ラストはディナーショーのオリジナル曲を2曲続けて歌ってくれた。
 阪急交通社の『「汐美真帆」 スペシャルトークショー』にて。
 お馴染みの「Platinum」と「Good Bye,Good Guy,Good Fellow」。

 「Good Bye,Good Guy,Good Fellow」は、おどろきだった。

 まったく、別の曲に聞こえて。

 わたしにとってこの曲は、「別れの歌」だった。
 だってタイトルが「Good Bye」だし。
 実際別れのときに聴いた曲だし。
 最後のディナーショーのオリジナル曲だし。

 でも、チガウ。

 出会いの曲なんだ。

 めぐりあったこと、触れあったこと、つながりあったこと。
 それを歌った曲なんだ。

 明るい曲調、現役時代よりよく通るようになった(ええっ?)歌声、手拍子で盛り上がる会場。
 手拍子も出来ず、横坐りしていた椅子の背を握りしめて泣いた。

 別れたんじゃない、出会ったんだ。

 すばらしいことばかりだった。
 ケロと出会い、ケロを通して出会えたことのすべて。

 よみがえる想い出は、記憶は、みなやさしい、幸福なものばかりで。

 なんてしあわせなんだろう。
 なんて幸福な出会いだろう。

 ただしあわせで、せつなくて泣いた。

 ケロはご機嫌で、歌いながら客席を練り歩き、わたしたちのテーブルの横でくるりと当時の振付で回ってみたりしていた。
 その姿は、ふつーに女性歌手だったかもしれない。

 「別れ」は今新たに「出会い」としてそこにあり、汐美真帆はわたしの「幸福の象徴」としてそこにあった。
 

 mixiでNY日記を書いていたときから、わたしたちどりーずの間で「誘い受」と呼ばれていたyokoさんは、やっぱり誘い受で「今後の芸能人としての予定・展望」に対し、「呼んでもらったらやります」の一点張りだった。
 あー、自分からつらい思いをして営業したりはしないけど、求められたら応えますよ、てか。求める答えのために、自分で伏線を張るのね。
 まあ、そーゆートホホなところも許容してこそファン。好きでもない人がこーゆー態度だとドン引きするけど、ケロだから「仕方ないな」と思う(笑)。

 ケロには、芸能活動をして欲しいと思う。
 変わっていくぐらいなら、そんな姿は見たくないとか、美しい記憶のままで封印したいとか、考え方はいくらでもあるが。

 わたしが愛したのはyokoさんではなく「舞台人・汐美真帆」なので、舞台でまたその姿を見せてくれるならうれしいと思う。
 
 といって、彼……彼女がこれからどんな活動をするのか、なにしろ誘い受するだけでなにも言わないのでわからないけれど。
 せめて「芝居をやりたい」とか「ダンスに興味がある」とかぐらい言えばいいのに、司会でもOGステージのにぎやかしのゲストでもトークショーでもヨガでもなんでもいい、仕事なら本当になんでもいいので「呼んでくれたらやります」だもんな……。

 ケロが仕事を選ばないなら、わたしが選んで観に行くことになるだろう。
 ケロならなんでもいいとは思えないから。
 や、「芝居をやります、仕事を取るためにこれからがんばります、どんなチョイ役でも命懸けてやります」と言われたら、演歌歌手主演の1部が時代劇、2部が演歌ショウとゆー構成の舞台の超脇役でも、その命がけの芝居を見る価値はあるかもしれないが、「なんでもいい」と言われてしまうと、演目次第かな、と。

 長く愛して行けたらいいと思う。
 大切なひと。
 
 
 ケロは、花園を卒業した最初のご贔屓。
 最初のダーリン。

 「男役は男」と割り切ってバーチャルをたのしむスタンスのわたしの、最初で最後のヒトかもしれない。

 ケロの卒業が引き金になり、バーチャルと割り切ってヅカファンライフを楽しみながらも、「いつか女になる」ことがどこかアタマの隅に巣くうようになった。
 ケロのあとわたしはうっかりまっつにオチたけれど、まっつのことは男だと思っていない。「男役」という職業の女性だと思っている。
 ケロに似た、ケロと同じように男性として愛せそうなそのかにグラつき、オチかけたよーな気もするが寸前でストップして、その横にいたまっつにオチた。

 ケロは、ヅカファンとしてのわたしのスタンスをも変えたと思う。

 本気で好きになるヒトのことは、「バーチャル」だとか「男」だとか夢は見ない。
 いつか女性になっても愛せるように、バランスを取る。

 や、それでもヅカを「虚構」だと思い、それゆえに愛し続けているけれど。

 女性としての姿を受け入れられない最後のヒトは、ゆーひくんだけかなぁ。ケロよりあとに好きになった人は、どこかでセーブが効いているからなー。

 
 もう悲しい歌じゃない、「Good Bye,Good Guy,Good Fellow」。
 わたしもあの人も変わってしまったけれど、それは悲しいことではなく、別れでもなく、幸福な、出会いゆえのことなんだ。

 留まるでなく、つねに進みながら、どこかへ向かいながら、幸福感だけを噛みしめる。
 ケロはわたしのもっとも純粋な「タカラヅカ」であり、幸福の記憶、象徴だ。

 それを変えることも捨てることもなく、歩いて行けたらと思う。
 バランスを取るのはわたしであって、ケロじゃない。ケロはケロの道を、誘い受でもなんでも好きに進んでいけばいい。

 ケロが幸福であることを、いつも祈っている。


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