したというあのビミョーなショートフィルムも見ていたけれど、ナマのケロと会うのは、2005年1月の三越トークショー以来ということになる。

 −−結局わたしは、貸切公演司会のケロをスルーした。観に行かなかった。
 場所がムラなら行っていたかもしれないが、東宝まで、10分あるかどうかのケロの出番のために上京するのは、割に合わない。

 いやその。
 2004年12月26日。
 最後に「宝塚歌劇団 汐美真帆」を見送った場所で、再びケロに会うのは心臓に悪い。
 出待ちするだろうし。
 あの日と、同じように。

 楽屋から出てくるとことか見たら、絶対取り乱すし。
 あの日と、同じように。

 自分で出待ちしておいて、出てきたら平静でいられない、つーのも阿呆な話だが。
 そこにいたら、そうせざるを得ない。
 そうすることで受けるダメージが想像できないので、今回はスルー。

 わたしはびびって逃げたが、ドリーさんたち、どりーず東組は、果敢にも貸切公演に参加、卒業後の生ケロとの対面を果たした。

 ドリーさんの詳細なレポートを読み、ひとりパソコンの前で泣いた。

 ケロファン仲間として、ドリーさんもまたケロとの対面にさまざまな葛藤を持ち、ソレを乗り越え、新しい段階へと進んでいた。

 ケロの出の様子も、どりーずのみんなが報告してくれた。

 ケロの出に、トウコ会がしゃがんだとゆーことに、手を打ってウケた。

 えー、会のガードの人たちは、ジェンヌが来たらしゃがみます。でも、関係者にはしゃがみません。つまり、OGが楽屋から出て来ても、しゃがみません……よね?
 会のことはよく知らないけど、OGが現れても、反応はするし敬意ある目で見送っても、しゃがみはしていなかった、わたしが知る限り。

 そっかぁ、トウコ会、ケロを見たらしゃがんじゃうんだ……条件反射なんだろうなあ。
 手を打って笑って、そして、泣けた。

 あのころ……あの、しあわせだったころと同じように。
 しゃがんで、見送ってくれたトウコ会。

 ありがとう。心から、ありがとう。

 あの膨大なトウコ会が一斉にしゃがみ、拍手で見送ってくれたんだって、ケロの出を。
 ソコをご機嫌で通っていくケロちゃんを思うとうれしくておかしくて、しあわせで、泣けてしょーがない。

 ケロは戻ってきて、現実はソコにあって、時は流れている。
 
 ケロはたぶん、芸能活動をする。
 あたりまえに、ずっと思っていた。
 無名の一般人にはならない。あの人は必ず、スポットライトの中に帰ってくる。

 なんかあたりまえに、そう思い込んでいた。
 や、卒業後の動向を見守ってきた人なら、みんな同じ意見じゃないか?
 芸能活動といってもさまざまで、どこでナニをするか、現実問題として仕事があるのか、プロとして成り立つのか、等は別問題として。

 ケロは、帰ってくる。

 その思いを裏付ける出来事だった。司会であれ、ケロが「汐美真帆」として舞台に立つことは。

 タレント活動をする、ということは、遠くで生存報告ブログを読んで済ませる、ということではなく、実際に「タカラヅカを卒業したケロ」と出会うことになる。
 「男役」ではなくなったケロと出会うことになる。

 わたしはヅカファンで、これからもずっとヅカファンである以上、贔屓の卒業は避けて通れない道だ。
 タカラヅカという特殊な世界を愛してしまったのだから。
 他のナニかでは味わえない葛藤を、噛みしめようじゃないか。

 いやあ、ファン心理なんて、不条理で、一貫性がなくて、愚かなモノだねぇ。
 わたしにとってのケロはフアン・ガルラードであり、ウバルドであり、ビッグ・ジュールである、とびきりの色男なのに。

 女になった彼を愛せるか?

 なんて、他からすりゃありえないことでパニックに陥るわけだからねー。
 ヅカってすごいねー。

 ソコにいるのはたしかにわたしの愛した彼なのに、彼はもうどこにもいない、つーことになるわけだからな。

 過去はただの「昔」ではなく、現在につながり、「今」のわたしを形作り、それによって「これから」のわたしに大きく関わってくる。
 今現在愛しているジェンヌ、これから愛するであろうジェンヌ、すべてが同じ道を通るのだから。

 わたしは考えなくてはならない。
 卒業後のケロとわたし。

 それはすなわち。

 タカラヅカとわたしについて。


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