「聖域」を葬り去る音が、世界に響く。@エル・アルコン−鷹−
2007年12月8日 タカラヅカ 『エル・アルコン−鷹−』の新人公演を観て、しみじみと思う。
ジェラード@立樹遥の魅力について。
今回わたしは、ジェラード@しいちゃんがダイスキだ。や、もともとしいちゃん好きだけど、ソレとは別にジェラードが好きだ。
彼を見ていると、せつなくてせつなくて胸が痛い。
それはつらい、かなしい痛みであるのに、とびきりあまくもあるんだ。
大人になったティリアン@トウコと再会したときの、ヒゲのおっさん姿には、あまりときめかない(笑)。や、ソレはソレで萌えではあるので、好きは好きなんだけど、意味がチガウので今は置いておく。
ティリアンの記憶にある、青年時代の「若く、強く、美しい」ジェラードにときめくの。
わたしが年寄りだからかもしれない。
「若さ」が象徴する痛さ……傲慢さや愚かさ、無意味な攻撃性などが、愛しいんだ。
「若さ」が象徴するはかなさ……壊れやすさや繊細さ、いずれ失うことがわかっている刹那性などが、愛しいんだ。
ジェラードの美しさは、「青春の象徴」だ。
ティリアンが葬り去ることになる「少年時代」だ。
何故ジェラードと、母イザベラ@柚長との記憶があんなにも美しいのか。
それが「聖域」であるからだ。
ティリアンの野望の原動力というより、「癒し」だったのだと思う。
彼の強く固い精神の中にある、やわらかな美しいもの。それがあるからこそ彼は冷酷になれたし、また、彼なりのやさしさを心に残したまま戦えた。
ティリアンが悲しいのは、その「美しいもの」を、自分で葬り去るからだ。
ふつーの人には、そんなことできないし、また、する必要もない。
だけど前へ進むことを強く欲するティリアンは、自ら自分の中の大切な「聖域」を葬り去った。
母の死を道具にし、ジェラード自身をその手に掛けた。
母の墓の前で、ティリアンがふと、「ここにオレンジの木を植えては?」と口にする。
そのときの、トウコの表情を見て欲しい。
大きなつばの帽子をかぶっているし、客席には斜めに背を向けているのでろくに見えないと思うが。
前方下手からなら見える。
ぽつんと。
それまでとはチガウ、空白な表情で。
あまりに真っ白な、いや、色がないから白い、透明な顔で言う。
少年というにも痛々しい、生まれたままの、むき出しの魂がふと浮かんできたように。
ぽつんと、本人の意識とは関係なくこぼれ出て。
その「意志の不在」さが、横顔の幼さが、切なすぎて。
……ほんとうに一瞬で、彼はすぐにいつものティリアンにもどるのだけど。
帽子に隠れて、彼のそんな表情は誰にも見とがめられないし、他愛ない一言も彼自身に否定されてしまうのだけど。
この一瞬の表情が出来る人だから、安蘭けいはとんでもない「役者」なんだと思う。
そして彼のこの表情は、まっすぐにつづいている。彼の、「あの日」に。
若き日のジェラードとイザベラと、少年だったティリアン自身。
オレンジを語った、ただ、美しかった日々。幸福だった日々に。
「若く、強く、美しい」ジェラードに。
まっすぐに、せつないほどのか細い美しさで、続いているから。
ジェラードは、「青春の象徴」だ。
無知だからこそ幸福だった「少年時代」の記憶だ。
ジェラードが持つ若さ、美しさ、力強さ、やさしさ、そしていくばくかの愚鈍さと無神経さが、愛しくてならない。
彼は若く、自分の能力と可能性を信じている。
傲慢で、無神経でもある。
人妻と不倫関係にあり、その女に不義の子を産ませ、夫の実子として育てさせている。父親の名乗りはせずに、しかし父としての情愛で息子に会いに来る。
その厚顔さ。その傲慢さ。
立樹遥の太陽の笑顔が、その歪みを覆い隠す。
ジェラードの歪み、過ちが、しいちゃんの大きさでかすむ。それは、少年時代のティリアンが、自身の幼さゆえにジェラードの卑小さに気付かなかったように。
しいちゃんは、「失った夢」だ。
わたしはもう若くない。わたしはもう、失望とか傷とか涙とか、いろんなものを知っている。
ただ無邪気に笑っていられた子どもの頃には戻れない。
だから、なんの傷も歪みもない、美しいだけの夢やあまいだけの美には酔えない。
歪みを内包した太陽にしか、惹かれないんだ。
しいちゃんは太陽だ。
若い頃の彼……それこそ雪組でロケット・ボーイをやっていたり、新公主演をしていた頃の、なんの傷もないキラキラキラキラ無邪気に輝いていた頃のアイドルとしての光ではなく。
年齢と経験を重ね、だけど演技がうまくなったわけではなく(笑)、あちこち年相応のほつれや傷を重ねながら、それでも、太陽であり続けることができる、魂の大きさ……そのことが、泣けるほど愛しい。
だから、彼の演じるジェラードが痛いほど愛しい。涙が止まらなくなるほどせつない。
ジェラードが美しければ美しいほど、格好良ければ格好良いほど、切なくて仕方がない。
ティリアンは、ジェラードを殺す。
これは決定事項だ。
彼が七つの海七つの空を、鷹のような生き方を志したときから、決まっていた。
ジェラードは英雄でも偉人でもなんでもない。ただの卑小な野心家だ。
ジェラードが幼いティリアンを誉めたのは、「自分の息子」だからだ。
彼は「自分自身」を誉めたんだ。
その厚顔さで。その傲慢さで。
だからティリアンは、ジェラードを殺さなければならない。
その手で葬り、超えてゆかねばならない。
サンクチュアリを、葬らなければならない。
安蘭けいと立樹遥は、正反対でありながら、どこかしら似たカタチの影を持つ。
トウコは月の魅力、陰と淫の魅力を持つ役者であり、しいちゃんは太陽の魅力、光と康(ゆたか、すこやか、おおきい等)の魅力を持つ。
トウコの影は大きく濃く、しいちゃんの影は少ない。
だけどふたりの影は意外なところで重なる。大きさが違っても濃さが違っても、形が似ているから。影の伸びた長さはチガウのに、相似形になる。
このふたりが並び立つとき、他にはない魅力を感じるのは、そのためかと思う。
それはオスカルとアンドレだったり、ウッドロウとカールトン監督だったり、ティリアンとジェラードだったりと、トウコを抱擁する立場にしいちゃんが来たとき。
そのとき艶めいた月は、いびつな太陽と同じ影を描く。太陽は影を増す。
……ティリアンが、ヒゲ中年男ジェラードを殺す前に抱きしめるのが、萌えです。
しいちゃんはヘタレても別の芳醇さを発するステキなヒトですから。
青年時代の美しさや切なさとは、まったく別。
こちらは純粋に萌えです。ヘタレっぷりが(笑)。
新人公演を見て、「ジェラードがチガウと、こんなにつまんないのか……」と愕然としたもので。
しいちゃんが特別に演技しているとか、とくに思わないから(しいちゃんはいつでも、ナニをやってもしいちゃん♪)、ほんとにキャラクタだけで勝負してるんだよなあ。
そして、新公だからもちろん足りない部分は大いにあるにしろ、敗因のほとんどが「しいちゃんぢゃないから」だけだなんて、あんまりだよなあ。
ティリアンの少年時代のエピソードに重点を置いたこの作品において、ティリアンが魅力的になる要因の何割かは、ジェラードが魅力的であること、にかかってると思うんだが、どうだろう。
ジェラード@しいちゃんが、格好良すぎるんだってば。
ステキすぎるんだってば。
ときめいちゃうんだってば。
ジェラード@立樹遥の魅力について。
今回わたしは、ジェラード@しいちゃんがダイスキだ。や、もともとしいちゃん好きだけど、ソレとは別にジェラードが好きだ。
彼を見ていると、せつなくてせつなくて胸が痛い。
それはつらい、かなしい痛みであるのに、とびきりあまくもあるんだ。
大人になったティリアン@トウコと再会したときの、ヒゲのおっさん姿には、あまりときめかない(笑)。や、ソレはソレで萌えではあるので、好きは好きなんだけど、意味がチガウので今は置いておく。
ティリアンの記憶にある、青年時代の「若く、強く、美しい」ジェラードにときめくの。
わたしが年寄りだからかもしれない。
「若さ」が象徴する痛さ……傲慢さや愚かさ、無意味な攻撃性などが、愛しいんだ。
「若さ」が象徴するはかなさ……壊れやすさや繊細さ、いずれ失うことがわかっている刹那性などが、愛しいんだ。
ジェラードの美しさは、「青春の象徴」だ。
ティリアンが葬り去ることになる「少年時代」だ。
何故ジェラードと、母イザベラ@柚長との記憶があんなにも美しいのか。
それが「聖域」であるからだ。
ティリアンの野望の原動力というより、「癒し」だったのだと思う。
彼の強く固い精神の中にある、やわらかな美しいもの。それがあるからこそ彼は冷酷になれたし、また、彼なりのやさしさを心に残したまま戦えた。
ティリアンが悲しいのは、その「美しいもの」を、自分で葬り去るからだ。
ふつーの人には、そんなことできないし、また、する必要もない。
だけど前へ進むことを強く欲するティリアンは、自ら自分の中の大切な「聖域」を葬り去った。
母の死を道具にし、ジェラード自身をその手に掛けた。
母の墓の前で、ティリアンがふと、「ここにオレンジの木を植えては?」と口にする。
そのときの、トウコの表情を見て欲しい。
大きなつばの帽子をかぶっているし、客席には斜めに背を向けているのでろくに見えないと思うが。
前方下手からなら見える。
ぽつんと。
それまでとはチガウ、空白な表情で。
あまりに真っ白な、いや、色がないから白い、透明な顔で言う。
少年というにも痛々しい、生まれたままの、むき出しの魂がふと浮かんできたように。
ぽつんと、本人の意識とは関係なくこぼれ出て。
その「意志の不在」さが、横顔の幼さが、切なすぎて。
……ほんとうに一瞬で、彼はすぐにいつものティリアンにもどるのだけど。
帽子に隠れて、彼のそんな表情は誰にも見とがめられないし、他愛ない一言も彼自身に否定されてしまうのだけど。
この一瞬の表情が出来る人だから、安蘭けいはとんでもない「役者」なんだと思う。
そして彼のこの表情は、まっすぐにつづいている。彼の、「あの日」に。
若き日のジェラードとイザベラと、少年だったティリアン自身。
オレンジを語った、ただ、美しかった日々。幸福だった日々に。
「若く、強く、美しい」ジェラードに。
まっすぐに、せつないほどのか細い美しさで、続いているから。
ジェラードは、「青春の象徴」だ。
無知だからこそ幸福だった「少年時代」の記憶だ。
ジェラードが持つ若さ、美しさ、力強さ、やさしさ、そしていくばくかの愚鈍さと無神経さが、愛しくてならない。
彼は若く、自分の能力と可能性を信じている。
傲慢で、無神経でもある。
人妻と不倫関係にあり、その女に不義の子を産ませ、夫の実子として育てさせている。父親の名乗りはせずに、しかし父としての情愛で息子に会いに来る。
その厚顔さ。その傲慢さ。
立樹遥の太陽の笑顔が、その歪みを覆い隠す。
ジェラードの歪み、過ちが、しいちゃんの大きさでかすむ。それは、少年時代のティリアンが、自身の幼さゆえにジェラードの卑小さに気付かなかったように。
しいちゃんは、「失った夢」だ。
わたしはもう若くない。わたしはもう、失望とか傷とか涙とか、いろんなものを知っている。
ただ無邪気に笑っていられた子どもの頃には戻れない。
だから、なんの傷も歪みもない、美しいだけの夢やあまいだけの美には酔えない。
歪みを内包した太陽にしか、惹かれないんだ。
しいちゃんは太陽だ。
若い頃の彼……それこそ雪組でロケット・ボーイをやっていたり、新公主演をしていた頃の、なんの傷もないキラキラキラキラ無邪気に輝いていた頃のアイドルとしての光ではなく。
年齢と経験を重ね、だけど演技がうまくなったわけではなく(笑)、あちこち年相応のほつれや傷を重ねながら、それでも、太陽であり続けることができる、魂の大きさ……そのことが、泣けるほど愛しい。
だから、彼の演じるジェラードが痛いほど愛しい。涙が止まらなくなるほどせつない。
ジェラードが美しければ美しいほど、格好良ければ格好良いほど、切なくて仕方がない。
ティリアンは、ジェラードを殺す。
これは決定事項だ。
彼が七つの海七つの空を、鷹のような生き方を志したときから、決まっていた。
ジェラードは英雄でも偉人でもなんでもない。ただの卑小な野心家だ。
ジェラードが幼いティリアンを誉めたのは、「自分の息子」だからだ。
彼は「自分自身」を誉めたんだ。
その厚顔さで。その傲慢さで。
だからティリアンは、ジェラードを殺さなければならない。
その手で葬り、超えてゆかねばならない。
サンクチュアリを、葬らなければならない。
安蘭けいと立樹遥は、正反対でありながら、どこかしら似たカタチの影を持つ。
トウコは月の魅力、陰と淫の魅力を持つ役者であり、しいちゃんは太陽の魅力、光と康(ゆたか、すこやか、おおきい等)の魅力を持つ。
トウコの影は大きく濃く、しいちゃんの影は少ない。
だけどふたりの影は意外なところで重なる。大きさが違っても濃さが違っても、形が似ているから。影の伸びた長さはチガウのに、相似形になる。
このふたりが並び立つとき、他にはない魅力を感じるのは、そのためかと思う。
それはオスカルとアンドレだったり、ウッドロウとカールトン監督だったり、ティリアンとジェラードだったりと、トウコを抱擁する立場にしいちゃんが来たとき。
そのとき艶めいた月は、いびつな太陽と同じ影を描く。太陽は影を増す。
……ティリアンが、ヒゲ中年男ジェラードを殺す前に抱きしめるのが、萌えです。
しいちゃんはヘタレても別の芳醇さを発するステキなヒトですから。
青年時代の美しさや切なさとは、まったく別。
こちらは純粋に萌えです。ヘタレっぷりが(笑)。
新人公演を見て、「ジェラードがチガウと、こんなにつまんないのか……」と愕然としたもので。
しいちゃんが特別に演技しているとか、とくに思わないから(しいちゃんはいつでも、ナニをやってもしいちゃん♪)、ほんとにキャラクタだけで勝負してるんだよなあ。
そして、新公だからもちろん足りない部分は大いにあるにしろ、敗因のほとんどが「しいちゃんぢゃないから」だけだなんて、あんまりだよなあ。
ティリアンの少年時代のエピソードに重点を置いたこの作品において、ティリアンが魅力的になる要因の何割かは、ジェラードが魅力的であること、にかかってると思うんだが、どうだろう。
ジェラード@しいちゃんが、格好良すぎるんだってば。
ステキすぎるんだってば。
ときめいちゃうんだってば。
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