「永遠」物語・その3。
 2007年12月24日。
 早朝から日比谷に繰り出す。オサ様の入りから眺めるために、場所取り。
 到着したときすでに何重にも人だかりができていたシャンテ入口前に混ざる。目の前にある東宝劇場入口に、アーチが作られ、クリスマスツリーが飾られる様をぼーっと眺める。

 快晴で、クリスマスとは思えないあたたかな日だったので、晴れ男オサ様に感謝する。……が、場所取りしているうちに天気はよくてもビル風は容赦なく、結局凍えることになる。さ、さむいー。
 あまりの強風に、何度かクリスマスツリーが倒れる。がんばれツリー、踏ん張れツリー、オサ様が現れるまで。

 トップ退団時の会の動き、働きにはいつも感動する。何千人という素人たちを誘導し、秩序を保つ手腕。これがイベント・警備会社などがやっているのではなく、ファンという一般人が無償で行っているのだという、ものすごさ。
 好きなもののために、好きな人のために……「好き」という、ただそれだけの想いでこれだけの力が結集する、そのことに感動する。
 もちろん、ギャラリーとして集まった人々も。公的にはなんの権威もない会の人たちの指示に従い、黙って立ち続ける。彼女たちに従うことが、混乱を避け、大切な人の花道を見守ることにつながると信じ。

 立さんだけわかんなかったけれど、他の退団者の入りは、拍手と共に見届けた。としこさんは帽子を深くかぶっていたので、アゴくらいしか見えなかった。きよみとひーさんは、「やわらかな」笑顔だった。

 そして、オサ様は。

 目の前を、ゆっくり通ってくれて、沿道を埋めたファンのためにいろんな方向を向いて笑ってくれていたと思うけれど……それに対し、わたしはガン見して大喜びしていたはずなんだけど。

 よく、おぼえていない。

 生花で飾られたアーチをくぐったその先に待つのは、エントランス階段にスタンバイした組子たち。
 建物の中なので、残念ながらわたしたちのいる外からでは、顔は見えないし声も聞こえない。どんなイベントが繰り広げられているのやら。
 オサ様は階段を上り、たぶんその上でなにかしら話している様子。階段から階下にいる組子たちがぴょんぴょん跳ねて反応している。

 特別な1日がはじまる。

 最後の公演がはじまるまでに、食事をしたり限定ポスター購入のために奔走したりチケット受け渡しだのサバキだのばたばたしたり。
 なにか深く考えるヒマもないまま、時間は過ぎる。

 イベントだから。大きな大きな祭りだから。
 渇いたアタマの中で、冷静に計算している。どこでなにをする、どう行動する。
 食事はきちんと取らなきゃ。体調維持しなきゃ。
 防寒対策にと着てきたロングのダウンコートは、膝の上では万が一観劇中に音がするかもしれないから、無理矢理丸めて大きな鞄の中へ。鞄は椅子の下。足元だと邪魔になる。
 貴重品は身につけて。幕間はすぐにトイレへ走らなきゃ。極寒の中出待ちするんだから、オサ様見送るまでの数時間立ったままなんだから。
 考えていた手順通りに行動するの。冷静に。

 なのに、座席に着くまでにあわてふためくことになる。
 わたしチケット、落としてた。
 劇場係のおねーさんが、「落とされましたよ」と、チケットの半券を届けてくれた。
 び、びっくりした。
 何度も何度も眺めたチケット。いつどこで落としたんだ。
 席に着いてから、あわてて準備する。予定通りに。

 あっという間に、開演時刻になった。

 正直、夢を見ているようで。
 自分が劇場の椅子に坐っていること自体、ありえないことだし。

 舞台のオサ様は、どっから見てもオサ様で。
 昨日までもオサ様で、今日だってオサ様だ。
 なにもちがわない。どこもちがわない。
 今日は昨日の続きだ。

 じゃあ、明日だって、今日の続きじゃないのか?

 明日?
 明日はない?
 そんなバカな。
 わたしは明日だってわたしのままだし。世界だって、このまま明日に続いているだろう。

 なのにどうして、オサ様だけいなくなる?

 よくわからない。
 わからないまま、わたしはそこにいて、舞台を見ている。

 幕間も、無駄なく過ごして。トイレの大行列に勝利し、早々に戻った座席でペンライトの用意をする。点灯の仕方を確認し、添えられている紙に目を通し、ムラと点灯のタイミングがちがっていることをアタマに入れる。

 ショーがはじまり、終わり、サヨナラショーになり。
 きちんと準備していたから、最初の「世界の終わりの夜に」でペンライト振れたし、曲が終わるなりきちっと消せたし。
 冷静だし。……オペラグラス、膝から落としちゃったけど。自分で拾えないよーなとこまで転がしちゃって、暗転の際お隣さんが拾ってくれました。すすすすみません(平謝り)。

 組長の挨拶、みとさんの挨拶、さおたさんの挨拶、ちゃんと聞いたし。拍手したし。
 組長が読む退団者からのメッセージが、ムラと同じモノだってのも、ちゃんとわかったし。

 立さんの挨拶がムラに引き続きオトコマエでかっこいいこと、きよみもまたムラの挨拶に引き続いた導入で話しはじめたこと、ひーさんの挨拶が淀みなく美しかったこと、としこさんの挨拶に一瞬ピヨ?となったこと(ごめん、察し悪くて)でもその誠実な言葉に思い至って感動したこと、お花渡しになるぴょんがやって来たこと、そのおなかが大きかったこともおぼえているのに。

 オサ様のことは、あまりよくおぼえていない。

 オペラ使うのがもったいなくて、肉眼でガン見していた。
 ナマで、レンズ越しではない、自分の目で見なければならないと思った。……や、ナマ目じゃそんなによく見えないってゆーのに。
 でも、なんか。

 あそこに、オサ様がいる。

 それだけが、すべてだった。

 なにしろわたし、現実について行けてなくて。
 ココロはすこーんと渇いたまま。

 涙なんて出ませんことよ。だっていつも通りだもん。あのひとが「いなくなる」なんて、認めてないもん。
 や、もともと涙腺弱いから泣いてはいるけど、こんなの、「泣いた」うちに入らない。わたしが好きな人見送るならこんな半端な涙では済まないだろう。だから、泣いてない。涙なんか出てない。

 なにも感じられないから、ただ見つめる。
 記憶させておく。考えるのはあと。五感解放して、なんでもいいから触れておく。

 繰り返されるカーテンコール。幕が上がって。そのたびに、オサ様が笑っていて。
 閉まって、また上がって。
 そのたびに、笑顔があって。
 言葉なんておぼえてないけど、笑顔だけおぼえていて。

 きよみを皮切りに「アデュー!」と叫ぶ退団者に熱い拍手が送られて。
 マイクがないからナマ声、叫び声なの。みんな声よく通るよね。
 おかげでオサ様の最後の「アデュー(男役声)」が聞けた。

 
 イベントだから。大きな大きな祭りだから。
 渇いたアタマの中で、冷静に計算している。どこでなにをする、どう行動する。
 カテコに最後まで参加して、それから劇場を出てパレードの場所取りをする。わたしは西の人間で、東宝でのお見送りはろくにしたことないから、どこにいればいいのかわからない。流されるままに劇場入口前に立つ。
 見届けなきゃ。見届けなきゃ。
 納得していないし、現実感ないままなんだから、それこそきちんと見届けなければ。
 友人たちに「貧血起こさないでね」と何度も言われていた。トシのせいか感情が激し過ぎるとカラダに来る。友人たちはスクリーン組なので一緒に出待ちできない、気分が悪くなってもひとりでなんとかしなくてはならない。
 しっかりしなきゃ、体調管理して、誰にも迷惑かけないで、最後まできちんと見送るんだ。当たり前のことをしっかりやるんだ。

 この大きなイベントに、大きな祭りに、最後まで参加しきること。
 それをいちばんに考え、気張っていたんだと思う。

 人混みの後ろから、退団者たちを見送り。
 立さん、きよみ、ひーさん、としこさん、と数えるうちに、心臓がばくばくしてきて。
 なんかよくわかんないけど、すごくこわくなって。

 オサ様が現れたとき、そのばくばくは一気に消えた。

 それが何故かはわからないけど、なにかぱんと弾けたみたいにクリアになって、ただオサ様を見ていた。
 袴姿で、お花を持って歩く人。
 ちっちゃな姿、ちっちゃな顔。
 白くて、笑っていることだけわかる。透き通った姿。

 拍手と、叫び声。
「オサさん愛してる!」「ダイスキ!」……あちこちから、波みたいに声があがる。あがって、消えて、またあがって。

 寄せては引いていく、波みたいに。

 そしてオサ様は、海の真ん中を渡っていく。

 荷物全部握って、オサ様追いかけて移動した。人混みの後ろを、他の人たちと一緒に走った。わたしだけじゃない、たくさんの人が走り出している。
 オサ様の背中を追って。
 人口密度がすごいから、ちゃんとした走り方はできないが、ばらばらと移動していく。

 声が続く。
 愛を叫ぶ声が続く。
 瞬く光が、夜を切り取り続ける。
 人混みの向こう、あの光の中に、あの人がいる。

 劇場の角、帝国前の交差点あたりはすごいことになっていて。
 日比谷公園のクリスマス・イルミネーション帰りの人たちと、一般車、そしてヅカファンとで大混乱、クラクションと悲鳴と、愛を叫ぶ声と。
 あちこちから寿美礼サマを追いかけてきた人たち、少しでもその姿を見ようとあがいている人たちと、わけわかんないまま盛り上がっている一般通行人や野次馬などが一緒になって、歩道もパニック状態だった。

 ひとりの年輩の女性が叫んでいた。

「オサさんの車なら、行ってしまったよ!!」

 ほら、あれだ。
 彼女が指し示す向こうに、混乱の最中、帝国ホテルの方へ向かう車がちらりと見えた。

「オサさんは、行ってしまったよ!」

 その声に呼応して、浮き足立っていたファンは沈静化した。押し合いを繰り返していた人々がそれをやめ、三々五々散っていく。
 ヘタレなわたしはいつも人混みのいちばん後ろにいて、押し合うほどの気力もなかったが(まあ、後ろからでも見えるし)、前方で押し合っていた人たちが一気にいなくなったので、いきなり投げ出されたような感じになった。

 オサさんは、行ってしまったよ!

 その声が、何度も何度も胸の内で響いた。

 で。
 ……で。

 自分でも、わけわかんない。

 いきなり。
 涙が出た。

 泣かなかったのに。泣けなかったのに。むせび泣く劇場内で、渇いたまんま見送ったのに。
 ふつーに観劇していたのに。今までと同じで、チガウことなんかなにもなかったのに。すこーんと渇いていて、涙なんか出なかったのに。

 オサさんは、行ってしまった。

 オサ様は。春野寿美礼は。
 行ってしまった。

 なにか壊れたみたいな、ギャグマンガみたいな、蛇口ひねったみたいな、涙だ。
 自分でもびっくりして、混乱して、顔隠して声殺すのに必死だ。や、いくらなんでもみっともない。
 おかしい、恥ずかしい、みっともない。そんな、世間体を気にする部分と、なにが起こったの、という混乱と。

 アタマがぐちゃぐちゃでわけわかんなくなっているその胸の中で。
 繰り返されている。

 オサさんは、行ってしまった。

 あのおばさんの声。や、自分の声か?

 どうしよう。あたし、どうしたらいいんだろう。
 や、どーするもこうするもないが。ほんとにわかんなくて、ぐちゃぐちゃで、とにかく人目を避けてビルの隙間の小さな空間に逃げ込んで、そのまま坐り込んで泣き続けた。

 自分がなにを泣いているのかもわからない。
 考えることが出来ない。

 何年ぶりだろう。
 しゃくり上げるくらい泣くのって。

 よく泣く人間なんで、多少の涙は「泣いた」うちに数えないのだけど。ここまでアホみたいに大泣きしたのは、いつ以来だ?
 嗚咽を我慢しながら泣くとかはあっても、手放しで泣いたのはいつ以来だ?

 自分の反応自体についてゆけなくて、そのことでも混乱し、感情が激して余計不安定になったのだと思う。

 あとになってからだから。
 さんざんうだうだ考えて、わたしが答えにたどり着いたのは。

 わたしは、春野寿美礼に「永遠」を求めていたんだな。

 ……そんなこと、わたし自身思ってなかったから。ただもう、「永遠」を失ったことで、取り乱していた。

 「現実」に打ちのめされていた。


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