タカラヅカとわたし・その4。@汐美真帆スペシャルトークショー
2007年9月18日 タカラヅカ ラストはディナーショーのオリジナル曲を2曲続けて歌ってくれた。
阪急交通社の『「汐美真帆」 スペシャルトークショー』にて。
お馴染みの「Platinum」と「Good Bye,Good Guy,Good Fellow」。
「Good Bye,Good Guy,Good Fellow」は、おどろきだった。
まったく、別の曲に聞こえて。
わたしにとってこの曲は、「別れの歌」だった。
だってタイトルが「Good Bye」だし。
実際別れのときに聴いた曲だし。
最後のディナーショーのオリジナル曲だし。
でも、チガウ。
出会いの曲なんだ。
めぐりあったこと、触れあったこと、つながりあったこと。
それを歌った曲なんだ。
明るい曲調、現役時代よりよく通るようになった(ええっ?)歌声、手拍子で盛り上がる会場。
手拍子も出来ず、横坐りしていた椅子の背を握りしめて泣いた。
別れたんじゃない、出会ったんだ。
すばらしいことばかりだった。
ケロと出会い、ケロを通して出会えたことのすべて。
よみがえる想い出は、記憶は、みなやさしい、幸福なものばかりで。
なんてしあわせなんだろう。
なんて幸福な出会いだろう。
ただしあわせで、せつなくて泣いた。
ケロはご機嫌で、歌いながら客席を練り歩き、わたしたちのテーブルの横でくるりと当時の振付で回ってみたりしていた。
その姿は、ふつーに女性歌手だったかもしれない。
「別れ」は今新たに「出会い」としてそこにあり、汐美真帆はわたしの「幸福の象徴」としてそこにあった。
mixiでNY日記を書いていたときから、わたしたちどりーずの間で「誘い受」と呼ばれていたyokoさんは、やっぱり誘い受で「今後の芸能人としての予定・展望」に対し、「呼んでもらったらやります」の一点張りだった。
あー、自分からつらい思いをして営業したりはしないけど、求められたら応えますよ、てか。求める答えのために、自分で伏線を張るのね。
まあ、そーゆートホホなところも許容してこそファン。好きでもない人がこーゆー態度だとドン引きするけど、ケロだから「仕方ないな」と思う(笑)。
ケロには、芸能活動をして欲しいと思う。
変わっていくぐらいなら、そんな姿は見たくないとか、美しい記憶のままで封印したいとか、考え方はいくらでもあるが。
わたしが愛したのはyokoさんではなく「舞台人・汐美真帆」なので、舞台でまたその姿を見せてくれるならうれしいと思う。
といって、彼……彼女がこれからどんな活動をするのか、なにしろ誘い受するだけでなにも言わないのでわからないけれど。
せめて「芝居をやりたい」とか「ダンスに興味がある」とかぐらい言えばいいのに、司会でもOGステージのにぎやかしのゲストでもトークショーでもヨガでもなんでもいい、仕事なら本当になんでもいいので「呼んでくれたらやります」だもんな……。
ケロが仕事を選ばないなら、わたしが選んで観に行くことになるだろう。
ケロならなんでもいいとは思えないから。
や、「芝居をやります、仕事を取るためにこれからがんばります、どんなチョイ役でも命懸けてやります」と言われたら、演歌歌手主演の1部が時代劇、2部が演歌ショウとゆー構成の舞台の超脇役でも、その命がけの芝居を見る価値はあるかもしれないが、「なんでもいい」と言われてしまうと、演目次第かな、と。
長く愛して行けたらいいと思う。
大切なひと。
ケロは、花園を卒業した最初のご贔屓。
最初のダーリン。
「男役は男」と割り切ってバーチャルをたのしむスタンスのわたしの、最初で最後のヒトかもしれない。
ケロの卒業が引き金になり、バーチャルと割り切ってヅカファンライフを楽しみながらも、「いつか女になる」ことがどこかアタマの隅に巣くうようになった。
ケロのあとわたしはうっかりまっつにオチたけれど、まっつのことは男だと思っていない。「男役」という職業の女性だと思っている。
ケロに似た、ケロと同じように男性として愛せそうなそのかにグラつき、オチかけたよーな気もするが寸前でストップして、その横にいたまっつにオチた。
ケロは、ヅカファンとしてのわたしのスタンスをも変えたと思う。
本気で好きになるヒトのことは、「バーチャル」だとか「男」だとか夢は見ない。
いつか女性になっても愛せるように、バランスを取る。
や、それでもヅカを「虚構」だと思い、それゆえに愛し続けているけれど。
女性としての姿を受け入れられない最後のヒトは、ゆーひくんだけかなぁ。ケロよりあとに好きになった人は、どこかでセーブが効いているからなー。
もう悲しい歌じゃない、「Good Bye,Good Guy,Good Fellow」。
わたしもあの人も変わってしまったけれど、それは悲しいことではなく、別れでもなく、幸福な、出会いゆえのことなんだ。
留まるでなく、つねに進みながら、どこかへ向かいながら、幸福感だけを噛みしめる。
ケロはわたしのもっとも純粋な「タカラヅカ」であり、幸福の記憶、象徴だ。
それを変えることも捨てることもなく、歩いて行けたらと思う。
バランスを取るのはわたしであって、ケロじゃない。ケロはケロの道を、誘い受でもなんでも好きに進んでいけばいい。
ケロが幸福であることを、いつも祈っている。
阪急交通社の『「汐美真帆」 スペシャルトークショー』にて。
お馴染みの「Platinum」と「Good Bye,Good Guy,Good Fellow」。
「Good Bye,Good Guy,Good Fellow」は、おどろきだった。
まったく、別の曲に聞こえて。
わたしにとってこの曲は、「別れの歌」だった。
だってタイトルが「Good Bye」だし。
実際別れのときに聴いた曲だし。
最後のディナーショーのオリジナル曲だし。
でも、チガウ。
出会いの曲なんだ。
めぐりあったこと、触れあったこと、つながりあったこと。
それを歌った曲なんだ。
明るい曲調、現役時代よりよく通るようになった(ええっ?)歌声、手拍子で盛り上がる会場。
手拍子も出来ず、横坐りしていた椅子の背を握りしめて泣いた。
別れたんじゃない、出会ったんだ。
すばらしいことばかりだった。
ケロと出会い、ケロを通して出会えたことのすべて。
よみがえる想い出は、記憶は、みなやさしい、幸福なものばかりで。
なんてしあわせなんだろう。
なんて幸福な出会いだろう。
ただしあわせで、せつなくて泣いた。
ケロはご機嫌で、歌いながら客席を練り歩き、わたしたちのテーブルの横でくるりと当時の振付で回ってみたりしていた。
その姿は、ふつーに女性歌手だったかもしれない。
「別れ」は今新たに「出会い」としてそこにあり、汐美真帆はわたしの「幸福の象徴」としてそこにあった。
mixiでNY日記を書いていたときから、わたしたちどりーずの間で「誘い受」と呼ばれていたyokoさんは、やっぱり誘い受で「今後の芸能人としての予定・展望」に対し、「呼んでもらったらやります」の一点張りだった。
あー、自分からつらい思いをして営業したりはしないけど、求められたら応えますよ、てか。求める答えのために、自分で伏線を張るのね。
まあ、そーゆートホホなところも許容してこそファン。好きでもない人がこーゆー態度だとドン引きするけど、ケロだから「仕方ないな」と思う(笑)。
ケロには、芸能活動をして欲しいと思う。
変わっていくぐらいなら、そんな姿は見たくないとか、美しい記憶のままで封印したいとか、考え方はいくらでもあるが。
わたしが愛したのはyokoさんではなく「舞台人・汐美真帆」なので、舞台でまたその姿を見せてくれるならうれしいと思う。
といって、彼……彼女がこれからどんな活動をするのか、なにしろ誘い受するだけでなにも言わないのでわからないけれど。
せめて「芝居をやりたい」とか「ダンスに興味がある」とかぐらい言えばいいのに、司会でもOGステージのにぎやかしのゲストでもトークショーでもヨガでもなんでもいい、仕事なら本当になんでもいいので「呼んでくれたらやります」だもんな……。
ケロが仕事を選ばないなら、わたしが選んで観に行くことになるだろう。
ケロならなんでもいいとは思えないから。
や、「芝居をやります、仕事を取るためにこれからがんばります、どんなチョイ役でも命懸けてやります」と言われたら、演歌歌手主演の1部が時代劇、2部が演歌ショウとゆー構成の舞台の超脇役でも、その命がけの芝居を見る価値はあるかもしれないが、「なんでもいい」と言われてしまうと、演目次第かな、と。
長く愛して行けたらいいと思う。
大切なひと。
ケロは、花園を卒業した最初のご贔屓。
最初のダーリン。
「男役は男」と割り切ってバーチャルをたのしむスタンスのわたしの、最初で最後のヒトかもしれない。
ケロの卒業が引き金になり、バーチャルと割り切ってヅカファンライフを楽しみながらも、「いつか女になる」ことがどこかアタマの隅に巣くうようになった。
ケロのあとわたしはうっかりまっつにオチたけれど、まっつのことは男だと思っていない。「男役」という職業の女性だと思っている。
ケロに似た、ケロと同じように男性として愛せそうなそのかにグラつき、オチかけたよーな気もするが寸前でストップして、その横にいたまっつにオチた。
ケロは、ヅカファンとしてのわたしのスタンスをも変えたと思う。
本気で好きになるヒトのことは、「バーチャル」だとか「男」だとか夢は見ない。
いつか女性になっても愛せるように、バランスを取る。
や、それでもヅカを「虚構」だと思い、それゆえに愛し続けているけれど。
女性としての姿を受け入れられない最後のヒトは、ゆーひくんだけかなぁ。ケロよりあとに好きになった人は、どこかでセーブが効いているからなー。
もう悲しい歌じゃない、「Good Bye,Good Guy,Good Fellow」。
わたしもあの人も変わってしまったけれど、それは悲しいことではなく、別れでもなく、幸福な、出会いゆえのことなんだ。
留まるでなく、つねに進みながら、どこかへ向かいながら、幸福感だけを噛みしめる。
ケロはわたしのもっとも純粋な「タカラヅカ」であり、幸福の記憶、象徴だ。
それを変えることも捨てることもなく、歩いて行けたらと思う。
バランスを取るのはわたしであって、ケロじゃない。ケロはケロの道を、誘い受でもなんでも好きに進んでいけばいい。
ケロが幸福であることを、いつも祈っている。
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