愛なき世界の物語。@レビュー・オルキス―蘭の星―
2007年11月30日 タカラヅカ 草野に「生徒への愛」とか、「気配り」とかを求めたわたしがバカだった。
わたしが草野旦作品を「ダメだ、わたしには合わない」と絶望したのは、のんちゃんお披露目の『マンハッタン不夜城』だった。
渋い大人の魅力、言葉を返せば夢夢した王子様が似合わない実力派スター久世星佳に、メルヘ〜〜ンなくるくる巻き毛の王様を演じさせた。
スターの持ち味無視。
ひたすら気味悪い色遣い満載で、とくに大階段が出てからのフラフラした持ち物は気味悪かったなあ。
誰のためでもなく、「自分がやりたいこと」だけをやっていた。
同時上演のミュージカル『CAN-CAN』はすごーくたのしくて大好きで、観終わったあと「もう一度観たい!!」と心から思ったが、そのあとショー『マンハッタン不夜城』を観終わったあと「もう二度と観たくないっ」と力強く思った。
どんなに芝居が好きでも、このショーのために劇場に足を運ぶことは出来ない。そう思わせた。
そして、デジャヴ。
前にコレと同じことがあった。
ミュージカル『ブラック・ジャック』を観終わったあと「もう一度観たい!!」と心から思ったが、そのあとショー『火の鳥』を観終わったあと「もう二度と観たくないっ」と力強く思った。
どんなに芝居が好きでも、このショーのために劇場に足を運ぶことは出来ない。そう思わせた。
ああ、そうだ。『火の鳥』の作者じゃん、この「くさの・たん」って人!!
……や、当時は演出家の名前までチェックしてなかったし、読み方なんか知らなかったから(笑)。
そーだよなあ、のんちゃんにくるくる巻き毛の王ちゃまを演じさせた人だもんな。
1作きりで退団するかしちゃんるいちゃんに、あんな悪趣味なショーを作った人だもんな。
「生徒への愛」とか、「気配り」とか、あるわけないよな。
ただ彼は、「自分がやりたいこと」をやるのみだ。
はい、初日からつらかったです、『レビュー・オルキス―蘭の星―』。
もちろん、幕が開くなりおじーさんとおばーさんが登場したことで、盛大に萎えたことは言うまでもありません。
またじじばばかよ、草野!!
何回目だ? 笑いを取るために老人を使うその神経が信じられない。しかも、トップコンビがいきなり老人役?
それでも、トウあすは本気で「演技」し、草野のワンパターンを「芸」として成り立たせていたけれど。
ふたりがかわいいのは事実だけど。
や、べつにいいんだ。じじばばでも。他がいいなら。
さて、プロローグはじじばば大安売りに、がきんちょ大安売りだ。わざとらしい子役たちに、わざとらしい幼児喋りをさせ、老人が孫に語るカタチで物語がはじまる。
若く美しい姿で登場する、トウコ。そしてあすか。
みなさん派手に、にぎやかに。
蘭をくわえて踊るのは、見た目も当人たちのつらさも考えると「やめてもいいんぢゃ?」て気がするけど、まあ草野的にはいいんだろう。
オープニングから、「あれ?」と思った。
それでも最初だから「そんなもんか」と思ってスルーした。
だが。
場面が進むにつれ、「あれ?」がどんどん加速し、「冗談じゃねえぞ」になった。
場面が変わり、登場人物が変わっても。
なにがどーなっても。
トウコとあすかが、絡まないんだ。
ふたりで踊る場面がない。
ふたりが目を合わせ、ふたりで物語を作る場面がない。
中詰めを過ぎてなお、ふたりは絡まない。
どちらかが出て来ると、どちらかはいなくなる。
なんだコレ??
わざとやってんのか、ヲイ。
プログラムも買ってないし、いつものよーに予備知識ナシだ。だからトウコとあすかが通し役で、ふたりが出会うまでえんえんすれ違うことなんか知っちゃいない。
もちろん知らなくてもわかる。これだけ露骨にされれば。あー、最初のじじばばから話がつながっているんだな、と。
にしても、出会わない時間が長過ぎるだろう、とじれじれしていると。
よーやくふたりは出会い、せっかく出会ったのにタカラヅカ的ダンスではなく、高名な振付家によるタンゴを踊る。
で、さんざん待たされ、よーやく出会った途端。
ふたりは、じじばばになる。
ええっ?!!
コレで終わり?!!
タカラヅカ的シーンは? 美しくロマンティックな、コテコテでワンパターンの、「伝統っていいよなバッキャロー」な世界は?
ぼーぜん。
いや、その。
これが、「トウあすコンビ、トップ5作目」とかなら、ぜんぜんいいよ?
せめて、コンビでのショー2作目なら。
でもね。
トウコとあすかは、組んでからはぢめての、洋物ショー(オリジナル)なのよ? そして、本拠地では洋物ショーはぢめてなのよ?
でもって、次は大作一本物ミュージカルだって、わかってるのよ?
トウコが5作や6作、4年5年とトップを張ることが確定しているなら、どんな個性的なショーがその任期の中に挟まっていても「コントラスト」だの「インパクト」だのになっていいよ?
でもね。
トウコちゃんの学年的に、それほど長い任期も作品数も考えられないわけで。
ひょっとしたら、コレが最初で最後、1本きりのショー作品なのかもしれないんだよ?
なのに、「タカラヅカ的」なことをなにもしない。
トウコとあすかは、ふたりで同じ舞台に立つことがない。
あんまりだ。
あんまりだよ、草野。
限られた作品数、トップコンビのいろんな「恋愛パターン」は芝居だけでは見せられない。
たけどショーでは、場面ごとにいろんな愛のカタチを見せられる。
貴族姫君と彼女に恋した騎士だとか、マフィアのボスの女に恋をして殺される男だとか、三角関係に揺れる男女だとか。さまざまな「夢の世界」を、見せてくれるもんでしょう。
ワンパターンだけど。どこかて観たようなものに、どーしてもなってしまうけれど。
モチーフは同じでも、それをどう見せるか。スターの個性を生かし、時代に合わせて。
それが、座付き作家の仕事でしょう。
トウコとあすかの、はじめての洋物ショー。
ひょっとしたら、最後の洋物ショー。
なのに、タカラヅカらしいシーンは皆無、そればかりか、同じ舞台にすら、立たない。
なんなのコレ。
草野が「空気を読める」人ならば、「生徒への愛」とか、「気配り」がある人ならば、こんな構成・演出にはならなかったはずだ。
高名な外部振付家とやらを連れてきてもいいよ。でも、使い方を考えて。
タカラヅカに合うかどうか、タカラヅカとしてよいものになるのかを考えて。
誰のためでもなく、「自分がやりたいこと」だけをやったんだね。
自分が気持ちいいことが最優先なんだね。
さすが短期トップだったのんちゃんの貴重な1作をあんな作品に、かしるいのたった1作きりのショーをあんな作品に、した人だ。
作品のクオリティ云々もだが、「生徒への愛」のなさは、他のなにより痛い。
作品が多少アレでも、「愛」があふれていたら点数甘くなるもんな。世の中大切なのは愛、愛が世界を回しているのだから。
や、たとえトウあすでなくても、単調でつまんないショーだと思っただろうけどな。
初見から眠くなったもんよ。
星っこたちがどこでなにをしているか見るのに必死だったから寝ているヒマはなかったが。
……それでも見どころや、ツボを探して観ているけどさ。
よーやく出会ったトウあすの白いデュエットダンスは美しいしさ。
『ザ・クラシック』を、『あさきゆめみしII』を観たときと同じ感想だ。
草野、許すまじ。
わたしが草野旦作品を「ダメだ、わたしには合わない」と絶望したのは、のんちゃんお披露目の『マンハッタン不夜城』だった。
渋い大人の魅力、言葉を返せば夢夢した王子様が似合わない実力派スター久世星佳に、メルヘ〜〜ンなくるくる巻き毛の王様を演じさせた。
スターの持ち味無視。
ひたすら気味悪い色遣い満載で、とくに大階段が出てからのフラフラした持ち物は気味悪かったなあ。
誰のためでもなく、「自分がやりたいこと」だけをやっていた。
同時上演のミュージカル『CAN-CAN』はすごーくたのしくて大好きで、観終わったあと「もう一度観たい!!」と心から思ったが、そのあとショー『マンハッタン不夜城』を観終わったあと「もう二度と観たくないっ」と力強く思った。
どんなに芝居が好きでも、このショーのために劇場に足を運ぶことは出来ない。そう思わせた。
そして、デジャヴ。
前にコレと同じことがあった。
ミュージカル『ブラック・ジャック』を観終わったあと「もう一度観たい!!」と心から思ったが、そのあとショー『火の鳥』を観終わったあと「もう二度と観たくないっ」と力強く思った。
どんなに芝居が好きでも、このショーのために劇場に足を運ぶことは出来ない。そう思わせた。
ああ、そうだ。『火の鳥』の作者じゃん、この「くさの・たん」って人!!
……や、当時は演出家の名前までチェックしてなかったし、読み方なんか知らなかったから(笑)。
そーだよなあ、のんちゃんにくるくる巻き毛の王ちゃまを演じさせた人だもんな。
1作きりで退団するかしちゃんるいちゃんに、あんな悪趣味なショーを作った人だもんな。
「生徒への愛」とか、「気配り」とか、あるわけないよな。
ただ彼は、「自分がやりたいこと」をやるのみだ。
はい、初日からつらかったです、『レビュー・オルキス―蘭の星―』。
もちろん、幕が開くなりおじーさんとおばーさんが登場したことで、盛大に萎えたことは言うまでもありません。
またじじばばかよ、草野!!
何回目だ? 笑いを取るために老人を使うその神経が信じられない。しかも、トップコンビがいきなり老人役?
それでも、トウあすは本気で「演技」し、草野のワンパターンを「芸」として成り立たせていたけれど。
ふたりがかわいいのは事実だけど。
や、べつにいいんだ。じじばばでも。他がいいなら。
さて、プロローグはじじばば大安売りに、がきんちょ大安売りだ。わざとらしい子役たちに、わざとらしい幼児喋りをさせ、老人が孫に語るカタチで物語がはじまる。
若く美しい姿で登場する、トウコ。そしてあすか。
みなさん派手に、にぎやかに。
蘭をくわえて踊るのは、見た目も当人たちのつらさも考えると「やめてもいいんぢゃ?」て気がするけど、まあ草野的にはいいんだろう。
オープニングから、「あれ?」と思った。
それでも最初だから「そんなもんか」と思ってスルーした。
だが。
場面が進むにつれ、「あれ?」がどんどん加速し、「冗談じゃねえぞ」になった。
場面が変わり、登場人物が変わっても。
なにがどーなっても。
トウコとあすかが、絡まないんだ。
ふたりで踊る場面がない。
ふたりが目を合わせ、ふたりで物語を作る場面がない。
中詰めを過ぎてなお、ふたりは絡まない。
どちらかが出て来ると、どちらかはいなくなる。
なんだコレ??
わざとやってんのか、ヲイ。
プログラムも買ってないし、いつものよーに予備知識ナシだ。だからトウコとあすかが通し役で、ふたりが出会うまでえんえんすれ違うことなんか知っちゃいない。
もちろん知らなくてもわかる。これだけ露骨にされれば。あー、最初のじじばばから話がつながっているんだな、と。
にしても、出会わない時間が長過ぎるだろう、とじれじれしていると。
よーやくふたりは出会い、せっかく出会ったのにタカラヅカ的ダンスではなく、高名な振付家によるタンゴを踊る。
で、さんざん待たされ、よーやく出会った途端。
ふたりは、じじばばになる。
ええっ?!!
コレで終わり?!!
タカラヅカ的シーンは? 美しくロマンティックな、コテコテでワンパターンの、「伝統っていいよなバッキャロー」な世界は?
ぼーぜん。
いや、その。
これが、「トウあすコンビ、トップ5作目」とかなら、ぜんぜんいいよ?
せめて、コンビでのショー2作目なら。
でもね。
トウコとあすかは、組んでからはぢめての、洋物ショー(オリジナル)なのよ? そして、本拠地では洋物ショーはぢめてなのよ?
でもって、次は大作一本物ミュージカルだって、わかってるのよ?
トウコが5作や6作、4年5年とトップを張ることが確定しているなら、どんな個性的なショーがその任期の中に挟まっていても「コントラスト」だの「インパクト」だのになっていいよ?
でもね。
トウコちゃんの学年的に、それほど長い任期も作品数も考えられないわけで。
ひょっとしたら、コレが最初で最後、1本きりのショー作品なのかもしれないんだよ?
なのに、「タカラヅカ的」なことをなにもしない。
トウコとあすかは、ふたりで同じ舞台に立つことがない。
あんまりだ。
あんまりだよ、草野。
限られた作品数、トップコンビのいろんな「恋愛パターン」は芝居だけでは見せられない。
たけどショーでは、場面ごとにいろんな愛のカタチを見せられる。
貴族姫君と彼女に恋した騎士だとか、マフィアのボスの女に恋をして殺される男だとか、三角関係に揺れる男女だとか。さまざまな「夢の世界」を、見せてくれるもんでしょう。
ワンパターンだけど。どこかて観たようなものに、どーしてもなってしまうけれど。
モチーフは同じでも、それをどう見せるか。スターの個性を生かし、時代に合わせて。
それが、座付き作家の仕事でしょう。
トウコとあすかの、はじめての洋物ショー。
ひょっとしたら、最後の洋物ショー。
なのに、タカラヅカらしいシーンは皆無、そればかりか、同じ舞台にすら、立たない。
なんなのコレ。
草野が「空気を読める」人ならば、「生徒への愛」とか、「気配り」がある人ならば、こんな構成・演出にはならなかったはずだ。
高名な外部振付家とやらを連れてきてもいいよ。でも、使い方を考えて。
タカラヅカに合うかどうか、タカラヅカとしてよいものになるのかを考えて。
誰のためでもなく、「自分がやりたいこと」だけをやったんだね。
自分が気持ちいいことが最優先なんだね。
さすが短期トップだったのんちゃんの貴重な1作をあんな作品に、かしるいのたった1作きりのショーをあんな作品に、した人だ。
作品のクオリティ云々もだが、「生徒への愛」のなさは、他のなにより痛い。
作品が多少アレでも、「愛」があふれていたら点数甘くなるもんな。世の中大切なのは愛、愛が世界を回しているのだから。
や、たとえトウあすでなくても、単調でつまんないショーだと思っただろうけどな。
初見から眠くなったもんよ。
星っこたちがどこでなにをしているか見るのに必死だったから寝ているヒマはなかったが。
……それでも見どころや、ツボを探して観ているけどさ。
よーやく出会ったトウあすの白いデュエットダンスは美しいしさ。
『ザ・クラシック』を、『あさきゆめみしII』を観たときと同じ感想だ。
草野、許すまじ。
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